(訪問先ケニアで、地域住民たちと一緒に座り、言葉を交わすチャールズ国王)
【イギリス チャールズ国王、ケニア訪問で「深い悔恨」の意を表するものの、公式謝罪はせず】
自国の負の歴史への向き合い方は各国固有の事情がありますし、その対応も様々。微妙な政治情勢も絡んでくることもあって難しいものがあります。
イギリス チャールズ国王
「過去の悪行について、最大の悲しみと深い後悔の念を抱いています。ケニアの方々に対し、忌まわしく不当な暴力行為がありました」
イギリスのチャールズ国王が10月31日、アフリカのケニアを公式訪問しました。12月にケニアが独立から60周年になるのを前に現在の「両国の温かい関係」をたたえるのが目的。
イギリスの植民地だったケニアでは、1952年から1960年にかけてイギリス統治への反乱が弾圧され、1万人以上が死亡したとされています。
イギリスの植民地だったケニアでは、1952年から1960年にかけてイギリス統治への反乱が弾圧され、1万人以上が死亡したとされています。
植民地時代の残虐行為や奴隷貿易などを巡っては、チャールズ国王に対し、「国を代表した謝罪」を求める声も上がっていました。
チャールズ国王はイギリスが植民地支配下で行ったケニア人への弾圧行為を認め、「弁解の余地はない」と語りましたが、公式謝罪はありませんでした。
****英国王、旧植民地時代のケニア弾圧「深い悔恨」 公式謝罪はせず****
英国のチャールズ国王は10月31日、公式訪問中のケニアの首都ナイロビで開かれた夕食会であいさつし、英植民地時代に英側による弾圧で多数のケニア人が死亡したことについて「深い悔恨」の意を表した。
欧州では近年、過去の人種差別や植民地支配を巡り国家元首らがどこまで踏み込んだ謝罪をするかが注目されているが、今回は公式謝罪はなく、一部のケニア人を「失望させたかもしれない」(英BBC放送)と報じられている。
国王は「いまわしく不当な暴力行為だった。弁解の余地はない」と語り、「最大の悲しみと深い悔恨」の意を表した。
ケニアは1963年に英国から独立したが、52〜60年の独立闘争では英側の弾圧で1万人以上が死亡したとされる。2013年に英政府は5000人以上に2000万ポンド(約36億円)の補償金支払いを表明したが、謝罪や補償が十分でないとの声も根強かった。
今回、明確な謝罪が見送られた背景には、「立憲君主制」による制約もあるとみられる。王室に詳しいユニバーシティー・カレッジ・ロンドンのヘザー・ジョーンズ教授はBBCに「国王が個人的に謝罪を試みても、政府の承認が必要になる。立憲君主国の王として、公の場で発言できることには制約がある」と指摘した。スナク首相は謝罪に消極的と報じられている。
オランダでは今年7月、国王が過去の奴隷貿易について人道に対する罪と公式に認め、「皆さんの王として謝罪する」と述べた。同じ欧州の王室による公式謝罪を受け、英王室の姿勢が注目されていた。
近年は、米国で始まった「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事だ、BLM)」運動を受け、人種差別や過去の植民地政策を巡る議論が活発化している。【11月1日 毎日】
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日本を含め多くの列強が植民地支配を行っていますが、植民地支配で最大の利益を得たのは“大英帝国”イギリスでしょう。しかし、故エリザベス女王は一度もそのことで謝罪は行っていません。
“初代のエリザベス女王と違って、故エリザベス2世に国政を動かす権限はなかった。しかし英連邦諸国への度重なる訪問を通じて、女王がイギリスという国とそのシステムを体現する存在だったことは事実。そして過去の植民地支配を一度もわびなかったことも事実だ。”【2022年9月20日 “植民地支配の「罪」をエリザベス女王は結局、最後まで一度も詫びることはなかった” Newsweek】
【オランダ ルッテ首相に続き、国王も奴隷貿易関与を謝罪 ルッテ首相、インドネシアに対しても謝罪】
前出記事にあるオランダ国王の奴隷貿易に関する謝罪は以下のようにも。
****オランダ国王、奴隷制関与を謝罪 「人道に対する罪」****
オランダのウィレムアレクサンダー国王は1日、オランダが過去に奴隷制度に関与したことや、その影響が現在も続いていることを謝罪した。
旧植民地を含むオランダの奴隷制度廃止から160周年となるのを記念してアムステルダムで行われた式典で「オランダの奴隷制の歴史を思い起こすこの日、私はこの人道に対する罪について許しを請う」と述べた。その上で、オランダ社会における人種差別は問題として残っているとの認識を示した。
