(1948年のイスラエル建国により村を追われたパレスチナ難民と思われます。 “flickr”より By palestinalibre.org http://www.flickr.com/photos/palestinalibre/4604407505/in/photostream )
【「歴史を学び、戻る手立てを考えたい」】
1948年5月14日、イスラエルの独立宣言がなされましたが、イスラエル建国によって、47年から49年にかけてパレスチナ(アラブ)人の70万人以上が、土地を追われて難民になったとされています。
そして、未だ故郷への帰還を果たしていません。
パレスチナ側は、イスラエル独立宣言の翌日、5月15日を“ナクバ(大災厄)”としています。
ナクバから60年余が過ぎ、父祖の地を知らないパレスチナ人も増えています。
イスラエル国内では、教育の場でも取り上げられることはありません。
今、パレスチナの若者たちの間で、この歴史の記憶を語り継いでいこうとする試みがなされているそうです。
****パレスチナの今:語り継ぐ大災厄/上 難民の歴史、若者が記録*****
<語り継ぐ大災厄(ナクバ)>
「ナクバ」。1948年5月のイスラエル建国前後に古里から追われた苦難の歴史を、パレスチナ人はそう呼ぶ。アラビア語で「大災厄」の意味だ。5月15日が記念の日だが、イスラエル国内で難民となり軍の言論規制を受けた人々には、公然と語り難い話題だった。
しかし、中東の民主化運動「アラブの春」に刺激された若者の一部が「歴史を学び、戻る手立てを考えたい」と元住民からの聞き取りなどを始めた。負の記憶を語り継ぎ将来の可能性を探る若者たちの試みに親や祖父母たちは帰還への希望をつなぐ。
◇消えた村、帰還に望み
ヤフィアには、西3キロの旧マアルール村から祖父母4人全員が避難したソーシャルワーカー、ナタリー・ハイエクさん(26)が住む。ナクバの記憶伝承に取り組む一人だ。
「自らの歴史を知らなすぎた」。その思いに突き動かされる。08年に広島で見た原爆の惨禍を伝える活動が念頭にある。民衆蜂起で独裁政権が崩壊したアラブの春にも影響を受けた。「当局に異議申し立てをする力を得た」という。
イスラエル法はナクバの公的な記念行事を禁じ、学校教育でも無視する。大学4年のナガム・アリサレハさん(20)は「ユダヤ人仲間は、ナクバを頭から否定する」という。
マアルールはイスラム教徒とキリスト教徒のパレスチナ人が混在し、人口は約800人。48年には周辺の村も含め、ユダヤ人の軍事組織による住民殺害が相次いだ。住民はヤフィアなどへ逃れた。
一時避難のつもりが土地は接収され帰宅は禁じられた。軍基地が置かれて住宅はほぼ破壊され、政府系機関の植林で森林公園になった。村は消えた。数年前まで立ち入り許可は年1日だけだった。
ハイエクさんらは昨春以降、元住民7人に会い、当時の食、遊び、歌などの証言を録画した。
現地ツアーで150人を案内。古い地図を頼りに住宅の階段などを掘り起こした。
約7000人とされる元住民と子孫が戻れるよう、集合住宅や文化施設、記念施設を配置した「総合計画」も作成、電子版冊子にまとめた。課題は印刷資金作りだ。
旧村は約6平方キロ。建築家のライラ・サルハンさん(25)は「帰還は可能」と考える。アリサレハさんの父マフムードさん(54)は、若者の活動について「我々は再度の追放を恐れ、自由に意見を言えなかった。子供たちは、明確なビジョンを表現している」と期待を込めて語った。【5月15日 毎日】
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ナクバ(大災厄)でパレスチナ人住民が追われ「消された村」のひとつが、イスラエル北部マアルール
当時、村民はユダヤ人集落で農産品を売り、ユダヤ人も村内を自由に通過していました。
“だが、47年11月に空気が一変する。
ユダヤ人とアラブ人の国土を分割する案が国連で採択された。アラブ側に入るはずのマアルールを、ユダヤ人軍事組織が包囲。住民爆殺や周辺での虐殺事件もあり、一家は48年7月に脱出した。
狭い借家生活で、父は52年に、母は80年に、村を再訪せず死亡した。サリムさんの身を案じて「行くな」と言い続けた母亡き後、80年代に戻った村は、森に変わっていた。「自分が根こそぎ抜かれたような気持ちだった」
ナクバでは、パレスチナ人の町村が400カ所以上で破壊され、70万人以上がヨルダン川西岸やガザ、周辺のアラブ諸国へ逃げた。
15万人が新国家にとどまったが、約25%が住まいを追われた人々だった。
パレスチナ人は国籍を与えられたものの、「敵性国民」として66年まで軍に統制され、移動や政治活動が厳しく制限された” 【5月15日 毎日】
ユダヤ人側にも、歩み寄る人々がいない訳ではありません。
“ナクバの継承に取り組むパレスチナ支援の市民団体「ゾフロット」創始者、エイタン・ブロンスタインさん(52)は「ユダヤ人の多くはナクバを全く知らないか、『自衛戦争』で難民が出たと思っている。ユダヤ人とパレスチナ人が真の平和を得るには、ナクバの正しい理解が必要だ」と話す”【同上】
