孤帆の遠影碧空に尽き

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タイ  王室改革をめぐる議論の一進一退 今年は?

2024-01-07 23:27:41 | 東南アジア

(タイの抗議者たちは、新しい憲法と君主制の改革を3本の指で示す【1月3日 Newsweek】)

【不敬罪改正を掲げた「前進党」 昨年総選挙で第1党に躍進するも、首相就任を阻止される】
タイの昨年の政治状況を振り返ると、5月に行われた総選挙で若者らの支持を背景に「前進党」が第1党に躍進するという大きなうねりがありました。ピタ党首率いる「前進党」は公約で徴兵制の廃止を、更にこれまでタイ社会ではタブー視されてきた王室改革にも切込み、不敬罪の改正も盛り込みました。

****改革望む声で躍進 「再解党」懸念も―第1党の前進党・タイ総選挙****
タイ下院総選挙で第1党となった革新系の野党「前進党」が躍進した背景には、若者らを中心に軍や王室といった現在のタイ政治を特徴付ける存在の改革を望む声があった。ただ、同党の前身となる党は4年前の選挙後に解党処分を受けており、同様の事態が再び起きる懸念もある。

野党で連立政権構想 反軍、総選挙で勝利―タイ
前進党は公約で、徴兵制の廃止を掲げた。さらに、タイではタブー視されてきた王室批判を巡り、不敬罪の改正も盛り込み、バラマキ色の強い経済対策を掲げる他の政党とは一線を画した。

これら国の制度の抜本的な改革を打ち出した政策は、若者を中心に受け入れられた。首都バンコクで14日の投票後に取材に応じた大学2年生のテクさん(20)は前進党支持を明かした上で、「タイの変化が見たい。現状からどう発展できるか知りたい」と話した。

前進党躍進の布石は、2014年のクーデター後の民政復帰を目的とした19年の下院総選挙にあった。反軍を掲げた同党の前身の「新未来党」は、選挙直前の結党だったがSNSを駆使するなどして若者の支持を集め、80議席を獲得して野党第2党となった。

しかし、憲法裁判所は20年2月、当時のタナトーン党首による党への1億9000万バーツ(約7億6000万円)の資金提供は政党法に違反すると判断。新未来党の解党を命じ、同党首ら幹部の政治活動を10年間禁止した。

これを受け、親軍政権に反発する学生らのデモが活発化。批判の矛先は王室にも向けられ、参加者らが不敬罪で逮捕される事態が相次いだ。

新未来党の解党後、残った下院議員らは前進党を設立し、ピタ氏が党首に就任した。ピタ党首の人気は徐々に高まり、タイ国立開発行政大学院の世論調査によると、次の首相候補としての支持率が3月の時点では15%だったが、5月には35%まで上昇した。

勢いに乗る中で総選挙を迎え、前進党は都市部だけでなく中部や北部の地方でも多くの議席を獲得。ピタ氏は「首相になる準備はできている」と意気込んだ。

ただ、ピタ氏は選挙期間中、メディア関連株の保有を巡り選挙管理委員会に告発された。ピタ氏は「株は私のものではなく、心配していない」と説明しているが、政治アナリストは「選管や憲法裁が前進党に不利な判断をする恐れがある」と指摘した。【2023年5月16日 時事】
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しかし、ピタ党首の首相就任は、選挙前には当初勝利が確実視されていたにもかかわらず「前進党」に支持を奪われ第2党に甘んじたタクシン元首相系の「タイ貢献党」が仇敵であった親軍勢力と大連立を組むという「現実政治」によって阻まれました。

親軍政党「国民国の力党」関係者が「ピタ党首は法律に違反してメディア株を保有しながら総選挙に立候補した」として中央選挙管理委員会に訴えを起こしたことなどで第1回首相指名選挙での過半数獲得に失敗。

第2回首相指名選挙では、国会規則が「拡大解釈」され、憲法裁判所がこれを実質的に認めたことで、ピタ党首の再推挙自体ができなくなりました。

そうした流れを受けて(と言うより、事前に下記のようなシナリオが準備されていたので、上記のような抵抗が現実のものとなり、ピタ党首首相就任が阻止された・・・と言うべきでしょう)

“総選挙で第2党となったタイ貢献党と第3党・タイ威信党が、前進党を外した連立政権樹立で合意。さらに、閣僚ポストを約束することで、(親軍政党の)国民国家の力党、タイ団結立国党なども引き入れ、タイ貢献党を含む11党は8月21日、314議席を擁する連立政権構想を発表し、タイ貢献党のセーター氏を首相候補として支持する方針を確認した。”【12月22日 バンコク週報】

