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巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

企業がウェブサイトに載せるもの ― その文化差 (1)

2010-05-02 21:34:27 | インターネット (CMC)
かつて大学で国際ビジネスコミュニケーション論を教えていたときは、毎年1回は学生に企業のウェブサイトの作りの文化差というものを考えてもらう回を儲けたものである。

当時の日本の企業のウェブサイトのコンテンツといえば、会社概要のパンフレットを忠実になぞったようなものに、ニュースリリースがくっついているだけといったものが多かった。上場企業であればそれなりにIR情報を載せてあったが、それでも通り一遍。

大企業で海外取引もある会社の多くは英文サイトを作っていたが、文化差を語る以前に、その一部は最悪だった。英語の質はさておき、その中身はまさに「パンフレットの英訳をそのまま掲載しました」という作りが多く、サイトを通して発表されるプレスリリースも日本語サイトに比べ遅れがち かつ 情報量が少なかった。日本語が分からない外国人は、このようなサイトの英文サイトにまずアクセスする。その後日本語サイトにアクセスして、英語には訳されていないもっと多くの情報があることを、英語が読めないながらも感じる。「もっと情報があるのに、日本語でしか書かれていないので、その情報が得られない」というフラストレーションを、たっぷり味わうことになるのである。こんなことはその企業にとっては、間違いなくマイナスになったはずだ。

おまけに、まったく別のウェブ制作会社が作ったのか、日本語サイトと英語サイトとデザインの統一がとれていないものが結構あって、一見「まるで別会社」というものまで存在した。

最近はさすがにそういうひどいものはほとんど見受けられないが、それでも日本企業のサイトの作りと、主に欧米系の企業(「欧米」とひとくくりにするのも乱暴だが)のサイトの作りには、依然として大きな違いがある。その違いのいくつかをピックアップしてみたい。
■ トップのプロフィール写真

企業の取締役や役員の情報に関するページは、作りの差が如実に表れる個所である。

たとえば、英語圏の某国の上場企業のサイトの役員に関するページにアクセスしたとする。役員の一覧のページから、社外取締役のX氏の項目を見ると、彼については以下のような説明がなされる。

Xは国内外の建設業界において30年に以上の経験を有している。この中にはロンドンのA社・オーストラリアのB社における副社長としての経験 および YYYY年からYYYY年までの [オリンピック開催地名] ・オリンピック組織委員会のCOOとしての経験が含まれる。
現在は、自らが設立したC社の会長であり…[中略] …。これら様々な経験により、Xは当社に重要な専門的知識をもたらしている。


このようなプロフィールとともに、X氏の「この1枚!」ともいうべきベストショットの顔写真が掲載される。その写真は、歯を見せているかいないかに関わらず、大抵は微笑みを浮かべたものであり、本人を一番良く見せるアングルで撮影されたものだ。真正面がベストショットの人間は結構少ないので、大体は左か右からのものである。中にはベストショットを求めるあまり、やり過ぎて実際の本人とのギャップが激しい「ネット詐欺」のような写真も、ときにはある。(かなり若い時の写真を使った そして/または フォトレタッチソフトで修正を入れた に違いない。)

一方、日本の企業のサイトに目を向けると、日本を代表する世界的企業であっても、日本語と英語のサイトの両方において、役員名一覧で済ませているものが多い。

多くのサイトでは、役員たちのプロフィールを知ることはできない。できたとしても「YY年MM月 XX部 部長」などといった、日本語の既成の履歴書の職歴欄に書かれるような情報のみだったりする。そのため、その人物の専門性分野や「実際にどのような実績を上げてきたか」は、それだけでは分からない。

写真は、全く掲載していない場合が多い。掲載してある場合も、正面からのムッツリ写真(硬派というよりは不景気顔)であったりする。「写真や写真写りといった外見にこだわるなんて愚の骨頂」とでも、主張しているかのようでもある。実は、この写真の有無と質が、わたしのフラストレーションが溜まるところだ。

そう、もちろん「『写真写り』や『顔』で仕事をするのではない」。が、彼らは企業の顔なのだ。だから顔が見えなければならない。そして顔を見せる以上、「ベストショット」を載せてほしいと、わたしは思う。

別に、無理やりつくった笑顔の写真をウェブに載せておけというのではない。たとえば、その写真をそのまま国政選挙の立候補者としてポスターにできるようなクオリティの写真 ― そんなものをアップしておいてほしいのだ。然るべき立場の人は40を過ぎてもいなくても、男であっても女であっても自分の顔に責任をもつものだし。

