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巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

時間の観念(Mタイム・Pタイム)

2005-02-23 22:56:41 | 異文化コミュニケーション
手帳やダイアリーの話を書こうとしたが、まずその前に時間の観念の話を書くべきたと思った。というのは、ある種の手帳は、その手帳がつくられた文化の時間の観念をもとに作られているからだ。

異文化コミュニケーションの世界では、「時間の観念は、それぞれの文化に固有なもの」とされている。(もちろん同じ文化でも個人差はあるが、全体的な傾向はある。)時間の観念の分類にはいろいろな尺度がある。例えば、「長期志向・短期志向」とか、「過去志向・現在志向・未来志向」などである。

この記事でとりあげるMタイム(M-time)、Pタイム(P-time)というのも、こういった時間の観念の分類のひとつだ。これは文化人類学者、エドワード・ホール (Edward T. Hall) が"Beyond Culture" (『文化を超えて』)で取り上げたものだったと記憶している。("Beyond Culture"の表紙の絵が、日本人にとって中身の信頼性に影響を与えかねないものであることは、残念だ。怪しい表紙だ。)

MタイムはMonochronic Time(単一的時間)の略である。Mタイムの時間観念を持つ文化の人間は、物事というものは1つずつ順番に起こると考える傾向がある。行動パターンとしては、一度にひとつのことのみに集中する。

PタイムはPolychronic Time(多元的時間)の略である。Pタイムの時間観念を持つ文化の人間は、複数のことが同時に起こるものだと考える。行動パターンとしては一度に多くのことをする。(おお、マルチタスク。)「タイミングがよい」、「チャンスが巡ってくる」と考える人間は、このPタイムの時間観念を持つ人間に多い。

MタイムとPタイムでは、スケジュールと人間関係において、反対の考え方をもつ。Mタイムの人間はスケジュールを人間関係に優先し、Pタイムの人間は人間関係をスケジュールに優先する。

まとめてみるとMタイムの人間の行動と考え方は:

  • 一度にひとつのことだけに集中する

  • 相手との関係よりもスケジュールを優先する

  • 予約は厳密に守る。あらかじめスケジュールをいれ、遅れずに行なう

  • 物事が最初の計画どおりに進むことを好む


それに対してPタイムの人間の考え方と行動は:

  • 二つ以上のことを平行して行なう

  • スケジュールよりも相手との関係を優先する

  • 予約はアバウトなものであり、重要な相手に「時間を与える」ことのほうを優先する

  • 相手との関係がもたらす結果に従うのを好む


さて、M時間・P時間に基づく日本人の時間の概念はどうだろう。

「日本人は時間に正確」といわれる。でもこれは、一見正確なだけのことだ。9:30am~11:00amまでの予定だったミーティングは、進行状況によっては11時を30分過ぎても終わらないかもしれない。無理やり、1時間半で終了させようとすると、検討課題として次回に再討議という議題が出てきたり、別途ノミニケーション等のインフォーマルな接触で情報交換をしなければならなくなる状況も生まれうる。

これがアメリカ人のビジネスマンとの会議だったら、議題が3つある11:00amまでのミーティングは絶対に11:00amまでに3つを議論して、決定事項を出さなければならないプレッシャーにさらされる。会議の始めに「終了時間は11時、議題は3つ」と明言して、時計をにらみながら議事を進行していく。米国のビジネスは、厳密なM時間で進む。

一般的に英語圏はM時間、アジア、ラテンアメリカ、アラブ世界などはP時間といわれている。日本人は、表面上はM時間だが実は根は人間関係重視で、相手に時間を与えてナンボのP時間なのだと思う。そりゃあ相手の話の途中で「失礼、次のアポイントメントがありますので…」と引き上げてしまったら、先様との関係を悪くするだけだ。取引先になりそうな会社の社長の自慢話は、自分がいかに忙しくても予定していた時間を時間を超過しても、耳を傾けてあげないと、「こいつはなかなかの好青年だから、ひとつ注文をまわしてみようか」とは、思ってくれなさそうだ。

