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ブルックリンの恋人たち

2015年04月07日 | 洋画(15年)
 『ブルックリンの恋人たち』を新宿武蔵野館で見ました。

(1)昨年末に『インターステラー』で見たばかりのアン・ハサウェイが主演する作品だというので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の舞台は現代のニューヨーク。
 冒頭は、地下鉄の駅の地下道でギターを弾きながら歌っているストリート・ミュージシャンの姿。通行人はほとんど関心を示しませんが、中には、開けてあるギターケースに小銭を投げ入れる者も。
 歌い終わると、青年は、ギターを背負いヘッドホンを耳に付けながら街を歩きます。
 突然、何かが衝突するような感じで画面が乱れて、「Song One」のタイトルが入ります。

 次いで、モロッコで原住民の結婚式の様子や市場の雑踏などを調査している女性の姿。
 彼女は、人類学の博士論文作成のためにモロッコに行っていたフラニーアン・ハサウェイ)。



 そんな彼女がベッドで寝ていると、突然電話が。母親(メアリー・スティーンバージェン:注2)が、「ヘンリーが交通事故に遭って入院している。戻ってきて」と言っています。

 上記のストリート・ミュージシャンは、フラニーの弟のヘンリー(ベン・ローゼンフィールド)で、画面が乱れた時に車に接触したようです(注3)。
 フラニーは、急遽ニューヨークに戻り、ヘンリーの病室に入り、看病する母親と会います。
 ただ、ヘンリーは昏睡状態で、医者は「頭蓋骨が損傷し、強い衝撃による血腫ができている。昏睡状態を脱することができるかどうかわからない。辛抱強く待つしかない」と言っています。

 実は、フラニーは、以前弟と喧嘩してしまい(注4)、最近ではほとんど連絡をとっていませんでした。
 そんな弟が昏睡状態にあることに酷く後ろめたさを感じて、彼女は、一方で、ヘンリーの脳に刺激を与えるべく、弟が好きなパンケーキの臭いを嗅がせたりします(注5)。
 他方で、病床の弟について色々なことを知ろうと、彼が出入りしていた場所に行ってみたり、彼が大好きだったミュージシャンのジェイムズ・フォレスタージョニー・フリン)に会ったりします(注6)。
 その彼がなんと弟の病室にやってきたことから(注7)、フラニーとジェイムズとの間でつながりが出来てきます。さあ、二人はどのような関係になっていくのでしょうか、………?

 本作は、邦題から、本作と同じアン・ハサウェイ主演の『ワン・デイ―23年のラブストーリー』と似たような作品なのかなと思って見たところ、むしろ同じニューヨークが舞台でキーラ・ナイトレイ主演の『はじまりのうた』と同じような感じのところがあり、たくさんの歌が挿入されている作品でした。
 何しろ、原題が「Song One」というのですから!
 まあ、アン・ハサウェイがもっとたくさん歌う姿を披露するのであればともかく、可もなし不可もなしの作品ではないかと思いました。

(2)本作と『はじまりのうた』との類似点は上記したように色々ありますが、他にも例えば、『はじまりのうた』でキーラ・ナイトレイと一緒にイギリスからやって来るデイヴを演じているアダム・レヴィーンが、人気ロックバンド(Maroon 5)のボーカリストであるのと同じように、本作のジェームズに扮するジョニー・フリンは、南アフリカ生まれの俳優ながらも、フォーク・ロックバンド(ジョニー・フリン&ザ・サセックス・ウイット)のフロントマンでもあります(注8)。



 それに、『はじまりのうた』のラストの方で、キーラ・ナイトレイ扮するグレタが、元の恋人デイヴが出演するライブ会場に出かけて「Lost Stars」を歌う姿を見るのですが、本作のラストでも、フラニーは、ジェイムズのフィラデルフィアの公演に行って歌を聞くのです(注9)。

