映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

海よりもまだ深く

2016年05月27日 | 邦画(16年)
 『海よりもまだ深く』を渋谷シネパレスで見ました。

(1)『海街diary』の是枝裕和監督の作品ということで、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の初めの方では、団地で一人暮らしをする母親・淑子樹木希林)の元にやってきた長女・千奈津小林聡美)が、母親に「友だちを作りなって」と言うと、淑子は「そんなものを作っても、葬式に出る人数が増えるだけ」と応じます。



 また、千奈津が近所で引っ越した人に触れると、淑子は「長男が家を買ったんだって。大器晩成よ」と応えますが、千奈津は「うちにも大器がいる」と皮肉ります。

 その皮肉られた長男の良多阿部寛)は、別の日に、西武鉄道の清瀬駅で電車を降りて、駅中のソバ屋に入った後、北口に出てバスに乗ります。
 「団地センター」で降りて手土産を買った後、淑子の家に向かいますが、途中で、昔のクラスメートの女性(注2)に会い、「篠田君、めずらしいわね」と言われ、良多は「親父の葬式の後片付け」と応え、逆に相手の近況を尋ねると、彼女は「ここで孤独死があったでしょ。うちも心配になって」と応えます。さらに彼女が、「立派になって。頑張ってね」と言うと、良多は「そんなことないよ。親父は1冊も読んだことがなかったし」と答えます(注3)。

 良多は、呼び鈴を押しても誰も出てこないので、郵便ポストから鍵を見つけ出して、それでドアを開けて、「留守かな、入るよ」と言って中に入っていきます。中に入った良多は、仏壇に飾られていた饅頭を口にし、さらに引き出しの中にあった金をポケットにしまい込みます。

 そこへ淑子が戻ってきて良多を見つけると、「来るなら来るって言ってよ」と詰ります。
 良多は、「親父の形見がほしいなと思って。掛け軸があったろう、300万くらいするって」と言います。淑子は「お父さんのものなんか、葬式の次の日に全部捨てた」と答え、さらに「お金に困ってるの?」と尋ねると、良多は「そんなことないよ、ボーナスもらったから」と見栄を張ります。



 映画では、こんな良多と、母親・淑子、姉の千奈津、別れた妻・響子真木よう子)、息子・真吾吉澤太陽)との関係が綴られていきますが、さあどんな展開が見られるでしょうか、………?

 本作は、出演者などの面で是枝監督の『歩いても 歩いても』(2008年)の続編のような感じもしますが、シチュエーションなどの面でかなり異なってもいます。いずれにしても、小説が書けないダメな小説家の中年男と、別れた妻や息子との関係、それに団地住まいの母親との関係が、事件らしい事件が起きない中で至極濃密に描かれていて、見ている方は否応なく自分自身の身の近辺を見回してみたくなってしまいます。

(2)本作は、8年ほど前の『歩いても 歩いても』と類似する点がいくつかあります。
 例えば、主人公の名前が2作とも「良多」で、同じ阿部寛が演じています。
 また、その母親の名前も「とし子」と「淑子」であり、両作とも樹木希林が扮しています。
 さらに言えば、本作の良多は、ダメな小説家ですが、前作の良多は失業中であり、ダメさ加減は五十歩百歩といったところです。

 でも、前作では良多の父親(原田芳雄)は存命でしたし、また良多は後妻(夏川結衣)をもらったばかりという設定でした。
 これに対し本作では、父親が死んで葬式を出した後という設定ですし、良多は妻の響子と別れたばかりということになっています。

 そして、この良多と響子の関係という点が本作では興味を惹かれます。
 というのも、良多の浮気といった決定的なことで二人は別れたわけではなく、どうやら良多の賭け事好きから離婚するに至ったように思われるからですが。
 でも、良多の方は響子にまだまだ気があり、養育費を満足に支払えないくせに息子の真吾と会って、見栄を張って高い運動靴を買わせたりします。



 また、台風の夜に響子と淑子の家の部屋で二人きりになると、彼女に迫ったりもします(注4)。
 それに、良多の生活力のなさは生まれつきのようでもあり(注5)、結婚した時も響子はよく承知していたのではないでしょうか?二人の間に子どもが出来てから既に10年を超えてもいるのであり(真吾は11歳とされています)、今更別れるというのは、どうもよくわからない気もします。
 さらに言えば、野球の試合で見逃しの三振をした真吾が、「フォアボールで塁に出たかった」と言い訳をするのに対して、「バットを振っていかなくてはダメじゃないの」と言う響子は、賭け事好きの良多と同じ気質をもしかしたら持っているのかもしれません(注6)。
 そんなことがわかっている母親の淑子は、なんとか元の鞘に戻らないかとヤキモキしている様子でもあります(注7)。