ところで、なぜ手帳とダイアリーの前にこの話を書いたのかというと、わたしの使っている手帳のひとつがフランクリン・プランナーだからである。使っている方はおわかりの通り、このプランナーはM時間の観念をもとにつくられている。しかし、日本人の根っこにP時間があるとすると…

では、手帳の話は次の記事で…


津波

2004-12-28 02:17:18 | 異文化コミュニケーション
スマトラ沖の地震が起こした津波の被害の状況が、メディアから次々と流れてくる。犠牲者の数が報道のたびに増えてくる。あらためて地震と、その津波の恐ろしさを思い知らされる。

地震や地震によって起こる津波を、人間は防ぐことができない。でもあの地域(インド・オーストラリア地殻プレート内)で大地震が起こる可能性が、かなり高いことはわかっていた。しかし、わかっていても今回の被災国のなかには国情が不安定だとか、地震よりも頻度の高い風水害への対応が先だとか、そこまでの予算などはとても出せないとかで、地震対策まで手が回らない国も多かったと聞く。

また、ハワイに国際的な早期警戒態勢の拠点をもつ環太平洋と違って、今回の地震が起こったインド-オーストラリア海域には津波の早期警戒システムもない。つまり地震が起こる国にいて実際に起こったときに無事でいられる確率は、地震の大きさにも左右されるが、国情にも左右される。

もちろん、その確率は日ごろの各個人の備えや心構えにも左右される。日本人は津波というものを、比較的日常で意識して暮らしている。地震国日本の報道では、地震速報とともに「津波の恐れはありません」などといった津波に関する報道もされる。

わたしは海のそばで生まれ育った者ではないが、小学校に入ったばかりのころ、児童の間でこんな話が広がっていた。

海辺の漁村の話だ。ある日海岸で潮が急に沖まで引いて、いつもは海の下だったところが現われ、たくさんの魚たちがそこでぴちぴちと跳ねていた。そこで皆が浜へ出て手づかみで魚を取っていると、突然とても大きな津波がどっときて、すべてを飲み込こみ、たくさんの死者を出した。潮が急に引いたら津波が来るしるしのだから、すぐに高いところへ逃げなければいけない。


先生があるクラスの子供たちにその話をしたのか、それともそのような話を子供の誰かが親や親戚から聞いて、口伝えに広がったのは覚えていない。実際には引潮なしの津波もあるのだが、とにかくわたしたちは、海のそばに暮らす者には、時には信じられないほど大きな波が来るという危険と隣り合わせで生きていることを知った。

また、かのチリ沖地震(1960年)の話も子供のころに聞いた。はるか遠い南半球のチリの近くで起こった地震のために起こった津波が、地震から20数時間後に日本を襲って死者が出た話だ。はるか遠くの地で起こった地震による津波が、ほぼ1日かかって日本に到達して死者を出す??子供心にほんとうに怖かった話だ。(ハワイに国際的な津波の早期警戒態勢の拠点があるのは、この地震の経験からだ。)今回のスマトラ沖地震の津波も、ソマリアやケニアで犠牲者を出している。

ご存知の人も多いだろうが、英語では津波をあらわす語として、日本語の津波から派生した、tsunamiも使う。「tsunami『も』使う」と書いたのは、津波そのものにあまりなじみがない人も多いので、"tsunami tidal wave"とか"tsunami (tidal wave)"などと書かれることもあるからだ。

この日本語由来の英単語"tsunami"の発音なのだが、「ツナ(ー)ミ」ないしは、「スナ(ー)ミ」になる。英語圏の人には[tz+母音]の発音が苦手な人が多いらしく、そのためスナーミになることがあり、発音上はツがスに変わっても英語としてはどちらでも正しい発音とみなされる。ただし、[na]のところにアクセントがこないと、[ts]の発音がどうであれ通じないだろう。(例として、NPR (National Public Radio) のMassive Quake Triggers Deadly Waves in Asia をクリックして、"Listen"をクリックして音声を聞いてみてほしい。スタジオの女性は「スナーミ」と、現地レポーターの男性は「ツナーミ」と発音している。)