ルッテ首相も昨年12月、オランダが過去の大西洋奴隷貿易に責任があり、そこから利益を得ていたと認めて謝罪していた。
オランダ王室は同月、植民地の歴史における王室の役割について独立調査を委託しており、2025年に結果がまとまる予定だという。【7月3日 ロイター】
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なお、オランダ・ルッテ首相は2022年2月17日、インドネシア独立戦争(1945~49年)においてオランダ軍が拷問などを「頻繁かつ広範囲」に行っていたとの調査結果を受け謝罪。「オランダ政府を代表してインドネシアに深く謝罪する」と述べています。
【ドイツ 大統領がタンザニアで植民地時代の犯罪を謝罪 ユダヤ人虐殺に関する責任では、イスラエルに対する“負い目”になっている側面も】
11月1日には、東アフリカ・タンザニアでドイツのフランクワルター・シュタインマイヤー大統領が「ドイツ人があなた方の祖先にしたことに許しを請いたい」と謝罪しました。
****ドイツ大統領、植民地時代の犯罪の「許し」請う タンザニア****
ドイツのフランクワルター・シュタインマイヤー大統領は1日、訪問先の東アフリカ・タンザニアで、自国が植民地支配中に犯した犯罪を「恥じる」と述べるとともに、その残虐行為に関する自国民の認識を高めていくと約束した。
独領東アフリカの一部だったタンザニアでは、1905〜07年に植民地史上最大の流血の惨事といわれるマジマジ反乱が起きた。専門家によるとこの反乱の際、独軍によって20万〜30万人の先住民が虐殺された。
シュタインマイヤー氏は、反乱の歴史を伝える南部ソンゲアのマジマジ博物館を訪問。独軍による虐殺を「恥」だと明言し、「ドイツ人があなた方の祖先にしたことに許しを請いたい」と述べた。
また「ここで起きたことは、われわれが共有する歴史だ。あなた方の祖先の歴史であり、ドイツにおけるわれわれの祖先の歴史だ」と述べ、さらに「われわれドイツ人は、あなた方が心を休めることのできない未解決の答えを共に探していくことを約束したい」とし、過去の「共同処理」に取り組む用意があると述べた。
シュタインマイヤー氏は前日の10月31日、ダルエスサラームでサミア・スルフ・ハッサン大統領と会談した際、植民地時代にタンザニアから略奪された「文化財や遺骨の返還」に関し、国として協力する姿勢を示していた。
英国のチャールズ国王も同日、訪問先のケニアで、植民地時代の独立運動を英国が弾圧したことについて「忌まわしく、正当化できない暴力行為」があったと認め、「過去の過ちについて最も深い悲しみと遺憾」を表明した。 【翻訳編集】
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ドイツの場合、ユダヤ人に対するホロコーストの歴史がありますが、これについては明快にその責任を認めています。
単に過去の反省・謝罪だけでなく、現在の国際関係にもその影響は及んでいます。
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2008年3月18日、メルケル首相(当時)は、クネセト(イスラエル議会)で約24分間にわたって演説した。イスラエルが建国60周年を迎えたことに敬意を表わすためである。(中略)
そして彼女は、「このドイツの歴史的な責任は、ドイツの国是の一部です。ドイツ首相である私にとって、イスラエルの安全を守ること、これは絶対に揺るがすことができません」と断言した。
この言葉によって、ドイツはイスラエルが紛争に巻き込まれた場合、原則としてイスラエル側に立つというメッセージを全世界に送った。【10月20日 新潮社Foresight】
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これを受けて、今回のイスラエル・ハマスの戦闘にあっても、10月8日にショルツ首相が発表した声明の中に、「イスラエルの安全を守ることは、ドイツの国是だ」という言葉があります。
****ナチスの犯罪に対する負い目****
ショルツ首相は、メルケル前首相の路線を継承して、ハマスによる大規模テロという危機的な事態において、イスラエル支持の姿勢を改めて打ち出した。ドイツのイスラエル寄りの姿勢の背景には、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に対する「負い目」があるのだ。
