英語はわたしにとって外国語だ。だからその発音にはつねに苦労している。
英語をしゃべる場合に、単語レベルで考えて、音そのものは正確であるに越したことはない。だから、今日もひそかにザ・ジングルズを唱えていたりするのである。見よ、この涙ぐましい悪あがき…じゃなかった、努力。「努力」だ。
でも、標準の音からの多少のブレは大目に見てもらえる。英語の発音は結構地域差が激しいし、英語をしゃべる人間はネイティブよりも外国人のほうが多いからである。が、単語のアクセントの位置は、発音そのものと同等か、ときにそれ以上に重要である。アクセントの位置を間違えると、通じなかったりするのだ。
かつて黒柳徹子氏が米国でパーティの席で体験した話だ。彼女が周りのアメリカ人たちに「セサミストリート」( "Sesame Street")が日本でも放映されているという話をしたところ、"[Ses?a?me] Street"と発音してしまったために通じず、その場にいたアメリカ人全員が「いったい何のこと言っているのだ?」と考え込んでしまったそうである。しばらくしてその中の1人がはっと気がつき "Oh! [Ses?a?me] Street!" と叫んで、全員が「ああ、セサミストリートね!」「そうか、セサミストリートか!」と納得したとのこと。黒柳氏自身が、昔ラジオでその話を披露していた話だ。
中学や高校の英語のテストにアクセントの問題があるのは、ダテではない。英語が通じるか通じないかの問題なのだ。[th]音や[v]音などを練習するのも有益なことだが、辞書をみてアクセントを確認し、そのアクセントを練習によって体得することも大切なことだ。
しかし、英語由来の外来語が日本語になっている場合、英語で混乱が起こりアクセントの間違いが起こりやすいようである。
たとえば"computer"という単語がそうだ。誰もが知っている外来語であるだけに、元の単語のアクセントをチェックする人間が少ないらしい。
この発音は正しくは、多くの方が発音しているように、[com?put?er]と第二音節が強くなるはずだが、[com?put?er]と、「コ」を強く読む人も少なくない。それもかなり英語を使う人の中にも、第一音節にアクセントを置く発音をする人がいたりする。
このことを再確認したのは、先週の授業で学生たちに英語のプレゼンテーションをしてもらったときのことだ。選択可能なテーマのひとつがコンピューター・ゲームに関するものだったのだが、クラスの中では英語力の高い複数の学生[com?put?er]と発音していたのだ。
だが、無理もないことかもしれない。かつてわたしが学んだ通訳養成のクラスのなかですら、これは起こったのだから。
「なんで、"computer"を正しく発音できないの?」 日本語から英語への通訳の練習の途中で、先生は呆れた。すかさず同じクラスのAさんは、自信をもって主張した。「でもコンピューターは絶対に、[com?put?er]ですよ!」そして、隣に座っていたわたしに同意を求めた。「ね!」
わたしは「うそだろ?」という顔をしていたらしい。そこでAさんはさらに続けた。
「だって、職場でわたしの隣に座っている、アメリカ人がよくわたしに言うんですよ。」そして、彼女の同僚のアメリカ人男性の、英語訛りの日本語の口調をまねた。
「『Aサーン。ワタシのォ、"コ"ンピューターがぁ、オカシイィんですゥ。』って。」
教室内に沈黙が走った。最初に沈黙を破って口を開いたのはわたしだったが、これはわたしが最初にことの次第に気づいたのではなく、単に彼女の隣にいたためだった。おそらく皆も同時に同じ推理をしたに違いない。
「Aさん。それ、お隣の席のアメリカ人は、いつもあなたのために日本語で「コンピューター」と発音していたつもりなんじゃ…」
教室内大爆笑。
教訓その1:英語ネイティブが日本語で話すときに挿入する外来語は、わたしたちには「英単語」に聞こえたとしても、彼らにとってはあくまでも「日本語」である可能性が高い。
教訓その2:「わかっている」と思っている英単語でも、もう一度発音とアクセントの位置をチェックしたほうがよい。
英語をしゃべる場合に、単語レベルで考えて、音そのものは正確であるに越したことはない。だから、今日もひそかにザ・ジングルズを唱えていたりするのである。見よ、この涙ぐましい悪あがき…じゃなかった、努力。「努力」だ。
でも、標準の音からの多少のブレは大目に見てもらえる。英語の発音は結構地域差が激しいし、英語をしゃべる人間はネイティブよりも外国人のほうが多いからである。が、単語のアクセントの位置は、発音そのものと同等か、ときにそれ以上に重要である。アクセントの位置を間違えると、通じなかったりするのだ。
