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巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

「丑年」の英訳は ”Year of ..."

2009-01-01 01:01:00 | 英語
(あらわたし、年女だわ。何度目の年女なのかは聞かないでね。)

「ユミの干支は何?」と、昔々カナダ人のカップルに尋ねられたことがある(このブログを読んでいる当時を知る知人のために書いておくと、あのポールとステファニーのカップルである。)

とっさに返答に迷ってしまった。日本人が「ウシ」と十把一絡げに考える動物たちは、英語では数種類の単語の使い分けがなされており、それぞれで意味とイメージが違う。

"cattle" は(家畜としての牛全体を見るゆえに)集合名詞で単数はないし、"beef" は肉のことなので論外だし、"calf" は子牛だし、"bison" は野牛だし、"buffalo" は水牛だ。第一"bison" や"buffalo" は日本人にとって、「牛」としてまず最初にイメージされるものとは異なる。そうなると、"ox"か"cow" か "bull" だ。でも "bull" はメリルリンチのあのロゴマークみたいな血気盛んな雄牛のことで、ちょっと違うような気がする。(ちなみに市場の上げ相場のことを "bull" という。)

ということは "ox" か "cow" かの選択になる。で、ウシで日本人がイメージできるのは、どちらかといえば牛乳石鹸のカウブランドのイメージにあるウシ(おそらく乳牛のホルスタイン)だろう。つまり "ox"(おもに雄牛)ではなく、"cow"(乳牛、雌牛)に違いない。

そうとっさに判断して、質問よりほぼ1.5秒後に「"Cow"」と答えたとたんに、カナダ人カップルは大爆笑!

女性のほう「いやだぁ。そんなのがサイン(=sign、この場合は「干支」のこと)になるのぉ? アハハハ」(馬鹿にしてますね、あなた。)
男性のほう「ハハハハハ」(明らかにあきれ返っているけれど、それをわたしに悟られたくないんですね、あなた。)

といわけで、とっさに答えを修正。
「…じゃなくて、"ox"! オーーーーーーーーーークス!」

「ああ、それならわかるわね」
「うん、それなら納得できるよ」
カップルは真顔に戻ったのであった。

「丑年」の英語訳は通常は "year of the Ox" である。が、どうして "cow" ではなく "ox" になるのだろう。英語の "cow" という単語には、少なくとも英語的にはオリエンタル・ゾーディアック(十二支のことをこう呼ぶことがある)にはふさわしい動物とはみなされないイメージが付いるのが、一つの理由かも知れない。でも、筆まめの最新バージョンのイラスト集を見るにつけ、どうみても日本人の大半が丑年の牛に対して、 "cow" をイメージすることが多いのは明らかだ。

十二支の干支のイメージの関連でいうと、子年もかなり問題。この場合のネズミは普通は "rat" を使うが、英語的には "mouse" と "rat" のイメージの差は大きい。日本語では「ネズミ」と総称してしまうがミッキー・マウスはあくまでもマウス(ハツカネズミ系)でなければならず、ラット(ドブネズミ系でネガティブなイメージがついている)では、あんなに人気は出なかったろう。またそれゆえに "rat" どもを登場させた『レミーのおいしいレストラン』のストーリーが成立する。その "rat" を我々は干支にしているわけだが、「(ドブ)ネズミの年」の存在を、文化の異なる人間がどう考えているかは、あえて尋ねたことがないのでよくはわからない。

ついでに「卯年って "rabbit" なの? "hare" なの?」という話になる。日本の在来種に "rabbit" は存在しないため卯年のウサギとは "hare" のはずだが、卯年に "rabbit" の絵柄の年賀状も結構ある。わたしたちは日常生活においてイエウサギ(rabbit)(または原種であるアナウサギ)とノウサギ(hare)を区別しないのである。


ラジオの英語講座:どのプログラムが最良で、誰が一番優秀な講師かは…

2008-08-03 16:42:43 | 英語
友人たちと話をした。全員が仕事で英語を使っている。そして全員が、かつてラジオの英語の講座で勉強した経験があった。

話の中で、どの講座が、そしてどの講師が一番素晴らしかったかの話になったのだが、要は客観的基準がないので、最初に聴いた、あるいはもっとも長期間聴いた講師が、各個人にとって最も影響力の大きい講座になってしまっていた。

わたしとしては、今は3つに分かれてしまったNHKラジオの元祖「基礎英語」の講師といえば、大野一男氏。(え? 知らない? 気にしなくてもいいよ。かなり昔の話だから。)