(中略)ドイツ政府は、イスラエルに対する軍事支援にも踏み切る。ドイツ国防省の10月12日付の発表によると、同国のボリス・ピストリウス国防大臣は10月12日、「イスラエルからリースされている2機の「ヘロン」型ドローンを返還する他、軍事資材や医療物資も供与する」と語った。
同国の緑の党の議員たちの間からも、イスラエルに対して武器を供与するべきだという意見が出ている。同党のアンナレーナ・ベアボック外務大臣は、「イスラエルは自衛する権利がある」と語った。(後略)【10月20日 “ハマス大規模テロ――なぜドイツはイスラエルを支持するのか”新潮社Foresight】
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【フランス アルジェリア植民地支配・弾圧への明確な謝罪なし】
フランスは広大な植民地をアフリカなどに有していましたが、特に本国と関係が深ったのがアルジェリア。
マクロン仏大統領は2018年9月13日、1957年にアルジェリアでフランス軍に拘束され行方不明となったモーリス・オダンの死について、軍の責任を認め、未亡人に謝罪しました。
ただ、アルジェリア植民支配・弾圧については未だ明確な謝罪発言はなされていません。
****仏マクロン大統領、慰霊祭初参加 60年前のアルジェリア人弾圧、謝罪発言はなし****
フランスと北アフリカの旧植民地アルジェリアが独立戦争中だった1961年10月17日、パリで起きたアルジェリア系移民の弾圧から60年となるのを前に、マクロン大統領が16日、現職大統領で初めて慰霊祭に参加した。大統領府は「許されない犯罪」との声明を出したが、マクロン氏自身からは謝罪の発言はなかった。
マクロン氏はパリ郊外のセーヌ河畔の橋で行われた慰霊祭で黙とうをささげ、遺族らに声を掛けた。
大統領府は、アルジェリア系移民のみに課された夜間外出禁止令への抗議で集まった約2万5000人が弾圧され、数10人が死亡し遺体がセーヌ川に投げ捨てられたことを認めた。死者数は従来の公式見解で3人とされてきたが、数百人規模と指摘する識者もいる。
禁止令を出した当時のパリ警視総監は、第2次世界大戦中の親独ビシー政権で多くのユダヤ人を強制収容所へ送ったとして戦後に裁かれ、実刑判決を受けたモーリス・パポン氏(故人)。大統領府の声明は「パポン体制下で行われた許されない犯罪」とする一方、弾圧の実行者が警察官であるとは言及しなかった。
マクロン氏は初当選した大統領選中に、アルジェリアの植民地化を「人道に対する罪」と糾弾していた。慰霊祭の参加について、パリ郊外ナンテールの市民団体「記憶のための連帯10月17日」のアフメド・ジャマイさん(55)は「フランスが虐殺を認める日のために30年活動してきたのに、大統領の直接の言葉が聞けないとは」と嘆いた。
両親が当時、パリでの抗議行動に参加していた同団体のマメド・カキさん(60)は「虐殺の記憶があまりにむごく、アルジェリア人の多くは子どもに語るのをタブー視してきた」と指摘。マクロン氏に対し「新しい歴史のページをめくる好機を逃した」と残念がった。
歴代仏政権が弾圧の事実と向き合ってこなかったことは、アルジェリア独立後も両国対立の背景の一つとなってきた。今月以降、マクロン氏自身の歴史認識を巡る発言を機に激化していた対立が緩和に向かう可能性もあるが、仏国内では右派系野党から「反仏プロパガンダに屈した」などと批判も出ている。【2021年10月17日 東京】
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【オーストラリア アボリジニへの歴代首相の謝罪に続き、憲法改正を試みるも大差で否決】
オーストラリアで問題になっている過去の歴史は先住民アボリジニの殺戮・差別。
2008年2月13日、ケビン・ラッド首相が議会で演説、過去のアボリジニに対する差別的政策について公式に謝罪。
2021年2月15日、スコット・モリソン首相も議会で「事実を認め、これまでの首相の言葉を繰り返す。申し訳ない」とあらためて謝罪。
アルバニージー首相は更に一歩進め、「アボリジナル・ピープルおよびトレス海峡諸島民を『最初のオーストラリア人』と認め、その意見を議会に届ける諮問機関ボイスを創設する」とする憲法改正を国民に問いましたが、当初は賛成の世論が多数だったものの、野党の反対もあって、次第に反対の世論が増え、国民投票では反対が6割を超える大差で否決されました。
****豪、先住民巡る改憲否決 国民投票で反対6割超える****
オーストラリアで14日、アボリジニなど先住民を巡る憲法改正の是非を問う国民投票が実施され、反対多数で否決された。先住民の指導者は15日、遺憾の意を示し、1週間にわたり先住民の旗を半旗にする方針を表明した。
