
『はじまりのうた』を渋谷シネクイントで見ました。
(1)久しぶりにキーラ・ナイトレイ(注1)を見てみようと思い、映画館に行きました。
本作(注2)では、ミュージシャンのグレタ(キーラ・ナイトレイ)とその恋人デイヴ(同じようにミュージシャン:アダム・レヴィーン)が、メジャーデビューすべく英国からニューヨークにやってくるものの、二人の関係は破綻してしまいます。

彼女は、独りになって友人・スティーヴ(ジェームズ・コーデン)の家に転がり込むのですが、ひょんなことからバーのステージで、自分が最近創った歌(注3)を披露することになります。

それを音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)がたまたま耳にして大層感心し、アルバムを作ろうという話に。
ですが、彼はレコード会社をクビになったばかりで、スタジオを持っていません。
でも彼は、パソコンとマイクがあれば十分とばかりに、ニューヨーク市内のアチコチで野外録音をすることに。

さあ、うまくいくのでしょうか、………?
本作はミュージカル映画とも言えそうで、そうなればストーリーはどうでもいいことになり(注4)、キーラ・ナイトレイやその恋人役〔実際にも、人気ロックバンド(Maroon 5)のボーカリスト〕などが歌う歌を聞き、加えて描き出されるニューヨークの街並みを眺めて愉しめれば、まずまず面白く思えることでしょう(注5)。
(2)本作は、歌が全編に溢れ、ミュージカル映画とも言えそうですが、といって台詞が歌われたり、普通の動作から連続的に踊り出したり歌ったりするわけでもなく、歌の場面は歌の場面として描かれます。
でも、ダンとグレタが、それぞれがどんな曲を聞いているのか知りたいとして、イヤホンを一つずつ耳にして、お互いのiPodのプレイリストを聞きながらニューヨークの街を歩きますが、同時にその音楽が画面から流れるのです(注6)。
また、普通であれば演奏などしないような場所、地下鉄の駅のホームや路地裏、ビルの屋上といったところで(注7)、アルバム作りのために演奏が行われ、レコーディングしていきます。
さらには、デイヴが賞をとると、グレタは、気持ちを表現すべく、友人のスティーヴの録音してもらった歌「Like a Fool」(注8)をデイヴに送りつけます(注9)。
特に、ラストの方のライブでは、グレタが創ってデイヴの曲とした「Lost Stars」を、最初はグレタが好むオリジナルのアレンジで歌い、次いでアレンジをロック調に変えることによって、今度はデイヴがグレタに自分の気持を伝えています(注10)。
こんなところを見ると、台詞が歌われることはないとはいえ、詩によるコミュニケーションは十分に果たされていて、本作をミュージカル映画とみても構わないのではと思えてきます。
(3)村山匡一郎氏は、「音楽が人々に夢と希望をもたらす様を瑞々しく描いている」として、★4つ(見逃せない)を付けています。
藤原帰一氏は、「これはラブストーリーじゃない。いつもなら音楽なんて男女を結びつけるキューピッドくらいの役回りですが、この映画の核心は音楽そのもの。音楽の力だけでつくったような映画なんです」と述べています。
小梶勝男氏は、「とにかく曲がいい。物語には切ない部分もあるが、見終わると幸せな気分になれる。これも音楽の魔法だろう」と述べています。
(注1)といっても、熱心なファンというわけではなく、最近で見たのは、『アンナ・カレーニナ』(この作品についてはブログ記事を作成しませんでした)や『わたしを離さないで』くらい。
(注2)原題は『BEGIN AGAIN』。
脚本・監督は、『ONCE ダブリンの街角で』(2007年)のジョン・カーニー。
(注3)「A Step You Can’t Take Back」
“気づけば地下鉄にいた 自分の世界はカバン一つ ………”(原詩はこのサイトで)
(注4)あんなに簡単に野外録音ができるのか(例えば、電源は?)などといったことは、本作にとってはまさにどうでもいい点でしょう。
ただ、本作はラブストーリーながら、恋人デイヴに裏切られたグレタと、妻ミリアム(ダンによれば、若い歌手と一緒になろうと家を出て行ったことがあります:キャサリン・キーナー)と別居中のダンという、まさにおあつらえ向きの状況(加えて、音楽的嗜好も一致しています)にある二人の間が一向に進展しないのもどうかという感じですし、もう一つよくわからないのが、グレタと、彼女が転がり込む家の住人で昔馴染みとされるスティーヴとの関係です。二人は、狭い部屋に一緒に暮らしながらも、何の関係も持つに至りません。
グレタは、若いにもかかわらず何の性的魅力も持たないということなのでしょうか(恋人・デイヴも、NYに来た途端に他の女に走ってしまいますし)?
(注5)ほとんど何も情報を持たずに、キーラ・ナイトレイの独り舞台の映画かなと思って見に行ったところ、『トゥルー・グリット』のヘイリー・スタインフェルドのみならず、『グランド・イリュージョン』のマーク・ラファロとか、『25年目の弦楽四重奏』のキャサリン・キーナー、『ワンチャンス』のジェームズ・コーデンなど、錚々たる俳優がいろいろ出演しているので驚きました。
(注6)フランク・シナトラやスティービー・ワンダーの曲など。
(注7)地下鉄の駅のホームでは、警備員らがやってくると慌てて楽器やレコーディング機器をしまって逃げ出しますし、路地裏では、様子をうかがっている子供たちをコーラスに使ったり、ビルの屋上で演奏していると、隣のビルから「うるさい、警察を呼ぶぞ!」と怒鳴られたりします。
なお、ビルの屋上での演奏の際には、別居中のダンの妻ミリアムや娘・バイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)も現れます。
(注8)“あなたは 約束をすべて破ったけど それでも私は愛していた もう十分私を苦しめたでしょ? いい加減わかって ………”(原詩はこのサイトで)
(注9)留守電に。それを聞いたデイヴがメールを送って、グレタとしばらくぶりで会い、週末のライブに来てくれるよう誘います。
(注10)グレタは、あくまでも出発点のままでいたいと思い、デイヴは、大衆の要望に沿って音楽を変えていくべきだと考えているようです。デイヴはライブにグレタを誘い、グレタも、「Lost Stars」の最初の方を聞いた時は笑みを浮かべていたものの、デイヴがアレンジを変えて歌うと、彼の気持ちがわかったとでも言うようにライブ会場を後にします。
★★★☆☆☆
象のロケット:はじまりのうた
(1)久しぶりにキーラ・ナイトレイ(注1)を見てみようと思い、映画館に行きました。
本作(注2)では、ミュージシャンのグレタ(キーラ・ナイトレイ)とその恋人デイヴ(同じようにミュージシャン:アダム・レヴィーン)が、メジャーデビューすべく英国からニューヨークにやってくるものの、二人の関係は破綻してしまいます。

