『ブラック・ブレッド』を銀座テアトルシネマで見ました。
(1)物語の舞台は、1940年代のフランコ政権下のスペイン・カタルーニャ地方(注1)。
映画は、馬車を牽く男ディオニスが何者かに殺され、その子供クレットが乗る馬車が馬もろとも高い崖から突き落とされるところから始まります。
この有様を見ていた11歳の少年アンドレウが主人公。アンドレウは、死ぬ間際のクレットが「ピトルリウア」(洞窟にすむ怪物に子供たちがつけた名前)と口にするのを聞き取ります。
ところが、その怪物が引き起こしたとされていた事件の犯人として、アンドレウの父親ファリオルが警察当局に睨まれ、父親は姿を消します。
ただ、母親フロレンシアは、父親が、殺されたディオニスと一緒に反政府的左翼運動に加わっていたがために、こうした事件に巻き込まれたのだと説明します。
そして、父親の失踪で生活に困った母親は、アンドレウを祖母の家で引き取ってもらいますが、アンドレウはそこで奔放な従妹ヌリアを知ります。
また、あろうことかフランスに逃げたはずの父親とも出会ってしまうのです。
祖母の家に隠れ住んでいた父親は、結局、警察当局に探し出され連行されてしまいますが、その際に父親はアンドレウに「マヌベンス夫人に頼め」と言い残します。
マヌベンス夫人とは?ここらあたりから、事件は違った様相を呈し始め、アンドレウはその中で翻弄されていきます。いったいどうなるのでしょうか、……?
多感な11歳の少年が思いがけない事件に巻き込まれ、次第にその真相がわかるにつれて、彼の家族の真実の姿も明らかになってきます(注2)。それらをすべて自分でしっかりと見て把握しようとする少年アンドレウ(フランセス・クルメ)の大きな目がとても印象的でした。
(2)そんなところから、以前見たアルゼンチン映画『瞳は静かに』を思い出しました。
その映画は軍事政権下のアルゼンチンが舞台で、主人公の少年アンドレスは8歳と、本作のアンドレウよりも若干幼いものの、本作のアンドレウと同じように、身近なところで何が行われているのか、彼の周囲の大人たちがそれにどのように関与しているのかが、瞳を凝らして見ているうちに分かってきてしまい(アンドレスが夜中に起きて、寝室の窓から、隣の駐車場で行われている出来事を見ているシーンが印象的です)(注3)、ラストの方では世の中を大層冷淡に捉えるようになっています。
片やフランコ政権下のスペイン、片や軍事政権下のアルゼンチン、というように時代も舞台も異なっていますが、同じスペイン語の世界で同じような感じの映画が製作されているという点は、大層興味深いことだなと思いました。
さらに、アンドレスの母親は夫と折り合いが悪く、反軍事政権派の男性と付き合っているところ、秘密警察の拷問を受けて運び込まれた女性の姿を見て、ショックを受けて病院を飛び出したところ、車に撥ねられて死んでしまい、また付き合っていた男も、秘密警察によって殺されてしまったようです。本作のアンドレウの父親も、次の(3)で申しあげるように当局に処刑されるようですから、内容的にもかなり両作は類似していると言えそうです。
ですが、本作のアンドレウの両親の場合、左翼運動に関与したがために村八分的な目に遭ってきたとされる背後に、もっと別の事情のあることが次第に分かってくるのです(注4)。
そんな観点からすれば、むしろ同じアルゼンチン映画の『瞳の奥の秘密』のように、最初の謎の背後にさらなる謎が隠されていたということになるのかもしれません。
(3)また本作は、全体としてとても暗い描写ばかり続きますが、気になった場面の一つに、当局に捕まった父親との面会が許可されアンドレウが母親と一緒に面会室に入る直前に、スペイン独特の鉄環絞首刑で処刑された囚人とその椅子が、遠景としてぼんやりと映し出されるシーンがあります(注5)。
父親の言葉からばかりでなく、こうしたシーンからも、父親がやがて処刑される運命だとわかります。
