(インド人民党大会でのモディ・グジャラート州首相 “flickr”より By 757Live )
【経済成長の立役者、イスラム教徒虐殺暴動への関与も】
インドでは、最近のシン政権の不人気ぶりから、2014年の総選挙での国民会議派の敗北・政権交代の見方も出てきていること、また、政権交代を目指す野党・インド人民党のリーダーとして、インドにあっては珍しらしく効率的な経済運営で高い成長率を誇るインド西部グジャラート州のナレンドラ・モディ首相(62)が注目されていることは、2012年12月26日ブログ「インド 性犯罪罰則強化を求める抗議活動 不評の国民会議派シン政権 政権交代の可能性も」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20121226)で取り上げたことがあります。
そのときのブログでは、ヒンズー至上主義のインド人民党のなかにあって、モディ州首相は2002年暴動時のイスラム教徒虐殺への関与も疑われており、そのような人物の政権獲得が今後のインドにとって妥当かどうか疑念があることも指摘しました。
政権獲得を目指すインド人民党(BJP)は9日、西部ゴア州で開かれた党大会で、グジャラート州のモディ首相を次期総選挙対策委員長に任命し、同党の「選挙の顔」として、モディ氏が党の首相候補となる可能性が高まっています。
****インド:グジャラート州首相、来年選挙の野党選対委員長に*****
インドの最大野党・インド人民党は9日、西部ゴアで党大会を開き、来年予定される総選挙へ向け、西部グジャラート州のナレンドラ・モディ州政府首相(62)を選挙対策委員長に選んだ。
カリスマ的な人気を誇るモディ氏は、次期首相への待望論が強く、モディ氏の陣頭指揮で総選挙を戦うことになった。
2001年からグジャラート州政府首相を務めてきたモディ氏は、外国企業誘致などで国内で最も豊かな州に育てたことで知られる。党ベテラン幹部の間では、党務に携わってこなかったモディ氏を首相候補にすることへの反発が強いが、モディ氏人気を無視できず、選対委員長に選んだ。
モディ氏は選対委員長就任後、「インドから(与党)国民会議派を駆逐するため、あらゆる手を尽くす」と宣言した。
モディ氏はヒンズー至上主義者として知られ、イスラム教徒らの間では反発も根強い。02年にグジャラート州で起きた暴動(イスラム教徒を中心に住民1000人以上死亡)では、「モディ氏が警察を出動させず、イスラム教徒の大量殺りくを許した」と非難され、欧米諸国から渡航禁止処分を受けてきた経緯もある。
一方、与党・国民会議派は、物価上昇や近年相次いだ政治家の汚職スキャンダルなどから支持を失ってきた。
総選挙では、初代首相ネールのひ孫、ラフル・ガンジー国民会議派副総裁(43)を中心に戦おうとしているが、ラフル氏は「指導力不足」が指摘されている。
インドの主要テレビ局CNN・IBNが5月初めに実施した世論調査では、「次期首相」としてモディ氏の名前を挙げたのは38%で、シン首相の13%、ラフル氏の14%を大きく引き離した。
インドはネールが率いた国民会議派とインド人民党の2大政党が政権を交互に取ってきた。国民会議派は04年の総選挙以来、10年近く与党の座にあり、14年総選挙での政権奪還が人民党の最重要課題だ。【6月9日 毎日】
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モディ氏が首相を務めるグジャラート州は、インドにありがちな恒常的な電力不足もなく、官僚主義的対応の非効率も少ないということで、欧米企業の投資先として注目されています。
一方、死者が2000人にも達したとも言われる2002年暴動の関与については本人は否定していますが、当時、モディ政権の閣僚だった人物がヒンズー教徒に凶器を渡してイスラム教徒攻撃をそそのかしたとして、禁固28年の刑を受けています。
事件はヒンズー民族主義への逆風を招き、2004年の総選挙ではモディ氏が所属するインド人民党(BJP)が国民会議派に敗北し、政権を失うことになりました。
****次期インド首相候補として頭角現すグジャラート州首相、過去の宗教暴動で傷も****
多くのインド国民にとって、インド西部グジャラート州のナレンドラ・モディ首相(62歳)は「時の人」となっている。2014年に予定されている総選挙で、マンモハン・シン首相を倒す可能性のある野党インド人民党(BJP)の有力政治家として、にわかに注目が集まっている。
グジャラート州をインドで最も高い成長を遂げている州の一つに躍進させた立役者として高く評価されていることがその理由だが、一方では、10年前にヒンズー教徒が多数のイスラム教徒を虐殺した宗教暴動を阻止しなかったとして批判されている人物でもある。
