『ミッドナイト・イン・パリ』を渋谷ル・シネマで見てきました。
(1)昨年の『人生万歳!』をはじめとして、これまで何本も見ているウディ・アレン監督作品というので、だいぶ遅れてしまいましたが映画館に足を運びました。
本作は実に他愛ない内容で、1920年代のパリを熱烈に愛するアメリカの青年が、婚約者とパリを訪れたところ、その当時のパリにタイムスリップし(注1)、憧れのフィッツジェラルド夫妻などと会ったりして、結局はパリに居着くことになるというものです。
でも、それでは端折りすぎでしょう。
もう少し述べれば、脚本家としてかなりの評価を受けているギル(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)の父親がパリに出張する際に、彼女やその母親共々その出張に同伴します。
というのもギルは、常々パリを、それも特に1920年代のパリを愛しており、いつかはパリに移住したいとまで考えているからです。さらには、これまでの脚本家としての生活に虚しさを覚えていて、小説家への転身を図るべく現在処女作の執筆中というわけです。
他方、婚約者のイネズはごく普通の女性、パリの名所旧跡を尋ね回りたいギルとは違って、宝石店とか家具店を探し回りたくてうずうずしています。
そんなところに、彼女の男友達ポ-ル(マイケル・シーン)もパリにガールフレンドを連れてやってきていて、彼女と偶然に出会うことに。彼は、半可通を絵に描いたような男、様々な事柄について持てる知識を披瀝しますが、細部になるとデタラメのようです(注2)。
そんなこんなで疲れ果てたギルが真夜中のパリを独りで歩いていると、クラシックカーが突然現れ、彼を乗せてパーティー会場に案内してしまいます。
会場に入ると、ナントそこでは1920年代に活躍した著名人が犇めいているのです。そこには憧れのスコット・フィッツジェラルド(トム・ヒドルストン)が妻ゼルダ(アリソン・ピル)といるではありませんか!
スコットに自分も小説を書いていると明かすと、彼はギルをガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)に引き合わせます。
話はとんとん拍子に進み、ギルは、自分の書いている小説の批評をガートルードに頼む一方で、その場にいたパブロ・ピカソの恋人アドリアナ(マリオン・コティヤール)に一目惚れしてしまいます。
さあ、ギルの運命はどうなることでしょう、アドリアナとの恋の行方は、婚約者イネズとの関係は、……?
冒頭に、世界的に有名なパリの観光名所がまるで絵葉書のようにスクリーンに続けて映し出され、その後はパリで活躍した著名人のオンパレードですから、パリにそれほど肩入れしていない向きには何と言うこともない作品かもしれません。
でも、こうもあっけらかんとウディ・アレン監督の趣味が映画の中で展開されると、見ている方は実に愉快になってきます。それに、最近も『コンテイジョン』などで活躍振りが窺えるマリオン・コティヤールがアドリアナ役で、『恋とニュースのつくり方』で若々しい魅力を振りまいていたレイチェル・マクアダムスがイネズ役として出演しているのですから堪えられません。
(2)「パリで活躍した著名人」と申し上げましたが、映画に登場する人物のうちフランス人は、画家のマティス、ロートレック、ゴーギャン、それにドガくらいにすぎません(注3)。
他の大部分は外国人なのです。それも、イギリス人のT・S・エリオットや、スペイン人のピカソ、ダリ(注4)、ブニュエルなどを除いては皆アメリカ人です(注5)。
それだけ、往事のパリの盛り場にはアメリカ人が溢れていたのでしょう。
そして、その頃のパリのアメリカ人はすこぶる元気だったことでしょう。
ですが、その中心人物の一人スコット・フィッツジェラルドは、1931年に発表した短編『バビロン再訪』で、当時のことを酷く苦い思い出として描き出しています。
例えば、主人公のチャーリーが、3年ぶりにパリのリッツ・ホテルを訪れると、バーのマスターのポールが挨拶にやってきます。
「「すっかり変わっちまいました」淋しそうにポールは言った。「今じゃ昔の半分くらいしか商売がございませんからね。アメリカに帰って何もかもなくした方もずいぶんいらっしゃるそうじゃありませんか。最初の暴落で助かった方も、二度目の奴でやられたらしいですね。お友達のジョ-ジ・ハートさん、あの方も一セント残らず、きれいになくしなさったとかって。あなたもアメリカに帰ってらしたんですか?」……」〔『フィツジェラルド短編集』(野崎孝訳、新潮文庫P.279)〕。
