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巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

アフラックダックの日米比較

2004-12-12 23:46:15 | 異文化コミュニケーション
アフラックのコマーシャルに登場するアフラックダックを、日米比較することにした。そのため、日本とアメリカのアフラックのサイトで、コマーシャルのストリーミング映像をそれぞれ10回ぐらいずつみることになり、食傷気味だ。とはいえ、日米のコマーシャルの設定やアヒルの性格の変更から、アメリカ人と日本人のメンタリティの差をきちんと意識して作った、作り手側の巧みさが浮き彫りになる点において、そしてそうやって作ったコマーシャルが実際にそれぞれの国で好感度が高い点において、称賛に値する。

日本で流れたコマーシャルのストリーミング映像は日本のアフラックのサイトでみられるが、じつは本家アメリカのサイトからも、日本語のコマーシャルのいくつかのトリーミング映像が見られる。しかも、なかにはごていねいに英語字幕がついているものまである。

例の「よーく、考えよう。お金は大事だよー。」は "Use your money well. It’s precious. Yes, it is..." と英訳されていた。なるほど、うまい。でもその訳のままでは「クイズ篇」のギバちゃんの「よーく、考えよう!」のところでちょっと困ったことになりそうだ。

さて、こうして日米両方のアフラックダックを見ると、なんと日本のアフラックダック(アフラック日本社の社員という設定)の恵まれていることか。少なくとも皆、彼の存在に気づいて人間と同等の扱いをしてくれている。とはいえ、アメリカのアフラックも、彼の日ごろの並々ならぬ苦労と貢献に報いて、新しい社のロゴではAFLACの文字の真ん中にアヒルの首から上をあしらうという、破格の待遇を与えている。

ちなみに、アメリかのアフラックダックは、来年のコマーシャルからは人間のことばをしゃべるようになるのだそうだ。アメリカ版で「AFLAC!」と叫んでいるのは声優・俳優のギルバート・ゴットフリード (Gilbert Gottfried)(ディズニーのアニメ「アラジン」のイアーゴの声を担当)なので、彼がそのまましゃべると思われる。

では、はたして日本のアフラックダックも日本語をしゃべるようになるのか? それとも「アフラック!」のままなのか? どっちのほうが、日本の視聴者に受けるのかを…よーく、考えよう。アヒルは大事だよー。



Lorem Ipsum

2004-11-23 22:48:53 | 異文化コミュニケーション
外国由来のソフトウェアを使っていると、しばしば次のような文字にぶつかることがある。

Lorem ipsum dolor sit amet, consectetuer adipiscing elit. Duis pede nisl, gravida sit amet, convallis vel, fringilla sed, mi. Etiam et urna vel ante tristique fermentum.(長くなるので以下略)


lorem_ipsumこれは、「ここを文字で埋めなければならない」と場合や欧文フォントの見本を示すときに使われるダミーテキストだ。わたしがこのようなダミーテキストにいつも同じことばが使われていることに気がついたのは、英語圏で作られた種々のソフトウェアの日本語版が広く普及してからだ。
しかしこの文章??通称「Lorem Ipsum」??は、西洋の印刷業界では1500年代から、ダミーテキストの標準としてひろく使われてきたものらしい。使用例として、たとえば本文が後から来る予定のウェブサイトの仮アップも使われており、たとえばhttp://www.seidlergroup.com/Templates/TraditionalLookSite/aboutus.htmlは今この記事を書いている時点では、みごとなLorem Ipsumの連続だ。

わたしは当初はこれがラテン語だということがわからず、適当に文字を組み合わせたものだと思ったが、最近のネットの発達によりその由来がわかるようになった。なんと、Lorem Ipsumは紀元前45年にキケローが書いた『善と悪の究極について』の一部らしい。(この著書はルネサンス期に非常にポピュラーだったらしく、そこから印刷用のダミーテキストとして用いられるようになったのだろう。
というわけで、欧米の言語用に何かをつくって、ダミーテキストを入れなければならないときはこのLorem Ipsumを大いに利用しよう。え? 長いダミーテキストを入れなければならないため、この記事のLorem Ipsumの引用だけでは足りないって?
大丈夫、大丈夫。どこかの優しいお方が、ネット上でLorem Ipsumを貴方ニーズに合わせて作ってくれるようにしてくれた。http://www.lipsum.com/にアクセスして、必要な項目を入れてボタンを押せば、ほら!

lorem_ipsum_2

[画像解説]:
この記事の画像ファイルの最初のものは、PowerPointのデザインテンプレートの選択時にあらわれるLorem Ipsum、後者はDreamWeaverのページデザインにダミーテキストとして入力されているもの。


もうひとつの「アメリカの陰謀」?