 ただ、『レ・ミゼラブル』では随分と歌っていたアン・ハサウェイですが、残念ながら本作では、「歌うのを恥ずかしがる主人公を演じ」ているために(注10)、キーラ・ナイトレイと違って、ほんの僅かしかその歌声を聞くことができません(注11)。
 なにしろ、『はじまりのうた』においては、キーラ・ナイトレイは、ニューヨーク中ところかまわず出張って歌うわけですから、本作のアン・ハサウェイとは大違いです。
 それに、『はじまりのうた』は、「台詞が歌われることはないとはいえ、詩によるコミュニケーションは十分に果たされていて」、ミュージカル映画ともみなせると思いますが、本作ではそのような場面は見当たりません(注12)。
 でも、劇場用パンフレットに掲載の監督インタビューで、監督は、「多くの映画と異なり、楽曲が映像より先に用意されていました」、「この作品の脚本を書きながら、自分が好んで音楽を聴きに行く場所で撮影することを考えていました。ライブを見に行ったり、他の観客と一体になってパフォーマンスに酔いしれる様子などを描きたかったのです」などと述べています。
 むしろ、こちらの作品こそ、ストーリーが添え物の音楽映画といえるかもしれません。

 ですから、喧嘩したくらいで後ろめたさを感じて、大事な博士論文作成をそっちのけにして弟の介護にのめり込んでしまうものなのかなど、ご都合主義的に見えるストーリーにいささか疑問を感じないわけではありませんが、そんなことはまさにどうでもいいのでしょう。

(3)渡まち子氏は、「決してドラマチックではないけれど、音楽を通して語られる恋が何だかとても新鮮で心地よい佳作だ」として65点を付けています。



(注1)監督・脚本はケイト・バーカー=フロイランド

(注2)メアリー・スティーンバージェンは、『ヘルプ 心がつなぐストーリー』とか『噂のモーガン夫妻』などに出演しています。

(注3)母親は、「ヘンリーがヘッドホンをしていたために、車の接近に気が付かなかったんだ」と言っています。さらに、「いつも道の両側をよく見て、と注意していたのに。それにしても、パパが亡くなっていてよかった」などとも言います。

(注4)ヘンリーがミュージシャになるために、入学していた大学をやめてしまったことを、フラニーはきつく責めたようです。

(注5)さらには、弟が創ったCD「Marble Song」を聞かせたりもします(CDの最初に、フラニーに対し「これは新しい曲なんだ、聞いて欲しい」と言っているヘンリーの声が入っています!)。
 ここらあたりは、『妻への家路』において、妻の記憶を呼び戻そうと夫がいろいろ工夫するところを彷彿とさせます。

(注6)ヘンリーのギターケースの中にあったノートに、ジェイムズ・フォレスターのライブのチケットが挟まっていたので、フラニーはそのライブに出かけていきます。
 なお、フラニーが臭いをかがせたパンケーキも、そのノートに記載されていたものです。

(注7)ライブの後のサイン会で、フラニーはジェイムズに、「あなたの大ファンの弟が交通事故に遭った」と話しかけ、入院先の病院名まで告げます。それで、ジェイムズが病院にやってきたわけ。

(注8)本作の公式サイトにある「Story」には、「ドブロ・ギターとバイオリンの重奏」とあります。
 ジェームズは、ギターの伴奏でしばらく演奏した後、エフェクター(ルーパー)を踏んで、一方でその伴奏をスピーカーから流しながら、他方でヴァイオリンを弾きます。

(注9)『はじまりのうた』において「Lost Stars」が、グレタとデイヴの二人にとって象徴的な位置にあるのと同じように、ライブ会場を映し出しているスクリーンでフラニーが見るのは(チケットが完売で、フラニーは会場の中に入れませんでした)、ジェイムズが「Afraid of Heights」を歌っている姿でした(下記の「注11」をご覧ください)。
 なお、ジェイムズは、普段はメイン州の山の中に住んでいて曲を創っており、まとまった曲が出来上がるとニューヨークなどのライブハウスで公演を行っているとのこと。今回は、フィラデルフィアの公演で最後です。

(注10)劇場用パンフレットに掲載のインタビューでアン・ハサウェイが述べています。
 なお、こうした役柄になったのは、あるいはこの記事に書かれていることが関係したのでしょうか?

(注11)ブルックリンからエンパイア・ステート・ビルを眺めながらジェイムズと「Afraid of Heights」を歌ったり(このインタビュー記事によれば、「アンとジョニーが即興で考えて作った歌」とのこと)、家で母親が強いるものですから「I Need You」を歌ったりしますが、随分と控えめな歌い方です。



(注12)とはいえ、フラニーは、弟が書いたノートを頼りに、様々のライブハウスに出かけたりして、いろいろな音を録音してきて弟に聞かせます。「音」によって弟の心とのコミュニケーションを回復しようとしていのかもしれません。



★★★☆☆☆



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