孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ  終わらない対立 タクシン・反タクシンと深南部のイスラム過激派テロ

2012-12-14 23:13:41 | 東南アジア

(2010年5月15日の「赤シャツ隊」強制排除の際、兵士に向かって発砲する「赤シャツ隊」側のメンバー “flickr”より 当時の「赤シャツ隊」の状況について、“本来非暴力主義を貫こうとしているようだが、過激な行動に出る者もいて統制が取れない面もある”【ウィキペディア】との指摘も By ReportageEditor http://www.flickr.com/photos/reportageonline/4766760992/

アピシット前首相を殺人罪で告訴の方針
「騒乱で殺人容疑、前首相が出頭=訴追に向け手続き開始―タイ」という新聞見出しを見て、“海外逃亡中のタクシン元首相が帰国して出頭するのか・・・タクシン・反タクシンの対立続いていたタイも、これで国民和解に向けて大きく動くかも・・・”と一瞬勘違いしてしまいました。
出頭するのはタクシン元首相ではなく、アピシット前首相です。

****アピシット前首相らを告訴へ…タイ法務省****
タイ法務省の特別捜査局(DSI)は13日、アピシット前首相とステープ前副首相を召喚し、2010年にバンコクで起きたタクシン元首相派のデモ隊と治安部隊の衝突を巡り、2人を殺人罪で検察に告訴する方針を伝えた。

衝突では、デモ隊や市民、警察官など90人以上が死亡したが、告訴の対象は、タクシー運転手が治安部隊の発砲で死亡したことを裁判所が認定した件。治安対策の最高責任者だった前首相らが実弾の使用を認めたことが死亡につながったとして、刑事責任を求める。ただ、告訴や裁判の手続きは複雑なため、判決まで長期間かかるとみられる。【12月13日 読売】
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2010年4月10日の反タクシン派・アピシット政権によるタクシン支持派「赤シャツ隊」(UDD)強制排除では、日本人カメラマンの村本博之さんも犠牲になっています。
当時、タイ軍は兵士数人が威嚇目的で空に向かって実弾を撃ったことは認めましたが、それ以外の兵士がデモ隊を散らすために使ったのは空砲とゴム弾だったと主張、政府も「部隊はデモ隊に向け実弾射撃は行っていない」と主張していました。

アピシット首相(当時)の決断による強制排除は失敗に終わり、政権求心力は著しく低下。
タクシン派の抗議行動はその後も続きましたが、内部的に混乱・対立もあり、5月13日UDD強硬派リーダーが狙撃されたのをきっかけにデモ隊側と軍が衝突、軍は実弾の使用を宣言する形で強制排除を断行しました。

アピシット首相は混乱の収拾のため下院の早期解散に打って出ますが、結局、現在のタクシン派・インラック政権に替っています。
4月の強制排除失敗当時も、アピシット前首相とステープ前副首相は赤シャツ隊側の求めに応じ法務省特別犯罪捜査局に出頭して調べを受けると報じられていましたので、今回の出頭もその一連の捜査によるものでしょう。

“(アピシット首相らが出頭した)法務省特別犯罪捜査局(DSI)周辺には、タクシン元首相支持派の数十人が集まり、前首相に対する抗議の声を上げた”【12月13日 時事】とのことですが、意外に“静かな”対応に思われます。
“判決まで長期間かかる”ということですから、ヒートアップするのはまだ先の話なのでしょう。
なお、DSIは前首相らの身柄拘束はせず捜査を続ける方針とのことです。

一方、反タクシン派の反政府行動としては、08年の空港占拠で現在まで続く混乱の火ぶたを切った形の「民主市民連合」(黄シャツ隊)とは別組織によるものが、先月末報じられています。

****群衆に催涙ガス、けが人も=首都で大規模反政府集会―タイ****
タイの首都バンコクで24日、インラック政権に批判的な退役軍人らの団体「ピタク・サイアム」が大規模反政府集会を開いた。規制を突破しようとした参加者らに対し、警察が催涙ガスを使用。AFP通信によると、37人が負傷した。

集会は数万人が参加し、首相府近くで行われた。首相府前の道路では、デモ隊の一部が警察の封鎖を突破しようと試みたところ、警察は催涙ガスを発射してこれを抑え込んだ。その後も警察とデモ隊のにらみ合いが続き、小競り合いに発展することもあった。

集会を主催したのは愛国主義を掲げる団体で、2008年に空港を占拠した反タクシン元首相(インラック首相の兄)派「民主市民連合」とは別。しかし、同連合の支持者も一部が集会に合流したもよう。

政府は22日、「集会は暴動に発展する恐れがある」として、バンコクの一部に治安維持法を発令。会場周辺に数千人の警察官を配置し、厳戒態勢を敷いた。【11月24日 時事】
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インラック首相はタクシン元首相の妹ということで、反タクシン派からすれば元首相の傀儡ということになります。また、政権・与党側では元首相復権への動きも画策されているようです。
タクシン・反タクシンの対立はまだしばらくは続きそうです。

