『ドリーム』をTOHOシネマズ新宿で見ました。
(1)アカデミー賞の作品賞にノミネートされた映画ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、「実話に基づく物語(Based on true events)」の字幕が。
そして、廊下を歩きながら、「14、15、16、素数(17)、18、素数(19)、20 」などと呟いている幼いキャサリンが映し出されます。
場所は、ウエスト・ヴァージニア州のホワイト・サルファー・スプリングス市。時期は1926年。
別室では、小学校の校長でしょうか、「ウエスト・ヴァージニア州立大学付属の高校が、黒人に合った学校としてはベストです」と言うと、キャサリンの親でしょう、「娘はまだ8歳ですよ」と答えます(注2)。
次いで、キャサリンが入学した学校での授業風景。
先生が「この方程式を解いてみて」と黒板に書かれた算式を指差すと、キャサリンが前に進み出て、「2項の積がゼロならば、どちらかの項はゼロですから、…」と言いながら、黒板を使って方程式をどんどん解いてしまい、先生が驚きます。
1961年のヴァージニア州ハンプトン(注3)。
周囲に人家の見えない道路のわきに、車が停まっています。
ドロシー(オクタヴィア・スペンサー)が車の外に出て、あちこち点検しながら「エンジンかけてみて」と言うと、運転席にいて何事か考え事をしていたキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)が、しばらくして「聞こえた」と応じ、エンジンをかけようとしますがかかりません。
ドロシーは「スターターだわ」と言い、メアリー(ジャネール・モネイ)は「こんなに遅刻していたら、解雇される」と嘆きます。
そこへパトカーがやってきます。
警官が「こんなところでエンスト?」と尋ねると、メアリーが「車がここを選んだのです」と答えるものですから、警官は「舐めてるのか?」と怒り出します。
でも、3人がNASAで働いていることがわかると、警官の態度が一変し、「宇宙飛行士に会ったことがあるのか?」などと訊いてきたりし、車が動くようになると、「先導してやるよ、遅刻するんだろう」と申し出て、研究所までパトカーがエスコートすることになります。
画面では、ロケットの打上げのニュース映像。
「離陸は成功」「後は分離だ」「118秒経過」「ブースター分離」「成功だ」「スプートニクが軌道に乗った」などの音声が入ります(注4)。
このニュース映像を見ていたのは、NASAの宇宙特別研究本部の幹部たち。
「忌々しい犬どもめ」と吐き捨てたりします。
彼らのトップ(注5)が、「大統領は、これ以上の遅れは許さない」と皆に言い渡します。
また、本部長のハリソン(ケビン・コスナー)は、「解析幾何学が出来るものがNASAにはいないのか?」と尋ねます。
次の場面は、宇宙特別研究本部が置かれているラングレー研究所の西計算グループの部屋。
大勢の黒人女性が机に向かって、計算する仕事を行っています。
そこに上司のミッチェル(キルスティン・ダンスト)が入ってきて、ドロシーに「解析幾何学が出来る人を探している」と言うと、ドロシーは「キャサリンならうってつけです」と答えます。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあ、これから物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、1960年代初頭、アメリカの有人宇宙飛行計画の実現に大きな貢献をした3人の黒人女性数学者の姿を、実話に基づいて描き出したものです。前回取り上げた『亜人』とは正反対に、本作は、“女性の力、万歳”といった感じです。なにしろ、男性職員ができない難しい計算をやってのけてしまったり、航空宇宙技術士になろうとしたり、出始めのコンピュータの取扱いに精通してしまうのが、皆女性なのですから。この映画のようなハッピーエンドならば、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のようなハッピーエンドよりも、ずっと心が和んできます。
