
予告編でこれは優れた作品ではないかと思えたので、『クロッシング』をTOHOシネマズシャンテで見てきました。
(1)映画は、ニューヨ-ク市警に勤務する3人の警官の話です。と言っても、3人は、別々の部署に所属するために、邦題は“クロッシング”となっているものの、予想に反して最後まで密接に絡むことはありません(原題は「Brooklyn’s Finest(ブルックリンの警察官)」)。
それでは、オムニバス形式の映画かというと、そうした構成にもなっておらず、ですが3人の警官の話が相互に巧みに綴り合わされて、全体として緊密なひとつ流れを形成しているように受け止めることが出来ます。
それというのも、3人が立ち向かう地域が同一で、それもニューヨーク・ブルックリン地区の犯罪多発地域だからでしょう。そこは、罪のない住民が警察官によって射殺されたとして、警察に対するデモが頻繁に行われている地域でもあり、一人一人の警察官の対応がなかなか難しのです。
この映画で描かれる犯罪は、大部分は黒人によって行われるものです(それも、麻薬にかかわっていますから、目を剥くような多額のお金が絡んできます)。
そして登場するのが、あと7日で退職予定の警官エディ(リチャード・ギア)、麻薬捜査官サル(イーサン・ホーク)、潜入捜査官タンゴ(ドン・チードル)。
黒人の犯罪者を取り締まるエディとサルは白人ながら、タンゴは黒人です。ただ、タンゴは、上司の白人の副所長らと鋭く意見対立しますから、映画全体としては白人と黒人の厳しい対立が見えてきます(何しろ、監督アントワン・フークアが黒人なのです)。
また、それぞれが女性問題を抱えています(独身のエディは黒人娼婦に入れあげていますし、サルの妻は湿気の多い住まいのため喘息が悪化しており、タンゴの妻は離婚しようとしています)。ここには、男対女の現代的構図が見られるでしょう。
こうした背景の中で、3人それぞれがそれぞれの事件とのっぴきならない関わり合いを持ち、犠牲者も出ることになります。
各々の事件は、個別に取り出せばありきたりといえるでしょう。ですが、この作品のような描き方をして一続きで見ると、一段とリアリティが高まって見る者に衝撃を与えます。
特に、サルと親しい同僚の麻薬捜査官が、潜入捜査官とは知らずにタンゴに発砲してしまったり、エディが踏み込んだビルの見張りをしていた男がサルを撃ってしまったりという“クロッシング”が起こるのですからなおさらです。
出演する俳優が豪華なこととも相まって、警察物として近頃出色の映画と言えるのではないでしょうか。
出演者の中では、麻薬捜査官サルを演じるイーサン・ホークが印象的です。

彼については、『その土曜日、7時58分』(2007年)や『ニューヨーク、アイラブユー』を見ましたが、今回の映画では、喘息の妻のために新しい家に引っ越そうとして、捜査で踏み込んだ先に無造作に転がっている現金に手をつけようとしてしまう薄給の警察官の役を見事に演じています。
普段は寡黙で大人しそうに見えながら、何かを思いつめると、それに向かってとんでもないことをしてしまうと言った役柄に、その風貌がよく似合っていると思いました。
リチャード・ギアの作品はあまり見ていませんが、6人の俳優がそれぞれのボブ・ディランを演じている『アイム・ノット・ゼア』(2007年)に出演しているのを見て、こんな映画にも出演するのだな、と驚いたことがあります。ですから、今回のような酷く地味な映画に出演していても驚きませんが、ある事件の解決に功績があったにもかかわらず、とても浮かない顔をして引き揚げる様子に、彼の映画人生が凝縮されているような感じを受けました。

もう一人のドン・チードルは、DVDで見た『ホテル・ルワンダ』が印象的で、この映画でも処遇が恵まれていないことを上司に訴える際の演技は優れていると思いましたが、潜入捜査官として日々危険な淵に立っている様子の方は、今一突っ込みに物足りなさが残りました。