というところで、日本を代表する世界的企業である、パナソニックのサイトをのぞいてみた。パナソニックのサイトは典型的な日本企業のサイトの作りで、役員ページでは日本語のサイト英文サイトとも、名前の列挙のみだ。

が、そこは世界に名だたるパナソニック。日本語のサイトには、大坪社長についてのみ、履歴書的職歴のほかにプロフィール欄がある。英文サイトのほうには、プロフィール欄の代わりに社長からのメッセージがあるのだが、なんとそこに、日本語サイトにはない(仮にあったとしても役員情報からはみつけられない)大坪社長の写真がある。そして何とこの写真は、歯をみせての笑顔といい、アングルといい、完全にグローバルサイト向けのものである! (日本企業のサイトのフォーマットを固持しつつ、少々の修正を加えた例であろう。)

今年のエニシダ…と、ネコ。それからGoogleマップとストリートビューの写真のことなど

2009-04-19 21:55:00 | インターネット (CMC)
昨年の春、急に花を咲かせて驚かせてくれたエニシダ(詳細は2008年4月19日の「庭の風景」を参照)が、今年はさらにパワーアップしてしまいました。高さは2m50cmぐらいになり、横幅も広がりました。(ただし、エニシダのまえに一緒に写っているノラネコは、エニシダが気になるわけではなく、昼寝の場所を探しているだけです。)

さすがにこのぐらいの大きさになると、道行く人は皆足をとめて、しばらく見入っています。

2009_scotch_broom_1


↓花は2種類です。(下の2枚はクリックで画像が拡大します。)
2009_scotch_broom_2

2009_scotch_broom_3

↓…と、写真を撮っ終わって振り返ってみると、いつもの2匹が来ていました。
Cats_04192009_1

シロサバにしては、めずらしい「ゴロスリ攻撃」。昨夜、ハナグロが20分近くもわたしの前で、ゴロスリ攻撃をしていたのですが、それを物陰からみていたのでしょうか。
Cats_04192009_2

◆◆◆


ところで、Googleストリート・ビューには、我が家と我が家の庭が明瞭に写っているのですが、その画像の中のエニシダの高さは1mもありません。撮影時期は周りの植物の状態から見て、1月終わりから2月半ばぐらいまで。ということは、我が家の周辺の画像が撮影されたのは、2007年の2月ぐらいということなんじゃないでしょうか。

で、Googleマップの我が家の航空写真ですが、この撮影時期は2006年の3月の中旬から下旬だと思われます。我が家は3年前に家を建て替えましたが、同じ敷地内の別の場所に新しい家を建てて引っ越し、その後、古い家を取り壊しました。航空写真には、新旧二つの家が同時に写っています。新しい家のほうは「一夜にして家の形になる」セキスイハイムなので、上からの航空写真では、建築工事の進み具合を測ることはできません。敷地内に家が2件あったのは2006年1月25日から2006年4月10日まで。そして周りの植物の様子を見ると、3月の中旬から下旬だろうなぁ…と。

ちなみに新しい家に引っ越して、古い家を取り壊してから1年半ぐらいは、Googleマップの航空写真は、敷地内に古い家のみが建っている状態のものでした。すでにないものが「現在」のものであるかのようにネット上に存在しているのは、なんか変な気分でした。









件名なし、本文なし、宛先:undisclosed-recipientsの中国からのメール

2008-08-03 15:09:37 | インターネット (CMC)
最近わたしのOCNのメールアドレスに、下記のようなメールがひんぱんに来る。

  • 差出人:さまざまだが、@以下は hotmail.com, gmail.com, nifty.com, livedoor.com, yahoo.com等が多い

  • 宛先:undisclosed-recipients

  • 件名:なし

  • 本文:なし

  • 添付ファイル:なし

  • 差出人のIPアドレス:58.248.xxx.xxx ~ 58 255.xxx.xxx
    (例:[58.248.109.137] [58.255.202.176] [58.255.203.238] [ 58.255.202.36] これらはチャイナネットコムが持つIPアドレスである)


わたしはOCNにメールサーバーが異なる2つのメールアドレスをもっているのだが、ご丁寧にもそれぞれのアドレスに毎日2~3通ずつこのようなメールが送られてくるので、やたら大量の件名・本文・添付ファイルなしメールを受け取っているような気がする。

