孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インド  日本的常識では理解しがたいインド社会の実態

2021-12-07 22:55:28 | 南アジア(インド)
(デリーのインド兵【2020年6月3日 AFP】 もちろん儀礼用で、実際の兵士はこんな“とさか”“扇”なんか着けていません。)

【軍兵士の「誤射」で市民6人死亡 押し寄せた市民に「自衛のため」発砲し、更に7人死亡】
インドでの事件。日本では考えられないような出来事。

****インドで軍が誤射、市民計14人死亡…内相「過激派と誤認」****
インドのアミット・シャー内相は6日の議会で、北東部ナガランド州モンで軍がバスを誤射するなどして市民14人が犠牲になったことを認め、遺憾の意を表明した。「過激派と誤認した」という。
 
シャー氏によると、軍が4日、過激派情報を得て待ち伏せしていたところ、通りかかったバスが制止に応じなかったため撃ち、炭鉱労働者6人が犠牲になった。軍は抗議に押し寄せた市民に対して「自衛のため」として発砲し、さらに7人が死亡した。5日も発砲で市民1人が死亡した。
 
現地では分離・独立を求める反政府勢力が長年活動しており、政府は兵士に令状なしの発砲や逮捕を認め、起訴を免れられる特権を付与している。州首相は6日、特権の停止を要求した。【12月7日 読売】
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「世界最大の民主主義国」インドの軍はなかなかに強権的です。
パキスタンと領有権を争うイスラム教徒が居住するカシミールでの有無を言わせぬ暴力的統治もしばしば話題になります。

「過激派」とはインド共産党毛沢東主義派(毛派)のことかとも思ったのですが、別組織なのかも。
“ナガランド州をはじめとするインド北東部の州では数十年にわたり、民族集団や分離派グループなどによる混乱が続いている。  同域には幾つもの民族集団や小規模なゲリラ組織が存在しており、自治権の拡大やインドからの分離などを主張している。”【12月6日 AFP】

中国と並んで今後の世界経済を担うとされているインドで、未だに過激武装勢力が跋扈しているというのも不思議ですが、そうした過激派の存在を支える絶対的貧困、不条理な格差・差別といったものが存在しているのでしょう。

過激派支配エリアでは、警察などもまともに出歩くことはできない・・・といった記事を数年前に目にしましたが、今はどうなっているのでしょうか?

****インドで治安部隊22人死亡 毛派と4時間の銃撃戦****
インド中部チャッティスガル州で4日、治安部隊が極左過激派、インド共産党毛沢東主義派(毛派)の掃討作戦中に銃撃戦となり、当局によると、少なくとも治安部隊22人が死亡、31人が負傷した。銃撃は4時間に及んだという。

同州警察トップによると、同州バスタル県での掃討作戦中に毛派からの攻撃を受けた。
治安部隊の隊員1人が行方不明となり、捜索が続いている。

インド政府は政府転覆と階級のない社会実現を目指す「ナクサライト」と呼ばれる毛派の反政府勢力と数十年に及ぶ戦いを続けている。毛派は部族の人々が多く住むインド中部で活発に活動し、同州のほかマハラシュトラ、オリッサの各州で攻撃が相次ぐ。
バスタル県は毛派の数ある拠点の一つと見られる。

モディ首相は同日、犠牲となった隊員やその家族に哀悼の意を示した。

ナクサライトは1960年代から活動しているが、近年の襲撃は2000年代前半から始まった。10年以降の市民の死者数は2100人あまり。19年の内務省報告書によると、11州90県がナクサライトや毛派の影響を受けている。

政府は治安部隊による掃討作戦で対応しているが、手荒で不適切な対応との批判も一部から出ている。
毛派の支配下に暮らす人々は、成長が続く同国経済から取り残された人々が多い。そうした住民の多くは、子どもが反政府勢力に兵士としてとられたり、政府による暴力的な掃討作戦を受けたりすることに懸念を抱いている。【4月6日 CNN】
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冒頭の「誤射」およびその後の発砲も、上記のような社会情勢のなかで起きたものです。

“州首相は6日、特権の停止を要求した”とのことですが、モディ首相はこの要請をたぶん認めず、慣例どおり兵士は「免責」となるのでは・・・。

【世界中で「1億人以上」の女性が消えている“恐るべき現実” インドでは4580万人】
古来、仏法が天竺より伝来した・・・とは言え、インド社会というのは現代日本にとって、中国や東南アジアに比べてつながりが薄く、その在り様はなかなかわからないところが多々あります。