フィッツジェラルドに心酔しているはずのギルだったら、大恐慌後のフィッツジェラルドの行動や心情をよくわかっているに違いありません。なのに、どうしてギルは、浮ついた気分に浸っているパリのフィッツジェラルド(注6)ばかりを夢見てしまうのでしょうか?おまけに、ギルの雰囲気からすれば、フィッツジェラルドのようにどんちゃん騒ぎを好むようにも見受けません(注7)。
映画は、ギルの夢が覚めないままで終わることになります(注8)。
(3)渡まち子氏は、「華やかなパリとその周辺の観光スポットをたっぷりと取り込みながら、それを物語に絶妙に生かす美技に酔いしれるのは、観客にとって至福だ。クセがあるコメディ・センスと大量のセリフ、皮肉と自虐が満載のアレンの作品は、見る人を選ぶ。だが本作は、アレン初心者にも優しい、ソフトな作りなので、安心して楽しんでほしい」として80点をつけています。
(注1)ご大層なタイムスリップというよりも、むしろ主人公が常日頃から見たかった夢を見たといったところでしょうか。
その意味で、酷く飛躍はしますが、つい最近見ました『あんてるさんの花』で描かれている幻と同じことになるのではないでしょうか?あるいは、『あんてるさんの花』において睡眠導入剤ともなっている「忘れろ草」に相当するのが、本作における真夜中0時の鐘の音なのかもしれません。
(注2)ポールは、ロダンの「考える人」のところでロダンにかかる蘊蓄を披露したところ、ロダン美術館のガイドに間違いを指摘されてしまいますが、このガイドに扮しているのが、なんと先のフランス大統領サルコジ氏夫人のカーラ・ブルーニ。
(注3)マティスを除く3人は、むしろベル・エポックの時代に該当します。
なお、本ブログでは、ゴーギャンについてこのエントリで、ドガについてはこのエントリで触れています。
(注4)ダリに扮しているのは、『戦場のピアニスト』(2002年)で著名なエイドリアン・ブロディ。彼は、このブログで取り上げています『キャデラック・レコード』の主役を演じています。
なお、本ブログでは、このエントリでダリについて触れています。
(注5)本作に登場しない著名人としては、例えばジェ-ムス・ジョイスとか藤田嗣治でしょうか。
(注6)『バビロン再訪』の主人公チャーリーと作者のフィッツジェラルドとを軽々に同一視することはできませんが、好況の時のチャーリーは、「1曲演奏させるためだけにオーケストラに千フラン紙幣を何枚も与えたり、タクシーを呼ばせるためにドアマンに百フラン紙幣を何回もつかませたり」したとされています(新潮文庫P.249)。
(注7)フィッツジェラルドが、小説で行き詰まってからハリウッドの売れない脚本家になったのとは逆に、ギルは脚本家として成功してから小説家になろうとしているというように、ギルはフィッツジェラルドとは逆向きのベクトルを持たせられているようです(もっと言えば、ヘミングウェイの『移動祝祭日』の「鷹は与えない」で描かれるフィッツジェラルドの妻ゼルダは、下記の「注8」で触れますガブリエルとは対極的な人物であったようです)。
さらに、本作とフィッツジェラルドとの関係については、興味深い点があります。一方で「ニューヨークこそが私の故郷なんだ」と言いつつも〔『マイ・ロスト・シティ』(村上春樹訳、中央公論新社)P.251〕、他方で一家を挙げて何度もパリへ大旅行しているフィッツジェラルドと同じように、ウディ・アレン監督は、一方で「もちろん僕はニューヨークを贔屓にするけど、それは僕があそこで生まれ育ったからだ」と言いつつ、他方で「もしニューヨークに住んでいなかったとしたら、僕が一番愛する街はパリだよ」とも言っています(劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」)。
(注8)友人のポールと寝てしまった婚約者イネズと分かれてギルはパリに残ることにし、アレクサンドル三世橋を歩いていると、アンティークショップで働くガブリエル(レア・セドゥー)と再会し(コール・ポーターのレコードが店に置いてあったことから、ギルは彼女に一度出会っています)、一緒に連れ立って雨の中を歩いて行きます。きっと二人は結ばれることでしょう。
これでギルはパリに“移住”することになるでしょうが、フィッツジェラルドの方は、はたしてフランスに“移住”しているのでしょうか?