(2)宇宙開発の世界では、いろいろな計算ミスによって大きな損失がもたらされているようです。
例えば、1996年6月に、ESA(欧州宇宙機関)が打ち上げたアリアン5の1号機が打ち上げ後40秒ほどしてから爆発しましたが、原因の一つはオペランド・エラーとされています(注6)。
また、1999年12月には、計算単位が「ヤード・ポンド法」でなされていたのを「メートル法」によるものと誤解していたがため、NASAは火星探査機を失うという事故が起こっています(注7)。
さらには、最近の事例では、2016年3月に、JAXAがX線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」を失った事例があるでしょう。
この事故では、数値の正負を誤って入力したため異常な噴射が起きました(注8)。
これらは、コンピュータ時代に入ってからの事例ですが、それでも数値計算が重要な役割を果たしていることがわかります。
まして、本作のような、コンピュータ時代に入るか入らないかの時期における数値計算は、格段に重要だったように思われます。
本作は、そんな時代にNASAを支えた3人の黒人数学者を取り扱っている作品です。
キャサリンは、早熟の天才であり、解析幾何学に習熟していて、条件が変わった場合に、打ち上げられた宇宙船が地球上のどこに着水するのかたちどころに計算してしまう能力を持っていて、ハリソンに重宝がられます。
ドロシーは、コンピュータがNASAに導入される初期からフォートランを勉強し、同僚の女性らにもコンピュータ時代の到来に対処するようにアドバイスします。
さらに、メアリーは、エンジニアになるために必要だったカリキュラムを、黒人が入れない学校で習得できるよう裁判長を説得して、単位を得ることに成功します。
ただ、本作は、そんな彼女らが挙げた事績だけを描いているのではなく、その人間的な側面をも上手く取り上げています。
例えば、キャサリンとジム(マハーシャラ・アリ)とのラブストーリー。
出会った時に「女にそんな大変な難しそうな仕事をやらせるなんて」と言ってしまってキャサリンを怒らせて失敗してしまうジムながらも、その誠実な人柄で劣勢を挽回して結婚に至る物語は、誠に心を和ませます。
それに、彼らが受けた差別的な扱いも、色々描かれています。
例えば、ドロシーは、管理職になりたいとの希望を、上司のミッチェルから簡単に却下されてしまいますし(注9)、メアリーは、NASAで風洞実験などに携わっていて、エンジニアになりたいとの希望を持っているものの、重大な障害があってそれが難しいようです(注10)。
とはいえ、大層つまらないことながら、一つ疑問が残りました。
本作では、キャサリンが、仕事の途中で、トイレに行くために、書類をたくさん抱えながら、黒人用のトイレが設けられている西計算グループの建物に駆け込む姿が何度も描かれます。
たいそう忙しいにもかかわらず、キャサリンの勤務時間にかなりの空白があるのに気がついたハリソンは、キャサリンに理由を質して、ようやく実状を理解します。
そうして、ハリソンは、「COLORED WOMEN」と書かれていた表示版を叩き壊してしまいます。
ハリソンの行動は、白人としてすごく格好の良いものです。
ですが、そんなことをしたら、キャサリンのような黒人女性が入れるトイレがこの研究所内になくなってしまうだけのことではないでしょうか?