国民投票では、先住民を「最初のオーストラリア人」と認めることや、先住民が影響を受ける問題を政府に諮問する組織「議会への声」設立の是非が問われた。
国民投票では、先住民を「最初のオーストラリア人」と認めることや、先住民が影響を受ける問題を政府に諮問する組織「議会への声」設立の是非が問われた。
改憲には賛成が全国で過半数を占め、さらに全6州のうち少なくとも4州で過半数に達する必要があったが、全州で反対が多数を占め、全国では反対派が60%以上に上った。
先住民の指導者は「この大陸に来てまだ235年しか経っていない人々が、この地を6万年以上にわたって故郷としている人々を認めることを拒否するとは道理を超えている」と述べた。
今回の結果は先住民社会との和解に向けたオーストラリアの取り組みに大きな痛手となり、先住民問題への対応における同国のイメージも損ねるものとなる。【10月16日 ロイター】
先住民の指導者は「この大陸に来てまだ235年しか経っていない人々が、この地を6万年以上にわたって故郷としている人々を認めることを拒否するとは道理を超えている」と述べた。
今回の結果は先住民社会との和解に向けたオーストラリアの取り組みに大きな痛手となり、先住民問題への対応における同国のイメージも損ねるものとなる。【10月16日 ロイター】
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****オーストラリア、先住民の権利向上をめぐる国民投票「否決」...甘すぎた政府の理想と現実****
<アボリジニの未来のため、白豪主義の過ちを償おうとする首相の訴えは理想論としては完璧だったが、誤算と失策に悩まされる結果に>
10月14日、オーストラリアで先住民の権利をめぐる国民投票が行われ、否決された。是非が問われたのは、「アボリジナル・ピープルおよびトレス海峡諸島民を『最初のオーストラリア人』と認め、その意見を議会に届ける諮問機関ボイスを創設する」ための憲法改正案だった。
否決自体は想定内だったが、その規模は予想をはるかに超えていた。60%もの有権者が政府の改憲案を拒否したのだ。
この結果は人々に内省を促した。否決は先住民に対する国民の姿勢の表れなのか。それとも単に反対派の戦略がうわてだったのか。
多くの疑問が渦巻くが、確かなことが1つある。昨年5月の政権発足以来、改憲に取り組んできた労働党のアンソニー・アルバニージー首相にとって、敗北は甚大な打撃だ。
国民投票を実施したアルバニージーの気骨は称賛に値する。憲法で自分たちの存在を明文化し、諮問機関を設立することを先住民が求めた2017年の「心からのウルル声明」を尊重するという公約を、彼は守ろうとした。
先住民がよりよい未来を築けるようにその6万5000年の歴史を認め、白豪主義の過ちを償おうと、アルバニージーは訴えた。これは理想論としては完璧だったが、いざ改憲を実現しようとすると誤算と失策に悩まされた。
説明不足と先入観も敗因
まず、実現に課したハードルが高かった。改憲には全国の有権者の過半数が賛成票を投じ、なおかつ全6州のうちの4州以上で賛成票が過半数に達する必要がある。(中略)
一方、今回問われたのは理念だった。政府はボイスがどんな機関になるのか具体的な構想を示さず、有権者の承認を得た暁には議会がそうした決定を下すとのみ説明した。
先住民の声を政策に反映しやすくする機関の創設は既に国民の理解を得ていると信じたのも、失敗だった。確かにこの数十年で、裁判や調査が先住民迫害の衝撃的実態を明らかにした。歴史は再検証され、国民の意識も変わった。それでも有権者に改憲への賛同を取り付ける段になると、政府は説得力を欠いた。
22年の総選挙で労働党を圧勝させた民意が再び味方してくれると思い込んだのも、間違いだった。
先住民の大半はそんな変化を求めていないとの主張
具体的な構想を示さない政権のやり方に、22年に惨敗した野党・保守連合(自由党、国民党)は目を付けた。有権者の心をつかむのに苦心していた保守連合にとって、国民投票は千載一遇のチャンスだった。「分からないことにはノーと言おう」のスローガンを武器に、野党は有権者の心に疑いの種をまいた。
先住民の指導者であるジャシンタ・ナンピジンパ・プライス上院議員と先住民の実業家で元政治家のウォーレン・ムンディーンも担ぎ出した。先住民の大半は政府が提案するような変化を求めていないと、2人は主張した。
改憲案に込められた大義は、国民投票の否決により致命傷を負った。先住民を代弁するはずだったボイスは、目先の利益しか考えない政治家の手で封じられたのだ。【11月2日 Newsweek】
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