 駅で、良多が「それじゃあ来月またここで」と言うと、響子は「それまでに3ヶ月分の15万を」と答えて真吾を連れて歩き去っていくのですが、そのシーンを見ると、同じようなはっきりしない状態がまだしばらく続いてしまうようにも思えます(注8)。

 本作については、「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」といったことがテーマになっているとされていますが(注9)、そんなアタリマエと思えることよりも、クマネズミには、むしろ良多と響子とのグズグズした関係の方が面白いと思いました。

 なお、本作では種々「名言」めいた台詞が飛び出します。
 例えば、淑子は良多に、「幸せというものは、何かを諦めなきゃあダメなのよ」と言ったりします(注10)。確かにその通りなのかもしれませんが、クマネズミは、映画からは、そこであからさまに示される人生訓話めいたものを学び取ろうとは思っておりません。むしろ、そういうものが背後にそこはかとなく漂っている映画が好ましく思えます。

(3)渡まち子氏は、「元家族が、台風のため集まって一夜をすごすストーリーは、なんだか大人版の「台風クラブ」という気がするが、そこは年齢を重ねた大人たちならではの、苦くて甘酸っぱい心情がじんわりと描かれる」として75点をつけています。
 稲垣都々世氏は、「練り込まれた決め台詞は出来すぎの感もあるが、さらっとした諦観を漂わせながら人生をどう生きるかに言及する。そして、良多がやはりダメ男だった生前の父の気持ちを知ったときに見せる変化を巧みに捉えたシーンに、監督の人間としての優しさを見ることができる」と述べています。



(注1)監督・脚本は、『海街diary』、『そして父になる』や『奇跡』などの是枝裕和
本作のタイトルは、テレサ・テンが歌う『別れの予感』の歌詞から(なお、核の「注10」を参照してください)。

 なお、出演者の内、最近では、阿部寛は『エヴェレスト 神々の山嶺』、樹木希林は『海街diary』、真木よう子は『蜜のあわれ』、小林聡美は『あやしい彼女』、リリー・フランキーは『シェル・コレクター』、池松壮亮は『無伴奏』、団地に住む主婦を集めてクラシック鑑賞会を開いている医師役の橋爪功は『家族はつらいよ』で、それぞれ見ました。

(注2)このクラスメートの女性は、映画の中では「なつみちゃん」と言われていましたが、彼女に関するデータはネットで調べても一向にわかりません。いったい「なつみ」にはどんな漢字が当てられるのでしょう、そして誰が演じているのでしょう?

(注3)最後の方で、質屋の主人(ミッキー・カーチス)から、生前の父親が良多の小説本の初版をあちこちに配っていたことを明かされます。

(注4)他にも、良多が務める興信所(所長がリリー・フランキー)で後輩の町田池松壮亮)と一緒に、響子の行動を見張ったりします。

(注5)とはいえ、車の中で町田に、「大人になった時になりたかったものは?」と訊かれて、良多は「地方公務員」と答えるのですが(この答えは、台風の夜、滑り台の下で良多が真吾に同じような質問をした時に、真吾が答えたものと同じです!)。

(注6)響子の言葉は、彼女の今の愛人の福住小澤征悦)が言っている言葉を踏まえてのことなのかもしれませんが。

(注7)淑子は、響子と二人になった時に、「もうだめなのかな、あんたたち」と言います(これに対して、響子は「良多さんは家庭に向かない人」と答えます)。

(注8)響子は良多に、「もう真吾に会わなくてもいいんじゃないの?月1で父親といわれてもね。なにしろ、別れたんだから」などときついことを言いますが、台風の夜という事情があるにせよ、良多と一緒に淑子の家に泊まってしまうくらいなのです。そして、良多から「付き合っている男と再婚するのか?」と訊かれても、響子は「まだ決めてない」と答えるのです。

(注9)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事の中で、是枝監督は、「脚本の冒頭に「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」と書きましたが、今回はそういうモチーフをめぐる話だと思っていました。だから良多を小説家になりたいと思いながら探偵事務所で働く人物にしたんです。…良多をはじめ登場人物はみんな、なりたかったものになれない人生を送っています」と述べています。

(注10)さらに淑子は良多に、「なんで今のものを愛せないのかな。なくしたものをいつまでも追いかけたりして」とか、「私は海よりも深く愛したことなどない。普通の人はそんなものはない」、「人生なんて単純よ」などと言います。まさに人生訓話のオンパレードとも言えます。



★★★☆☆☆



象のロケット:海よりもまだ深く