重要なのは、キャサリンが働く建物内にあるトイレの方を黒人が使ってもかまわないようにすることではないかと思われます。
それはともかく、本作のラストでは、キャサリンは、ラングレー研究所に置かれている宇宙特別研究本部でこれまで通り働くことになりますし、ドロシーは計算グループの管理職(「計算室長」)に就任します。また、メアリーも、黒人初の航空宇宙エンジニアになることができます。
これは、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のエンドロールと同じようなハッピーエンドに思えるとはいえ、同作におけるそれは酷く取ってつけた感じなのに対し、本作のそれは十分に納得できるものでした。
(3)渡まち子氏は、「本作は、いくつもの“最初の扉”を開けたアフリカ系アメリカ人の女性たちのチャレンジを痛快なエピソードでテンポ良く描いてみせた快作だ。人種差別や性差別は今も社会にはびこり、アメリカが今までになく不安な時代を迎えている今だからこそ、彼女たちの知的な勇気がより輝いて見える」として80点を付けています。
渡辺祥子氏は、「宇宙飛行士を乗せて飛び立つロケットに黒人女性の誇りと夢を重ね、優れた能力で不遇の時代を切り開く女性たちにエールを送るドラマは、見る者をすがすがしい感動に誘い込む」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
藤原帰一氏は、「差別され、仕事の機会を奪われてきた黒人女性が、自分の力によって活躍の場を見いだしてゆく。ここまで都合よく話が進んでいいものかという気もしますが、都合のいい展開のおかげで幸せな気持ちになるのも事実。生きる元気が湧いてくる映画です」と述べています。
朝日新聞のクロスレビューでは、村上明子氏は「こうやって差別と闘った女性たちがいたから、今の私たちがある。自分たちと地続きの歴史を感じました」、小西未来氏は「「ドリーム」はNASAの宇宙開発史や、人種・女性への差別問題に触れながら、エンターテインメント性もある。新しいタイプの映画だと思います。ファレル・ウィリアムスの音楽も素晴らしい」、森本あんり氏は「この映画の後にも見えない差別の現実は続いていたのです」と述べています。
(注1)監督は、『ヴィンセントが教えてくれたこと』セオドア・メルフィ。
脚本は、セオドア・メルフィ(『ジーサンズ はじめての強盗』の脚本)とアリソン・シュローダー。
原作は、マーゴット・リー・シェタリー著『ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち 』(ハーパーBOOKS)。
なお、本作の邦題については、当初は『ドリーム 私たちのアポロ計画』でしたが、公開にあたっては副題が削除され、単に『ドリーム』となっています。これは、本作で中心的に描かれるのが、アポロ計画の前のマーキュリー計画(そのあいだに、ジェミニ計画があります)ですからある意味で当然とはいえ(尤も、キャサリンは、アポロ計画にも大きく関与しています)、でも『ドリーム』ではなんのことやらさっぱりです。映画の中の3人の数学者は、決して夢を描いていたわけではなく、現実的に着々と地歩を築いています。もう少し、原題の『Hidden Figures』にちなんだものにできないのでしょうか(といって、邦訳の副題「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」では、よくわかるものの、長すぎるかもしれません)?
また、出演者の内、最近では、オクタヴィア・スペンサーは『ヘルプ 心がつなぐストーリー』、ジャネール・モネイとマハーシャラ・アリは『ムーンライト』、キルスティン・ダンストは『アップサイドダウン 重力の恋人』で、それぞれ見ました。
(注2)この記事によれば、当時、同地方では、小学8年生以上の黒人に対しては公的教育が施されておらず(キャサリンは、1926年当時、既に小学6年生だったようです)、それ以上の教育を受けるためには、別の場所の学校に行かざるを得なかったようです。
そして、キャサリンは、10歳で高校に入り、14歳でウエスト・ヴァージニア州立大学に入学しています。
(注3)そこには、NASAのラングレー研究所があります。
(注4)ニュース映像を見ているのが1961年であれば、ガガーリンのボストーク1号に関するものがふさわしいと思われますが、映画ではスプートニクに関するものが取り上げられていたように思います(あるいは、クマネズミの勘違いかもしれません)。