というのも、劇場用パンフレットに掲載されている「主人公ギルが真夜中のパリで出会う芸術家たち」という記事において、フィッツジェラルドにつき「1924~30年まで、ゼルダと娘とともにフランスへ移住する」とあるからですが。
そこで、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』(村上春樹著訳、中央公論新社、2007年)に掲載の「スコット・フィッツジェラルド年譜」から、ヨーロッパ関係の事柄を拾い出してみると、あらまし次のようです。
・1921年……5月、ゼルダとフランス等に旅行し、7月帰国。
・1924年……4月、一家で2度目のヨーロッパへ(翌年12月、帰国)。
・1928年……4月、3度目のヨーロッパへ。9月帰国。
・1929年……5月、またもヨーロッパに移り住む(1931年9月、帰国)。
これからすると、スコット・フィッツジェラルドは、1921年から10年ほどの間に断続的に4回ヨーロッパに旅行するところ、1924年と1929年の場合は、1年9ヶ月と2年5ヶ月というようにかなり長期のものでしたが、でもどの旅行もアメリカに帰国していますから、全体として“移住”とまではいえないのではないか、少なくとも「1924~30年まで、ゼルダと娘とともにフランスへ移住する」との表現は誤解を招くのではないか、と思います(むろん、“移住”の意味の取り方次第でしょうが)。
★★★★☆
象のロケット:ミッドナイト・イン・パリ
(1)昨年の『人生万歳!』をはじめとして、これまで何本も見ているウディ・アレン監督作品というので、だいぶ遅れてしまいましたが映画館に足を運びました。
本作は実に他愛ない内容で、1920年代のパリを熱烈に愛するアメリカの青年が、婚約者とパリを訪れたところ、その当時のパリにタイムスリップし(注1)、憧れのフィッツジェラルド夫妻などと会ったりして、結局はパリに居着くことになるというものです。
でも、それでは端折りすぎでしょう。
もう少し述べれば、脚本家としてかなりの評価を受けているギル(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)の父親がパリに出張する際に、彼女やその母親共々その出張に同伴します。
というのもギルは、常々パリを、それも特に1920年代のパリを愛しており、いつかはパリに移住したいとまで考えているからです。さらには、これまでの脚本家としての生活に虚しさを覚えていて、小説家への転身を図るべく現在処女作の執筆中というわけです。
他方、婚約者のイネズはごく普通の女性、パリの名所旧跡を尋ね回りたいギルとは違って、宝石店とか家具店を探し回りたくてうずうずしています。
そんなところに、彼女の男友達ポ-ル(マイケル・シーン)もパリにガールフレンドを連れてやってきていて、彼女と偶然に出会うことに。彼は、半可通を絵に描いたような男、様々な事柄について持てる知識を披瀝しますが、細部になるとデタラメのようです(注2)。
そんなこんなで疲れ果てたギルが真夜中のパリを独りで歩いていると、クラシックカーが突然現れ、彼を乗せてパーティー会場に案内してしまいます。
会場に入ると、ナントそこでは1920年代に活躍した著名人が犇めいているのです。そこには憧れのスコット・フィッツジェラルド(トム・ヒドルストン)が妻ゼルダ(アリソン・ピル)といるではありませんか!
スコットに自分も小説を書いていると明かすと、彼はギルをガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)に引き合わせます。
話はとんとん拍子に進み、ギルは、自分の書いている小説の批評をガートルードに頼む一方で、その場にいたパブロ・ピカソの恋人アドリアナ(マリオン・コティヤール)に一目惚れしてしまいます。
さあ、ギルの運命はどうなることでしょう、アドリアナとの恋の行方は、婚約者イネズとの関係は、……?
