映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ゴーギャン展

2009年09月21日 | 美術(09年)
 この連休で閉幕というので、慌てて竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「ゴーギャン展」に行ってきました。

 実のところ、ゴーギャンの絵は余り好みではありません。ただ、なんといっても大家ですし、特に今回はわが国で未公開の傑作が展示され、さらには「この展覧会は、日本初公開となるこの傑作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻約50点の作品を通して、混迷する現代に向けられたメッセージとして、あらためてゴーギャンの芸術を捉えなおそうとするもの」といった美術館側の触れ込み(なんと大仰な!)もあって、そこまで言うのならと重い腰を上げて見に行ってきた次第です。

 好みではないというのは、勿論よく分からず絵に興味を持てないためで、どの絵も似たり寄ったりのタヒチの女性が、独特の宗教的な意味を与えられて描かれているだけ、という感じがしてしまうのです。

 ただ、今回日本で初めて公開された「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」(1897-98年:ボストン美術館)という大作〔注〕は、相変わらず宗教的な雰囲気が色濃く漂っているものの、実に様々なモチーフが描き込まれていて、それらを解説(会場では、そばの壁に、それぞれのモチーフについて若干ながら説明している図が展示されています)に従って一つ一つ丁寧に見ていきますと、次第にこの画家にも興味が持てるようになってきます〔上記の画像を参照〕。

 例えば、この絵の中央の〝果物を摘む女性〟は、倉敷の大原美術館に所蔵されている「かぐわしき大地」(1892年)―タヒチ(楽園)の森の中で、果実(リンゴ)に手をさしのばすタヒチの女性(エヴァ)が描かれています〔今回の展覧会でも展示されています〕―などとの関連性が指摘されます。
 また、右下隅の〝寝ている幼児〟は、現地妻との間でもうけた子供(生まれてスグに亡くなる)を「キリスト降誕図」として描いたものであるとされます。

 絵そのものだけを見て良い悪いを判断するのではなく、このように文字による解説が与えられ謎解きされてはじめてその絵に興味を持つというのは、絵画をよく分かっている人からすれば邪道なのでしょう。

 とはいえ、どんなルートでもかまわないから絵画とか画家に興味を持つことが出来れば、それはそれでかまわないのではないかと開き直り、この絵画展のカタログ(ハードカバーの立派な本です!)も読んで、この画家をもう少し調べてわずかでも理解を進めてみようと思っているところです。

〔注〕美術館側の説明では、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」をゴーギャンの「最高傑作」だとしています。ですが、晩年の「集大成」的な大作だから「最高」だ、としているに過ぎないように思われます。元々、鑑賞者によってどの絵が「最高」なのかは異なって当然でしょうから、予めこのように決めつけてしまうべきではないのではないでしょうか?
 採算性の向上を図るために美術館側がPRに努めなくてはならず、展覧会の目玉となる作品を出来るだけプレイアップしたい事情もわかります。とはいえ、このところ各所で開催される様々の展覧会で見受けられるPRのやり方は、少々度が過ぎるのではと感じるところです。