彼女は、独りになって友人・スティーヴ(ジェームズ・コーデン)の家に転がり込むのですが、ひょんなことからバーのステージで、自分が最近創った歌(注3)を披露することになります。

それを音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)がたまたま耳にして大層感心し、アルバムを作ろうという話に。
ですが、彼はレコード会社をクビになったばかりで、スタジオを持っていません。
でも彼は、パソコンとマイクがあれば十分とばかりに、ニューヨーク市内のアチコチで野外録音をすることに。

さあ、うまくいくのでしょうか、………?
本作はミュージカル映画とも言えそうで、そうなればストーリーはどうでもいいことになり(注4)、キーラ・ナイトレイやその恋人役〔実際にも、人気ロックバンド(Maroon 5)のボーカリスト〕などが歌う歌を聞き、加えて描き出されるニューヨークの街並みを眺めて愉しめれば、まずまず面白く思えることでしょう(注5)。
(2)本作は、歌が全編に溢れ、ミュージカル映画とも言えそうですが、といって台詞が歌われたり、普通の動作から連続的に踊り出したり歌ったりするわけでもなく、歌の場面は歌の場面として描かれます。
でも、ダンとグレタが、それぞれがどんな曲を聞いているのか知りたいとして、イヤホンを一つずつ耳にして、お互いのiPodのプレイリストを聞きながらニューヨークの街を歩きますが、同時にその音楽が画面から流れるのです(注6)。
また、普通であれば演奏などしないような場所、地下鉄の駅のホームや路地裏、ビルの屋上といったところで(注7)、アルバム作りのために演奏が行われ、レコーディングしていきます。
さらには、デイヴが賞をとると、グレタは、気持ちを表現すべく、友人のスティーヴの録音してもらった歌「Like a Fool」(注8)をデイヴに送りつけます(注9)。
特に、ラストの方のライブでは、グレタが創ってデイヴの曲とした「Lost Stars」を、最初はグレタが好むオリジナルのアレンジで歌い、次いでアレンジをロック調に変えることによって、今度はデイヴがグレタに自分の気持を伝えています(注10)。
こんなところを見ると、台詞が歌われることはないとはいえ、詩によるコミュニケーションは十分に果たされていて、本作をミュージカル映画とみても構わないのではと思えてきます。
(3)村山匡一郎氏は、「音楽が人々に夢と希望をもたらす様を瑞々しく描いている」として、★4つ(見逃せない)を付けています。
藤原帰一氏は、「これはラブストーリーじゃない。いつもなら音楽なんて男女を結びつけるキューピッドくらいの役回りですが、この映画の核心は音楽そのもの。音楽の力だけでつくったような映画なんです」と述べています。
小梶勝男氏は、「とにかく曲がいい。物語には切ない部分もあるが、見終わると幸せな気分になれる。これも音楽の魔法だろう」と述べています。
(注1)といっても、熱心なファンというわけではなく、最近で見たのは、『アンナ・カレーニナ』(この作品についてはブログ記事を作成しませんでした)や『わたしを離さないで』くらい。
(注2)原題は『BEGIN AGAIN』。
脚本・監督は、『ONCE ダブリンの街角で』(2007年)のジョン・カーニー。
(注3)「A Step You Can’t Take Back」
“気づけば地下鉄にいた 自分の世界はカバン一つ ………”(原詩はこのサイトで)
(注4)あんなに簡単に野外録音ができるのか(例えば、電源は?)などといったことは、本作にとってはまさにどうでもいい点でしょう。