【「たとえ1人でも、もしものことがあれば、大変なことになる」】
その5月15日のナクバを前に、イスラエルの刑務所で続いていたパレスチナ人のハンガーストライキが、イスラエル側が譲歩を示し収拾されたようです。
****パレスチナ人の刑務所ハンスト終結 イスラエルと合意****
イスラエルの刑務所に収容されているパレスチナ人の代表とイスラエル当局は14日、約1カ月にわたり刑務所内で続いていたパレスチナ人約1600人による集団ハンガーストライキを終結させ、パレスチナ自治区ガザからの家族の訪問などを認めることで合意した。エジプトとパレスチナ自治政府が仲介した。
一部は70日以上もハンストを続けており、命の危険がある状況だった。パレスチナではハンストを支援するデモが続いており、自治政府のアッバス議長は13日、「たとえ1人でも、もしものことがあれば、大変なことになる」とイスラエルに警告していた。
パレスチナにとって15日は、1948年のイスラエル建国に伴う紛争で多数の難民が生まれた「ナクバ(大破局)」の日にあたり、毎年大規模なデモが催される。
イスラエル政府は、パレスチナ人の怒りを増幅させかねない状況を憂慮し、前日に幕引きをはかった模様だ。イスラエル放送によると、同政府は14日、イスラエル軍との衝突で死亡したパレスチナ人約100人の遺体をパレスチナ側に返還することも決めた。【5月15日 朝日】
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【「イスラエルは違法入植地の合法化という返答を選んだ」】
しかし、パレスチナ問題の大枠はいささかも進展していません。むしろ、解決の機運が遠のいている感もあります。
4月17日には、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府のファイヤド首相とエルサレムで会談する予定となっていました。
ネタニヤフ首相がパレスチナ高官と会うのは、イスラエルによる占領地でのユダヤ人入植地建設を巡り、10年9月に直接和平交渉が中断して以来で約1年7カ月ぶりのことです。
しかし、上記記事にあるイスラエル刑務所収監中のパレスチナ囚人が待遇の劣悪さを訴えてハンガーストライキに突入する事態となり、ファイヤド首相はこうした状況下でイスラエルとの交渉の表舞台に登場するのを嫌い、会談への出席をとりやめています。
イスラエルの進める入植地問題も相変わらずです。
****イスラエル、違法入植地を合法化=パレスチナが反発****
イスラエル政府は24日までに、占領地ヨルダン川西岸で政府の許可なく建設された三つの違法ユダヤ人入植地を合法化することを決めた。
パレスチナ側は17日、和平交渉再開の条件としてユダヤ人入植活動の凍結などを挙げたアッバス自治政府議長の書簡をイスラエルのネタニヤフ首相に渡したばかり。イスラエル側は2週間以内に返信する予定だが、パレスチナの和平交渉責任者アリカット氏は「イスラエルは違法入植地の合法化という返答を選んだ」と反発しており、事態打開は困難になった。【4月24日 時事】
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イスラエルは、ヨルダン川西岸で政府の許可無く入植したユダヤ人居住地を「違法」とみなし、政府公認の入植地とは区別しています。
今回措置によって、違法とされてきた居住地が実質的な新入植地として政府から認知され、電気や水道などのインフラ整備が進められることになります。
イスラエルのネタニヤフ首相は今月8日、最大野党のカディマと大連立を組むことで合意したと発表しました。
“右派や宗教政党からなるネタニヤフ政権は、法律の制定や予算などを巡り政権内で不和を抱えており、首相は中道のカディマを引き込むことで、政権運営の安定化を図りたい狙いとみられる。”【5月8日 読売】
カディマは、首相率いるリクード党や他の連立相手に比べて比較的、和平交渉再開に積極的とみられていますが、これまでのところネタニヤフ政権の中東和平への取り組みについては変化は見られていません。
****イスラエル:入植停止応じず 首相が書簡****
イスラエルのネタニヤフ首相のモルホ特使が12日、パレスチナ自治区ラマラでアッバス自治政府議長と会談、首相からの書簡を手渡した。議長が先月、首相への書簡で要求した占領地でのユダヤ人入植活動停止については、イスラエル側が応じない姿勢を伝えたとみられ、交渉再開の見通しはなお立たない。
首相書簡の内容は公表されていないが、イスラエル紙ハーレツによると、ネタニヤフ首相はアッバス議長に「前提条件なし」での交渉再開を要求したという。(後略)【5月13日 毎日】
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冒頭の毎日記事で、パレスチナ難民のひとりは、「どんな抑圧も、永遠には続かない。いつの世代か分からないが、戻れると確信している」と語っています。
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