これらのメールの目的は、すでにネット上で何人もの方々が指摘されているとおり、おそらく中身の入ったSPAMメールを送るにあたり、まずは当該アドレスが本当に存在するかどうかを確認しているのであろう。

件名も本文も添付ファイルもなしとなると、スパムフィルターには容易に引っ掛かからないので、とりあえずは放置してまとめて削除している。このメール自体は無害なのだろうが、コバエのようにひたすらうざい。


プリンターが壊れた。昔ネット上でその解決方法を書いた人物は…

2008-07-25 19:59:27 | インターネット (CMC)
5年間使ってきたhpのインクジェットプリンターが壊れた。

電源は入っているのだが、ウンともスンとも言わない。前面カバーを開けると、印刷待機中の既定の位置にあるカートリッジホルダーの下のストッパーのようなものが持ち上がっていて、インクカートリッジが外せない。

はて? 電源を入れてからカートリッジホルダーのストッパーのようなものが持ち上がって下がらなくなるというトラブルは、どこか既視感がある。

5650

(↑いや、見てほしいのは、ペプシのおまけのベアブリックじゃなくて、その後ろのプリンターのカートリッジホルダー。)

いやとにかく解決法だ。金欠なのでなるべく新しいものを購入せずに済ませたい。そこでまずhpのサイト内を探したが、ここに参考になるような解決方法はない。

そうなると次はやっぱりkakaku.com。のぞいてみると、おお、この種のトラブルはすでに発売時に結構起こっていたか。そして、誰かの対処法を求める書き込みに、とりあえずの対処方法を書いたやつがいる。これに従おう「静電気の可能性があるので、コンセントを抜いて一晩放置し電源を入れなおす」とな。

しかし、よく見るとその対処法を書いたのは、どうやらわたしらしい。そういえば購入してから1ヶ月後に、今回と同じトラブルがあったことを思い出した。この方法でもトラブルは解決せず結果的に取り換えになったが、あのときhpはものすごい勢いで替わりの新品を送ってきてくれたものだ。

今回もやはりトラブルは解決しなかった。でも、5年も使っていれば、いつ故障してもおかしくはないので、よしとしよう。何しろduty cycleが5000枚/月の機種なのに、本当に5000枚/月を印刷しまくった時期があったし、いまでも月500枚ぐらいは印刷しているのだし。

◆◆◆


ところで、hpのホームユースのプリンターは、最近の日本市場では元気がない。わたしはキヤノンのプリンターを2台買った後に、今回壊れた機種を含めて3台つづけてhpを買った。かつては、自宅でおもに仕事目的で使うためにとhpのインクジェットを選ぶ人が、わたしも含めて結構いたものだ。

hpのインクジェットプリンターに写真印刷はそれほど期待できなったが、前面給排紙、顔料ブラックインク(黒々、そして濡れても落ちない)、自動両面印刷、なかなかの耐久性 (duty cycle)、ヘッド一体型インク(インクの価格は高いが、インク詰まりが少ない)と、当時のキヤノンやエプソンにはない利点があった。

その一方でとんでもない欠点もあった。日本のメーカーに当たり前にある機能がないことがあったのだ。たとえば「四辺縁なし印刷対応」。今回壊れたこのプリンターは、2003年の夏に発売され、なんとhp初の「四辺縁なし印刷対応」が売りだった。国産メーカーはとっくの昔に、四辺縁なし印刷に対応していたのだが。

この遅れはなぜか? hpのプリンター特有の前面給排紙がネックとなり、四辺縁なし印刷に対応しにくかったのだという話もあるけれど、どうやら根本原因は「hpの本社が日本の年賀状文化を理解していなかった」ということらしい。昔読んでうろ覚えの話だが、以下のようなことがあったらしい。

hpの写真印刷にはもともとあまり定評がなかったので、このメーカーに写真印刷を求めるユーザーは少なかった。(この理由には、写真の色だしの好みが日本と米国では異なっているということもあったらしい)この点から少なくとも当時のhpは、写真の縁なし印刷はあまり考えなくてもよかった。

その一方でどんな使い方をしても、日本における家庭のプリンターでの使用目的から年賀状印刷は外せない場合が多い。それに、最近でこそ家庭におけるプリンターの使用目的は様々だが、当時は家庭でプリンターを買う唯一の目的が年賀状印刷だけという人もまだ結構いたものだ。この年賀状に四辺縁なし印刷は必須。しかし実際はhpのインクジェットプリンターのはがき印刷は、縁なしどころか下辺の最小余白が11.7mm! 年賀状にとっては、なんというスペースの無駄であることか!