直接の関連性はありませんが、そうしたインド社会の(日本的常識を超えた)側面を伝える記事を2件。

****《20年以上前から指摘されている衝撃的事態》世界中で毎年「1億人以上」の女性が消えている“恐るべき現実”を知っていますか?****
血筋の保存や家業の相続などの文化を背景として、女児よりも男児の誕生が待ち望まれる社会がある。現代では薄れてきている感覚ではあるが、つい数十年前までは日本でも男児、特に長男こそが「イエ」にとって重要な存在だった。
 
このような性別に対する意識、文化の差が、中国・インドをはじめとする国々で大きな問題を引き起こしているという。ここでは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授である池亀彩氏の著書『 インド残酷物語 世界一たくましい民 』(集英社新書)より一部を抜粋し、性別意識がもたらす影響について概観する。

消える“日本の人口に匹敵する数の女性たち”
「消えた女性たち(missing women)」という表現をご存じだろうか? これは、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センが1990年12月20日付の『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』で発表した「1億人以上の女性たちが消えている(More Than 100 Million Women Are Missing)」という論文で初めて使われた表現だ。日本の人口に匹敵する数の女性たちが消えているとは、どういうことなのか?
 
「自然な状態であれば、100人の女児に対して、105から106人の男児が生まれることはほぼ世界共通である。しかし男性が有利なのはここまでで、なぜか女性の方が病気などへの抵抗力が強く、単に女性が男性よりも長生きするだけでなく、成長期においても、同じ栄養状態、医療体制であれば女性の方が生存しやすい。そのため、ヨーロッパ、北米、日本では女性の人口の方が男性よりも多い。
 
だが、この女性と男性の割合は場所によって大きく異なる。他の地域に比べて女性の割合が著しく低い地域が中国、南アジア、西アジアなどである。

もし男女比を1:1とすると、この地域では1:0.94(1990年時点の数値)であり、他の地域では生存しているはずの女性がこの地域では6%も「いない(消えている)」ことになる。

さらにいえば、男性と女性が同等に扱われている地域での男女の人口比は1:1.05であるから、それと比較すると実に11%の女性が消えているわけだ。こうした計算によって導かれたのが1億人という数字であった。つまり本来ならば生きているべき1億人もの女性が何らかの原因でいないのだ。

生まれる前に「消える」女性
センの論文以降、人口学者や社会学者たちは「消えた女性たち」を社会問題として議論してきた。国連人口基金(UNFPA:United Nations Population Fund)による2020年のレポート(UNFPA State of World Population 2020)によれば、2020年には本来生きているはずであった女性たち1億4260万人が「消えている」という。

消えた女性の数は1970年の6100万人から50年で倍増している。消えた女性が圧倒的に多い国が2つある。中国とインドだ。中国では7230万人が、インドでは4580万人が消えている。世界から消えた女性の実に過半数が中国から、そして約3分の1がインドからなのだ。

では女性たちはどうやって「消える」のか?
まず女性が消えている地域では、そもそも女性の生まれる数が少ない。男児が1人生まれれば次の子供は望まないという選択をするだけでも女児の数に影響するが、それだけでは説明できない。

男児が圧倒的に多い地域では、女児と分かった段階で堕胎しているのだ。これは超音波診断の技術発展によって、胎児の性別判断ができるようになったことが大きい。

インドでは、胎児の性別判断は違法であるが、それでも2013年から2017年の間に年間約46万人の女児が誕生の段階で消えており、出生前の性選別(prenatal sex selection)がインドで消えた女性の約3分の2を占めるという。

生まれた後に「消える」女性
では残りの3分の1の女性はどう消えたのか?
 