2004-11-04 10:45:12 | 異文化コミュニケーション
以前に記事に書いたレターサイズのほかにも、「アメリカの陰謀」を感じるものがある。それはわたしたちの食生活にはごくポピュラーな食材だ。

その昔、英会話学校で働いていたとき、なにかがあるとすぐにみんなで宅配のピザを頼んで食べた。

日本のピザは特殊だ。トッピングにテリヤキチキンやら、餅ピザやら明太子やら海苔やら長ネギやらを使った、欧米人の感覚からはゲテモノに属しかねないものもある。わたしが英会話学校に勤めていたのはかなりの昔のことなので、今のようにバラエティ豊かな「日本的」なピザの種類はそれほどはなかった。が、それでも当時の外国人講師たちのお気に入りのピザは、カレー味のものだった。

「こんなピザは欧米にはない」彼らはカレー味のピザを「CP(シーピー)」(もちろんCurry Pizzaの略である)と名づけ、「格好の異文化体験」とばかり、毎回いちいち楽しげな歓声をあげた。(「ピザでも頼もうか?」「いいねぇ。じゃあ、CPを頼むのをわすれないでね。」)

さて、そんな風にいつものようにみんなで宅配のピザを食べていると、「いつも思うのだが、日本のピザはとても変だ。」と、普段は陽気なオーストラリア人の講師ポールが真面目な顔で言った。

「もちろんカレーのピザは、日本にしかない。でも、君たち日本人は気づいていないかもしれないが、日本のデリバリーのピザのトッピングは変だよ。」

まぁ、ピザはイタリア生まれだけれど、宅配のピザはすでにイタリアンではないからそのことを言っているのかと思ったが、彼の次のことばは意外なものだった。

「ほとんどのピザにコーンが入っている。これはなぜだ?」

つまり、ピザの具の多くにスイートコーンが使われているのは、きわめて日本的な現象らしいのだ。

「日本人はスイートコーンが好きだから…かなぁ?」わたしは、自信なく答えた。
「じゃあ聞くが、そのスイートコーンの産地はどこだ?」ポールはたたみかけるように質問する。
「多分アメリカ」と、わたし。ポールが意味ありげにうなずく。
「そう、アメリカだ。ではボクの仮説を言おう。これはアメリカの陰謀だよ。アメリカが日本にコーンを大量に押しつけたんだよ。だから日本人は、ピザにまでコーンをいれて食べなければならないんだよ。」
「コーンはおいしいのだから、そんなことはどうでもいいじゃない。」と答えることもできず、わたしは助けをもとめて、この会話を黙って聞いていたカナダ人の講師(彼もまたポールという名だった)のほうをみた。この物静かなカナダ人ポールは、講師の中でもっとも礼儀正しく思慮深いと思われていた。

カナダ人ポールは、うーんと考えて込んでそして最後に言った。
「たしかにその通りだ。ピザにコーンが入っているのはアメリカの陰謀の可能性がある。」

「ほらね。こうやって日本はいつのまにかアメリカに侵略されていくんだよ、ユミ。」オーストラリア人ポールは、哀れむような表情でそういいながら、もうひときれのピザに手を伸ばした。

それ以来、トッピングにスイートコーンの入ったピザを食べるたびに、グリーンジャイアントの「ホホホ」という低い声が、わたしの頭の中で響くのである。

ところでなぜ今ごろこの話を書いたのかというと、am/pmで買い物をしたときに、レジ袋に「とれたてキッチン」の11月の新作として銀座 天國(てんくに)の「極味(きわみ)天丼」のチラシが入っていたからだ。そして、そのチラシによればこの天ぷらの老舗が監修した天丼のかき揚げには、コーンが入っているのだ。

これもアメリカの陰謀が功を奏したのだろうか? それとも日本人がコーン好きなだけなのか?