もちろんhpで働いている日本人は、いかに四辺縁なし印刷が日本市場に必要かは、十分認識していた。しかしこの件に関して日本側がいくら本社に訴えても、なしのつぶてだったらしい。

そのような状態の中、本社のプリンター部門のお偉いさんが来日したが、彼は取材陣や取引先から同音異句に「いつ四辺縁なし印刷に対応するんですか?」という質問がでて、かなり驚いたらしい。それでもその重要性ができないお偉いさんは、質問者に「プリンターにとっては四辺縁なしよりももっと重要な改善点があるのでは?」と切り返したが、質問者の日本人は誰も納得しなかったとか。

まぁ、よくある話だ。アメリカ人とはだいたいそういうもの。自国の文化で通用するものなら、世界のどこでも通用すると思っている。(もちろん「"h&s" って何の略だ? 『生きているのは地肌なの』」のように、このような失敗からきちんと学んだ例もある。)

◆◆◆


プリンターがないと非常に不便で、現に今日も仕事に差し支えたので、取り急ぎ池袋の家電量販店にプリンターを見に行った。最近PCを変えてOSが変わり、そのせいでスキャナーが使えなくなってしまったので、プリンターとスキャナーがくっついているものがほしい。そして重さと置き場所と消費電力を考えて、インクジェット。

担当者の一押しは、hpの家電量販店モデル(Photosmart C6280またはC5280)だったのだが、実はhpに気に入ったのはなかった。そのデザインにはそそられたが、顔料黒インクモデルには自動両面印刷機能がなかったのだ。自動両面印刷機能を優先すると染料インクになる。最上位モデルは、金欠には涙目である。

店員さんが熱心に説明してくれたので誠に申し訳ないのだが、家に帰ってきて、amazonでキヤノンのMP 610をぽちってしまった。

明日新しいプリンターが届くはずだ。10年ぶりのキヤノンである。

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ちなみにわたし、昨日までは「プリンタ」と表記してきましたが、本日より「プリンター」と表記させていただきます。理由は↓

「プリンタ」ではなく「プリンター」~マイクロソフト、カタカナ用語の長音表記ルールを変更



ドコモPHSの停波に寄せて:「データ通信ならPHS」だった

2008-01-09 01:00:00 | インターネット (CMC)
2008年1月7日の24時をもって、NTTドコモのPHSサービスが終了した。年末にPHSの解約をしていたので、その最期をみとることはできなかった。

わたしがNTT系のPHSを最初に購入したのは1997年。実は通話ではなく、データ通信が目的だった。それも、モバイル通信ではなく、自宅で使用するためのものだった。もちろんモバイル通信にも使ったが。

当時、一般のアナログ電話回線のデータ通信には、28.8kbpsとか33.6kbpsの通信モデムが使われていた。そしてこのころ出はじめたデジタル回線のISDNが「64kbpsだから高速」などと宣伝されていた。(おい、そこの若いの。笑うんじゃねぇ。)

ダイヤルアップオンリーの当時のデータ通信の料金は、電話回線の接続時間そのものだった。当時勤めていた企業の、従業員が独りしかいないマンションを利用したオフィスで、その部屋の1ヶ月の賃貸料より、電話代のほうが高くなってしまったことがあったことを思い出す。常駐していた従業員が暇さえあればネットを眺めていた結果だったが、この従業員がその後しばらくしてクビになった背景には、この「ネット接続しっぱなし事件」も大きく関与していた。

通信速度が遅いと、ページを表示させるまでにかかる時間が長くなる。表示されるまでにかかる時間が長くなれば、それだけ接続料金がかさむ。というわけで、ユーザーとしては接続時間をなるべく短くしなければならなかった。簡単にできる接続時間節約法の筆頭は「ブラウザのオプションで『画像を表示させない』を選択する」とか、「目的のページが表示されたらすぐに接続を切る」とか、いうものだったと思う。

また、接続場所からなるべく近いアクセスポイントを探すことも重要だった。アクセスポイントまでの距離が長いと長距離電話料金になってしまうからであり、旅行先のホテルからメールチェックをするときは、あらかじめホテルに一番近いアクセスプロバイダーのアクセスポイントの電話番号を一覧表の中から選んでおいて、それを使ったものだ。

