さまざまなアクシデントや感動秘話に溢れがちな私の生活は、なかなか地道に交流分析の記事を書かせてくれません・・・・
またストロークについて書いてみたいと思います。
ストロークって何っ?て思われた読者の方がいらっしゃったら、右側の「TA(交流分析)」のカテゴリから少しさかのぼってお読みくださると幸いです。
「誉める」「励ます」は「プラスのストローク」でしょうね。
心から無条件に誉められたり、励まされると人はやはり自分の存在や価値を認められとてもうれしいものです。
私は「励まし」というストロークが、かなり好きです。
なぜ故に?
認めたくはないのですが、私は、そもそも自尊心やうぬぼれが強いのかもしれません。
それに目を向け始めたのは、どうやら私がエニアグラムで言うところの「タイプ3」や「タイプ4」の性格を持っているのではないかということで、この2つのタイプに特徴的な性質として「ひょっとしてそんなとこあるかも・・・」と思い始めたんです。
エニアグラムは自分を映す鏡である・・・(苦笑)
それゆえに落ち込みやすくまた、「励ましによって容易に回復し、次の行動に向かう」というパターンは私のお決まりのパターンなんです。
その一方で「誉められる」は、これはなかなか素直に受け取ることができません。「ありがとう」と笑顔でにっこり、素直に受け取ることは、私のコミュニケーション上の継続課題です。
なぜにそのようなありがたいストロークを受け取らんのだ・・・・
これがねぇ、最近気づいたことなのですが、母からのすり込みでしょうね。
母は決して私を誉めない訳ではなく、どちらかというと評価は正当で、「誉める量」に過不足がなく、誉めて欲しい時に誉めてくれたので、幼少期に特に寂しい思いをすることはなかったように記憶しています。
しかーし、学校から帰ってくると「今日ね、先生から誉められた」「○○ちゃんのお母さんから誉められた」という話には、「俄然」ノリが悪いのでした。
そして、返ってくるのは「あまり調子にのらないように」「人の言う、いいことは信用しないように」という返答。
はぁ・・・有頂天モードから急降下(涙)
あぁ、ここで母から「信じるな」という禁止令をもらっているのでございます。
そして、自分は「まだまだなんだ」「母から誉められるには完全ではないのだ!もっと頑張れ!」と自分を奮い立たせ、這い上がってくるこの泥臭い「ど根性人生」を歩んでしまうのですよ。
小学生の頃からこういう生き方を選び、以後そういう生き方(人生脚本)を強化してきたワタクシです。
こうして、「誉める」というストロークを受け取ることを躊躇し、「禁止される」だけではやる気がでないので、代わりに「自分からの励まし」「人からの励まし」を受け取ることを好んで次の行動につなげるのが私の傾向です。
「自分好みのストローク指数に合わないストロークが来ると素直に受け入れない」ことを、交流分析的には「ストロークフィルター」にかけるといいます。
無条件で誉められていると気づいた時には、ストロークをフィルターにかけて価値を値引きせず、ありがたく受け取ることが、相手との親しくつきあっていく上でとても大切だと感じています。
よし、誉められたら小さなガッツポーズ(略して小ガッツ)で応えよう!
じゃなくってぇ~、いくら体育会気質とは言え、笑顔でにっこり「ありがとうございます」でいこうよ。
皆さんはどのようなストロークを「選り好み」したり受け取らないようにしていますか?
あなたのクリックが私にとって何よりの「励まし」。
交流分析のことをもっと多くの人に知ってもらいたいのでぷちっとひと押しお願いします。
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「誉める」「励ます」は「プラスのストローク」でしょうね。
心から無条件に誉められたり、励まされると人はやはり自分の存在や価値を認められとてもうれしいものです。
私は「励まし」というストロークが、かなり好きです。
なぜ故に?
認めたくはないのですが、私は、そもそも自尊心やうぬぼれが強いのかもしれません。
それに目を向け始めたのは、どうやら私がエニアグラムで言うところの「タイプ3」や「タイプ4」の性格を持っているのではないかということで、この2つのタイプに特徴的な性質として「ひょっとしてそんなとこあるかも・・・」と思い始めたんです。
エニアグラムは自分を映す鏡である・・・(苦笑)
それゆえに落ち込みやすくまた、「励ましによって容易に回復し、次の行動に向かう」というパターンは私のお決まりのパターンなんです。
その一方で「誉められる」は、これはなかなか素直に受け取ることができません。「ありがとう」と笑顔でにっこり、素直に受け取ることは、私のコミュニケーション上の継続課題です。
なぜにそのようなありがたいストロークを受け取らんのだ・・・・
これがねぇ、最近気づいたことなのですが、母からのすり込みでしょうね。
母は決して私を誉めない訳ではなく、どちらかというと評価は正当で、「誉める量」に過不足がなく、誉めて欲しい時に誉めてくれたので、幼少期に特に寂しい思いをすることはなかったように記憶しています。
しかーし、学校から帰ってくると「今日ね、先生から誉められた」「○○ちゃんのお母さんから誉められた」という話には、「俄然」ノリが悪いのでした。
そして、返ってくるのは「あまり調子にのらないように」「人の言う、いいことは信用しないように」という返答。
はぁ・・・有頂天モードから急降下(涙)
あぁ、ここで母から「信じるな」という禁止令をもらっているのでございます。
そして、自分は「まだまだなんだ」「母から誉められるには完全ではないのだ!もっと頑張れ!」と自分を奮い立たせ、這い上がってくるこの泥臭い「ど根性人生」を歩んでしまうのですよ。
小学生の頃からこういう生き方を選び、以後そういう生き方(人生脚本)を強化してきたワタクシです。
こうして、「誉める」というストロークを受け取ることを躊躇し、「禁止される」だけではやる気がでないので、代わりに「自分からの励まし」「人からの励まし」を受け取ることを好んで次の行動につなげるのが私の傾向です。
「自分好みのストローク指数に合わないストロークが来ると素直に受け入れない」ことを、交流分析的には「ストロークフィルター」にかけるといいます。
無条件で誉められていると気づいた時には、ストロークをフィルターにかけて価値を値引きせず、ありがたく受け取ることが、相手との親しくつきあっていく上でとても大切だと感じています。
よし、誉められたら小さなガッツポーズ(略して小ガッツ)で応えよう!