軍事クーデターで排除され、軍部・枢密院・司法等既得権益層と激しく対立してきた「抵抗勢力」タクシン派も、「前進党」との対比で見れば、王室を頂点とした既存政治秩序の一部であり、既存秩序維持ということで実現したタクシン派と王室・軍部など既得権勢力の「大連立」が「前進党」の秩序破壊的な改革を阻止したと考えられます。

****クーデターが未遂含め19回、政治と近いタイ国王…かつての「対抗勢力」タクシン氏と距離縮める****
親日国タイで5月に行われた下院選で第1党になった「前進党」が政権を樹立できず、第2党を中心とする連立内閣が9月に発足した。前進党が王室改革を訴えたことに軍を中心とする王室擁護派が反発した。タイ国王とは、どんな存在か。

クーデター 黙認でお墨付きも
タイでは1932年の立憲革命で絶対王制が廃止され、立憲君主制に移行した。とはいえ、同じ立憲君主制の英国と比べて国王はずっと政治に近い。「王式民主主義」とも言われる。

タイでは立憲革命以降、軍のクーデターが未遂も含めて19回起きた。軍の統帥権を持つ国王が、黙認することで政変にお墨付きを与えたケースがあるとの指摘がある。

46年に即位したプミポン前国王は軍部と市民の政治対立が激化した際、仲裁に動いたこともあった。92年5月に軍がデモ隊に発砲した「暗黒の5月」事件の際も、首相とデモ隊指導者を自らの前にひざまずかせて和解を諭した。「政治が行き詰まったら国王が解決する」との考えが国民に浸透した。

タイ憲法は、日本の明治憲法の影響を受けたと言われる。2017年憲法には「国王は、崇敬され神聖な地位にあり、何人も侵すことはできない」(第6条)とある。国王の政治的権限に関する条文には「憲法に適用すべき規定がない場合、国王を元首とする民主主義政体におけるタイ国の統治慣行に従って当該事案に対応する」(第5条)といった曖昧な記述がある。

筑波大の外山文子准教授(タイ政治)は「明確でないことが逆に国王に無限の力を与えている。国民が、王や王を護衛する軍など既得権益層に刃向かう言動を自粛することにつながっている」と解説する。

共産化を阻止
王権を強化することで冷戦期、近隣国に広がった共産化の波を食い止めることに成功したとの見方がある。しかし、度重なるクーデターは民主主義の軽視にほかならない。

01年以降、農村の支持を得て総選挙で圧勝したタクシン・シナワット元首相が権勢を振るった。「憲法を超越した権力を持った人物が混乱を引き起こしている」と発言するなどし、国王に対抗する勢力とみなされた。軍は06年と14年にタクシン派政権をクーデターで倒した。

約5年の軍政後も軍主導政権が続いた。20年に反軍政を掲げた前進党の前身「新未来党」が憲法裁判所により解党されると、学生らは抗議デモで、政権が擁護する王室の制度改革を訴えた。プミポン前国王が16年に死去し、ワチラロンコン国王が即位してから国王の権限は憲法改正などにより強化され、陸軍の先鋭部隊が国王直属になった。

王室改革頓挫 タクシン氏の転向
今年5月の下院選では、前進党が王室改革を掲げ、王室のあり方に疑問をもつ若者の支持を得て第1党に躍進した。同党は王室への侮辱を罰する刑法の「不敬罪」の量刑(最高15年の禁錮刑)軽減を公約に掲げた。

しかし、ピター党首(当時)は軍の影響力が強い上院議員らの支持を得られず政権樹立が頓挫した。代わりに王室の対抗勢力とみなされていたタクシン元首相派の「タイ貢献党」のセター・タウィシン首相が首班となった。既得権益層がタクシン氏と手を組み、前進党の政権奪取を阻んだとみられている。民意が反映されず、前進党支持者からは不満の声も多く聞かれる。

汚職などで有罪判決を受け国外に逃亡していたタクシン氏は8月22日に帰国するなり、バンコクの空港にしつらえられた国王夫妻の肖像の前にひざまずいた。国王はその後、恩赦でタクシン氏の刑期を8年から1年に短縮した。タクシン氏と王室との距離が縮まったことを印象づけた。(後略)【12月13日 読売】
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タクシン元首相は軍部との接近で、自身の恩赦を確実にし、帰国を実現した・・・という話でもあります。