(注5)NASAの副長官のジェームズ・ウェッブだと思われます。
(注6)この記事では、「64ビットの浮動小数点数を16ビットの整数に変換する過程でエラーが生じた」とされています(また、この記事を参照)。
(注7)この記事が参考になります。
(注8)例えば、この記事。より詳しくは、こちら〔「入力する際に負値を正値に直さなければならないところを実施しなかった」「当該作業者は、ツールの使用経験はあったが、本作業は初めてであり、符号を直すことを知らなかった」(『X線天文衛星ASTRO‐H「ひとみ」 異常事象調査報告書』のP.64)〕。
(注9)ドロシーがミッチェルに「管理職へ昇格したい」と告げると、ミッチェルは「黒人グループは管理職に向かない」と答え、さらにドロシーが「前職がいなくなってから1年経っている」「私が、その空白を埋めている」と言っても、ミッチェルは「すべて決まっていることだ」と答えるだけです。
(注10)メアリーがエンジニアの資格を得るためには、一つを除いて十分な経歴を持っていました。その一つというのは、白人しか入れない大学で行われている講座を習得することでした。メアリーは、夜間講座を受けるという条件で裁判長の了解を得て、晴れてその講座に出席することができます。
★★★★☆☆
象のロケット:ドリーム
(1)アカデミー賞の作品賞にノミネートされた映画ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、「実話に基づく物語(Based on true events)」の字幕が。
そして、廊下を歩きながら、「14、15、16、素数(17)、18、素数(19)、20 」などと呟いている幼いキャサリンが映し出されます。
場所は、ウエスト・ヴァージニア州のホワイト・サルファー・スプリングス市。時期は1926年。
別室では、小学校の校長でしょうか、「ウエスト・ヴァージニア州立大学付属の高校が、黒人に合った学校としてはベストです」と言うと、キャサリンの親でしょう、「娘はまだ8歳ですよ」と答えます(注2)。
次いで、キャサリンが入学した学校での授業風景。
先生が「この方程式を解いてみて」と黒板に書かれた算式を指差すと、キャサリンが前に進み出て、「2項の積がゼロならば、どちらかの項はゼロですから、…」と言いながら、黒板を使って方程式をどんどん解いてしまい、先生が驚きます。
1961年のヴァージニア州ハンプトン(注3)。
周囲に人家の見えない道路のわきに、車が停まっています。
ドロシー(オクタヴィア・スペンサー)が車の外に出て、あちこち点検しながら「エンジンかけてみて」と言うと、運転席にいて何事か考え事をしていたキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)が、しばらくして「聞こえた」と応じ、エンジンをかけようとしますがかかりません。
ドロシーは「スターターだわ」と言い、メアリー(ジャネール・モネイ)は「こんなに遅刻していたら、解雇される」と嘆きます。
そこへパトカーがやってきます。
警官が「こんなところでエンスト?」と尋ねると、メアリーが「車がここを選んだのです」と答えるものですから、警官は「舐めてるのか?」と怒り出します。
でも、3人がNASAで働いていることがわかると、警官の態度が一変し、「宇宙飛行士に会ったことがあるのか?」などと訊いてきたりし、車が動くようになると、「先導してやるよ、遅刻するんだろう」と申し出て、研究所までパトカーがエスコートすることになります。
画面では、ロケットの打上げのニュース映像。
「離陸は成功」「後は分離だ」「118秒経過」「ブースター分離」「成功だ」「スプートニクが軌道に乗った」などの音声が入ります(注4)。
このニュース映像を見ていたのは、NASAの宇宙特別研究本部の幹部たち。
「忌々しい犬どもめ」と吐き捨てたりします。
彼らのトップ(注5)が、「大統領は、これ以上の遅れは許さない」と皆に言い渡します。
また、本部長のハリソン(ケビン・コスナー)は、「解析幾何学が出来るものがNASAにはいないのか?」と尋ねます。
次の場面は、宇宙特別研究本部が置かれているラングレー研究所の西計算グループの部屋。
大勢の黒人女性が机に向かって、計算する仕事を行っています。