冒頭に、世界的に有名なパリの観光名所がまるで絵葉書のようにスクリーンに続けて映し出され、その後はパリで活躍した著名人のオンパレードですから、パリにそれほど肩入れしていない向きには何と言うこともない作品かもしれません。
でも、こうもあっけらかんとウディ・アレン監督の趣味が映画の中で展開されると、見ている方は実に愉快になってきます。それに、最近も『コンテイジョン』などで活躍振りが窺えるマリオン・コティヤールがアドリアナ役で、『恋とニュースのつくり方』で若々しい魅力を振りまいていたレイチェル・マクアダムスがイネズ役として出演しているのですから堪えられません。
(2)「パリで活躍した著名人」と申し上げましたが、映画に登場する人物のうちフランス人は、画家のマティス、ロートレック、ゴーギャン、それにドガくらいにすぎません(注3)。
他の大部分は外国人なのです。それも、イギリス人のT・S・エリオットや、スペイン人のピカソ、ダリ(注4)、ブニュエルなどを除いては皆アメリカ人です(注5)。
それだけ、往事のパリの盛り場にはアメリカ人が溢れていたのでしょう。
そして、その頃のパリのアメリカ人はすこぶる元気だったことでしょう。
ですが、その中心人物の一人スコット・フィッツジェラルドは、1931年に発表した短編『バビロン再訪』で、当時のことを酷く苦い思い出として描き出しています。
例えば、主人公のチャーリーが、3年ぶりにパリのリッツ・ホテルを訪れると、バーのマスターのポールが挨拶にやってきます。
「「すっかり変わっちまいました」淋しそうにポールは言った。「今じゃ昔の半分くらいしか商売がございませんからね。アメリカに帰って何もかもなくした方もずいぶんいらっしゃるそうじゃありませんか。最初の暴落で助かった方も、二度目の奴でやられたらしいですね。お友達のジョ-ジ・ハートさん、あの方も一セント残らず、きれいになくしなさったとかって。あなたもアメリカに帰ってらしたんですか?」……」〔『フィツジェラルド短編集』(野崎孝訳、新潮文庫P.279)〕。
フィッツジェラルドに心酔しているはずのギルだったら、大恐慌後のフィッツジェラルドの行動や心情をよくわかっているに違いありません。なのに、どうしてギルは、浮ついた気分に浸っているパリのフィッツジェラルド(注6)ばかりを夢見てしまうのでしょうか?おまけに、ギルの雰囲気からすれば、フィッツジェラルドのようにどんちゃん騒ぎを好むようにも見受けません(注7)。
映画は、ギルの夢が覚めないままで終わることになります(注8)。
(3)渡まち子氏は、「華やかなパリとその周辺の観光スポットをたっぷりと取り込みながら、それを物語に絶妙に生かす美技に酔いしれるのは、観客にとって至福だ。クセがあるコメディ・センスと大量のセリフ、皮肉と自虐が満載のアレンの作品は、見る人を選ぶ。だが本作は、アレン初心者にも優しい、ソフトな作りなので、安心して楽しんでほしい」として80点をつけています。
(注1)ご大層なタイムスリップというよりも、むしろ主人公が常日頃から見たかった夢を見たといったところでしょうか。
その意味で、酷く飛躍はしますが、つい最近見ました『あんてるさんの花』で描かれている幻と同じことになるのではないでしょうか?あるいは、『あんてるさんの花』において睡眠導入剤ともなっている「忘れろ草」に相当するのが、本作における真夜中0時の鐘の音なのかもしれません。
(注2)ポールは、ロダンの「考える人」のところでロダンにかかる蘊蓄を披露したところ、ロダン美術館のガイドに間違いを指摘されてしまいますが、このガイドに扮しているのが、なんと先のフランス大統領サルコジ氏夫人のカーラ・ブルーニ。
(注3)マティスを除く3人は、むしろベル・エポックの時代に該当します。
なお、本ブログでは、ゴーギャンについてこのエントリで、ドガについてはこのエントリで触れています。
(注4)ダリに扮しているのは、『戦場のピアニスト』(2002年)で著名なエイドリアン・ブロディ。彼は、このブログで取り上げています『キャデラック・レコード』の主役を演じています。
なお、本ブログでは、このエントリでダリについて触れています。
(注5)本作に登場しない著名人としては、例えばジェ-ムス・ジョイスとか藤田嗣治でしょうか。
