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孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国  渋滞現場の売店商品を買占め、高値で売った女性 “商道徳”に関する日中両社会の違い

2016-08-29 22:45:24 | 中国

(石田梅岩講釈図 【http://www.ehle.ac.jp/meiseisha/meiseisha-nituite/meiseisha-nituite.htm】)

日本は完璧さを追求するあまり“お疲れモード”?】
日本と中国の社会の在り様の比較や、中国の人が実際に日本に来てみて、その素晴らしさに感動した・・・という類の話は、毎日たくさん報じられています。

そういう形で日本に対する認識が深まり、ステレオタイプな反日プロパガンダが薄まっていくことが期待されます。

下記コラムは、中国で日本語講師、ニュース翻訳、映画出演やマナー講師など幅広く活動されている日本人女性による、日本と中国、そして五輪開催のブラジルの超簡単な社会比較です。

****日本、中国、ブラジル・・・・3国の違いとは*****
・・・・リオのオリンピック前にも「スタジアムの工事が進んでいない」という記事を何度も見た。日本人の目に、この国の人々の職業意識は穴だらけに見える。

出国審査場の係員は、おしゃべりしながらパスポートにスタンプを押し、私の顔も見なかった。空港チェックインカウンターでは長蛇の列ができているにも関わらず、窓口のスタッフは隣のブースのスタッフと手をつなぎながら、空いた方の手で端末を操作していた。日本なら動画がSNSに投稿され、上層部の人たちが謝罪会見を開くレベルだろう。

しかし、ブラジル、特にリオで私はほとんど苦労しなかった。地図を持って立ち止まっていると、必ず誰かが近づいてきて、英語で「どうしたの?」と聞いてくる。(中略)

日本では、知らない人に道を尋ねるときには、親切で暇そうな人を見極めないと、無視されかねない。
中国では、向こうからニコニコと近寄ってくる人は、よい人でないことが多い。ブラジル人の陽気さと親切さは、旅行者にとって救いだ。

一方、同じくBricsの一員である中国。私が働いていた大学の教室には、天井から大きなテレビがぶら下がっていて、同僚が中国という国を説明する際に、よくこのテレビを例に挙げた。「大きな予算を組んで全部の教室に取り付けたのに、日本語学科では一度も使われていない」

私の在職中には、米国の大手IT企業の寄付で先進的な教室ができたが、20人しか座れないその教室に合う講義がなく、ずっと鍵がかかったままだ。教員室には監視カメラが設置されているが、動作している気配はない。

大連マラソンには1000人以上のボランティアがいたが、みな座り込んでスマホをいじっており、落とし物の探し方を尋ねても誰も答えられなかった。

ブラジルは、インフラの脆弱さや公務員のいい加減さを、市民の柔軟さ(ホスピタリティ)でカバーしている。中国は、大掛かりなプロジェクトでインフラを作り上げるが、ニーズに合わず野ざらしになっていたり、オペレーション能力の不足で無力化(時には障害にすらなる)されている。

日本はどうか。日本は完全なインフラを作り、ミスなくオペレーションすることに心血を注ぐ。列車がオーバーランしたら報道される。ファックスの送信ミスを防ぐために、2人1組で送信する会社は多い。

9月1日の防災訓練のニュースを見るたびに、「いつ起こるか分からない災害のために、こんなに真剣に(けが人役の迫真の演技にいつも見入ってしまう)訓練する国は日本くらいだろうな」と驚嘆する。

しかし完璧さを追求するあまり、人が疲弊している場面を見ると、何が正解なのか分からなくなるのである。【8月26日 Record China】
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三者三様ですが、“完璧さを追求するあまり、人が疲弊している”せいか、中国人の目には、日本人がよく居眠りをしている姿が奇異に映るようです。

****どこでも眠る日本人に、「ちょっと疲れ過ぎじゃないのか?」=中国****
・・・・しかし日本人が睡眠を活用するある習慣について、中国人は不可思議に感じるようだ。

中国メディアの光明網はこのほど、日本人には「どこでも眠る」という習慣があると読者に紹介している。じゃっかんの誇張はあるものの、電車内での居眠りなどを指しているようだ。

記事は日本の地下鉄の構内、駅のホーム、電車の中で日本人が居眠りしている画像を掲載し、日本では電車内の席で居眠りしている人や電車内で立ったまま居眠りしている人が多くいると主張。

