禁止令の続き「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」について思うこと。
はぁ・・・恋愛に特化した禁止令ではありませんけど、はるさん、そんな禁止令ずっと大事にしてたら恋愛不全症が深刻化しますよ。
っていうのは冗談ですが、笑えない・・・(苦笑)
小さい頃は、母がなぜ幼稚園のお迎えの帰りに他のお母さんとの井戸端会議を避けていたのか、ちょっぴり不思議でした。人の好意を好意と受け取らずに何だか遠慮がちのところもありましたかね・・・。
今こうして大人になってみれば、周囲にもそういう人は他にもいるようで、取り立てて母は珍しい人間でもないようで。
私が同居していた祖母と仲良くするのもあまり良く思っていなかったようです。口では言いませんでしたけど。表情からそう感じたことはすごく小さい時にあったかもしれません。
にもかかわらず、私はすぐ信用してだまされがちです。それは父譲りです。私のような人間は、絶対に絶対に借金などの保証人にはなってはいけないはずです。
したがって「あまり信用できない人間には近づくな」という摺り込みは教育的には有効なはずでしたが、過去に大きな失敗をし、大きな痛手も負いました。
私は泣かない子供だったと思います。涙がこぼれないように我慢する感覚には慣れ親しんでいます。
母が泣くまいと我慢しているところを見ることの方が多く、禁止令の影響より、見てそうプログラム化されているのでしょう。
小さいときは、短気なところもあったと思いますが、最近は周囲の人に比べるとあまり感情に起伏のない自分に物足りなさを感じてしまいます。人前に出る仕事で身に着けた役割的な性格にも拠るかもしれないですけどね。
そんな私が、エニアグラムのワークショップで「今の感情を味わってみて下さい」ってファシリテーターの方に言われて、その時間をどうしていいのか途方にくれた時に、自分が感じていることが全くわからないことに初めて危機感を覚えました。
元夫とは、別居してからも理由があってなかなか婚姻関係を解消することができませんでした。
その時の私のエネルギーは極めて低い状態にありました。当時を振り返ってみると、その時の無力感は、私に涙を流すことすらさせませんでした。
その頃の母は、電話の向こうで何度となく「泣きなさい」と私に言いました。
母が若い頃、感情を押さえ込んだため神経を患い、ホルモン分泌の異常に苦しんだから経験からの言葉でした。
悲しいと感じていいんだ、悔しいと感じていいんだ、むかつくって感じていいんだ、うれしいことはうれしいって感じていいんだ・・・・
そうよ、だいたい感じなければ、気持ちを伝えられないでしょっ
感じ方は、自由。きっと、どう感じても良いよね。
その表し方や伝え方があまりにも周囲を困惑させるものでなければ・・・
今は、1人でうれし泣き、悔し泣き、もらい泣きもできるようになりました。
そして、その涙が思ったよりも温かいことに安心をしています。
何かわからないけど、感じることがあったら今日もぷちっとお願いします。
↓
はぁ・・・恋愛に特化した禁止令ではありませんけど、はるさん、そんな禁止令ずっと大事にしてたら恋愛不全症が深刻化しますよ。
っていうのは冗談ですが、笑えない・・・(苦笑)
小さい頃は、母がなぜ幼稚園のお迎えの帰りに他のお母さんとの井戸端会議を避けていたのか、ちょっぴり不思議でした。人の好意を好意と受け取らずに何だか遠慮がちのところもありましたかね・・・。
今こうして大人になってみれば、周囲にもそういう人は他にもいるようで、取り立てて母は珍しい人間でもないようで。
私が同居していた祖母と仲良くするのもあまり良く思っていなかったようです。口では言いませんでしたけど。表情からそう感じたことはすごく小さい時にあったかもしれません。
にもかかわらず、私はすぐ信用してだまされがちです。それは父譲りです。私のような人間は、絶対に絶対に借金などの保証人にはなってはいけないはずです。
したがって「あまり信用できない人間には近づくな」という摺り込みは教育的には有効なはずでしたが、過去に大きな失敗をし、大きな痛手も負いました。
私は泣かない子供だったと思います。涙がこぼれないように我慢する感覚には慣れ親しんでいます。
母が泣くまいと我慢しているところを見ることの方が多く、禁止令の影響より、見てそうプログラム化されているのでしょう。
小さいときは、短気なところもあったと思いますが、最近は周囲の人に比べるとあまり感情に起伏のない自分に物足りなさを感じてしまいます。人前に出る仕事で身に着けた役割的な性格にも拠るかもしれないですけどね。
そんな私が、エニアグラムのワークショップで「今の感情を味わってみて下さい」ってファシリテーターの方に言われて、その時間をどうしていいのか途方にくれた時に、自分が感じていることが全くわからないことに初めて危機感を覚えました。
元夫とは、別居してからも理由があってなかなか婚姻関係を解消することができませんでした。
その時の私のエネルギーは極めて低い状態にありました。当時を振り返ってみると、その時の無力感は、私に涙を流すことすらさせませんでした。
その頃の母は、電話の向こうで何度となく「泣きなさい」と私に言いました。
母が若い頃、感情を押さえ込んだため神経を患い、ホルモン分泌の異常に苦しんだから経験からの言葉でした。
悲しいと感じていいんだ、悔しいと感じていいんだ、むかつくって感じていいんだ、うれしいことはうれしいって感じていいんだ・・・・
そうよ、だいたい感じなければ、気持ちを伝えられないでしょっ
感じ方は、自由。きっと、どう感じても良いよね。
その表し方や伝え方があまりにも周囲を困惑させるものでなければ・・・
今は、1人でうれし泣き、悔し泣き、もらい泣きもできるようになりました。
そして、その涙が思ったよりも温かいことに安心をしています。
何かわからないけど、感じることがあったら今日もぷちっとお願いします。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e6/abb857b17d94466e0bb06837c0c1f439.png)
他人の悲しみには泣いてしまう。
母が亡くなった時、涙はしなかった。
お嫁さんとの折り合いが悪く、
母の処にこぼしに来ていたおばあさんが
焼香に来て、不自由な足をかばいながら
声も立てずに、ぽろぽろと涙をこぼす姿に
ボクも涙が止まらなかった。
自分の娘に先立たれたように思えた。
沈んだ顔で現れて、母とひとときを過ごして
笑顔で帰って行ったおばあさんだった。
心は言葉一つで 重傷にも 起死回生にも
無言の言葉は 命をも救うことがあるようです。
涙が沢山ある人でよかったですね! ぷちっ!
お母さんは、このおばあさんのお話をどんな風に聴いてくれたのでしょうかね・・・
ただありのままに、黙っておばあさんのお話に耳を傾けること、それは簡単にできることではありませんよね。
おばあさんを癒す静かな時間を与えてくれた空海望さんのお母さんを失った時のおばあさんは、悲しくも、ありがたくもあったことでしょう。去り行く尊い命を悼む時にも、多くの言葉はいらず、ただ静かに祈る時間があればよいのか・・・