ところで[ts+母音]の発音が苦手といえば、マツダの社名の英語表記は"Mazda"である。社名は創業者である松田重次郎氏とゾロアスター教の神アフラ=マズダ(Ahura Mazda)をかけたらしい。そのため「マズダ」(zは母音がついておらず弱く発音される)と英語で発音されるが、思えばこれは正しい選択であった。

"Matsuda"などと表記していたら、いまごろ英語圏で「マスーダ」と発音されていたに違いない。「松田」が「増田」になっては困る。

[トラックバック]
「tsunami」 (無相亭日乗)


むやみに使えない「メリークリスマス」ということば

2004-12-26 00:49:36 | 異文化コミュニケーション
「メリークリスマス」は時代遅れ 宗教からみ米で議論【朝日新聞】


 「メリークリスマス」に代わって「ハッピーホリデーズ(幸せな休日を)」――。特定の宗教を明示しないあいさつが、米国内で目立つようになった。12月には、ユダヤ教徒やアフリカ系米国人の休日もあり、クリスマスだけを祝うのは「政治的公正(ポリティカル・コレクトネス)」に反するとの風潮が年々強まっているためだ。キリスト教右派からは「クリスマスに対する差別だ」と反発する動きも出ている。(以下略)
(2004年12月25日)



外資系の企業に勤めている人の多くはすでに気がついていると思うが、クリスマスシーズンにやり取りをするいわゆる「クリスマスカード」カードは、"Merry Christmas" というフレーズの代わりに、"Season's Greetings"や"Happy Holidays"などの宗教色を出さないものが多くなってきている。これは宗教的な配慮のためだ。世界中の多くの人々にとって、クリスマスは特定の宗教の宗教行事に他ならないからだ。

こんなことがあった。わたしが"Merry Christmas"と印刷されたクリスマスカードを送ったことに対して、あるアメリカ人が申しわけなさそうにこう言った。

「あなたは、キリスト教徒ではないでしょう。日本人がクリスマスを宗教色のないイベントとして行なうことは知っています。だから普通はそのことについては何もいいません。
でも、あなたには知っていてほしいんです。キリスト教徒であるわたしたちにしてみれば、キリスト教でない人たちから"Merry Christmas"というカードを送られるのは、あまり気分の良いものではありません。クリスマスはキリスト教徒のものであり、わたしたちにとって神聖なものなのですから。」

このアメリカ人のことばは、すべてのキリスト教徒の意見を代表してはいないだろう。だがキリスト教徒ではない人間が"Merry Christmas"と書かれたカードを送ることについて、こんなふうに感じる人も実際にいるということだ。こう言われてからというもの、日本人以外の人間には相手がキリスト教徒であろうとなかろうと、"Season's Greetings"と書かれたカードを送ることにしている。

ところで、英語の映画などを見ていると、登場人物たちが感嘆詞のように"Oh my God!"や"Jesus (Christ)!" などと言っていることがある。大体はとんでもないことがあったときに思わず口に出ることばだ。こういったものの影響か、日本人でも会話で使う人がいる。

が、英語のネイティブからすると、これらのことばは自分たちは使っていても日本人には使ってもらいたくはないことばらしい。「あなたがたはキリスト教徒ではないだろう。キリスト教徒でない人間に、神の名をみだりに口にしてほしくない。」ということだそうだ。彼らのあいだですら神の名を直接出してはあまりにも…という考え方もあって、婉曲表現として"Goodness"とか"Gosh"という表現を使ったりもすることばを、キリスト教徒でない人間に使われるのはやはり不快であろう。

