映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

プール

2009年09月27日 | 邦画(09年)
 映画『プール』を銀座のシネ・スイッチで見てきました。

 小林聡美、もたいまさこ、それに加瀬亮が出演する映画と聞いて、『めがね』のような感じなのかもしれないと思い、銀座まで出かけてきました(監督も、『めがね』の荻上直子氏だと思い込んでいたところ、大森美香氏)。

 タイのチェンマイ近郊にあるゲストハウスで働く母親のもとに、卒業旅行に名を借りて日本から娘が訪ねてきます。娘は、自分を祖母のところに置きざりにしてタイに来てしまった母親の真意を問いただそうとしますが、はかばかしい答えが得られないまま、また日本に帰ります。というだけの、ストーリーとも思えない物語が、映画では描かれています。
 もたいまさこは、このゲストハウスのオーナーで、余命半年といわれながら、3年ほども経過しているとのこと。また、加瀬亮は、そのゲストハウスで手伝いをしています。
 このほかの登場人物と言えば、小林聡美が養育している現地の子供くらいです。

 こうなると、評論家の意見も俄然厳しくなってしまうようです。
 “つぶあんこ”氏は、「ラスト30分程はそれなり。そこまでは寝てていい」との酷評付きで★ひとつ。

 渡まち子氏も、「暑い国なのに温度を感じない世界、草食系の俳優たち、表面をなぞるだけの人間描写。リアリティ以前に、生きている実感がない。……プールの周辺に集う人々は、互いに傷付けない代わりに真の絆も求めていない。……おしゃれなゲストハウスやおいしそうな食べ物、ゆったりとした歌声などに気分は癒されるが、根底に漂うのは、希薄な人間関係で充足する薄ら寒い空気。この映画、かなり病んでいる」と相当手厳しく、30点です。

 まあ、いずれの見解もわからないわけではありません。
 最初に申し上げたように、格別なストーリーが設けられているわけではなく、最後の方で、母親と娘との会話があってこの映画の背景が少しわかる程度です。ですから、ストーリーを追いかけたい人は、“つぶあんこ”氏のように「ラスト30分」を見れば十分でしょう。ですが、そんなことをしてみても何の意味もないと思います。この映画は、最初からストーリーの展開に重点を置いていないように見受けられますから。

 また、タイでの生活を映し出していながら、厳しいタイの政治・社会状況を匂わせるものは何一つ登場しません(最後の方で、托鉢をする僧侶の集団が出てきますが、これは大昔から連綿と続いている光景でしょう)。しかし、この映画は、そんなありきたりのことはおそらく意図的に捨象してしまい、まさに「暑い国なのに温度を感じない世界」をわざと描き出そうとしています〔こうした場所があるとしたら、現実的には、すぐに強盗団に襲われてしまうことでしょう!〕。

 荻上監督の『めがね』も同様に現実の世界から隔離された世界を取り扱っているところ、そちらは日本の離島でのお話という設定のためか、リアリティのなさが気になりましたが、この映画では東南アジアという遠隔の地に舞台を置いたためでしょうか、現実感のなさは気にはなりませんでした。

 この作品世界は、もしかしたら「能」の世界に近いのではないのか、と思いました。
 ゲストハウスに設けられているプールはいうまでもなく、さらに木造のリビングなどは高さが余りなく平面的で、あたかも奥行きのない能舞台(橋掛かりを含めた)のようです。また、そこにいる登場人物も、動作が極端に少なく、加えてかなり遠くから撮っていますから、全体的に能舞台に現れるシテ、ワキ、ツレといった感じです。そして、こういう設定から、時間が経過するとはこんなに静かなのかといったことを観客に感じさせ、さらには悠久の時間といったものを描き出そうとしているのではないかと観客に思わせます。

 全体の雰囲気としては、同じタイを舞台にした河瀬直美監督の『七夜待』を想起させ(性的な関係が描かれてはいない点も)、同国における陰惨な幼児売春等の世界を描いた『闇の子供たち』とはマッタク対極に位置しています。そして、厳しい現実の世界を描いたからといって映画的に成功するわけではなく、逆にこうした浮世離れした世界に、かえってリアリティを感じてしまうのも不思議なことだな、と思いました。