残念ながら、中学生に朝6時は非常に眠く、ラジオのスイッチを入れると再び眠りについてしまったので、覚えているのは最初のテーマ曲のメロディーのみで、英語の成績は散々。

NHK以外のプログラムで、大学時代の前期にわたしを含めてクラスメートの多くが聞いていたのが、文化放送等でオンエアされていた「百万人の英語」だ。一応英文学科だから、みんな聞いていたわけ。今回話をした友人たちも、年配者では聞いていた人が多かった。

この番組は講師の質と出来にムラが…もとい…それぞれの「個性」があった。毎日聞いていたわけではないが、わたしは國弘正雄氏が気に入っていた。(のちに国政の場に出て「ミスター護憲」になるとは。)

この番組で印象に残っているもう一人の講師はハイディ・矢野氏。アメリカン・イングリッシュの発音を教えていて (「ワラワラメソッド」を覚えているか、ご同輩?) かなり人気があったのだが、彼のプログラムを聞くたびにわたしは「ああ、やっぱり日本は敗戦国だなぁ」と、思ってしまったものだ。

NHKラジオの「やさしいビジネス英語」(「ビジネス英会話」の前身)ときたら、もちろん講師は杉田敏氏だけれど、このプログラムで主人公が誰なのかは、聴いた時代によって異なる。わたしにとってこのプログラムの主人公は宮川輝行。つまりあの講座のもっとも初期。ちなみに友人たちの間では、主人公が宮川輝行か荒木裕美かに分かれた。結構みんな昔に聴いていたわけだ。

ところでラジオの「ビジネス英会話」といえば、過去に一時的に講師が変わったことがあった。個人的に特筆すべきは、2004年の日向清人氏とその時のテキストだ。日向氏のプログラムは、過去に契約書とか正式なビジネス文書を英語で作る立場にあったわたしにも、「実はそういうことだったのね」と眼鱗ものがいくつもあった。過去に自分で書いたものを思い出して、後付けで青くなったり、赤くなったりしたが、その会社はもう存在しないので書類も残っていないだろうから、良しとしよう。(いや、実は良くない。)

日向氏ご本人は、ブログでこの時のNHKの姿勢をかなりこき下ろしているが、聴いているほうはためになったと思う。昔に英会話学校で法人営業もしていたことがあるが、当時営業をかけた、うま味調味料を製造している某大手企業が、「当社がほしいのは、日本語できちっと英語の文章のルールや微妙な表現の違いを教えられる講師です。たとえば『どうしてここではこの単語を使わなければいけないのか/使ってはいけないのか』をきちっと説明できる人がほしい。」と言っていたが、おそらく日向氏はそういうことができる人物なのだろう。

その日向氏が担当していた時の「ビジネス英会話」のテキストで最もおもしろかったのが、「シネマでリスニング力を鍛えよう!」(前原敏行氏)。なにしろ、紹介した作品についてリスニングにも英語そのものにも一切触れていない。作品紹介が先にあり、これが英会話のテキストだというので、なかばこじつけ気味に「リスニング力を鍛えよう!」となったとみた。果たして『地獄の黙示録 特別完全版』や『カッコーの巣の上で』がリスニング力の向上にふさわしい作品かどうか…でも、作品の選択と解説はかなりわたしのツボにきた。

で、ここまで書いてきて申し訳ないのだけれど、当時のスケジュールの都合に付き、わたしはこの日向氏の放送は2回しか聞いたことがない。テキストとCDは6カ月分持っているが、本放送ではもっと詳しい説明があったのだろうなぁと思うと、リアルタイムで聴かなかったのは残念だ。

ああそれから、忘れてはいけない。講座そのものは聞いていないけれど、大学院の授業と学内学会でお世話になったこの二人の講師の名前は挙げておこう。「新基礎英語2」の田辺正美先生と「基礎英語」2の中田清一先生。(前述の他の講師の方々には申し訳ないのだが、このお二人のみ以前より「先生」とお呼びしているので、敬称付。)

田辺先生には授業(言語科学1および2)と言語研究部会(学内学会の部会の一つ)で、中田先生には言語研究部会で大変お世話になった。田辺先生の摩訶不思議なファッションセンスと、中田先生の高度にアカデミックな洒落 ――洒落が発せられた瞬間は誰も意味がわからず、間をおいてから理解できた者のみドッと笑い、理解できなかった者は理解できた者に説明してもらうことが必要となり、その説明と理解には学術的知識を要する――が、リスナーにはわかりにくかったと思う。まぁ、ご両名とも恐ろしいほど頭が良くて、(たぶん)人格者で、おもしろい先生だ。



ところで、英語以外に目を向けると、NHKのドイツ語講座といえば「小塩節+ミヒャエル・ミュンツァー」になっているわたしは、やっぱりかなり古い?