ちなみに、日本独特のピザについては、外国人中にはよほど奇異らしく、彼らの中にはこのトピックでサイトを作っている人もいる。”Japanese Pizza” あたりの検索語で検索してみるとおもしろいかもしれない。




たまたまの運か?実力か???女子マラソン野口の優勝の異なる解釈

2004-08-25 07:00:00 | 異文化コミュニケーション
英国人のおそらくほぼ100%が、英国人ラドクリフの優勝を確信していた、アテネオリンピックの女子マラソン。結果は日本人のほぼ100%が知っているように、野口みずきが金メダルを取った。スタート当時の天候は晴れ、気温35度、湿度31%、北の風1.1メートルだと一部の日本のメディアが伝えているが、実はレース中の湿度は60%以上に上がっていたともいわれている。

湿度についてはどれが本当かはわからない。英国のメディアは湿度が高かったことを強調するが、アテネに行った日本人レポーターの報告は、女子マラソン時の湿度については、バラバラなことを言っているからだ。

さて、本題に入るために、まずアテネ五輪の女子マラソンについての、英国の報道を見てみよう。

もしこのレースが春に行なわれていたら、あるいはせめて涼しい早朝に行なわれていたら、ラドクリフは過去にそうだったように、野口やヌデレバをずっと引き離していただろうに。
(BBC SPORT ? Where did it go wrong for Paula?)


勝者は日本人だった??日本の季候は[アテネと]似ており、非常に湿度が高いため、日本人はそれに慣れている。そこがポイントのひとつだ。
(BBC Sport ? Heat hurt Paula)


わたしと同様に、このブログを読んでいる人のほとんどは日本人だと思うが、このBBC(イギリス放送協会)の報道を支持できるだろうか? 否、野口みずきがアテネオリンピックの女子マラソンで優勝したことを、わたしたちは野口自身の資質と、弛みない努力の結果とポジティブに評価しているだろう。

しかし、野口が外国人でありラドクリフが同国人である英国人からすると見方が違う。野口が勝てたのはアテネの当日の天候という「たまたま彼女にとってラッキーな条件」があったことによるところが大きいのだ。

この野口優勝の解釈の違いは、人間には情報の解釈に「意味付与の基本的誤謬(ごびゅう)」(注)が起こる傾向があることにより、生まれる。

人間には、内集団(ないしゅうだん・自分が所属する集団)のメンバーが好ましい行動をした場合には、それはその個人が持つプラスの性格や特性のせいだと解釈し(つまり身びいきがおこる)、外集団(がいしゅうだん・自分が属さない集団)のメンバーが好ましい行動をした場合には、それは状況の切迫性でたまたまそうなったのだと、解釈する傾向がある。

一方、好ましくない行動については、これとは逆の解釈が起こりがちだ。
自分の内集団のメンバーが好ましくない行動をした場合は、これは状況の切迫性でたまたまそうなったのだと解釈し、外集団が同じことをした場合には、このグループメンバーのマイナスの性格や特性のせいにしがちになるのだ。

これが「意味付与の基本的誤謬」と呼ばれるもので、異文化コミュニケーションを勉強している者は、必ずといってよいほど学ぶことだ。これを今回のアテネ五輪の女子マラソンでの、野口みずきの優勝とラドクリフの途中棄権に当てはめるとこうなる。

■内集団のメンバーが好ましい行動をした(日本人がみる野口優勝)
→日本人が野口を「良く頑張った、資質と努力の賜物」と評価する。

■内集団のメンバーが好ましからぬ行動をした(英国人がみるラドクリフの途中棄権)
→英国人がラドクリフを「高い気温と湿度のせいで、たまたま棄権せざるをえなかった。もしあの天気でなければ、優勝できたはず」と思う。