ただ、本作はラブストーリーながら、恋人デイヴに裏切られたグレタと、妻ミリアム(ダンによれば、若い歌手と一緒になろうと家を出て行ったことがあります:キャサリン・キーナー)と別居中のダンという、まさにおあつらえ向きの状況(加えて、音楽的嗜好も一致しています)にある二人の間が一向に進展しないのもどうかという感じですし、もう一つよくわからないのが、グレタと、彼女が転がり込む家の住人で昔馴染みとされるスティーヴとの関係です。二人は、狭い部屋に一緒に暮らしながらも、何の関係も持つに至りません。
グレタは、若いにもかかわらず何の性的魅力も持たないということなのでしょうか(恋人・デイヴも、NYに来た途端に他の女に走ってしまいますし)?
(注5)ほとんど何も情報を持たずに、キーラ・ナイトレイの独り舞台の映画かなと思って見に行ったところ、『トゥルー・グリット』のヘイリー・スタインフェルドのみならず、『グランド・イリュージョン』のマーク・ラファロとか、『25年目の弦楽四重奏』のキャサリン・キーナー、『ワンチャンス』のジェームズ・コーデンなど、錚々たる俳優がいろいろ出演しているので驚きました。
(注6)フランク・シナトラやスティービー・ワンダーの曲など。
(注7)地下鉄の駅のホームでは、警備員らがやってくると慌てて楽器やレコーディング機器をしまって逃げ出しますし、路地裏では、様子をうかがっている子供たちをコーラスに使ったり、ビルの屋上で演奏していると、隣のビルから「うるさい、警察を呼ぶぞ!」と怒鳴られたりします。
なお、ビルの屋上での演奏の際には、別居中のダンの妻ミリアムや娘・バイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)も現れます。
(注8)“あなたは 約束をすべて破ったけど それでも私は愛していた もう十分私を苦しめたでしょ? いい加減わかって ………”(原詩はこのサイトで)
(注9)留守電に。それを聞いたデイヴがメールを送って、グレタとしばらくぶりで会い、週末のライブに来てくれるよう誘います。
(注10)グレタは、あくまでも出発点のままでいたいと思い、デイヴは、大衆の要望に沿って音楽を変えていくべきだと考えているようです。デイヴはライブにグレタを誘い、グレタも、「Lost Stars」の最初の方を聞いた時は笑みを浮かべていたものの、デイヴがアレンジを変えて歌うと、彼の気持ちがわかったとでも言うようにライブ会場を後にします。
★★★☆☆☆
象のロケット:はじまりのうた
恋愛要素が入ってこなかったので、逆に安心して見れました。マーク・ラファロは妻との関係が修復可能な状態だし、スティーブは筋金入りのいい奴設定っぽいから、共通の知人カップルが破綻しだしたのをいい事に、傷心の女性を物にしようとは考えないタイプだと思います。普通、この役はゲイにしたりするかなとも思うけど。
確かに、「恋愛要素が入ってこなかったので、逆に安心して見れ」たことは事実ですが、何か今ひとつ物足りなさを感じてしまったところです。
恋愛要素、確かにそこに恋愛がひっそり潜んでいたものの、それを敢えてスル―した感があって、私は嫌いじゃなかったです。多分グレタの気持ちは複雑なところにあったと思うんですけど、私が彼女に好感が持てたのはあのバランスを乗りこなした強さだったような気がします。
私あまりミュージカルは好きじゃないんですが、もしこれがミュージカルであるならばとっても好きな作品になること間違いなしですよー。
またお邪魔させていただきます。TB失礼しますね。
そうですね、グレタには「あのバランスを乗りこなした強さ」があったと見ることも出来ますね。
いずれにせよ、キーラ・ナイトレイの演技は素晴らしかったと思います。