地下鉄の構内や駅のホームで直接床に座って眠ている人の画像も掲載しているが、これは居眠りではなく、泥酔しているのではないかと推測される。

いずれにせよ、日本人が人前で居眠りをする習慣の背景には「疲れ」があると記事は指摘。出勤あるいは帰りの電車の時間を無駄にすることを「日本人はもったいない」と感じており、疲れをいやすために居眠りしていると説明した。

記事は「日本人は非常に疲れている」と指摘しているが、それは事実かも知れない。

中国の多くの会社や学校には1時間半から2時間程度の昼休みがある。この昼休みの活用の仕方は様々だが、一般的には昼寝をする人が多いようだ。しかし中国に比べて日本の昼休みは1時間であることが一般的であり、こうした要素も電車内で居眠りする日本人の習慣に影響していると言えるかもしれない。【8月25日 Searchina】
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日本人からすると「オヤオヤ・・・」と思われるような中国社会のトピックスは枚挙にいとまがありませんが、下記もそんな中のひとつ。

****無情?火事を消そうとしたバス運転手に、乗客は「帰りが遅れる!」****
2016年8月26日、新快報によると、中国広東省広州市で23日、勤務中に電線から火が上がっているのを見かけたバス運転手が車両を止めて消火を試みたところ、この行動が原因で乗客から非難されるという事態が起きた。運転手に対するクレームについて、人々の反応は分かれている。

運転手の潘さんが出火に気付いたのは夜7時ごろ。通勤ラッシュの時間帯で、車内は乗客でいっぱいだった。前を走る車が次々と車線変更をするのを不思議に思った潘さんがさらに先に進むと、窓の外には黒煙の上がる電線が。

潘さんは乗客に消火活動に当たることを告げ、車内にある消火器を持って火を消しに行った。しかし、火はなかなか消し切れず、潘さんが2本目の消火器を取りに戻ったところで乗客から「帰宅が遅れる」と不満が続出。潘さんはやむなく119番通報し、バスを走らせた。

この行動について、ある乗客はバス会社に「われわれの時間を無駄にした。消火なんかしないで直接、通報すべきたった」と電話を入れており、潘さんは「早く火を消さなければという思いだけだったが…。まさかこんな反応があるとは」と肩を落とした。

ただ、事情を知った会社は潘さんを処分せず、弁護士も「より大きな損失が出ることを防ぐ行為。乗客に理解を求めたい」と支持する考えを示している。

また、ネット上でも潘さんを称賛する声が多数上がっているが、中には「停車中に後ろから衝突されたら誰が責任を取る?」「良い行動をするのはいいが、乗客の利益も考えるべき」という意見もあった。【8月26日 Record China】
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まあ、どこの社会にも、日本にも、「オヤオヤ・・・」と思われるような出来事は多々あります。こうした話から「やっぱり、中国人は・・・」と決めつけるのも早計でしょう。

“中国人の日本に対する理解が深まる一方で、日本人の中国人に対する理解は進んでいない”との指摘もあります。

****中国人の日本への理解は進んでいるのに!日本人の中国への知識は「偏見ばかり****
日本を訪れる中国人が増加の一途を辿っている。日本政府観光局(JNTO)によれば、2016年1−7月に日本を訪れた中国人外客数は前年同期比38.2%増の380万7900人に達した。これは、過去最高を記録した前年をさらに上回るペースだ。

訪日中国人が増えるということは、消費によって日本に経済効果をもたらすだけでなく、訪日旅行を通じて日本に良い印象を抱き、日本を理解する人が増えることも意味する。

中国メディアの捜狐はこのほど、中国の日本に対する理解が深まる一方で、日本には中国に対する偏見が存在すると主張する記事を掲載した。(中略)

多くの中国人が旅行で日本を訪れ、日本製品や日本人の民度を称賛し、中国人の日本に対する理解が深まる一方で、日本人の中国人に対する理解は進んでいないことを伝えている。【8月29日 Searchina】
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2015年に日本を訪れた中国人旅行客は前年比107.3%増の約500万人となり、過去最高を記録しました。中国人旅行客の過去最高は14年の240万人であったことから、15年は過去最高の数字を一気に2倍以上に伸ばしたことになります。今年は更に増えて、上記記事の1-7月の実績を単純に年換算すると650万人になります。

一方、中国を訪れる日本人は減少傾向にあり、15年の中国への出国者数は約250万人。人口規模が違いますから、その数字自体はともかく、減少傾向にあるのは気になります。

中国メディアの捜狐は、中国人は日本に「片思い」しているようだと伝えつつ、日本には中国人を引き寄せるどのような魅力があるのだろうかと問いを提起したとも。【8月29日 Searchinaより】

