映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

愛さえあれば

2013年06月19日 | 洋画(13年)
 『愛さえあれば』を新宿武蔵野館で見ました。

(1)このところ公開される作品が増えているデンマーク映画ながら、イギリスの俳優ピアーズ・ブロスナン(注1)が主演というのは面白いかもしれないと思って映画館に行きました。

 映画の冒頭は、乳がんの治療を終えて医師の話を聞いている中年女性のイーダトリーネ・ディアホルム)の姿(注2)。
 医師が「乳房の再建を希望しますか?」と問うと、彼女は「しません、夫は私の外見ではなく内面を愛していますから」と応えます。
 さらには、「来週は、娘の結婚式のために、夫と2人でイタリアに旅行します」と付け加えます。ですが、帰宅すると、夫・ライフが若い女性とセックスの真っ最中!見つかった夫は、家を出て行ってしまいます。

 場面が変わって、今度は実業家のフィリップピアーズ・ブロスナン)。



 自分の事務所に入って行くと、突然「ハッピバースデー」の歓声が起こり、先輩格の女性から、余り働き過ぎないようにと、スカイダイビングのチケットをもらったりします。
 彼は、妻を交通事故で亡くし、それ以来仕事に没頭してきましたが、一人息子が来週イタリアで結婚式を挙げることに。
 そんなイーダとフィリップが、イタリアへ行こうとして空港で鉢合わせをします。
 さあ、どうなることでしょうか、……?

 フィリップとイーダ、結婚式を挙げる予定のフィリップの息子・パトリックとイーダの娘・アストリッド、イーダとその夫・ライフ、など様々な関係がもつれ合う様はなかなか面白く、さらには主な舞台がナポリ湾に臨むソレントですから言うこともありません(遠くにヴェスヴィオス火山が見えます)!

(2)本作の原題は「禿げ頭の美容師」というもので、イーダが抗がん剤を使ったために髪が抜け落ち、美容師でありながらウイッグを付けていることを指していて、本作がコメディタッチの作品であることが分かります。
 他方、邦題の「愛さえあれば」では、英題の「Love is all you need」からきているのでしょうが、余りにも策がない感じがします。

 それに「愛さえあれば」といっても、この映画では「愛」は最初からあちこちふんだんに見い出せるともいえそうです。

 例えばフィリップは、現在仕事に没頭していて女性のことは眼中になという有様ながら、それは愛する妻を交通事故で失ったことからに過ぎず、条件さえ整えば関心を仕事から女性に向けることはいつでもOK状態であり、そうしたところにイーダと出会ってゴールを目指すことになることでしょう(注3)。

 イーダは、夫・ライフの浮気の現場を見るまでは、当然のこととして夫を愛していたところ(少なくとも、自分としてはそうだと思っていました)、フィリップと出会ったら次第に愛の方向がそちらに向いてしまいました。



 イーダの夫は、イーダが闘病生活を送っている間、我慢が出来なくなって経理の若い女・ティルデに手を出すものの(注4)、その女に捨てられるとイーダに対する「愛」が元のように蘇ります(注5)。

 ソレントで結婚式を挙げるはずだったパトリックとアストリッドですが、お互いに愛し合ってはいた者の、パトリックはアストリッドのことよりも父親のことを慮っていたようですし(注6)、交際期間が3か月ではアストリッドはパトリックの気持ちをうまく把握できなかったようです(注7)。

 こんなところから、「愛」がないため「愛さえあれば」というよりも、むしろ、「愛」はあちこちあるものの、「愛」の向かう方向性について様々にずズレがあったのではないかとも思えてくるのですが。

(3)渡まち子氏は、「ロマコメながらシビアな要素も散りばめられているが、これは迷える大人の男女が自分が本当に求めているものをみつける再生の物語。象徴的に使われる黄色いレモンのようにさわやかな酸味が効いたラブストーリーだ」として75点をつけています。




(注1)ピアーズ・ブロスナンは、『マンマ・ミーア!』『リメンバー・ミー』とか『ゴーストライター』で見ましたが、本作は、『リメンバー・ミー』と同じように、息子との関係がぎくしゃくしている父親の役柄を実にうまく演じています。

(注2)トリーネ・ディアホルムは、『ロイヤル・アフェア』(皇太后役)や『未来を生きる君たちへ』(エリアスの母親マリアン役)に出演しています。
なお、『未来を生きる君たちへ』と同じスサンネ・ビア監督が本作も制作しています。

(注3)亡くなった妻の妹・ベネディクテは、フィリップへの愛を全開させますが、フィリップの食指は動きませんでした(なにしろ、フィリップに「お互いに愛し合っている」とか、「まさか、あんな美容師を本気で愛しているわけではないでしょう」と言ったりするなど、ベネディクテの娘でさえ嫌がるほどの振る舞いをするものですから)。

(注4)ライフは、我が家で情事に耽るだけでなく、ソレントでの娘の結婚式にまで相手の若い女を連れて行く傍若無人さです。

(注5)コペンハーゲンに戻ったイーダが家に入ると、夫が家中を花でいっぱいにして待ち構えているではありませんか!そして、ライフは、「俺がバカだった、俺にはお前しかいない、俺たちは運命共同体だ」などと言います。その時はイーダもうなずきますし、その後求婚に来たフィリップに対して「夫を愛しているの」と言いますが、結局は駄目でした。
 最後に、イーダがライフに放つ捨て台詞が凄いなと思いました。「あなたとは何もしたくない、私たちはもう終わり。老後に、庭に腰かけあんたとコーヒーを飲むなんて嫌よ」。

(注6)パトリックは、あるいはソレントの別荘で知った料理人・アレッサンドロのことが忘れられなかったのかもしれません。

(注7)アストリッドは、ソレントから戻ると、弟のケネトと旅行に出たとのこと。




★★★★☆




象のロケット:愛さえあれば