そこに上司のミッチェル(キルスティン・ダンスト)が入ってきて、ドロシーに「解析幾何学が出来る人を探している」と言うと、ドロシーは「キャサリンならうってつけです」と答えます。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあ、これから物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、1960年代初頭、アメリカの有人宇宙飛行計画の実現に大きな貢献をした3人の黒人女性数学者の姿を、実話に基づいて描き出したものです。前回取り上げた『亜人』とは正反対に、本作は、“女性の力、万歳”といった感じです。なにしろ、男性職員ができない難しい計算をやってのけてしまったり、航空宇宙技術士になろうとしたり、出始めのコンピュータの取扱いに精通してしまうのが、皆女性なのですから。この映画のようなハッピーエンドならば、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のようなハッピーエンドよりも、ずっと心が和んできます。
(2)宇宙開発の世界では、いろいろな計算ミスによって大きな損失がもたらされているようです。
例えば、1996年6月に、ESA(欧州宇宙機関)が打ち上げたアリアン5の1号機が打ち上げ後40秒ほどしてから爆発しましたが、原因の一つはオペランド・エラーとされています(注6)。
また、1999年12月には、計算単位が「ヤード・ポンド法」でなされていたのを「メートル法」によるものと誤解していたがため、NASAは火星探査機を失うという事故が起こっています(注7)。
さらには、最近の事例では、2016年3月に、JAXAがX線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」を失った事例があるでしょう。
この事故では、数値の正負を誤って入力したため異常な噴射が起きました(注8)。
これらは、コンピュータ時代に入ってからの事例ですが、それでも数値計算が重要な役割を果たしていることがわかります。
まして、本作のような、コンピュータ時代に入るか入らないかの時期における数値計算は、格段に重要だったように思われます。
本作は、そんな時代にNASAを支えた3人の黒人数学者を取り扱っている作品です。
キャサリンは、早熟の天才であり、解析幾何学に習熟していて、条件が変わった場合に、打ち上げられた宇宙船が地球上のどこに着水するのかたちどころに計算してしまう能力を持っていて、ハリソンに重宝がられます。
ドロシーは、コンピュータがNASAに導入される初期からフォートランを勉強し、同僚の女性らにもコンピュータ時代の到来に対処するようにアドバイスします。
さらに、メアリーは、エンジニアになるために必要だったカリキュラムを、黒人が入れない学校で習得できるよう裁判長を説得して、単位を得ることに成功します。
ただ、本作は、そんな彼女らが挙げた事績だけを描いているのではなく、その人間的な側面をも上手く取り上げています。
例えば、キャサリンとジム(マハーシャラ・アリ)とのラブストーリー。
出会った時に「女にそんな大変な難しそうな仕事をやらせるなんて」と言ってしまってキャサリンを怒らせて失敗してしまうジムながらも、その誠実な人柄で劣勢を挽回して結婚に至る物語は、誠に心を和ませます。
それに、彼らが受けた差別的な扱いも、色々描かれています。
例えば、ドロシーは、管理職になりたいとの希望を、上司のミッチェルから簡単に却下されてしまいますし(注9)、メアリーは、NASAで風洞実験などに携わっていて、エンジニアになりたいとの希望を持っているものの、重大な障害があってそれが難しいようです(注10)。
とはいえ、大層つまらないことながら、一つ疑問が残りました。
本作では、キャサリンが、仕事の途中で、トイレに行くために、書類をたくさん抱えながら、黒人用のトイレが設けられている西計算グループの建物に駆け込む姿が何度も描かれます。
たいそう忙しいにもかかわらず、キャサリンの勤務時間にかなりの空白があるのに気がついたハリソンは、キャサリンに理由を質して、ようやく実状を理解します。
そうして、ハリソンは、「COLORED WOMEN」と書かれていた表示版を叩き壊してしまいます。
ハリソンの行動は、白人としてすごく格好の良いものです。
ですが、そんなことをしたら、キャサリンのような黒人女性が入れるトイレがこの研究所内になくなってしまうだけのことではないでしょうか?