(2)警察官を描く映画は随分とたくさん作られています。
ここでは比較的最近の作品を取り上げてみましょう。
アメリカのものでは、『バッド・ルーテナント』(2009年)をDVDで見ました。
これは1992年のオリジナルのリメイク映画。舞台は、オリジナルのニューヨークからニュー・オーリンズへ移ります。主人公のテンレス・マクドノー(ニコラス・ケイジ)は、ドラッグやギャンブルに溺れ、拳銃を突きつけて売人からヤクを取り上げたりするフザケた悪徳警官ながら、アフリカからの不法移民の一家が殺害された事件の指揮をとったりして、最後は昇進して一応のハッピーエンドです。
とはいえ、彼の愛人はドラッグを止める努力をしているものの、彼は相変わらずラリって捜査をしているのですから、しばらくしたらそのつけを払わずにはいられなくなるでしょう。
このテンレス・マクドノーは、『クロッシング』における麻薬捜査官サルに近いところにいると言えるでしょうが、そのいい加減なところは、ひたむきなサルと比べると、南部器質丸出しと言えるのかもしれません。
日本のものでは、何と言っても『踊る大捜査線』でしょうが、DVDで『笑う警官』(2009年)を見てみました。
ただこの映画は、北海道警察の不正経理問題を背景としているものの、そのことで道議会の委員会に証人として出席をする警察官に対して、いきなり道警幹部から射殺命令が出されたり(いくらなんでも、そんなことまでするでしょうか?)、またその警察官を救おうとして同僚・有志の集まるバーBlackBirdのシーンが余りにも演劇の舞台然としていて見ている方がズッコケてしまったりと、かなりレベルの低い出来上がりになっているのでは、と思いました。
とはいえ、実は、証人の警官(宮迫博之)と彼を救おうとする警官(大森南朋)は、かつて娼婦人身売買事件に関して潜入捜査をしたことのある仲だったというところから、『クロッシング』のタンゴ(ドン・チードル)とつながってくることはくるのですが。
(3)映画評論家の渡まち子氏は、「映画は、一人一人の正義を束ねることが出来なければ、どうなるのかを容赦のない筆致で描き切った。これが今のアメリカの閉塞感なのかと思うと陰鬱な気持ち になるが、徹底的に甘さを排除したアントワン・フークアの演出は、凄味がある。信仰心が厚いサルが言う「欲しいのは神の赦しじゃない。神の助けなんだ!」 という言葉は、彼らの人生の中での神の不在の証。目の前の現実と、己が信じる正義の間で揺れる警察官の苦悩が胸を打つ」として70点を与えています。
また、評論家の粉川哲夫氏は、「3人の警官を描いた3本の映画を1本にまとめたようなところがあり、また、3人を並行的に描きながら、ときどき気になるすれちがい(「クロッシング」)を 見せ、最後に同じ場所に誘導する(しかし「グランドホテル」方式に出会わせるような野暮なことはしない)といった見る者の気をそそる作り方をしている」と述べていますが、凄く要領の良いまとめ方だと思います。
ただ、「この映画は、マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』のシーンの多くが、見方によっては、主人公トラヴィス・ビックルの「夢想」と「幻想」を描写したものである――という解釈が成り立つのと似たような意味で、リチャード・ギアが演じる老警官エディの「夢想」の映像化であるといえなくもないのである」と述べていますが、「「夢想」の映像化」と言ってみても、そう言ったことでこの映画に対する理解度が深まったりするのであれば別ですが、取り立てて何ももたらさないのであれば、そう言ってみるまでもないのではと思われるところです。
★★★★☆
象のロケット:クロッシング
(1)映画は、ニューヨ-ク市警に勤務する3人の警官の話です。と言っても、3人は、別々の部署に所属するために、邦題は“クロッシング”となっているものの、予想に反して最後まで密接に絡むことはありません(原題は「Brooklyn’s Finest(ブルックリンの警察官)」)。
それでは、オムニバス形式の映画かというと、そうした構成にもなっておらず、ですが3人の警官の話が相互に巧みに綴り合わされて、全体として緊密なひとつ流れを形成しているように受け止めることが出来ます。
それというのも、3人が立ち向かう地域が同一で、それもニューヨーク・ブルックリン地区の犯罪多発地域だからでしょう。そこは、罪のない住民が警察官によって射殺されたとして、警察に対するデモが頻繁に行われている地域でもあり、一人一人の警察官の対応がなかなか難しのです。
この映画で描かれる犯罪は、大部分は黒人によって行われるものです(それも、麻薬にかかわっていますから、目を剥くような多額のお金が絡んできます)。
そして登場するのが、あと7日で退職予定の警官エディ(リチャード・ギア)、麻薬捜査官サル(イーサン・ホーク)、潜入捜査官タンゴ(ドン・チードル)。
黒人の犯罪者を取り締まるエディとサルは白人ながら、タンゴは黒人です。ただ、タンゴは、上司の白人の副所長らと鋭く意見対立しますから、映画全体としては白人と黒人の厳しい対立が見えてきます(何しろ、監督アントワン・フークアが黒人なのです)。
また、それぞれが女性問題を抱えています(独身のエディは黒人娼婦に入れあげていますし、サルの妻は湿気の多い住まいのため喘息が悪化しており、タンゴの妻は離婚しようとしています)。ここには、男対女の現代的構図が見られるでしょう。
こうした背景の中で、3人それぞれがそれぞれの事件とのっぴきならない関わり合いを持ち、犠牲者も出ることになります。
各々の事件は、個別に取り出せばありきたりといえるでしょう。ですが、この作品のような描き方をして一続きで見ると、一段とリアリティが高まって見る者に衝撃を与えます。
特に、サルと親しい同僚の麻薬捜査官が、潜入捜査官とは知らずにタンゴに発砲してしまったり、エディが踏み込んだビルの見張りをしていた男がサルを撃ってしまったりという“クロッシング”が起こるのですからなおさらです。
出演する俳優が豪華なこととも相まって、警察物として近頃出色の映画と言えるのではないでしょうか。
出演者の中では、麻薬捜査官サルを演じるイーサン・ホークが印象的です。