かつて黒柳徹子氏が米国でパーティの席で体験した話だ。彼女が周りのアメリカ人たちに「セサミストリート」( "Sesame Street")が日本でも放映されているという話をしたところ、"[Ses?a?me] Street"と発音してしまったために通じず、その場にいたアメリカ人全員が「いったい何のこと言っているのだ?」と考え込んでしまったそうである。しばらくしてその中の1人がはっと気がつき "Oh! [Ses?a?me] Street!" と叫んで、全員が「ああ、セサミストリートね!」「そうか、セサミストリートか!」と納得したとのこと。黒柳氏自身が、昔ラジオでその話を披露していた話だ。
中学や高校の英語のテストにアクセントの問題があるのは、ダテではない。英語が通じるか通じないかの問題なのだ。[th]音や[v]音などを練習するのも有益なことだが、辞書をみてアクセントを確認し、そのアクセントを練習によって体得することも大切なことだ。
しかし、英語由来の外来語が日本語になっている場合、英語で混乱が起こりアクセントの間違いが起こりやすいようである。
たとえば"computer"という単語がそうだ。誰もが知っている外来語であるだけに、元の単語のアクセントをチェックする人間が少ないらしい。
この発音は正しくは、多くの方が発音しているように、[com?put?er]と第二音節が強くなるはずだが、[com?put?er]と、「コ」を強く読む人も少なくない。それもかなり英語を使う人の中にも、第一音節にアクセントを置く発音をする人がいたりする。
このことを再確認したのは、先週の授業で学生たちに英語のプレゼンテーションをしてもらったときのことだ。選択可能なテーマのひとつがコンピューター・ゲームに関するものだったのだが、クラスの中では英語力の高い複数の学生[com?put?er]と発音していたのだ。
だが、無理もないことかもしれない。かつてわたしが学んだ通訳養成のクラスのなかですら、これは起こったのだから。
「なんで、"computer"を正しく発音できないの?」 日本語から英語への通訳の練習の途中で、先生は呆れた。すかさず同じクラスのAさんは、自信をもって主張した。「でもコンピューターは絶対に、[com?put?er]ですよ!」そして、隣に座っていたわたしに同意を求めた。「ね!」
わたしは「うそだろ?」という顔をしていたらしい。そこでAさんはさらに続けた。
「だって、職場でわたしの隣に座っている、アメリカ人がよくわたしに言うんですよ。」そして、彼女の同僚のアメリカ人男性の、英語訛りの日本語の口調をまねた。
「『Aサーン。ワタシのォ、"コ"ンピューターがぁ、オカシイィんですゥ。』って。」
教室内に沈黙が走った。最初に沈黙を破って口を開いたのはわたしだったが、これはわたしが最初にことの次第に気づいたのではなく、単に彼女の隣にいたためだった。おそらく皆も同時に同じ推理をしたに違いない。
「Aさん。それ、お隣の席のアメリカ人は、いつもあなたのために日本語で「コンピューター」と発音していたつもりなんじゃ…」
教室内大爆笑。
教訓その1:英語ネイティブが日本語で話すときに挿入する外来語は、わたしたちには「英単語」に聞こえたとしても、彼らにとってはあくまでも「日本語」である可能性が高い。
教訓その2:「わかっている」と思っている英単語でも、もう一度発音とアクセントの位置をチェックしたほうがよい。
確かに、イントネーションとシラブルの認識は欠かせませんよね。ノンネイティブな言葉は、やはり耳を鍛えて、意識しながら海馬レベルまで叩き込むぐらいの気合を持って取り組むコトが必要かもしれません。
まぁ、entrepreneurをシラブルを端折っちゃって「アントレプレナー」で納得しちゃってる日本は、果たしてドコへ向かってゆくのか不安に思う今日この頃だったりもします。でも、ネイティブなヒトもrefrigeratorがfrigな時代ですから、このあたりの端折り傾向は時代の流れかもしれませんケド。。。
entrepreneurは、やはり鼻にかけて発音しないと…(笑)
しかし、かつてはじめて「時代はユビキタスだよ、ふくしまさん。」といわれたときに、それがubiquitousのことだとは、思いませんでした。そうか、日本語風に発音すると「ユビキタス」になるんですね。
アタシ、そのカタカナ語を初めて聞いた時、ケータイのメールでもやりすぎて「指に支障をきたすような世の中」=略して「指きたすな世の中」ってコトなのかなって真剣に思いました。マジなハナシです…。
大阪でジングルズの講師をやっています。
ほんとに頭にしみついた外来語を治すのには
時間がかかります。
最初から正しい発音で覚えさせてくれていれば、
こんなに苦労することないんですものね。
コメントありがとうございます。ジングルズの講師をされていたっしゃるのですね。
あれは発音筋肉を鍛えるのに良いメソッドだと思います。特に日本人に多い子音の弱さを改善するのために、たまに思い出したように使っています。