【今も続く王室関連発言への抑圧】
こうした王室批判はもちろん王室制度改革の議論も許さないタイの政治状況は今現在も続いています。

****進歩派の国会議員に禁錮6年の判決、王室への侮辱で タイ****
タイの裁判所は14日、進歩派の国会議員に対し、ソーシャルメディアへの投稿で王室を侮辱した罪などで禁錮6年の刑を言い渡した。人権擁護団体のTLHRが明らかにした。

野党・前進党のルクチャノック・スリノック議員(29)はタイの刑事裁判所で、不敬罪並びにコンピューター犯罪に関する法律への違反で有罪判決を受けた。ソーシャルメディアプラットフォームのX(旧ツイッター)で行った2020年の2件の投稿が原因だという。

タイの不敬罪法は世界で最も厳格な部類に入り、国王や王妃、その後継者を批判した場合はそれぞれの罪に対し最大で禁錮15年の刑を言い渡される可能性がある。これにより、王室について口にすることさえリスクが付いて回る状況となっている。

タイでは近年、若者を中心に改憲や軍の政治的影響力の低減を求める抗議行動が繰り広げられた。抗議内容には王室改革も含まれたことから、不敬罪で百人以上が訴追されている。

スリノック議員の裁判を追跡しているTLHRは問題の投稿について、1件には政府の新型コロナワクチン調達への批判が盛り込まれていたと説明。ある製薬会社を国王と結びつける記述も含まれていたという。

もう1件は20年の抗議行動の画像に対するリツイートで、添えられたメッセージが裁判所から反王室と見なされた。

TLHRによれば、スリノック議員は上訴する間保釈が認められた。法廷を後にした同議員は、自身のフェイスブックページへの投稿で、国会での仕事に戻ると明らかにした。また「112人の被告全員に保釈が認められるよう声を上げたい」と書き込んだ。

スリノック議員は23年に政界入りする前、有力な活動家として頭角を現した。当時は14年のクーデターで実権を握ったプラユット前首相への厳しい批判で知られた。

同議員の所属する前進党は5月の総選挙で最も多くの票を獲得したが、強力な保守派の既得権益層によって政権樹立を阻まれていた。【12月15日 CNN】
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【若者のなかには過激な抗議行動を行う者も】
王室制度改革の議論をタブーとは考えない若者のなかには、過激ともいえる抗議活動を行う者も。

****若い女性が「命を懸けて」王室批判を行うタイ...実は政治的だった王室の歴史と、若者たちが抱く希望****
2020年以降、多くの若者が民主化運動に身を投じ、長年タブーだった「王室改革」を唱えるようになっている。そして王室に関する「物語」を批判的に書き換える、新しい書き手たちによる本が生まれている。『アステイオン』98号「タイの若者たちが紡ぐ新しい「物語」」を抜粋>

(中略)本稿執筆時点(2023年3月頭)、タイ・バンコクの最高裁判所前では、ふたりの若い民主活動家が、40日以上にわたるハンガーストライキを続けている。「タワン」ことターンタワン・トゥアトゥラーノン(21歳)と、「ベーム」ことオーラワン・プーポン(23歳)だ。

2022年2月、彼女たちふたりと他の活動家は、バンコクの有名デパート前で、通行人に対して「王族の行幸啓の車列は〔交通制限などが必要になるため〕迷惑だと思うか?」というシール式アンケートを実施した。

その上で、警察の制止を無視して、王室の宮殿付近まで活動を拡大した。この行為が刑法112条の王室不敬罪、116条の煽動罪、および368条の、法的権限を持つ人間の命令に逆らうという罪に問われた。逮捕・勾留された彼女たちは、保釈金20万バーツ(およそ80万円)を支払った上で、EMリングと呼ばれるGPS監視装置を装着されて、即日保釈された。

状況が変わったのは、2023年に入ってからだ。1月9日に、刑事裁判所が、ふたりとともに罪に問われている別の活動家バイポーとケット(どちらも20代前半)の保釈を取り消す決定を下す。保釈条件への違反がその理由とされたが、弁護士などは、取り消し決定のプロセスに法的な問題があると指摘した。