「イージス艦」と「目出し帽」

2008-02-23 19:24:20 | 英語
すぐにピンと来た人もいると思うけれど、この2つの一見まったくことなるものの共通項は

「デストロイヤー("destroyer")」

である。

「目出し帽」は、昔は「デストロイヤー・マスク」といわれていた。その昔、目出し帽をかぶって「ザ・デストロイヤー」のリングネームで活躍した、米国人のプロレスラーがいたからだ。

「目出し帽」がデストロイヤー・マスクと呼ばれなくなった理由は、「ある特定の人間の名をそのまま使って、ものの名前を一般化することはまずいんじゃ…」ってことを、マスコミあたりが考えたからだという話を聞いたことがあるが、真実は知らない。

さて、イージス艦は「駆逐艦 (destroyer)」の一種なので、英語では "Aegis destroyer" と呼ばれる。日本は建前では軍隊を持っていないことになっており、そこで「駆逐艦」じゃまずいと思って、わざわざ「イージス『護衛艦』」と呼ぼういうことになったのだろうかと勘ぐってしまう。

ただし、英語ではあくまでもイージス艦は "destroyer"、つまり「破壊者(物)」だ。というわけで、デイリー読売のような日本の新聞でさえ、英字新聞になると自衛隊のイージス艦を "destroyer" と記述せざるを得ない。

ときに、政府による日本語訳を使った物事のすり替えセンスは抜群だ。たとえば、"deregulation" とは本来は「規制を取り除くこと」だ。それを「規制緩和」、つまり「規制を緩めること」とした。「規制緩和」は一昔前の日米貿易摩擦でよく取り上げられた話題だが、政府間交渉で "deregulation" を論じるとき、米国側は「撤廃すること」を、日本側は「緩和すること」を念頭に話していたのだろうな。

ところでかつて、「陸上自衛隊」「海上自衛隊」「航空自衛隊」をとっさに、"Army" "Navy" "Air Force" と訳してわたしをぎょっとさせた友人がいたが、いくら一般人相手のボランティア通訳でも、これはまずかった。日本には軍隊は存在しないことに、表向きはなっているからだ。せっかく日本語の名称のつけ方(と、その英訳名称)でコトをぼかそうとしていたのに、わざわざ本質をついてしまうとは。

一応 "Self-Defense Force" にして、頭にそれぞれ"Ground" "Maritime" "Air" をつけないと(さらに正式にはその前に "Japan" をつけないと)、へんなところで使った場合には、下手をすると国際問題になりますわ。たとえデストロイヤーを持っていたとしてもね。


"computer"の発音

2005-07-15 23:01:20 | 英語
英語はわたしにとって外国語だ。だからその発音にはつねに苦労している。

英語をしゃべる場合に、単語レベルで考えて、音そのものは正確であるに越したことはない。だから、今日もひそかにザ・ジングルズを唱えていたりするのである。見よ、この涙ぐましい悪あがき…じゃなかった、努力。「努力」だ。

でも、標準の音からの多少のブレは大目に見てもらえる。英語の発音は結構地域差が激しいし、英語をしゃべる人間はネイティブよりも外国人のほうが多いからである。が、単語のアクセントの位置は、発音そのものと同等か、ときにそれ以上に重要である。アクセントの位置を間違えると、通じなかったりするのだ。

かつて黒柳徹子氏が米国でパーティの席で体験した話だ。彼女が周りのアメリカ人たちに「セサミストリート」( "Sesame Street")が日本でも放映されているという話をしたところ、"[Ses?a?me] Street"と発音してしまったために通じず、その場にいたアメリカ人全員が「いったい何のこと言っているのだ?」と考え込んでしまったそうである。しばらくしてその中の1人がはっと気がつき "Oh! [Ses?a?me] Street!" と叫んで、全員が「ああ、セサミストリートね!」「そうか、セサミストリートか!」と納得したとのこと。黒柳氏自身が、昔ラジオでその話を披露していた話だ。

中学や高校の英語のテストにアクセントの問題があるのは、ダテではない。英語が通じるか通じないかの問題なのだ。[th]音や[v]音などを練習するのも有益なことだが、辞書をみてアクセントを確認し、そのアクセントを練習によって体得することも大切なことだ。