重要なのは、キャサリンが働く建物内にあるトイレの方を黒人が使ってもかまわないようにすることではないかと思われます。
それはともかく、本作のラストでは、キャサリンは、ラングレー研究所に置かれている宇宙特別研究本部でこれまで通り働くことになりますし、ドロシーは計算グループの管理職(「計算室長」)に就任します。また、メアリーも、黒人初の航空宇宙エンジニアになることができます。
これは、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のエンドロールと同じようなハッピーエンドに思えるとはいえ、同作におけるそれは酷く取ってつけた感じなのに対し、本作のそれは十分に納得できるものでした。
(3)渡まち子氏は、「本作は、いくつもの“最初の扉”を開けたアフリカ系アメリカ人の女性たちのチャレンジを痛快なエピソードでテンポ良く描いてみせた快作だ。人種差別や性差別は今も社会にはびこり、アメリカが今までになく不安な時代を迎えている今だからこそ、彼女たちの知的な勇気がより輝いて見える」として80点を付けています。
渡辺祥子氏は、「宇宙飛行士を乗せて飛び立つロケットに黒人女性の誇りと夢を重ね、優れた能力で不遇の時代を切り開く女性たちにエールを送るドラマは、見る者をすがすがしい感動に誘い込む」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
藤原帰一氏は、「差別され、仕事の機会を奪われてきた黒人女性が、自分の力によって活躍の場を見いだしてゆく。ここまで都合よく話が進んでいいものかという気もしますが、都合のいい展開のおかげで幸せな気持ちになるのも事実。生きる元気が湧いてくる映画です」と述べています。
朝日新聞のクロスレビューでは、村上明子氏は「こうやって差別と闘った女性たちがいたから、今の私たちがある。自分たちと地続きの歴史を感じました」、小西未来氏は「「ドリーム」はNASAの宇宙開発史や、人種・女性への差別問題に触れながら、エンターテインメント性もある。新しいタイプの映画だと思います。ファレル・ウィリアムスの音楽も素晴らしい」、森本あんり氏は「この映画の後にも見えない差別の現実は続いていたのです」と述べています。
(注1)監督は、『ヴィンセントが教えてくれたこと』セオドア・メルフィ。
脚本は、セオドア・メルフィ(『ジーサンズ はじめての強盗』の脚本)とアリソン・シュローダー。
原作は、マーゴット・リー・シェタリー著『ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち 』(ハーパーBOOKS)。
なお、本作の邦題については、当初は『ドリーム 私たちのアポロ計画』でしたが、公開にあたっては副題が削除され、単に『ドリーム』となっています。これは、本作で中心的に描かれるのが、アポロ計画の前のマーキュリー計画(そのあいだに、ジェミニ計画があります)ですからある意味で当然とはいえ(尤も、キャサリンは、アポロ計画にも大きく関与しています)、でも『ドリーム』ではなんのことやらさっぱりです。映画の中の3人の数学者は、決して夢を描いていたわけではなく、現実的に着々と地歩を築いています。もう少し、原題の『Hidden Figures』にちなんだものにできないのでしょうか(といって、邦訳の副題「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」では、よくわかるものの、長すぎるかもしれません)?
また、出演者の内、最近では、オクタヴィア・スペンサーは『ヘルプ 心がつなぐストーリー』、ジャネール・モネイとマハーシャラ・アリは『ムーンライト』、キルスティン・ダンストは『アップサイドダウン 重力の恋人』で、それぞれ見ました。
(注2)この記事によれば、当時、同地方では、小学8年生以上の黒人に対しては公的教育が施されておらず(キャサリンは、1926年当時、既に小学6年生だったようです)、それ以上の教育を受けるためには、別の場所の学校に行かざるを得なかったようです。
そして、キャサリンは、10歳で高校に入り、14歳でウエスト・ヴァージニア州立大学に入学しています。
(注3)そこには、NASAのラングレー研究所があります。
(注4)ニュース映像を見ているのが1961年であれば、ガガーリンのボストーク1号に関するものがふさわしいと思われますが、映画ではスプートニクに関するものが取り上げられていたように思います(あるいは、クマネズミの勘違いかもしれません)。