「オーマイガッ!」などと日本語でも日常で使っている人がいるが、外国人の前では気をつけたほうがよい。日本人の多くは、宗教というものをあまり深くとらえてはいない。しかし、現在の世界の状況をみわたしみればわかるとおり、世界の大多数の人間はなんらかの宗教を信じており、宗教に関することは大問題に発展しかねないからだ。


バンクー、あるいはキャラクター商法

2004-12-21 22:37:11 | 異文化コミュニケーション
bankoo

合併前の住友銀行のキャラクター「バンクー」の貯金箱。佐藤雅彦氏デザインのこのクマのキャラクターは、1995年に誕生し住友銀行の合併とともに消えてしまったが、今でもバンクー・グッズのコレクターがいるらしい。

1997年のことだった。帰宅途中で財布の入ったバッグをなくしてしまった。財布の中には住友銀行のキャッシュカードも入っていた。翌日、就業時間中に時間をもらって、銀行にカード再発行の手続きにいったのだが、写真の貯金箱はそのときにもらったものだ。当時、会社では英国本社からのお客様が滞在中で、わたしがオフィスにもって帰ったバンクーの貯金箱が彼女の興味をひいた。

「このキャラクターは何なの? 架空の動物なの?」

クマのキャラクターだと答えると、

「どうしてこれがクマだとわかるの? 日本人はクマをこのように描くのが普通なの?」
「クマと銀行とどのような関係があるの? 日本ではクマと銀行が関連づけられるの?」
「どうして銀行がこのようなものを配るの?」

と、矢継ぎ早に質問された。

銀行とクマは関係ないのかもしれないが、日本の銀行はしばしばこういうキャラクターグッズをつくり、日本人の中にはこうしたキャラクターのグッズやキャラクターの絵のついた通帳やキャッシュカードがほしいがためだけに、その銀行に口座を作る人もいるのだ、と説明した。

しかしこの説明がよけいに彼女を混乱させたようだった。なかば納得のいかない顔で、体勢を立て直そうとしてか彼女はわたしに違う質問した。

「これはどういう種類のクマなの?」

日本にいるクマはbrown bear(ヒグマ)とAsiatic black bear(ツキノワグマ)の2種類であり、ヒグマは北海道にしかいないし身体も大きく性格も荒いので、キャラクターとして使ったのはおそらく後者であろう。日本ではAsiatic black bearはmoon bearとも呼ばれている。その理由は胸のところに白い三日月形に毛が生えているからで…

あまり深く考えずにそんな説明をしながら、バンクーの腹をもう一度みて「しまった」と思った。バンクーの白い部分は三日月形ではないぞ!

「でもこれ、三日月形ではないわよ。」
「(うろたえて)…そうですね。」
「やっぱりこれはクマではなくて、空想上の動物ではないの?」
「(きっぱり)いいえクマです。」
「どうしてクマだとわかるの?」
「(きっぱり)銀行がそう主張していますから。」
「なぜ銀行がわざわざそう主張しているの?」
「(自信なく)…たぶん、誤解を招きたくなかったからでしょうか…」
「誤解を招くかもしれないキャラクターを、なぜ銀行は使ったの?」
「(少しばかりムキになって)日本ではキャラクターとそれを使う会社の業務内容には、それほど関連がなくてもいいんです。それに、かわいくて親しみがもてさえすれば、実際の動物とその動物を元にデフォルメしたキャラクターの外見が大きく違っていてもいいんです。」

彼女はいよいよ混乱してしまい、分けがわからないというジェスチャーをしながら彼女がこういって話は終わった。

「やっぱりわたしには、銀行とクマの関係がわからないわ…」

日本ではポピュラーなキャラクター商法を、外国人にうまく説明するのは非常に難しいということを実感した瞬間だった。そしてわたしは今でも、日本ではなぜキャラクター商法が有効なのかを外国人が納得するように説明することができないでいる。


"Lloyd Webber"or "Lloyd-Webber"? ハイフンは貴族の証し

2004-12-17 23:26:12 | 異文化コミュニケーション
Andrew Lloyd Webber ? ミュージカルにおいて当代きっての売れっ子作曲家であるが、彼の名の英語表記で迷ってしまったことがある。