彼女たちは出生前の選別を逃れ、生まれてくることができたにもかかわらず、何らかの性選別のために男性よりも死に至る可能性を高めたのだ。

男児を好む文化のある地域では、男児は祝福されて育つが、女児は生まれた瞬間から失望の原因であり、後述するように将来の経済的負担でしかない。だから女児は無視され、忘れられ、雑に扱われる。

意識されるにせよ、されないにせよ、こうしたネグレクトにより女児は男児よりも死にやすい。男児が好まれる地域においては、女児は母乳を与えられる期間が男児より短く、また食事も少なく与えられるというレポートもある。

インドにおいては、5歳以下の女児の実に9人に1人は、こうしたネグレクトなどの出生後の性選別(postnatal sex selection)によって亡くなっているとされる。
 
こうした数字には、インド国内においても大きな地域差があることを留意しておきたい。インドでは男女の人口比が自然な値から離れている地域と出生後の性選別による女児の死亡数の高い地域はほぼ一致していて、いわゆるヒンディー・ベルトといわれるウッタル・プラデーシュ州、ビハール州、マッディヤ・プラデーシュ州、そして北西部ラジャスターン州でその傾向が強い。

一方でケーララ州などの南部では、男女の人口比も先進国とほぼ変わらず、5歳以下の女児の死亡もそれほど多くはない。

男児が好まれる要因
さて、なぜ女児よりも男児が好まれるのか? 

数十年前の日本でも女児よりも男児、そして長男が「家」にとって大切な存在とされていたのだから、これはそれほど想像に難くないだろう。男性が財産を相続し、家の名前やビジネスを継承し、先祖代々の墓を守る。だからこそ、男性は教育を受け、良い仕事に就き、家族を支えることも当然と考えられてきた。

こうした家父長主義においては、実は男性自身もそのイデオロギーの犠牲者として苦しむことが多いが、女性は生き続けることはもちろん、生まれてくることそのものも困難なのだ。
 
インドにおいて男児が好まれる原因の1つに持参金問題がある。娘を嫁に出す側が現金や金・銀などを持参金として婿側の家族に渡す習慣は、女性がより地位の高い家へと嫁ぐ上昇婚が多い北インドで行われた慣習だが、現在ではかつてイトコ婚などの同位婚が多かった南インドにも広がっている。また持参金はヒンドゥー教徒だけでなく、クリスチャンやムスリムの間でもみられる。

持参金の額は、婿となる男性の教育レベルや給与の額などで大きく異なる。またカーストによっても要求する額は変わってくる。インド西海岸部に多いコンカーニ・クリスチャンは多額の持参金を求めることで有名だが、現金や貴金属の他に、高級車や値段の高騰しているムンバイ市のマンション(これだけで何千万円とするだろう)などの不動産を要求されることもあるという。

ハラスメントにつながる持参金問題
これが伝統的な男性中心主義に加えて、女児よりも男児を好む傾向に拍車をかけることになっている。そして持参金が少なかったからと夫やその家族からハラスメントを受ける女性も多い。

持参金で揉めて、結婚後に殺される「持参金殺人」(多くは生きたまま火をつけられて殺される)も一時ほど社会問題とはなっていないが、最悪だった2011年には年間8618人の女性が殺された(インド国立犯罪記録局調べ)。ちなみにインドでは持参金を要求することも支払うことも1961年以降は違法である。
 
女性の数がこれだけ減れば、需要と供給の関係から、結婚市場における女性の価値が上昇しても良さそうだ。だが、そう簡単には物事は進まない。

むしろ収入の安定した職持ちの男性が少ないため、そうした男性に女性が集中する。さらに女性が若い方が持参金の額を低く抑えられるため、法律で決められた18歳を下回る年齢で結婚させられる女性も少なくない。
 
結果的に、多くの女性が「消えた」地域では、結婚できない若い男性が多く残ることになる。レイプなどの女性への暴力事件が多いのも同じ地域だ。

北インドでは、北東インドなどのより貧しい地域から「買われて」きた女性たちが奴隷同然の扱いを受けているという報告もある。持参金を持ってきた女性たちですらハラスメントにあうのだから、「買われた」女性たちの困難さは想像に難くない。【12月5日 文春オンライン】
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なお、記事表題には“毎年”とありますが、一定期間の累計では?