(注5)NASAの副長官のジェームズ・ウェッブだと思われます。
(注6)この記事では、「64ビットの浮動小数点数を16ビットの整数に変換する過程でエラーが生じた」とされています(また、この記事を参照)。
(注7)この記事が参考になります。
(注8)例えば、この記事。より詳しくは、こちら〔「入力する際に負値を正値に直さなければならないところを実施しなかった」「当該作業者は、ツールの使用経験はあったが、本作業は初めてであり、符号を直すことを知らなかった」(『X線天文衛星ASTRO‐H「ひとみ」 異常事象調査報告書』のP.64)〕。
(注9)ドロシーがミッチェルに「管理職へ昇格したい」と告げると、ミッチェルは「黒人グループは管理職に向かない」と答え、さらにドロシーが「前職がいなくなってから1年経っている」「私が、その空白を埋めている」と言っても、ミッチェルは「すべて決まっていることだ」と答えるだけです。
(注10)メアリーがエンジニアの資格を得るためには、一つを除いて十分な経歴を持っていました。その一つというのは、白人しか入れない大学で行われている講座を習得することでした。メアリーは、夜間講座を受けるという条件で裁判長の了解を得て、晴れてその講座に出席することができます。
★★★★☆☆
象のロケット:ドリーム
COLOREDのトイレがなくなり、黒人でもどのトイレにも入れるようになったと理解しました。
常識的には、おっしゃるように、そして映画でも描かれているように、「COLOREDのトイレがなくなり、黒人でもどのトイレにも入れるようになった」わけです。
ただ、ひねくれ者のクマネズミは、この研究所がある州の州法には、黒人は「COLORED」の表示があるトイレを使うべしと規定されているのではないか、その規定を変えない限り、「COLORED WOMEN」の表示版が壊されてしまったら、研究所の中にはキャサリンが入れるトイレが一つもないことになってしまうのではないか、と心配してしまいました。
でも、そういう背景が無かったら、3人の待遇は変わったとしても、長い時間がかかったことでしょうね。
いつもTBありがとうございます。
おっしゃるように、「宇宙開発競争と冷戦」がなかったら、「3人の待遇は変わったとしても、長い時間がかかった」かもしれません。
ただ、同じ頃にアメリカでは公民権運動が盛り上がり、1963年にはキング牧師のワシントン大行進が行われ、アメリカ国内の状況も大きく変わりつつあり、国際的な要因ばかりでなく国内的な要因からも、彼女たちの待遇は改善されていったように考えられます(勿論、彼女たちの飛び抜けた才能にも依るのでしょうが)。
しかし、後で考えてみると、ポットにもCOLOREDと貼ったように、白人用に「白人用の看板」は元々なかったのかも知れません。
元々は白人の職場で黒人は後から雇用されるようになったから、ここを黒人用にしよう、なのではないでしょうか。
メアリーも「colored section」がないからどこに座っても良いよね、といってましたし。
白人前提の領域に黒人が入ってきた、のイメージかもしれません。
おっしゃるように、「白人前提の領域に黒人が入ってきた」ということでしょう。
それで、「COLORED WOMEN」の看板を壊してしまうと、ひねくれて考えると、また元と同じように「白人前提の領域」に戻ってしまうのではないか、そうしたらキャサリンはどこへ行けばいいことになるのか、と心配してしまいました。
おそらく、研究所は、一般人が出入りできる公共の場所ではないので、研究所の内部規則で、黒人は度のトイレも使えると定めれば済むのではないかと推測されます(ヴァージニア州では、公共の場所では、専用のトイレしか黒人は使えなかったのではないでしょうか?)。
で、邦題ドリーム、、 はい、全く同感はげしいです! オーバーに言って情けない安直さ です。 彼女たちや作品に対して?申し訳ない思い。 言いやすい だけが取り柄。 別案 捻ってるほど また嵌っております。バンザイです!
おっしゃるように、NASAの研究所の中だけは、誰でもどのトイレでも使えるように内部規則を改めたものと思います。
そういえば、これまたおっしゃるように『ヘルプ』でもトイレ問題が取り上げられていました。
それにしても、それを耳にすれば「ああ、あの映画」とすぐに思い浮かぶようなタイトルを付けてもらいたいものだと思ったところです。
それだけトータルで素晴らしい!
こちらは、ブログタイトルに「音楽的」とうたっておきながら、素晴らしい音楽については何一つ言及せずにいて、お恥ずかしい限りです。