映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

サマーウォーズ

2009年09月05日 | 邦画(09年)
 吉祥寺のバウスシアターで長編アニメ「サマーウォーズ」を見ました。



 アルファブロガーの小飼弾氏が、そのブログで、「これは間違いなく、映画史に残る作品。その意味において本作品の重要性は、Star Warsに勝るとも劣らない」とか、「本作を観ずにして、この夏は終わらない」とまで言っているので、それではと出かけてきました。
 土曜日に行ったせいかもしれないところ、2時間前に売り出される整理券を買うのにもズラッと人が並んでいるのには驚きました(おそらく毎回満席のようです)。

 確かに、映画は、画像が素晴らしく綺麗で、かつストーリーもなかなか面白く(コミカルなタッチのところが随分とあります)、大人が見てもこのアニメにぐいっと引き込まれてしまいます。

 ただ、気にならないところがないわけではありません。

 このアニメに対しては、映画評論家の面々は総じて高い評価を与えています。

 上記の小飼氏は、「まず、大家族というものをこの21世紀に堂々と持ってくるということ自体がすごい」とします。

 精神科医・樺沢氏も、その「まぐまぐ」の「映画の精神医学」(8月11日第340号)において、次のように述べます。
 「「サマーウォーズ」がおもしろい。予告編を見ると、何か高校生を主人公にした青春映画の雰囲気ですが、実際はもっともっと奥深いテーマが描かれています。日本人が失いつつあるもの。あるいは既に失われているかしもれない、人と人との結びつきの大切さ。古き良き日本の文化。そうしたテーマが、インターネット上の仮想世界OZ(オズ)のトラブルといった最も日本的ではない、ある種、テクノロジーの最先端とのコントラストの中であぶりだされていきます」。
「「サマーウォーズ」における陣内家のような大家族というのは、別にそれほど珍しいわけでもなく、何十年か前ではごく当たり前の風景。あるいは、今、お盆の時期、10人以上の親戚が集まっているという家もあるはずです。失われつつある日本の風景ではあるけども、まだ完全に失われたわけではない、日本の大家族。こうした誰もが共通体験として懐かしさを感じられるシーンが、「サマーウォーズ」にはちりばめられています」。

 渡まち子氏は、「核家族は当たり前、隣に住む住人の顔も知らず、隙あらば引きこもってネットの世界に埋没する日々。人間関係の温もりと煩わしさのどちらも知らない、イマドキの若者にとって、総勢30名に及ぶ旧家一族が顔を揃える“個性豊かなご親戚”という構図こそ、ミラクル・ワールドではあるまいか。この物語は、秀作アニメ「時をかける少女」のスタッフが再結集して放つ、人呼んで“大家族アクション・ムービー”」と述べて、80点もの高得点を与えています。

 どうやら、長野県上田市の陣内家の屋敷に参集する30人もの大家族のお話に評論家諸氏は皆感動しているようです。
 この陣内家は、室町時代からの武家の家系で、「当主」の90歳になる陣内栄(ヒロインの曾祖母)の誕生日会が数日後に開かれるとのこと。それで一族が集まったわけです。



 ですが、陣内栄の息子達は一人でやってきているからかまわないものの(結婚相手が存命なのか死んでいるのかは不明)、その子供達(栄の孫)となると結婚相手を伴って来ています。
 この場合、いうまでもありませんが、栄の孫にしても、栄の息子達の結婚相手の方の家族にも入っているわけです。まして、栄の曾孫ともなれば、モットたくさんのよその家族の一員でもあるわけです。

 男系の家制度(家父長制)が守られていた戦前ならともかく、今や殆ど「家」といっても結婚式に使われる符牒の意味合いしか持たなくたってしまっている中で(注)、どうして夫婦という単位を越えた「大家族」というアナクロがここにきてプレイアップされ、かつまた評論家達が絶賛するのか、いくらノスタルジアに浸りたい人が多くなってきているとはいえ(欧米の市場原理主義から日本を守れということでしょうか!)、実に不可解な感じがします。
(よくTV番組で「大家族」がとりあげられますが、その場合は、夫婦と大勢の子供達といった意味合いしか持っていないのではないでしょうか)。

 例えば、ヒロインの高3の女子高生が、恋人役として主人公(同じ高校の2年生)をつれて上田の屋敷に行きますが、最初に話題になるのが、主人公が「当主」のお眼鏡にかなうかどうかという点なのです。ですが、「当主」とは?

 (注)評論家の小谷野敦氏が、そのブログで、今年の芥川賞直木賞贈呈式の模様を書いていますが、その中に、「前方左手には「磯崎家」「北村家」と書かれたテーブルがあって、まるで披露宴のようだ。モブ・ノリオの時は「モブ家」だったのだろうか。だいたい北村さんって本名じゃないし」とあり、笑ってしまいました(モブ=mobとのこと!)。

 さて、この映画にはもう一つ気になるところがあります。
 すなわち、70点を与えている前田有一氏が言うように、この作品では二つの世界が描かれています。すなわち、「映画ではこのOZと現実社会が交互に描かれるが、その両者の質感の違いが強調されていて面白い。OZ内はいかにもCGといった硬質な描写で、アクションシーンはたいていここで行われる。一方現実世界は、手描き絵画風の暖かいもの。美しき日本の田舎風景を堪能できる」。

 また、服部弘一郎氏も、この「OZと現実社会」について、それぞれ「『デジモン』や『ぼくらのウォーゲーム』のアクション・アドベンチャー路線」と「『時をかける少女』の甘酸っぱい思春期ドラマ」だとして、今回の映画ではそれらが組み合わされ、「細田監督にとってこれまでの集大成となる作品なのだ」と述べています。



 ただ、この二つの世界はそれぞれ出所があるようなのです。
 Walkerplusのニュース記事(7月24日)には、次のように書かれています。
一方で、「劇中に登場する「OZ」と呼ばれる仮想都市のビジュアル。PCや携帯電話の中で、白を基調とした楕円のキャラが飛び交う仮想世界は、細田監督がかつて現代美術アーティストの村上隆とともに手がけたルイ・ヴィトンのイメージ映像「SUPERFLAT MONOGRAM」(03)を彷彿とさせる」。
 他方で、「古きよき日本家屋や美しい自然のビジュアル。こちらは『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』といったジブリ作品で美術監督を務めた武重洋二が手がけており、背景画の美しさを見ているだけでも心が洗われるかのようだ」。

 となれば、映像に関しては、村上隆と武重洋二に負っているということになり、勿論それらをうまく接合した監督の手腕は認めるものの、監督のクリエイティブな面はどこを探せばいいのか、ということにならないでしょうか?

 というようにこの作品について2点ばかり気にはなりましたが、まあそれはそれとして、久しぶりで上質のアニメを見たなと楽しい気分で映画館を後にしたところです。