しかし、英語由来の外来語が日本語になっている場合、英語で混乱が起こりアクセントの間違いが起こりやすいようである。

たとえば"computer"という単語がそうだ。誰もが知っている外来語であるだけに、元の単語のアクセントをチェックする人間が少ないらしい。

この発音は正しくは、多くの方が発音しているように、[com?put?er]と第二音節が強くなるはずだが、[com?put?er]と、「コ」を強く読む人も少なくない。それもかなり英語を使う人の中にも、第一音節にアクセントを置く発音をする人がいたりする。

このことを再確認したのは、先週の授業で学生たちに英語のプレゼンテーションをしてもらったときのことだ。選択可能なテーマのひとつがコンピューター・ゲームに関するものだったのだが、クラスの中では英語力の高い複数の学生[com?put?er]と発音していたのだ。

だが、無理もないことかもしれない。かつてわたしが学んだ通訳養成のクラスのなかですら、これは起こったのだから。

「なんで、"computer"を正しく発音できないの?」 日本語から英語への通訳の練習の途中で、先生は呆れた。すかさず同じクラスのAさんは、自信をもって主張した。「でもコンピューターは絶対に、[com?put?er]ですよ!」そして、隣に座っていたわたしに同意を求めた。「ね!」

わたしは「うそだろ?」という顔をしていたらしい。そこでAさんはさらに続けた。

「だって、職場でわたしの隣に座っている、アメリカ人がよくわたしに言うんですよ。」そして、彼女の同僚のアメリカ人男性の、英語訛りの日本語の口調をまねた。

「『Aサーン。ワタシのォ、""ンピューターがぁ、オカシイィんですゥ。』って。」

教室内に沈黙が走った。最初に沈黙を破って口を開いたのはわたしだったが、これはわたしが最初にことの次第に気づいたのではなく、単に彼女の隣にいたためだった。おそらく皆も同時に同じ推理をしたに違いない。

「Aさん。それ、お隣の席のアメリカ人は、いつもあなたのために日本語で「コンピューター」と発音していたつもりなんじゃ…」

教室内大爆笑。

教訓その1:英語ネイティブが日本語で話すときに挿入する外来語は、わたしたちには「英単語」に聞こえたとしても、彼らにとってはあくまでも「日本語」である可能性が高い。

教訓その2:「わかっている」と思っている英単語でも、もう一度発音とアクセントの位置をチェックしたほうがよい。



"Mask" Melon(マスクメロン)とは、何ぞや?

2005-05-23 22:52:53 | 英語
先日、親戚からマスクメロンをもらった。

ちょうどよく熟したところで、週末に食べた。涙がでるほどおいしかった。いやこんなおいしいメロンは生まれてはじめてだった。さすが元果物専門店の目利きではある。しかし、家族のうち1名が食べごろのタイミングで旅行に行ってしまったため、この極上のメロンにありつけなかった。

それを哀れに思った別の家族が、スーパーで別の網目メロンを買ってきた。そのシールには「MASK MELON」の文字があった。

melon_1

家族一同大爆笑。実は、親戚からマスクメロンをもらった時点で、わたしがマスクメロンのつづりと、その意味を話していたからだ。(ふくしまゆみは、家庭においてもしばしばウンチクを語る。)

melon_2マスクメロンは、普通は "musk melon" とつづる。"musk" とはムスク(麝香)のことだ。「麝香のように良い香り」という意味らしい。しかし"mask melon" では「仮面メロン」になってしまう。

「いや、値札には『マスクメロン』ではなく、『アールスメロン』と書いてあるから、間違いではないかもしれない」「アールスメロンの英語名が "mask melon" なのだろう」と思って調べたら、「アールスメロン」は通称「マスクメロン」の品種名であるとのこと。

これではますますいけない。本物であるにもかかわらず、「仮面メロン」と銘打ってあっては、「まがい物っぽさ」が大爆発で、みずからグレードを落としてしまっている。

さてその昔、某果物店(わたしの親戚の店のことではない)のお使い物用の包装紙には、「Fresh Fruits」の文字のつもりで「Fresh Farts」("fart" の意味は各自で調べられたし)と印刷されたものがあったそうだ。某民放のラジオ英語講座の外国人講師がそれを見つけて、その果物店でせっせと果物を買っては包装紙で包んでもらっては、仲間うちで大受けしていたとか。

スペルにはくれぐれも気をつけよう。印刷に出す前に、もういちど辞書を引いたほうが良い。