本作では、実際に父親が処刑される場面は描かれてはおりませんが、スペインでは1978年に死刑制度が廃止されたものの、本作の時代設定はフランコ政権下とされますから、ありうることだと思われます。
なお、2007年の『サルバドールの朝』(DVDで見ました)は、スペイン最後の死刑を描いた映画で、恩赦の願いも空しく主人公は鉄環絞首台(ガローテ)で処刑されてしまいますが(注6)、こうしたシーンを見るたびに(注7)、死刑制度の存廃について考えてしまいます(注8)。
(4)渡まち子氏は、「嘘と欺瞞に時代の闇が重なるダーク・ミステリー「ブラック・ブレッド」。閉塞的な村社会の闇を子供の視点から描く物語にゾッとする」として70点をつけています。
(注1)ほぼ同時期を描いたものとして『ペーパーバード』を見たことがあります。
(注2)その結果、アンドレウはついに母親を拒否するようになりますが、寄宿学校の面会に出向いた母親が、アンドレウから「もうこなくていい」と言われ淋しく立ち去る姿は、邦画『KOTOKO』において、母親が見守る精神病院の窓に向かって滑稽な仕草をして帰って行く琴子の息子・大二郎の姿(母子の将来を感じさせます)とは対極的な感じを受けてしまいました。
(注3)アンドレスの場合、まだ性に対する関心は薄いのですが、本作のアンドレウの場合は、両親の性的行為とか、母親が町長に暴行されるところ、それに従妹のヌリアが裸で窓辺に立っている姿などを目にすることになります。
(注4)アンドレウの父親は、ディオニスと一緒になってマヌベンス夫人の弟ペレと関係を持った男に対して陰惨なリンチを加えたことがあり、その事実を隠すために(背後に、マヌベンス夫人の要請があったようです)、どうやらディオニスを殺害してしまったようなのです。
父親は、黙って処刑される代わりに、アンドレウの面倒を見てくれるようマヌベンス夫人に要求します(アンドレウは、マヌベンス夫人の養子となって大学までの学費を出してもらうことになります)。
(注5)もしかしたら、鉄環を使った拷問がなされているだけなのかもしれませんが。
(注6)この映画では、看守が主人公サルバドール(ダニエル・ブリュール)と次第に心を通わせるようになりますが、他方、邦画の『休暇』では、休暇が欲しいために、死刑執行の際に落ちてくる身体を受け止める“支え役”を志願する刑務官(小林薫)の姿が描かれています。
(注7)これまでも映画では、各種の処刑場面がいろいろと描き出されてきました。
中でも印象に残るのは、例えば、『グリーンマイル』における電気椅子シーン、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の絞首刑シーン、最近では『トゥルー・グリット』の最初の方で描かれる公開処刑の有様とか、『再生の朝に』の銃殺刑(寸前で止められますが)などでしょうか。
(注8)こんな場所で申しあげるのは甚だ場違いながら、言うまでもなく、悲惨な目に遭遇した被害者の遺族からすれば議論の余地はないでしょうし、また死刑制度の存置によって、殺人という重大な犯罪行為に対し抑制効果が働く側面は否めないものと考えられます(殺人罪以外にも内乱罪などに対して死刑が適用される可能性がありますが、戦後適用された事例はないので、ここでは考えておりません)。
でも、国家によって認められた殺人行為である戦争が憲法によって禁止されている我が国においては、やはりもう一つの公認された殺人行為である死刑制度も廃止の方向で検討すべきではないかと考えられるところです。
なお、死刑制度廃止国と存置国の数については、例えばこのサイトに記載があるところ、死刑廃止国が世界のほぼ3/4を占める状況となっているものの、死刑廃止国総数は2008年と比べ2010年は4カ国減少しているとのことです。
★★★★☆
象のロケット:ブラック・ブレッド