(注6)『バビロン再訪』の主人公チャーリーと作者のフィッツジェラルドとを軽々に同一視することはできませんが、好況の時のチャーリーは、「1曲演奏させるためだけにオーケストラに千フラン紙幣を何枚も与えたり、タクシーを呼ばせるためにドアマンに百フラン紙幣を何回もつかませたり」したとされています(新潮文庫P.249)。
(注7)フィッツジェラルドが、小説で行き詰まってからハリウッドの売れない脚本家になったのとは逆に、ギルは脚本家として成功してから小説家になろうとしているというように、ギルはフィッツジェラルドとは逆向きのベクトルを持たせられているようです(もっと言えば、ヘミングウェイの『移動祝祭日』の「鷹は与えない」で描かれるフィッツジェラルドの妻ゼルダは、下記の「注8」で触れますガブリエルとは対極的な人物であったようです)。
さらに、本作とフィッツジェラルドとの関係については、興味深い点があります。一方で「ニューヨークこそが私の故郷なんだ」と言いつつも〔『マイ・ロスト・シティ』(村上春樹訳、中央公論新社)P.251〕、他方で一家を挙げて何度もパリへ大旅行しているフィッツジェラルドと同じように、ウディ・アレン監督は、一方で「もちろん僕はニューヨークを贔屓にするけど、それは僕があそこで生まれ育ったからだ」と言いつつ、他方で「もしニューヨークに住んでいなかったとしたら、僕が一番愛する街はパリだよ」とも言っています(劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」)。
(注8)友人のポールと寝てしまった婚約者イネズと分かれてギルはパリに残ることにし、アレクサンドル三世橋を歩いていると、アンティークショップで働くガブリエル(レア・セドゥー)と再会し(コール・ポーターのレコードが店に置いてあったことから、ギルは彼女に一度出会っています)、一緒に連れ立って雨の中を歩いて行きます。きっと二人は結ばれることでしょう。
これでギルはパリに“移住”することになるでしょうが、フィッツジェラルドの方は、はたしてフランスに“移住”しているのでしょうか?
というのも、劇場用パンフレットに掲載されている「主人公ギルが真夜中のパリで出会う芸術家たち」という記事において、フィッツジェラルドにつき「1924~30年まで、ゼルダと娘とともにフランスへ移住する」とあるからですが。
そこで、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』(村上春樹著訳、中央公論新社、2007年)に掲載の「スコット・フィッツジェラルド年譜」から、ヨーロッパ関係の事柄を拾い出してみると、あらまし次のようです。
・1921年……5月、ゼルダとフランス等に旅行し、7月帰国。
・1924年……4月、一家で2度目のヨーロッパへ(翌年12月、帰国)。
・1928年……4月、3度目のヨーロッパへ。9月帰国。
・1929年……5月、またもヨーロッパに移り住む(1931年9月、帰国)。
これからすると、スコット・フィッツジェラルドは、1921年から10年ほどの間に断続的に4回ヨーロッパに旅行するところ、1924年と1929年の場合は、1年9ヶ月と2年5ヶ月というようにかなり長期のものでしたが、でもどの旅行もアメリカに帰国していますから、全体として“移住”とまではいえないのではないか、少なくとも「1924~30年まで、ゼルダと娘とともにフランスへ移住する」との表現は誤解を招くのではないか、と思います(むろん、“移住”の意味の取り方次第でしょうが)。
★★★★☆
象のロケット:ミッドナイト・イン・パリ
20回以上は行っているパリ中毒ではあり
ます。
冒頭でTVなどでも見慣れた実物よりきれい
に見える名所の紹介はタイトルクレジット
からして従来のアレン映画とは違うが、
確かに行ったことのない人にもトップシーン
から気分が良くなり映画に引き込む効果は
十分あるでしょう。僕も十分以上に楽しく
見ることはできたが、特に評価はしません。
ただネットなどをちょっと見た感じでは
(ここも含め)なぜかあまり触れられて
いないのですが僕が見ながら思い出したのは
ジェラール・フィリップの『夜ごとの美女』