■外集団のメンバーが好ましい行動をした(英国人がみる野口優勝)
→英国人が野口に対して「アテネの蒸し暑い天気が味方して、たまたま優勝できた」と考える。

■外集団のメンバーが好ましからぬ行動をした(日本人がみるラドクリフの途中棄権)
→日本人がラドクリフの棄権を「彼女自身の天候に対する調整不足とプレッシャーに押しつぶされたことにある」と考える。)

わたしたちは、野口がいかにこの大会のために努力を重ねてきたかを、マスコミの報道を通じて知っている。そんなことも、野口の金メダルを野口自身のプラスの性格や特性に帰する一因になっている。

一方英国人も、ラドクリフに対しては同じような思いを抱いている。英国のメディアはラドクリフがいかにハードなトレーニングを地道に重ねてきたかを、報道してしてきている。ゆえに、野口の優勝が、高い気温と湿度という、状況の切迫性ゆえにたまたま起こったことだとの思いが、いっそう強くなる。

では、どちらの解釈が正しいのか? 「運」だったのか、「実力」だったのか? 無責任なようだが、わたしにはわからない。というのは、野口みずきを内集団と考えている人間に、客観的な評価なんて出来るわけがないからだ。それに、内集団のメンバーに対しては、明らかに「運良く勝った」とわかっているときにも、「運も実力のうち」との解釈を、あてはめてしまいがちだ。

"I think it is well nigh impossible for a northern European to win in those conditions."
「このような状況で北ヨーロッパ人が勝つことは、ほとんど不可能に近いと思う。」
  ??David Bedford, London Marathon race director


[注]:意味付与の基本的誤謬については、次の本を参考にした。
古田暁監修、石井敏・岡部朗一・久米昭元著『異文化コミュニケーション―新・国際人への条件』[改訂版]有斐閣選書 (1996), pp. 113?114.


ジェリーベリーのジェリービーンズ

2004-08-23 08:00:00 | 異文化コミュニケーション
jelly_berry.jpg

アメリカで、ジェリービーンズといったらイメージされるものは、まずこのジェリーベリー(Jelly Belly)のジェリービーンズ。大きさと形はゆでた大豆ぐらいだ。

写真は左より、ブルーベリー、レモンライム、マンゴー、ベリーチェリー、オレンジ、カフェラテ。公認フレーバーは、アメリカのサイトによると全50種類。中には、"Roasted Garlic"という、にんにく味がするものもあるらしいが、さすがにこれは食べたことはない。

左端のブルーベリーについては、ジェリービーンズをこよなく愛した、故ロナルド・レーガン大統領のために、星条旗を表す赤、白、青にそれぞれコーティングしたブルーべりー・ジェリービーンズ3色計3.5トンを用意して、大統領就任パーティで使ったという愛国的なエピソードがある。実際、このブルーベリーのジェリービーンズは、星条旗のブルーに近い色をしており、このエピソードを知らなかったら、「なぜわざわざこんな変な色にしたのか?」と感じる人が多いだろう。。

色も味もいかにもアメリカン・テイスト。つまりど色はどぎつく、とても甘い。ブルーベリーなどは、手のひらにのせるとそれだけで手のひらが青くなる。もちろん食べれば舌が真っ青に。でも、天然の素材を可能な限り使っているというのがウリのお菓子ではある。

jelly_beans.jpgところで、日本人の多くの人がイメージしているジェリービーンズの形は、大豆型ではなく、左の写真にある春日井製菓が出しているものようなのだろう。そして最初に浮かぶ味もオレンジ味かもしれない。少なくともある一定の年代層においては、日本におけるジェリービーンズの色と形のイメージ作りに寄与しているのは、幼稚園で毎日もらった肝油ドロップにちがいない。

さて、ジェリーベリーのジェリービーンズは形は同じなのに様々な色のものがあるため、これをモザイクのように使って「ビーンアート (Bean Art)」なるものを作る人もいる。枠の中にびっしりとジェリービーンズを敷き詰め、その上にプラスチックのシール剤を流して、ジェリービーンズを固定するものらしい。

下のレーガン大統領もビーンアートだ。ほかのビーンアートを見たい方は、こちらへ。

Reagan.jpg