1月16日、タワンとベームは刑事裁判所前で、この決定を批判するべく、血に見立てた赤色の液体をみずからの身体に浴びせかけるというパフォーマンスを行なった。彼女たちは、裁判が行われないまま勾留が続く民主活動家たちの保釈を要求した上で、裁判所に自分たちの保釈の取り消しを申し出て、その日の夕方に再度勾留された。

1月18日には、SNSに投稿された動画を通じて、ふたりは「命を賭けて闘う」ことを宣言し、ハンガーストライキを開始する。その要求は以下の3つだ。

第一に、司法制度を改革し、裁判所が市民の人権と表現の自由を守ること。第二に、表現の自由や集会の自由を行使した市民への訴追をしないこと。第三に、すべての政党が、王室不敬罪と煽動罪の廃止によって、市民の権利を保障する政策を提案し、市民の政治参加を推進すること。

彼女たちの行為との因果関係は不明だが、ハンストの開始後、10名を超える活動家が保釈されている。

ふたりは1週間後に、外部の病院に移送された。だが2月24日には、さらに3名の活動家の保釈を要求して、病院での点滴治療などを拒否した上で、最高裁判所前に設置した無菌テントでのハンスト続行を宣言した(追記:3月3日夕方には、ふたりの体調が急激に悪化しているとのことで再度病院に移送され、同11日にはハンストの中止が発表された)。

どうして彼女たちは、ここまでの行為に及んだのか。彼女たちだけではない。
2020年以降、何人もの若者が、警察隊との衝突で重傷を負ったり、勾留中にハンガーストライキを実施したりしている(タワンは、2022年にも、勾留中に37日間のハンストを行なっている)。

もはや民主化運動も、当初のような一枚岩の大きな盛り上がりはなく、彼女たちの過激ともいえる抗議活動には、根本的な主張を同じくするひとたちの中からも、批判的な目が向けられることがある。

タイの民主化運動が拡大したのは、2020年の初頭のことだ。民主化の希望として期待された政党「新未来党」が、不当ともとれる方法で解党されたことで、支持層だった都市部の大学生を中心に抗議運動が広がった。
2014年の軍事クーデター以降政治を支配している軍事政権の影響力排除を求めて始まった運動は、次第に、「王室改革」を中心的な要求としていく。

国王という存在が、国家を支える三原則のひとつとしてみなされているタイ社会では、プロパガンダや学校教育の中で、国王や王室を賛美する物語が繰り返し紡がれている。しかもその物語は、王室不敬罪という強固な鎧で守られていて、批判はおろか、疑問を呈することすら難しい。

しかしその物語こそが、タイ社会の権威主義的な思想や強権的なシステムを駆動していて、民主主義の実現を阻害し、市民の分断と対立を煽り、数々の流血の事件を引き起こしている。そうした社会の中で、自分たちは声を奪われ続けてきた。

このような若者たちの認識が醸成されたことで、不可能と考えられていた王室批判も、公然と行われるようになった。王室不敬罪などで収監された政治犯への面会の記録を、小説風のノンフィクションとして描き、大きな話題を呼んだ『狂乱のくにで』(2021)で、著者のラットは綴る。

「〔上の世代が抱えていた〕鬱屈とした絶望は、もはや新しい世代の人々が抱える本質じゃない」。
運動が長期化し、弾圧が繰り返されることで、確かに活動の規模は縮小している。けれども、自分たちの手で新しい物語を紡がなければ、タイ社会にも、自分たちにも未来はないという覚悟や焦慮が、若者たちを捨て身の抗議活動に駆り立てている。(後略)【1月3日 福冨 渉氏(タイ語翻訳・通訳者)Newsweek】
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「王族の行幸啓の車列は〔交通制限などが必要になるため〕迷惑だと思うか?」というシール式アンケート・・・2020年3月にタイ・バンコクを旅行した際に、「不人気の国王が、おそらく人気取りのためだろうが、国王通行時の交通制限の廃止だか緩和だがを申し出たそうだ」と、日本で旅行前に報じられたニュースを若い現地女性ガイドに話したところ、「ウソでしょう。タイではそんな話全然聞かない。日本ではそんな話が報じられているの? 絶対ウソだ!」と非常に驚いていました。

上記【Newsweek】記事が書かれたのが2023年3月頭ということですので、この記事のあとに、冒頭で取り上げたように5月の総選挙で王室改革を掲げる「前進党」が若者らの支持急拡大で想定外の第1党に躍り出るといううねりがありました。

そして今はまた厳しい制約が課される時代に。
一進一退の王室改革議論ですが、今年は前進があるのでしょうか?

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