(1)物語の舞台は、1940年代のフランコ政権下のスペイン・カタルーニャ地方(注1)。
映画は、馬車を牽く男ディオニスが何者かに殺され、その子供クレットが乗る馬車が馬もろとも高い崖から突き落とされるところから始まります。
この有様を見ていた11歳の少年アンドレウが主人公。アンドレウは、死ぬ間際のクレットが「ピトルリウア」(洞窟にすむ怪物に子供たちがつけた名前)と口にするのを聞き取ります。
ところが、その怪物が引き起こしたとされていた事件の犯人として、アンドレウの父親ファリオルが警察当局に睨まれ、父親は姿を消します。
ただ、母親フロレンシアは、父親が、殺されたディオニスと一緒に反政府的左翼運動に加わっていたがために、こうした事件に巻き込まれたのだと説明します。
そして、父親の失踪で生活に困った母親は、アンドレウを祖母の家で引き取ってもらいますが、アンドレウはそこで奔放な従妹ヌリアを知ります。
また、あろうことかフランスに逃げたはずの父親とも出会ってしまうのです。
祖母の家に隠れ住んでいた父親は、結局、警察当局に探し出され連行されてしまいますが、その際に父親はアンドレウに「マヌベンス夫人に頼め」と言い残します。
マヌベンス夫人とは?ここらあたりから、事件は違った様相を呈し始め、アンドレウはその中で翻弄されていきます。いったいどうなるのでしょうか、……?
多感な11歳の少年が思いがけない事件に巻き込まれ、次第にその真相がわかるにつれて、彼の家族の真実の姿も明らかになってきます(注2)。それらをすべて自分でしっかりと見て把握しようとする少年アンドレウ(フランセス・クルメ)の大きな目がとても印象的でした。
(2)そんなところから、以前見たアルゼンチン映画『瞳は静かに』を思い出しました。
その映画は軍事政権下のアルゼンチンが舞台で、主人公の少年アンドレスは8歳と、本作のアンドレウよりも若干幼いものの、本作のアンドレウと同じように、身近なところで何が行われているのか、彼の周囲の大人たちがそれにどのように関与しているのかが、瞳を凝らして見ているうちに分かってきてしまい(アンドレスが夜中に起きて、寝室の窓から、隣の駐車場で行われている出来事を見ているシーンが印象的です)(注3)、ラストの方では世の中を大層冷淡に捉えるようになっています。
片やフランコ政権下のスペイン、片や軍事政権下のアルゼンチン、というように時代も舞台も異なっていますが、同じスペイン語の世界で同じような感じの映画が製作されているという点は、大層興味深いことだなと思いました。
さらに、アンドレスの母親は夫と折り合いが悪く、反軍事政権派の男性と付き合っているところ、秘密警察の拷問を受けて運び込まれた女性の姿を見て、ショックを受けて病院を飛び出したところ、車に撥ねられて死んでしまい、また付き合っていた男も、秘密警察によって殺されてしまったようです。本作のアンドレウの父親も、次の(3)で申しあげるように当局に処刑されるようですから、内容的にもかなり両作は類似していると言えそうです。
ですが、本作のアンドレウの両親の場合、左翼運動に関与したがために村八分的な目に遭ってきたとされる背後に、もっと別の事情のあることが次第に分かってくるのです(注4)。
そんな観点からすれば、むしろ同じアルゼンチン映画の『瞳の奥の秘密』のように、最初の謎の背後にさらなる謎が隠されていたということになるのかもしれません。
(3)また本作は、全体としてとても暗い描写ばかり続きますが、気になった場面の一つに、当局に捕まった父親との面会が許可されアンドレウが母親と一緒に面会室に入る直前に、スペイン独特の鉄環絞首刑で処刑された囚人とその椅子が、遠景としてぼんやりと映し出されるシーンがあります(注5)。
父親の言葉からばかりでなく、こうしたシーンからも、父親がやがて処刑される運命だとわかります。