彼については、『その土曜日、7時58分』(2007年)や『ニューヨーク、アイラブユー』を見ましたが、今回の映画では、喘息の妻のために新しい家に引っ越そうとして、捜査で踏み込んだ先に無造作に転がっている現金に手をつけようとしてしまう薄給の警察官の役を見事に演じています。
普段は寡黙で大人しそうに見えながら、何かを思いつめると、それに向かってとんでもないことをしてしまうと言った役柄に、その風貌がよく似合っていると思いました。
リチャード・ギアの作品はあまり見ていませんが、6人の俳優がそれぞれのボブ・ディランを演じている『アイム・ノット・ゼア』(2007年)に出演しているのを見て、こんな映画にも出演するのだな、と驚いたことがあります。ですから、今回のような酷く地味な映画に出演していても驚きませんが、ある事件の解決に功績があったにもかかわらず、とても浮かない顔をして引き揚げる様子に、彼の映画人生が凝縮されているような感じを受けました。

もう一人のドン・チードルは、DVDで見た『ホテル・ルワンダ』が印象的で、この映画でも処遇が恵まれていないことを上司に訴える際の演技は優れていると思いましたが、潜入捜査官として日々危険な淵に立っている様子の方は、今一突っ込みに物足りなさが残りました。

(2)警察官を描く映画は随分とたくさん作られています。
ここでは比較的最近の作品を取り上げてみましょう。
アメリカのものでは、『バッド・ルーテナント』(2009年)をDVDで見ました。
これは1992年のオリジナルのリメイク映画。舞台は、オリジナルのニューヨークからニュー・オーリンズへ移ります。主人公のテンレス・マクドノー(ニコラス・ケイジ)は、ドラッグやギャンブルに溺れ、拳銃を突きつけて売人からヤクを取り上げたりするフザケた悪徳警官ながら、アフリカからの不法移民の一家が殺害された事件の指揮をとったりして、最後は昇進して一応のハッピーエンドです。
とはいえ、彼の愛人はドラッグを止める努力をしているものの、彼は相変わらずラリって捜査をしているのですから、しばらくしたらそのつけを払わずにはいられなくなるでしょう。
このテンレス・マクドノーは、『クロッシング』における麻薬捜査官サルに近いところにいると言えるでしょうが、そのいい加減なところは、ひたむきなサルと比べると、南部器質丸出しと言えるのかもしれません。
日本のものでは、何と言っても『踊る大捜査線』でしょうが、DVDで『笑う警官』(2009年)を見てみました。
ただこの映画は、北海道警察の不正経理問題を背景としているものの、そのことで道議会の委員会に証人として出席をする警察官に対して、いきなり道警幹部から射殺命令が出されたり(いくらなんでも、そんなことまでするでしょうか?)、またその警察官を救おうとして同僚・有志の集まるバーBlackBirdのシーンが余りにも演劇の舞台然としていて見ている方がズッコケてしまったりと、かなりレベルの低い出来上がりになっているのでは、と思いました。
とはいえ、実は、証人の警官(宮迫博之)と彼を救おうとする警官(大森南朋)は、かつて娼婦人身売買事件に関して潜入捜査をしたことのある仲だったというところから、『クロッシング』のタンゴ(ドン・チードル)とつながってくることはくるのですが。
(3)映画評論家の渡まち子氏は、「映画は、一人一人の正義を束ねることが出来なければ、どうなるのかを容赦のない筆致で描き切った。これが今のアメリカの閉塞感なのかと思うと陰鬱な気持ち になるが、徹底的に甘さを排除したアントワン・フークアの演出は、凄味がある。信仰心が厚いサルが言う「欲しいのは神の赦しじゃない。神の助けなんだ!」 という言葉は、彼らの人生の中での神の不在の証。目の前の現実と、己が信じる正義の間で揺れる警察官の苦悩が胸を打つ」として70点を与えています。
また、評論家の粉川哲夫氏は、「3人の警官を描いた3本の映画を1本にまとめたようなところがあり、また、3人を並行的に描きながら、ときどき気になるすれちがい(「クロッシング」)を 見せ、最後に同じ場所に誘導する(しかし「グランドホテル」方式に出会わせるような野暮なことはしない)といった見る者の気をそそる作り方をしている」と述べていますが、凄く要領の良いまとめ方だと思います。
ただ、「この映画は、マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』のシーンの多くが、見方によっては、主人公トラヴィス・ビックルの「夢想」と「幻想」を描写したものである――という解釈が成り立つのと似たような意味で、リチャード・ギアが演じる老警官エディの「夢想」の映像化であるといえなくもないのである」と述べていますが、「「夢想」の映像化」と言ってみても、そう言ったことでこの映画に対する理解度が深まったりするのであれば別ですが、取り立てて何ももたらさないのであれば、そう言ってみるまでもないのではと思われるところです。
★★★★☆
象のロケット:クロッシング
ラストのリチャード・ギアの目が怖くて印象的でした。