裁判員制度法案が成立 重大事件の審理に市民参加 (asahi.com 2004/05/21 10:50)
もう8年も前のことだ。当時、米系証券会社の日本支店の人事部で、エクスパット(本社から派遣される特権階級人たち)のビザ取得とリロケーション関係の仕事を担当していたわたしに、2年の予定で転勤してきたばかりのエクスパット、アメリカ人のスティーブがいった。
「ユミ、困ったことになったんだ。」
「え、なに?
(シャワーの水の出が悪いのか? アパートのドアの色が気に食わないのか? 奥さんがホームシックになったのか? 東京アメリカンクラブの推薦人が見つからないのか? 一体なんだろ?) 」(←以上、実際にあったトラブル。)
「"Jury System" って知っているかい?」
「Jur… (ああ、陪審員制度ね)、知ってはいるけど。」
「そうか。実はボクは、Juror(陪審員)に選ばれてしまったんだよ。アメリカの自宅に、通知が来たんだ。」
スティーブはわたしの前で、その手紙をひらひらさせた。
おお、これが噂のJury Duty(陪審員としてのつとめ)か。
「でも、あなたは転勤して日本にいるし、これからやろうとしているプロジェクトの責任者でしょ。」
「そう、陪審員になることは不可能だ。
でもよっぽどの理由がない限り、陪審員の義務を免除されることはない。これは市民としてのobligation(義務・責務)なんだ。」
スティーブが言うには、陪審員に選ばれた場合には、通常は自分の担当している仕事は別の人間に任せるか中断して、陪審員になるべきと考えられているとのこと。しかし、実際に彼なしに、極東の国日本のプロジェクトは進まない。そこでわたしは彼のために、日本支店の人事部長名で「陪審員の義務の免除」をお願いする旨の手紙を書くことになった。
その内容は、1. 彼が現在、日本へ赴任していること、 2. 日本への赴任期間は2年であること、 3. 新しく立ち上げるプロジェクトの責任者であること、およびプロジェクトの詳細、 4. ゆえに、彼がJurorとしての義務を果たすのは不可能であるので、雇用主としてスティーブの義務の免除を申請すること、だった。そしてそのドラフトをスティーブに見せた。
スティーブは「こりゃあ、ダメだ」といった風に、首を横にふった。「これでは、『早急に後任の責任者を任命して帰国し、陪審員の義務を果たせ』ということになってしまうよ。」
そこで、ドラフトに「このプロジェクトには日本支社の将来がかかっているが、彼無くしてこのプロジェクトの遂行は不可能である。特殊な業務であるために、彼と同等の能力を持つ後任者を見つけようと望むことは、絶望的である。」という文面をつけ加えて、人事部長のサインをもらった。後日、スティーブの陪審員の義務を、2年間免除する許可がでた。
アメリカの陪審員制度における、陪審員に任命された者の義務は、このようにきびしいのだ。
仕事で多忙を理由にする場合には「この人物にいま休まれたら、会社から会社がつぶれる!」ほどの影響を持つ人物でないとだめだ。(そんな人は実際にはそうはいない。業務に支障が出て、周りの人間の業務が増えるだけのことである。)
他に、病気療養中であるとか、子育てや老人介護で大変だとか(ただし、その人間がいないと、養っている子供や老人の命が危うくなる場合に限る)、英語が良く分からないから陪審員としての責務を果たすことは無理だとかの理由による免責事項は、あることはある。
けれど、少なくとも
「仕事をすること」と「陪審員になること」を天秤にかけたら、「陪審員としての義務を果たすこと」のほうが、社会においては絶対的に重要な義務であると、一般に認知されているのである。
この話を数年前、外資系企業や、日本企業の国際部に務める30代の人たち数人にしたところ、「そんな制度はおかしい!」と、全員に食ってかかられた。(わたしに、食ってかかられても…)「仕事に穴をあけることになる」「会社のみんなに迷惑がかかる」「帰ってきたら机がなくなっているかも!」 そう、これが一般的な日本人の、「仕事をすること」と「陪審員(または裁判員)になることの重要性を、秤にかけた場合の認識だ。
さて、裁判員制度は義務だそうである。
日本でこの制度が本当に可能なのだろうか? 裁判員として選ばれた人間が、その義務を果たしたために、会社から忠誠心や仕事へのやる気を疑われはしないだろうか? 裁判員としての勤めを果たしている間が元の生活に戻ったときに、昇進や昇給で差別を受けることは、本当にないのだろうか?
企業はまだ対応していないのだそうだ。早急に対応を考えておいたほうが良い。少なくとも
「忙しいからといって断れ。断れないならクビだ。左遷だ。」じゃ、その人物が(裁判所にとられて)不在でも大丈夫なことを証明してしまうのだから、企業としては矛盾していることになる。