もっと多くの日本人が中国を観光して、その社会、人間を自分の目で見れば、これまでとはまた違った気づきもあると思います。

そうしたなかで、“偏見”と怒られるかもしれませんが、非常に面白かったのが下記記事。

****中国の女性観光客、渋滞中に売店で商品買い占め、他の客に売りつける****
2016年8月27日、重慶晨報によると、中国でこのほど、チベットツアーのバスが道路工事による渋滞に巻き込まれる中、1人の女性客が近くの売店でミネラルウオーターとインスタント麺を買い占め、同じように渋滞に巻き込まれた他の観光客に倍の値段で売りつけていたことがインターネット上で明らかにされた。

ミネラルウオーターもインスタント麺も、中国を旅行する際にはなくてはならない必需品だ。だがその様子を目撃したツアー客は、取材に対し「あんな人は今まで見たことがない」と話している。

ちょうど昼時。渋滞で誰もが強い日差しと空腹にぐったりしていた。ある女性が沿線に唯一の売店で食べ物などを調達しようとしたところ、1人の女性が「手を出すな。この店のラーメンと水は私のものだ」と言い放ったという。

女性が買い占めたのは、転売が目的だった。2元(約30円)の水は6元(約90円)で、5元(約65円)の水は10元(約150円)で売り始めた。事情を知らない観光客は女性を店の従業員だと勘違いするほどで、しかも売店には後払いで商品を押さえるというやり手ぶりだった。

観光地で物価が高いのはよくあることだが、このように観光客が自ら高値で売りつけるのはなかなか見られない。

ネット上には「手間ひまかけているのだし、価格もそれなり。チャリティーではあるまいし、それくらいいいのでは」などと女性の行為を肯定する声も一部にあるが、「これはビジネスチャンスなどではない」「ただの恥さらし。ろくでもないことだ」などと批判的なコメントが相次いでいる。【8月28日 Record China】
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上記トピックスも関連しているように思われるのが、日本と中国の商習慣の違いを指摘した下記記事。

****中国流「中抜き社会」が生まれるワケ~大乱戦の市場をどう生きるか****
中国で暮らしていると、この社会はつくづく「中抜き社会」だなあと思う。
 
例えば何か売れている商品があると、その商品を別ルートから独自に入手して中間マージンをカットし、安く売る人がすぐに現れる。時には極端な類似品やニセモノも混入し、それをすごい数の人がやるので市場は乱戦になり、値段はあっと言う間に下がる。こういうことが日常的に発生している社会である。

ネット社会、デジタル社会になってその傾向は一層強まっている。これは「業界の掟(おきて)」を尊重して集団の利益を守るという戦い方をしてきた日本の伝統的な商業モデルとは相当に異質なものがある。(中略)

「素人お断り」の看板
東京・日本橋馬喰町界隈の繊維問屋街を歩くと、そこには店先に今でも「素人お断り」「小売はいたしません」といった看板や張り紙をした店がたくさんある。御徒町の宝石問屋街などでも同様の掲示をみかける。すべての店がそうではないが、多くの店はプロでなければ商品を売りませんという意思表示をしている。(中略)

一方、中国で「卸売市場」に行ってみると、そこでは商品を買うのに何の制約もない。工場の仕入れ担当者も来れば、近所のおばさんも来る。(中略)

つまりここで問われているのは「量」である。その人はどれだけの量を買うのか。「批発市場」とは「とりあえず一定数量をまとめて買うことが標準とされている市場」ということであって、その人が「何者であるか」は問われない。(中略)

「量」の多さで決める中国社会
そもそも日本の「卸」の概念がなぜそうなっているのかと言えば、同じ業界の人たちが団結して利益を守るためだろう。皆がルールを守って「素人」との直取引を自粛し、安値競争を避ける。いわば「中抜き禁止」である。

好意的に解釈すれば、悪性の競争を排し、安定的な利益を確保することで良質な製品をリーズナブルな価格で長期的に供給することができる。悪く言えば、高い価格を維持し、自分たちの利益を増やすための一種の談合、カルテルとも言える。

一方の中国社会では、そこにあるのは「量」の概念だけで、買った商品の転売が目的であろうが、自分で使おうが、それは問わない。だから中国人には「素人お断り」「小売はしません」といった考え方は理解しにくい。(中略)

「その人が何者か」という属性を判断基準にする日本と「買う量」で判断する中国。ここには規範やルールを重視する日本と、現実重視、効率第一の中国という2つの社会の判断基準の違いが鮮明に現れている。

