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小泉元首相のこと

2009年09月20日 | 
 ノンフィクション作家の佐野眞一氏が刊行する作品はなかなか優れたものが多く、以前は『東電OL殺人事件』(2000、新潮社)を読みましたし、最近では、講談社ノンフィクション賞を受賞した『甘粕正彦 乱心の曠野』(2008、新潮社)を読んでいるところです(注1)。
 そこで、筑摩書房が出しているPR誌『ちくま』の9月号に掲載された小泉元首相に関する論評「テレビ幻摩館14―小泉家の秘密」にも、早速目を通してみました。
 ですが、これはいただけません。

 その主だったところを抜き書きして綴り合せてみますと、次のようです。

 4年前の衆院選では、小泉純一郎が「自民党を圧勝に導いた。マスコミもこぞって小泉にエールを送った」。他方で、「あの時代、「構造改革」路線に賛成しない者は「非国民」扱いされて、袋だたきにされた」のだ。
 その「構造改革」路線とは、「小泉政権で経済財政政策担当大臣に抜擢された竹中平蔵のアメリカの意のままにふるまう〝売国奴〟的政策」なのである。
 こうして導入された「アメリカ流新自由主義」は、「すさまじい弱肉強食的風潮を生み、取り返しの付かない格差社会を出現させ」たのであり、「小泉政権発足以来、わが国の年間自殺者数はずっと3万人台を推移している」。
 ところで、「三代続けて政治家を輩出した小泉ファミリーには、新聞が決して書かない秘密がある。小泉の姉の別れた夫が前科15犯のコソ泥だったという事実である。姉とその男との間には娘がいて、その娘は小泉家に引き取られた」。
 さらに、「小泉が離婚したとき、子どもの親権をめぐって別れた妻側と血みどろの争奪選を演じた」。すなわち、「小泉の元妻とごく親しい関係者によれば」、長男と次男の「親権を取っただけでは満足せず、妊娠6ヶ月で離婚された元妻が一人で3番目の子どもを産むと、小泉家はその子の親権まで主張して、家裁の調停に持ち込んだという」(「家裁の調停では妻側の親権が認め」られる)。
 「こうした動きを終始リードしたのは、小泉の「金庫番」といわれた姉の信子だった」。
 小泉が離婚したのも、「女系家族の小泉家にとって「女王蜂」は二匹はいらない」からで、「こういう冷酷な家に育った男だからこそ、弱者切り捨ての政策を容赦なく進めることができたのだろう」。

 私は寡聞にして、小泉元首相の姉の別れた夫の話とか、元首相に3番目の子どもがいるとかの話は全然知りませんでした(注2)。
 こうした話が当時から一般に流布しなかったのは、小泉氏自身に直接関係のない他愛のない話のためにことさら報道されなかったのかもしれません。あるいは、鳩山代表の資金管理問題(注3)と同じく、記者クラブ制によるところがもしかしたらあるのでは、とも思われます(注4)。
 ですから、親族を巡る話を佐野氏がわざわざ出版社のPR誌で暴露したことは、鳩山代表の資金管理問題に関するマスコミの扱い方についての指摘と相まって、マスコミ批判という観点から、ある程度は評価できるかもしれません。

 とはいえ、今回の論評のように、親族の件と絡めて、現在盛んに議論されるようになった大きな問題の原因を小泉氏(さらには竹中氏)個人のせいにしてしまうのは、佐野氏が、表面上は反マスコミという姿勢を取っていながらも、実際のところはかえって現在のマスコミの強い流れ(反小泉とか反市場原理主義のキャンペーン、ひいては反米というナショナリズムの流れ)に棹差してしまっている、といえるのではないでしょうか?

 特に、格差問題とか3万人を超える自殺者の問題を小泉・竹中両氏に帰属させることなど、到底出来ない相談だと考えます(注5)。
 なにしろ、格差問題は、小泉政権の下でジャーナリズムでしばしば取り上げられるようになったとはいえ、政権発足以前から様々に注目を集めていたのであり(注6)、また、3万人を超える自殺者は1998年以来のことであって、2001年4月の政権発足よりも3年も前からなのです!

 佐野氏のような議論は、相手が視界から消えたり(小泉氏どころか自民党までも!)、仲間が周囲にいたりすると(民主党の圧勝!)、急に強がり出す輩がするものであって、相手の品位を問うどころか、逆に筆者のそれが厳しく批判されるところになってしまうのではないか、と思われます(注7)。



(注1)昨年の7月13日の朝日新聞書評で唐沢俊一氏が取り上げています。
(注2)いうまでもなく、佐野氏は、この論評で初めてこれらのことを取り上げたのではなく、つとに『小泉政権―非情の政権』(2004、文藝春秋)において詳細に述べています。ですから、今回の論評で「新聞が決して書かない秘密」と佐野氏が書くとき、“自分が著書で書いているにもかかわらず新聞が取り上げなかった秘密”という意味合いになるでしょう。
(注3)佐野氏は、本論評の冒頭で次のように述べています。「民主党代表の鳩山由紀夫の資金管理団体が、自民党でもやらなかったインチキ虚偽献金をしていたにもかかわらず、その問題を殆ど追求せずに、自民党から民主党への「政権交代」という読者に阿った大見出しを掲げることに血道をあげているマスコミ報道の方がどうかしている」。
(注4)ジャーナリストの上杉隆氏によれば、鳩山代表は、「それぞれの会見の中で、筆者の質問に対して、首相官邸における記者会見の開放を約束した」とのことですが、資金管理問題を有耶無耶の内に葬ってしまいたいのであれば、鳩山氏はこれまで通り記者クラブ制を継続することでしょう〔日経ビジネスの上杉氏による記事によれば、鳩山新総理の初会見からこの約束は反故にされてしまったようです〕!
 なお、鳩山代表の幸夫人について、AP通信は3日、「わたしの魂はUFOに乗って旅をした」との発言などを紹介し、「これまでにないファーストレディーになるだろう」と伝えているようですが、こういった報道が日本の大手マスコミでは余りなされないのも記者クラブ制によるのではないかと推測されます。
(注5)佐野氏は、本論評において、「もしこの政治的大犯罪を極東国際軍事裁判にかけるなら、小泉、竹中とも間違いなく「デス・バイ・ハンギング」である」とまで言い切ります。
(注6)格差社会論の第一人者である橘木俊詔・同志社大学教授が、岩波新書『日本の経済格差―所得と資産から考える―』を出版したのは、1998年11月のことです。
(注7)特に、「「煮干しにカツラをつけたような」宰相と竹中平蔵というちんちくりんの経済ブレーンコンビ」というような表現振りは顰蹙ものでしょう。