本作では、実際に父親が処刑される場面は描かれてはおりませんが、スペインでは1978年に死刑制度が廃止されたものの、本作の時代設定はフランコ政権下とされますから、ありうることだと思われます。
なお、2007年の『サルバドールの朝』(DVDで見ました)は、スペイン最後の死刑を描いた映画で、恩赦の願いも空しく主人公は鉄環絞首台(ガローテ)で処刑されてしまいますが(注6)、こうしたシーンを見るたびに(注7)、死刑制度の存廃について考えてしまいます(注8)。
(4)渡まち子氏は、「嘘と欺瞞に時代の闇が重なるダーク・ミステリー「ブラック・ブレッド」。閉塞的な村社会の闇を子供の視点から描く物語にゾッとする」として70点をつけています。
(注1)ほぼ同時期を描いたものとして『ペーパーバード』を見たことがあります。
(注2)その結果、アンドレウはついに母親を拒否するようになりますが、寄宿学校の面会に出向いた母親が、アンドレウから「もうこなくていい」と言われ淋しく立ち去る姿は、邦画『KOTOKO』において、母親が見守る精神病院の窓に向かって滑稽な仕草をして帰って行く琴子の息子・大二郎の姿(母子の将来を感じさせます)とは対極的な感じを受けてしまいました。
(注3)アンドレスの場合、まだ性に対する関心は薄いのですが、本作のアンドレウの場合は、両親の性的行為とか、母親が町長に暴行されるところ、それに従妹のヌリアが裸で窓辺に立っている姿などを目にすることになります。
(注4)アンドレウの父親は、ディオニスと一緒になってマヌベンス夫人の弟ペレと関係を持った男に対して陰惨なリンチを加えたことがあり、その事実を隠すために(背後に、マヌベンス夫人の要請があったようです)、どうやらディオニスを殺害してしまったようなのです。
父親は、黙って処刑される代わりに、アンドレウの面倒を見てくれるようマヌベンス夫人に要求します(アンドレウは、マヌベンス夫人の養子となって大学までの学費を出してもらうことになります)。
(注5)もしかしたら、鉄環を使った拷問がなされているだけなのかもしれませんが。
(注6)この映画では、看守が主人公サルバドール(ダニエル・ブリュール)と次第に心を通わせるようになりますが、他方、邦画の『休暇』では、休暇が欲しいために、死刑執行の際に落ちてくる身体を受け止める“支え役”を志願する刑務官(小林薫)の姿が描かれています。
(注7)これまでも映画では、各種の処刑場面がいろいろと描き出されてきました。
中でも印象に残るのは、例えば、『グリーンマイル』における電気椅子シーン、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の絞首刑シーン、最近では『トゥルー・グリット』の最初の方で描かれる公開処刑の有様とか、『再生の朝に』の銃殺刑(寸前で止められますが)などでしょうか。
(注8)こんな場所で申しあげるのは甚だ場違いながら、言うまでもなく、悲惨な目に遭遇した被害者の遺族からすれば議論の余地はないでしょうし、また死刑制度の存置によって、殺人という重大な犯罪行為に対し抑制効果が働く側面は否めないものと考えられます(殺人罪以外にも内乱罪などに対して死刑が適用される可能性がありますが、戦後適用された事例はないので、ここでは考えておりません)。
でも、国家によって認められた殺人行為である戦争が憲法によって禁止されている我が国においては、やはりもう一つの公認された殺人行為である死刑制度も廃止の方向で検討すべきではないかと考えられるところです。
なお、死刑制度廃止国と存置国の数については、例えばこのサイトに記載があるところ、死刑廃止国が世界のほぼ3/4を占める状況となっているものの、死刑廃止国総数は2008年と比べ2010年は4カ国減少しているとのことです。
★★★★☆
象のロケット:ブラック・ブレッド
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