です。つまり、どの時代に行ってもその時代
の人は“昔はよかった”と感じているという
こと。
もう1つ、最近『ラム・ダイアリー』で
主人公たちのいい加減な“どんちゃん騒ぎ”
を見ていて20年代の“パリのアメリカ人”
たちも恐らく多くの人からは軽蔑されるべき
人間だったろうなということ。
最後に僕の記憶は不確かだがラストに再会
する橋はポン・ヌフではなくアレクサンドル
三世橋です。
おっしゃるように、「どの時代に行ってもその時代の人は“昔はよかった”と感じている」のでしょうし、「20年代の“パリのアメリカ人”たちも恐らく多くの人からは軽蔑されるべき人間だった」ことも間違いないでしょう。
ですから、この映画で描かれているのはギルの妄想でしょうし、ひいてはウディ・アレン監督の妄想なのでしょうが、これだけ著名人が集まっていれば、世紀末のウィーン(クリムト、マーラー、ウィトゲンシュタイン、┅┅┅)と同じように、ちょっとはその様子をのぞきたくもなってくるところです。
なお、「ポンヌフ」は「アレクサンドル三世橋」に改めました。貴重なご指摘ありがとうございます。
ある意味で再び映画を見る環境ができて週10本近く見ているのですが、
鬱期というほどでもないが何となくコメントする気にまでならず…
ちなみに映画で有名人たちと会うレストランPolidorは1845年開業の大衆食堂です。
僕は2回しか行ってないが実際に内部でも撮影しているようですが、
さすがに装飾や調度品は少し違うように思います。
建物は1748年建造で店の2階から上は1つ星のホテルで僕の80年代の定宿でした。
1ヶ月滞在したこともありますが言うまでもなくエレベーターはおろかTVも電話も
なく木枠丸出しで床板がギシギシ。僕が使う部屋にはシャワーもトイレもありません。
ガートルードのサロンがメインでシルヴィア・ビーチの Shakespear And Company
(現在は2代目で場所も違う)は一瞬しか映らなかったが英語専門の書店で常連は
登場人物とほとんど同じです。
この書店は万引き自由(??)で横の階段を登って勝手にコーヒーを作り集まっている
人たちと雑談したりできます(ベッドも用意されています)。
大昔なぜか僕も店主のホイットマン氏に無理矢理(?)連れ込まれました。
そんなこんなで色々懐かしい場所もあり昔は真剣に移住したいと思ってもいたし十分満足はできました。
加えて、レストランPolidorとか英語専門の書店Shakespear And Company とかについての実に興味深いお話、誠にありがとうございます。
やっぱりパリは「移住」を考えてしまうような街なのですね!
私的にはかなり好みで楽しめました
アレン監督らしいというか
もっと この時代の人々を知っていれば
より楽しめたかもしれないですね
クマネズミ先生はじめ、お詳しい解説・解析拝聴でき感謝感激、感嘆です。この話で、立派な、大学の講座ができますよね。
ああパリに行きたい!(たった1回・1泊のみ・涙)
単純に(予想以上に)楽しんだほうです、スクリーンでのパリ旅行。歴史越えてのお洒落な趣向♪
それで、、最後に再会していい感じになりそうな彼女ですが、これって、ジェーン・バーキン想定では?と思ったのは私だけ?
アレン氏の趣味ではなかったか?(苦笑)
キャシー・ベイツに改めて惹かれ、主要出演作を復習できたのも大きなオマケ、よかったです。マリオンによる「ピアフ」も同様。
クマネズミは、自分の力不足から、周辺的なことをいろいろ調べてみたに過ぎませんが、英語が堪能なスミレさんでしたら、さぞかし本作を隅々まで楽しまれたことでしょう!
それにしても、あの訳が分からない『右側に気をつけろ』のジェーン・バーキンを思いつかれるとは、さすがだなと思いました。
ただ、ガブリエルに扮したレア・セドゥーが、実年齢よりも随分と若く見えるということでしょうか?
また、逆に、『Mi:4』で金髪の女殺し屋セイバイン・モローに扮したレア・セドゥーが実年齢よりも老けて見えるということでしょうか?
いずれにしても、映画の撮影時の実年齢は25歳くらいだったのではと考えられるところです。
MI4のセドゥーは24,5くらいでしょうねろ、確かに(あまり若いエージェントってのも嘘くさいから)