映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

言の葉の庭

2013年06月20日 | 邦画(13年)
 『言の葉の庭』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)デビュー作『ほしのこえ』でアニメ界に強烈な印象を与えた新海誠氏が原作・脚本等を手掛けて制作した新作アニメが上映されるということで、映画館に出向きました。

 本作は、15歳の高校生・タカオと27歳の女性・ユキノが雨の日に公園(注1)で出会ったことから展開される物語。

 タカオは靴職人になろうと思っているところ、1限が雨の場合、学校をサボって公園に行き、そこの亭で靴のデザインを考えたりします(注2)。



 ある日のこと(注3)、彼はそこで昼間からユキノが一人で缶ビールを飲んでいるのに出くわします。



 これを皮切りに、2人は何度か雨の日に同じ亭で遭遇することになって、タカオがユキノに弁当を作ってきたり、そのお礼にユキノは靴に関する洋書『SHOES』をプレゼントします。それでタカオは、ユキノのために靴を作ることを決意します。
 ですが、暫くたったある日(注4)、タカオは学校の廊下でユキノとすれ違って、彼女が自分の通う高校の古文の教師であることが分かります。そして、問題があって退職することも。
 さあ、その後2人の関係はどうなるのでしょうか、……?

 ストーリーもさることながら、映画で描かれている一つ一つの場面の独特の美しさにうっとりしてしまいました。特に、今が梅雨の真っ最中ということもあり、雨の公園の情景はとても素晴らしいものに思われます。




(2)とはいえ、なんだか随分とわざとらしい感じがしてしまう事柄がいくつかあるようにも思いました。
 例えば、ユキノが別れ際に、万葉集にある「雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」(注5)を口ずさみます。
 確かに、設けられた状況(雨が降ったがためにユキノとタカオとの出会いがあった)にうまく沿った歌だと思います。
 それに、むしろ本作は、この歌に依りながら作られているともいえますから、どこかで登場するのは当然なのかもしれません。
 でも、いくら国語の教師とはいえ、唐突な感じは否めません(注6)。
 それも、万葉集を研究する部活に参加しているなどの事情があればともかく、現代の高校生に(いや、昔だっておなじでしょう)、そんな歌を取り上げた時に何らかの反応を求める方が無理というものではないでしょうか(注7)?
 その後、タカオは、ユキノに対して返し歌である「雷神の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば」を言いますが(注8)、いやはやという感じです(注9)。

 また、ユキノは、公園の亭で夏目漱石の『行人』を読んでいたりします。
 勿論、国語の教師ですから漱石くらい読んでいても全く不自然ではありません。
 でも、なぜことさら『行人』なのでしょうか?
 もしかしたら、兄・一郎の嫁・直と弟・二郎との複雑な関係が『行人』で描かれていますから、教師-生徒というユキノとタカオの関係がそれに準えられているということなのかもしれません(注10)。
 あるいは、漱石と嫂・登世との関係を指摘する江藤淳説(注11)を踏まえているのでしょうか。

 さらに、タカオは、靴職人となるべく勉強中とのことですが、これもなぜことさら「」なのかという感じになります(注12)。
 「靴」は、よく知られているように、フロイトの精神分析によれば女性器の象徴とされているところ(注13)、あるいはそんな点を踏まえているのかも(注14)、と言ってみたくなってしまいます(いい加減な俗流解釈に過ぎませんが)。

 こういった仕掛けが全部なくとも、この作品はそのみずみずしい美しさから見る者に感動を与えるのではと思うのですが。




(注1)映像から見る限り「新宿御苑」と思われますし、そうだとすると、タカオが通う学校は「新宿高校」かもしれませんし、近くの駅は「千駄ヶ谷」とも考えられます。

(注2)タカオは、夏休みになると、靴の専門学校へ行くためと材料の革を購入するためにバイトに励みます。

(注3)6月、関東地方に梅雨入り宣言が出された日。

(注4)夏休み明けの9月。

(注5)万葉集第11巻2513番の歌〔よみ人知らず(柿本人麻呂歌集)〕。

(注6)映画の中で万葉集の歌が言及されるのは、河瀬直美監督の『朱花の月』があります。
 ただ、河瀬作品では、舞台が飛鳥であり、古代日本の「朱花」の色の染色が取り扱われたりするので、万葉集の歌が出てきてもそれほど違和感を覚えません。

(注7)あとでユキノは、そういった歌を出せば、タカオが自分のことを、同じ高校の国語教師だと分かってくれると思ったと言うのですが。

(注8)タカオは、ユキノが去り際に言った歌を書きとめていて(でも、ユキノが口ずさんだに過ぎない歌を簡単に書きとめることなどできるでしょうか)、家に戻ると兄にその歌に尋ねていますから、その時に返し歌の存在を知ったのでしょう。

(注9)もちろん、ここはそんなにリアルに考えずとも、古代人が現代に蘇ったとでも想像すればいいのでしょうが。

(注10)本作のラストの方で、タカオとユキノは抱き合いますが、それは『行人』で、兄・一郎の指示により(「実は直の節操を御前に試して貰いたい」)、嫂・直と弟・一郎とが和歌山に一緒に行って、暴風雨で旅館に一泊せざるを得なくなる事態を踏まえているのでしょうか。

(注11)このサイトの記事を参照。

(注12)劇場用パンフレットに掲載の「Production Note」には、「何か作っている男の子にしたいということで決まった、靴というモチーフ」とありますが、今流行りの菓子作り職人(パティシエ!)とかファッションデザイナーなどなどがある中で、どうして靴職人なのでしょう?

(注13)フロイトの精神分析においては、夢に現れる箱や靴など「容器」状のものは女性器として解釈されています〔例えば、『精神分析学入門』(懸田克躬訳、中公文庫)では、「女性の性器は、空な腔洞があってなかにものを容れることができるという性質を備えたすべての対象によって、象徴的に表現され」るとされ(P.206)、「〈靴〉〈スリッパ〉は女性の性器です」とあります(P.209)〕。

(注14)そう思いながら、ユキノが裸足の足をタカオに差し出して寸法をとってもらうシーンを見ると、ことさらエロチックに思えるところです。






★★★☆☆