さてわたしが最初に買ったPHSは、NTTパーソナルのパルディオ312S。32kbpsのモデムカードとケーブルが付属しており、本体とカードをケーブルでつなぐものだった。

PHSは当初より「PHSには未来がなく、いずれは終了するサービス」といわれることがあった。しかしあの時代、あえてPDCでデータ通信をしようとすれば、ン千bpsというカメのような鈍さでアクセスすることになるわけで、「PHSはデータ通信向き」といわれていたのも事実だった。また、32kpbsのPHSでデータ通信という手段は28.8kbpsや33.6kbpsモデムを使ったアナログ電話回線と張り合えるものだった。そして、自宅のアナログ回線を利用していたら、自分がネットに接続している間は、電話ができなくなってしまう。つまり、PHSという音声通話もモバイル通信もできる手段を使って、自宅からネットに接続することは理にかなったことだった。

このころは、ISDNもそれなりに人気があった。ISDNを1本引けば、2回線分の通話/通信ができてお得だった。つまりISDNでは、電話でしゃべることとデータ通信が同時にできるのだった。しかしこれまで使ってきたアナログ回線を、デジタル回線に替える必要があり面倒だった。その後、アナログ回線用に58kbpsモデムが出てきたこともあって、通信の速さを考える限り、ISDNのメリットは薄くなっていった。

ちなみに当時、パルディオ312Sを使ったわたしの1ヶ月の通信費は、ネット接続だけで2万円~5万円ぐらいだった。PHSにデータ通信専用の定額制の料金体系がまだなかったころのことだ。なにしろ、修士論文のためにいろいろと調べ物をしなければならなかったので、どう節約しても接続時間は長くなった。のちに日本経済新聞社から共著で出版することができた本のたたき台になったこの修士論文の影には、パルディオ312Sの内助の功があるのだ。

しかしある日、この312Sのケーブルが壊れてしまった。PHSに64kbpsというものも出てきたころで、「時代は64kbpsだ。そしてケーブルが脆弱なら、ケーブルなしタイプだぜ」とばかりに次に手を出したのは611Sだった。以前よりはやくなったスピードに、仕事もサクサク進んだ…とまではいかず、いままでよりはましという程度だった。

そのうちADSLのサービスが始まり、わたしのネット接続事情も変わった。最初に出てきたADSLは下り最大1.5Mbps! 今までと比べたら雲泥の差だ。それも、これまで使っていたアナログ回線を利用し、通話とネット接続が同時にできる。しかもデータ通信に関しては定額制でできるのだ。どんなに長い時間つないでも、高額な接続料金を払わなくても良いのだ!

…というわけで、わたしはADSLに変更し、ADSLモデムに無線LANをつないで、「家中どこでもインターネット」という環境を手に入れることができた。(ただし、端末装置からの距離が離れており、しかもノイズが多い地域だとかで、どうやっても16Mbpsでは接続できず、いったん申し込んだ後1.5Mbpsのサービスに戻すことになった。)

ADSLにすることで、自宅でPHSを使う必要はなくなった。

このころ、巷にはグレーの公衆電話が結構増えてきており、外出先でのデータ通信が以前よりしやすくなった。透明な公衆電話ボックスのグレー電話で、B5のVAIOノートをつないでデータ通信していた当時のわたしの姿は、いま考えればかなり奇妙だったろうが。さらに、ホットスポットのような公共無線LANサービスも広がり、一方、わたしのノートPCも無線LAN内蔵のものに変わった。

こうして、わたしがPHSを利用していた当初の目的は消えた。

それでもわたしが、スーパードッチーモなどという、ある意味異形の機種を選んでまでPHSに固執していたのは、99年にわが家の庭にドコモのPHSのアンテナが立ったからでもあった。お陰で(アンテナ1本に3回線という制限があるにもかかわらず)PHSの接続は常に安定していて、良好な音声通話ができた。反対に当時のmovaの接続はかなり最近まで不安定で、音質も良くなかった。

今ではFOMAのデータ通信は受信時最大384kbps、ハイスピードエリアでは最大3.6Mbpsらしい。一方家では、最大100MbpsのFLETS光で宅内有線LAN。どれもあくまで「最大」であり、実際はそれほどは出ないのだが。

まぁ、世の中変わったもんだな…