じゃなくってぇ~、いくら体育会気質とは言え、笑顔でにっこり「ありがとうございます」でいこうよ。
皆さんはどのようなストロークを「選り好み」したり受け取らないようにしていますか?
あなたのクリックが私にとって何よりの「励まし」。
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私も、ほぼ自分は3w4であろうと思っているのですが、確かに「自尊心やうぬぼれが強い」です、はい。いや~ん恥ずかし。
ストロークの選り好み、してるんだろうなぁ。ポジティブなストロークの中で、自分があまり好まないものってなんだろう・・・ピンと来ないのは、無意識になってるからだろうなぁ。
何か考えるヒントを下さ~い。
「当然ね」という反応だったような・・
そして現在、ほめられていても有り難く受け取る事ができず、「普通ですぅ」みたいな顔してしまうのは、幼いころのこの経験からくるのかな
これって、やな感じ?
少なそう・・・・
わたしも多い方だったのかな
「プラスのストローク」ね!
中学校の頃、クラス全員で叱られた。
テストの成績がひどいと、
問題が悪い訳じゃないでしょう。
満点の人がいるんですから!
おい!誰だよ!こんなひどい叱られ方してるのに。
うなだれて、うつむいていたら そいつはボクだった。
ダメな生徒ボクはみんながひどく振るわない時、
どういう訳か、まあまあだったり、とんでもなく良かったりで
若かった先生は自分の教え方が悪いと落ち込んでいる時の救世主だったようだ。
そんなのボク知らないよ!
その時期以外は逆だったのかも。
はるさん みたいになれるといいのに!
仕事を始めて何年かは本当にマイナスの方のストロークに悩みました。
それはただ仕事についてだけの評価なのに、人格までを否定された様な気になってしまって…
またプラスのストロークも過大だったり、意外だったりすると、素直に受け入れられませんでしたね。
人からの評価を信じすぎて自分がなくなってしまうかも~なんて不安もありました。
自分の技術と解釈を信じて披露する事に二の足を踏んでしまった事も何度か。
今は自分の感性に素直にやれるようになりました。
それはマイナスのストロークの中には〈意見してあげる〉という大義名分で相手を傷付けるものもあるとわかったので、謙虚に受け入れすぎないようになったからです。
いずれにしても相手を心から思いやったストロークをしたいものです。
ポジティブなストロークであまり好まないものか~
人によって違うので何とも言えないのだけどね・・・。
たとえば人によっては目をじっと見て話をされるのが嫌な人っていないかな。あと少ないと思うけど、何か理由があってスキンシップを拒絶してしまう人とか・・・。
私の場合は、親切な思いやりの行為も、自分でできることとか、近い将来、自分がやろうとしていたことをされると「おせっかい」と感じ、なぜか不機嫌になります。「自分のことは自分でやりなさい」と親からすり込まれているからでしょうね・・・
あねさん
えっ?あんまり誉められてないの?
長女と次女、あと多少なりとも頭脳の違いでしょうかねぇ~。まあ、手放しで誉められた鮮明な記憶はないけど、私の場合は「1人でできた」ということについてはすごく誉められたと思います。
普通ですぅみたいな反応ね~、わからんでもないよその反応(苦笑)。誉められても反応に困るからむしろ誉めんといてくれ、みたいな・・・
とは言え、思ってなければ「ありがとうございます」「恐縮でございます」って言葉も出てこないからね・・・。思ってないのに言うのも嫌らしいしね(笑)
ありがとうでにっこりがいつも課題のはるです。
成績が悪くて叱った先生は、最後は自分の教え方が悪いとご自身を責めてしまったのでしょうか?
ボクは先生に希望を与える子供だったんですね・・・。なのに拒否?
ボクがプラスのストロークを素直に受け取れない理由ってのも何かあったのでしょうか?
私は小さいときは、結構「でへへ」とありがたく受け取っていたんですけどね・・・
年々受けとらないように強化されてしまいました・・・。親からもらった「信じるな」は手放すのに苦労しますよ、トホホ・・・
かなでさん
2つのストロークの間で私も翻弄されることがありました。
>ストロークも過大だったり、意外だったりすると、素直に受け入れられませんでしたね。
はすごくわかります。何か裏がある、他意があるのではと疑ってしまったり。自分の技術や解釈を信じるというぶれない軸があって、素直に自分を出していけるというのはすごく素敵なことだと思いました。
私もそうありたいと思います。
マイナスのストロークが意見してあげるという意味があるのであれば、言う方は、特別な意図があると言ってくれると受け取る側にも誤解がなく、叱咤激励と受け取れる場合もありますよね。
だからこそ、かなでさんのおっしゃるように
>相手を心から思いやったストロークをしたいものです。
という言葉は、経験に基づくストロークのあり方について、凝縮された含蓄のある言葉だと思いました。
ホントそうですよね・・・。