「爆買い」はプロか素人か
一時は一世を風靡した感のある「爆買い」だが、最近その言葉を聞くことも少なくなった。(中略)

日本人が「爆買い」に強い関心を示し、メディアがこぞって大きく報道したのは、それが旅行者という「素人」の日常的な経済行為であると認識していたからである。素人が自分のポケットマネーでかくも多額の買い物をする現象が驚きなのであって、仮に輸入を業としている人が仕入れに来て大量に商品を買ったとしても、別に面白くもなんともない。

ところが来日客が増え、「爆買い」の実態が明らかになるにつれ、そこには「プロ的」な実利目当ての購入が多く混じっていることが見えてきた。大量に買った商品を自分のネットショップで販売したり、ブローカーに転売したり、その買い物客自身がブローカーそのものだったり、そういう状況があることがわかってきた。

次第に「あれは買い物ではない。仕入れだ」。そういう見方が伝えられ始め、日本の人々、特にメディアの「爆買い」に対する視線は急速に冷めていった。

日本社会は中国人客が「素人」として買い物をするのなら非常に好意的である。しかし、いったんその人が「プロ」であり、転売のための商品を仕入れているのだと知ると、その視線は一転、厳しいものになる。(中略)

転売目的で商品を買う客に対して日本人が冷淡なのは、発想のどこかに「素人」が商売をすることに対する違和感があるからだろう。つまり素人とプロは違うのである。善し悪しは別として、日本社会の意識では、素人は素人、プロはプロと、それぞれの社会的な棲み分けや果すべき役割の境界が明確に分かれており、それを踏み越えるのはいわば「オキテ破り」のように映る。

「買い物」と「仕入れ」の境界線
しかしこれはあくまで日本人の視点であって、中国人的発想に立ってみれば、その買い物が「個人のお土産か、仕入れか」という議論はほとんど意味をなさない。

例えば、ある日本人が海外旅行でお買い得な商品を見つけたとする。そんな時、日本人は「うーん、これ確かに安いけど、たくさん買っても余ってしまったら無駄になるし、誰かにあげるとしても喜ばれるかどうかわからない。今回のおこづかいの予算をオーバーするから、やっぱり1つにしておこう」といった話に往々にしてなる。

ところが中国人が同じような状況に遭遇したらどうするか。まずスマートフォン(以下スマホ)で中国のショッピングサイトに接続してその商品の相場を確認し、もし大幅に安ければ大量に買い込む。お金が足りなければ誰かに借りて買う。

「こんなに安いのに買わなければ損だ。自分でも使うし、友人や知人、親戚一同に配れば喜ばれる。余ったらネットで売ればこれだけ利益が出る。もし自分で売り切れなければ、どこかの店に卸してしまえばいい」などといった感じで頭を巡らす。これがごく普通の思考回路である。(中略)

このように中国人は自分の人生を非常に柔軟かつ融通無碍に認識していて、臨機応変、即断即決の行動を取る。「こうでなければ」「こうであるべき」という規範に左右される部分が少ない。こうした特性がいかんなく発揮されたのが「爆買い」の場面だったと思う。(後略)【8月26日 田中 信彦氏 WISDOM】
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渋滞現場の売店商品を買い占めた女性も、“柔軟かつ融通無碍に認識していて、臨機応変、即断即決の行動”したのでしょう。

ただ、武士道や剣道・柔道のように、“道”が好きな日本の場合は、商取引にあってもモラル・精神性を重視します。ただ儲ければいいという考えは“商人道”では排除されます。

江戸時代の学者で、商家に奉公しながら独学で儒教を学び,その後、町人を集めて無料の講話を始めた石田梅岩は、武士が主君に忠でなく禄をもらっていれば、それは武士とはいえないように、商人も「売り先」への誠実がなければ商人とはいえない・・・として、倹約で3割コストを下げて、1割安い値段で売るような商道徳を主張しています。【http://www.synchronature.com/Science/Sekimon.html より】

また、“経営の神様”松下幸之助氏は“私がやってきた電器屋であれば、人びとの役に立つものを開発する。しかも合理化をはかり、適正な利益をとりつつもなお、安くなるよう努める。また配給もできるだけムダをなくす。それが商道徳というもので、それは他のどんな商売にも言えるのではないかと思う。”【http://www.webbyrock.com/2009/06/1day1story-0605.html より】

こうした“商道徳”に関する感覚が、日中両社会の違いの多くを生んでいるように思えます。
それは“民度”云々ということではなく、文化の違いでしょう。
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