アメリカで人工中絶の是非が大きな問題、社会を分断する対立軸となっているということは以前のブログでも取り上げていますが、問題とすべきは個々人の事情による中絶ではなく、上記のような社会的要因による中絶の方でしょう。

【家族の名誉を守るため、自殺した娘が“殺された”と訴える家族】
持参金を要求することも支払うことも違法、カースト差別も違法ですが、実態は・・・。
次の記事は、裁判にからむ建前と本音。

****「こうするしかなかったんだってね…」“自殺”したはずの妻を“殺した”容疑で刑務所へ送られた男性が明かす“異常な裁判”の実態****
裁判に訴える動機は、勝って自分の主張を認めてもらいたいからと考えるのが一般的だろう。ところがインドの一部では、勝ち負けよりも、裁判に訴え出ることに価値があるという風潮があるという。  

長年、インドの社会・文化人類学的研究を行ってきた京大准教授の池亀彩氏は、その背景には、インド社会における「メンツ」意識があると説明する。

ここでは、池亀氏の新著『 インド残酷物語 世界一たくましい民 』(集英社新書)の一部を抜粋。同氏が調査でインドを訪れた際に体験したエピソードから、インド社会の意識を紹介する

スレーシュが刑務所に行くことになったわけ
「マダム、僕ね、刑務所に入っていたことがあるんですよ。隠しておいて後でバレて、お互い気分が悪くなるなんてことになるより、最初からはっきりさせておいた方がいいと思いましてね。刑務所に入っていたドライバーは嫌だっていうなら、他のドライバーを呼びますから。僕は全然気にしませんから、はっきり言ってくださいね」  

運転手のスレーシュから突然そう切り出されたのは、いつの頃だったか。おそらく2度目に彼に運転を頼んだ時ではないかとおぼろげな記憶をたどる。(中略)

「なぜ刑務所に行く羽目になったの? 一体何をしたの?」と私は半ばワクワクして聞いた。 「容疑は殺人だったんですよ」(中略)

「私の妻がね、自殺したんです。首をくくってね。実は前から恋人がいたみたいで。薄々気づいてはいたんです。でもそのうちおさまるだろうと思って、ほうっておいたんです。それがある日突然死んでしまって」 

「それは本当に不幸なことだけれど、それならあなたが捕まる理由はないでしょう?」 

「彼女の両親が、僕が殺したんだって訴えたんですよ。もちろん彼らも真実はどこにあるのか分かっていたんですけど」 

「え? どういうこと? 彼女の両親は自殺だと分かっていたのにあなたのことを殺人で訴えたの?」 

「そうですよ。彼らはそうせざるをえなかったんです。実は後で謝られましたよ。でも分かってくれ、こうするしかなかったんだってね」 (中略) 

なぜ、スレーシュの自殺した妻の両親はスレーシュを殺人で訴えたのか?

裁判所の判断は「どちらでもいい」?
これはインドの「裁判文化」を知らなければ、理解できないだろう。  

インドでは裁判所が処理しきれないほどの民事・刑事裁判が行われている。しかも、そのほとんどが何年もダラダラと引き延ばしにされて、結論が出ていない。ごく明白な犯罪が絡む刑事裁判を除いて、多くの裁判事例は、裁判すること自体に意義があり、勝ち負け(あるいは裁判所の最終判断)はどちらでも良いと思われている節がある。

スレーシュの例はその典型的なケースである。妻の両親は、スレーシュが娘を殺したとは思っていない。どうも娘の不倫も知っていたようでもある。そしてスレーシュに殺人の罪を着せられるほど証拠も何もないことも分かっていたはずである。

それでも、訴え出た理由は、一言でいえば「メンツ」である。  

直接的には死んだ娘の名誉を守るためだ。不倫をしていて自殺したと思われるよりも、夫に殺されたというストーリーの方が名誉が保たれるというのは、女性は貞淑であるべきという文化においては当然なことなのだろう。

だがこれは彼女個人の名誉にとどまらない。実のところ彼女個人のことなど二の次である。重要なのは、不倫し、自殺するような女性がいる家の評判である。彼女に未婚の兄弟姉妹がいれば、彼女の行為は彼らの結婚に確実に影響する。今でも結婚は、個人だけでなく家族全体がその財産や社会的地位を押し上げるための梃子のようなものである。

だからこそ、家族の名誉を損じることは何が何でも避けなくてはならない。例えば不倫した女性の妹ということが分かれば、嫁にもらってくれる男性の収入レベルは必然的に下がってしまうし、あるいは不当に高額な持参金を要求されるかもしれない。インドの結婚は極めて複雑な計算の上に成り立つが、少しでも不利な点がない方がいいに決まっている。(後略)【12月5日 文春オンライン】
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天竺は、唐にも増して不思議の国です。
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