もちろん彼の名の日本語表記でも迷うことがある。「ロイド=ウェバー」、「ロイド・ウェバー」、「ロイド=ウェーバー」、「ロイド=ウェッバー」と、ご本人にはあずかり知らぬところで多彩なバリエーションをお持ちだ。いやいや、Andrewのほうだってアンドリューよりアンドルーのほうがまだ原音に近いだろ…

しかしここで話題にしたいのは、この英国人のミュージカル作曲家のsurname(苗字)の英語表記のことだ。"Lloyd Webber" か "Lloyd-Webber"か? つまり2つの単語からなる彼の苗字の間にハイフンがああるのかないのか、ということ。

結論をいってしまうと、作曲家としての彼は"Lloyd Webber"であり、一代貴族にして上院議員(保守党所属)としての彼は"Lloyd-Webber"として表記される。

で、ここで一般常識を持つ日本人としては「一代貴族って何?」「なぜ彼が上院議員なの?」という疑問が生ずる。この2つの疑問の答えは「英国の貴族制度と議員制度がそうなっているから」である。

英国は階級社会だ。そして英国の議会は二院制で上院と下院がある。

英国には平民で功績のあった人に、その当事者に一代限りの爵位を与える制度がある。ロイド=ウェバー氏は1992年にknight(ナイト)爵位をもらい名前にSirがつくようになった。このナイト爵位は、正式には貴族ではなく準貴族の爵位だ。

Sirをもらう人間は英国の芸能界も結構いる。中はショーン・コネリーのように、とうの昔にもらっていてもおかしくない功績を上げながら、「スコットランド独立党」の活動家だったためにもらうのがかなり遅くなった人間もいる。グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland=英国の正式名称)としては、スコットランドに独立などされては困るのだろう。ちなみにknightは男性に与えられるもので、女性にはdame(デイム)が与えられる。殿方たちと同様に、英国のベテランの女優にもデイムはかなりいる。

さて、アンドリュー氏は1997年に一代貴族(life peer)としてBaron(男爵)の爵位をもらった。彼のもらった貴族のタイトルは正式にはBaron Lloyd-Webber of Sydmontonという。(シドモントンは確か居住地の名前だったはず。)

準貴族ではなく貴族である男爵にもなるとSirではなくLordで呼ばれるようになる。そして貴族の称号は、苗字が二語から成り立っている場合には、ハイフンでつなぐのが習慣だということだ。だから彼のpeerage title(爵位号)にはハイフンを入れる。

そして男爵という貴族になったことにより、彼は自動的に上院(その名もHouse of Lords、つまり「貴族院」である)の議員になる。英国議会は二院制度を採っているが、上院には選挙がなく、貴族(世襲と一代の両方)であれば自動的に上院議員になるのが英国の永年の伝統だからだ。

英国の上院とはこのようなお貴族様集団であるから、日本の参議院と違って上院議員は原則として無給らしい。つまり貴族のノブレス・オブリージュがあるのだろう。また、上院議員の議会への出席はあくまでも自主的なものらしい。ブレア首相が上院改革に乗り出しているので、英国の今後の上院の制度がどうなるかは知らないが、政治向きとはあまり思えなさそうな人気作曲家が、その人気ゆえに貴族になり、貴族になったがゆえに自動的に上院議員になってしまう仕組みが、英国にはいまも存在する。(もし本人が本当に政治家として能力を発揮しているのだとしたら、こんな書き方をしてしまってすみません。)

さて、話をロイド=ウェバーのsurnameに戻すと、苗字はあくまでもハイフン無しなので、作曲家としてのロイド=ウェバーは"Andrew Lloyd Webber"である。でもロイド・ウェバー卿として出てくるときは"Lord Lloyd-Webber"なのだ。

こういう制度がない日本人には、ちょっとスペルで迷うところだ。