和平に消極的な国軍、分裂を繰り返し、統制がとれていない武装勢力
タクシン・反タクシンの対立と並んで、「微笑みの国」タイの抱えるもう一つの深刻でより凄惨な問題が、タイ深南部の反政府イスラム武装勢力によるテロ。
首都バンコクから遠く離れていることもあって、タクシン・反タクシンの対立ほど大きく扱われることはありませんが、イスラム教徒のマレー系住民が9割近くを占めるタイ最南部では8年前から独立を目指すイスラム武装組織と治安当局との間の紛争が続いており、すでに5000人以上の犠牲者が出ています。暴力の応酬は泥沼化したまま出口が見えていません。

****テロ続くタイ南部、1200校を臨時休校に****
イスラム過激派のテロが続くタイ南部で最近、教師が銃撃で死亡するケースが相次いでおり、13日に現地の小学校など約1200校を臨時休校にして、インラック首相が現地で関係者と治安対策を協議した。

南部のヤラ県など3県では2004年以降、分離独立を求めるイスラム過激派のテロが頻発し、11日も学校内で校長と教師が銃撃で死亡、別の地区では乳児を含む住民6人が犠牲になった。先週も女性教師が射殺されており、学校関係者の犠牲者は04年以降、教師124人、職員34人の計158人にのぼっている。

政府は安全確保のため、軍兵士や警官を学校などに配置しているが、教師からは「治安要員が足りず、対応は不十分だ」との不満が強く、多くは安全な地域への異動を希望しているという。【12月13日 読売】
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学校関係者の他、仏教寺院僧侶、治安当局関係者などがしばしばテロの対象となっています。
最近目にした記事だけでも、
“タイ最南部ナラティワート県で11月18日朝、列車が駅で停車していたところ、線路に仕掛けられていた爆弾が爆発、直後に武装集団が列車に向けて銃撃。地元メディアなどによると、民兵2人が死亡、乗客ら30人以上がけがをした”【11月18日 朝日】
“タイ最南部パタニ県で9月21日、車が爆発し、AFP通信によると少なくとも5人が死亡、約40人が重軽傷を負った。車に爆発物が仕掛けられていたとみられる” 【9月21日 時事】
“タイ最南部のマレー系武装組織によるとみられるテロ活動がイスラム教の断食月(ラマダン)に入った7月20日以降、活発になっている。8月1日未明までに20件を超える爆発や襲撃事件で、25人が死亡し、約40人が負傷した”【8月2日 朝日】
といった事件が報じられています。

宗教・民族・文化歴史の違いという背景はありますが、泥沼化した対立が収まらない原因として、軍の消極姿勢、武装組織側の統制の不十分さが指摘されています。

****忘れられた戦争〉和平の道 阻む内部対立****
・・・・最南部の情勢に詳しいプリンス・オブ・ソンクラー大学のシーソンポップ助教授は、紛争が長引く大きな要因として、(1)和平に消極的な国軍(2)分裂を繰り返し、統制がとれていない武装勢力の2点を挙げる。

インラック政権は今年1月以降、初めて陸軍将校を加え、隣国マレーシアなどで武装勢力との接触を始めている。複数の関係者によると、インラック首相の兄、タクシン元首相も3月にクアラルンプールでPULO(マレー系武装組織「パタニ統一解放機構」)と面会したという。
だが「国軍は、武装勢力に屈したという印象は避けたいし、和平が実現すれば予算は大幅に削られる。消極姿勢に変化はない」(消息筋)という。

2年前、事実上の停戦が限定的に試みられたこともあった。武装組織幹部の統率能力を示すため、1カ月間、ナラティワート県の一部でPULOなどが一方的に戦闘停止を表明した。
この経緯を慎重に見極めていた前政権の首脳は「事件は減ったが、皆無ではなかった。結局、PULOなどの影響力は検証できなかった」と明かす。カストゥリ氏も「和平を快く思わない集団がいるのは事実。戦闘員の過半数は我々の指揮下にある」と述べ、一部では統制が利いていないことを暗に認める。

双方が問題を抱えるなか、暴力の応酬がやむ気配はない。【6月7日 朝日】
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野党・アピシット前首相はインラック首相に対し、問題解決に向けて主導的役割を果たすよう要求しています。

****最南部テロ、野党が首相に主導的役割を要求****
タイ最南部でイスラム過激派がテロ活動を活発化させている問題で、最大野党・民主党のアピシット首相は9月16日、インラック首相に対し、問題解決に向けて最南部の治安回復と開発促進で、主導的役割を果たすよう要求した。

問題の解決策については、政府と同党の間で18日に協議が行われることになっているが、アピシット党首は、首相が南部問題の解決を複数の関係者に任せており、これが混乱を招いていると指摘。
また、同党首は先に、過激派100人あまりが治安当局に投降したことについて、「現在も多くの過激派グループが暗躍しており、『政府の努力が実った』と評価するのは早計」としている。【9月17日 バンコク週報】
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上記記事にある“過激派100人あまりが治安当局に投降した”というのは、ナラティワート県で9月11日、過激派91人が陸軍第4管区司令部に出頭した件のことです。
投降者はすでにテロ活動にはかかわっていないとして、平穏な生活に戻るための法的支援をウドムチャイ同管区司令官に求めていると報じられています。【9月12日 バンコク週報より】

他の武力衝突と同様に、対応は“対話・交渉”を重視した路線と、強権的対応の路線が交互に繰り返されていますが、解決に至っていません。
宗教・民族・文化歴史の違いは如何ともしがたいものがありますので、政府としては国軍への指導、経済格差是正のための開発促進、イスラム文化の尊重といった面での努力が求められています。

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