モディ首相は12月に行われるグジャラート州の選挙で勝利し、4期目を務めると予想されているが、同州の選挙で大勝すれば、2014年の国政選挙でマンモハン・シン首相の有力な対抗馬になるとみられている。
モディ首相が今月、選挙運動のため村々を訪れた際は熱狂的な群衆に取り囲まれ、「現人神」と称えられている彼を一目見ようと、行く先々で多くの人々が集まった。
バスの中でインタビューに応じたモディ氏は「これだけ多くの人が集まっているのをご覧なさい」と自慢げに語った。各地では人々がモディ氏を見るため屋根に上り、盛んに手を振る姿が見られた。
しかし、インド国内の多くの地域や海外では、モディ氏は2002年にグジャラート州で起きた宗教暴動と結びついた形で記憶されている。当局の発表では、暴動ではイスラム教徒を中心に1000人以上が死亡したとされているが、NGOや他のグループは、死者は2000人に達したと主張している。
その結果、モディ政権は「犯罪政権」とみなされ、西側諸国から全く相手にされてこなかった。
だが、そうした政治的な逆風とは裏腹に、汚職や官僚的体質が蔓延しているインドにおいてグジャラート州は効率的な行政機構を築き上げ、米フォード(F.N: 株価, 企業情報, レポート)など多くの西側企業から、投資先として熱い注目を集めるようになった。
モディ首相の大きな影響力を裏づけるかのごとく、英国の駐インド大使が先週グジャラート州を訪問し、モディ首相と会談。それはモディ首相にとって、インドの政治リーダーの一人として認知される上で大きな前進となった。
米政府は2005年にモディ首相が申請した旅行ビザの支給を拒否したが、今年になって米国のムンバイ総領事が公の場でモディ首相と同席。米国とモディ首相の和解を示す兆しとして注目された。
モディ首相の将来は、グジャラート州の好調な経済を持続させ、多くのインド国民、特にイスラム教徒の不信感を払しょくできるかどうかにかかっている。
政治アナリストのParanjoy Guha Thakurta氏は「モディ氏はインドの企業家らの大きな期待を集める可能性があり、彼らがインドの首相になってほしいと公言する唯一の人物だ」としながらも、「モディ氏はイメージを改めるためあらゆる手を尽くしているが、イスラム教徒を攻撃の標的とし、虐殺した時代の記憶を拭い去ることはできないだろう」と語っている。
本人は強く否定しているものの、2002年の暴動の際、モディ首相はイスラム教徒虐殺を止めようとせず、むしろ密かに暴動を煽っていたと非難されている。
当時、モディ政権の閣僚だったMaya Kodnani氏は、ヒンズー教徒に凶器を渡し、イスラム教徒攻撃をそそのかしたとして、禁固28年の刑を受けている。(中略)
<2ケタの経済成長>
・・・・インド経済が急速に鈍化しているにもかかわらず、グジャラート州は2ケタの成長を遂げている。インドの大半の地域を苦しめている恒常的な電力不足も、グジャラート州では無縁だ。
企業関係者は、モディ首相によってグジャラート州でのビジネスがスムーズに進むようになったと評価している。同州では、工場建設のための土地取得が順調に進むほか、インドの他の州で見られがちな官僚主義的対応による遅れが比較的少ないという。(中略)
もっとも、グジャラート州は以前からインド経済の牽引役を果たしてきたとして、同州の経済的成功はモディ首相の手柄ではないと指摘する向きもある。
ただ、モディ首相を批判する人々ですら、グジャラート州に新規事業を勧誘し、大企業を誘致するため2年ごとに投資家向け会合を開いてきた首相の姿勢は評価に値するとしている。【2012年 10月 30日 ロイター】
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【経済の隆盛によって貧民街から脱け出すイスラム系住民も現れつつあるものの・・・】
2002年の暴動によって“グジャラート州のイスラム系住民は何世紀もの間異教の人々と共存してきたが、現在は貧民街に追いやられている”【2007年12月25日 日経ビジネスonline】という状況になりましたが、モディ州首相が牽引する経済成長によって、貧民街から抜け出すイスラム教徒も出てきていることも事実でしょう。
****諸問題を解決するのは政治ではなく経済?*****
州住民の多くは、暴動がもたらした傷が癒えつつあるのかもしれないという望みを持っている。道路、電力、水道などの基本的な要求が満たされた今、様々な背景を持つグジャラート州の住民が次に求めているのは仕事だ。
ダンドゥカという寂れた村に住む、現在10年生(日本の高校1年生ぐらいに相当)のメフムード・アジメリ君(20歳)は生計を立てるために100キロ離れたジャスダン地区まで通って綿のマットレスを作る仕事をしている。友人のほとんどがトラック運転手か人力車回しだ。モディ氏をあまり良くは思っていない彼らも、この地域の経済成長には驚くばかりだ。「ダンドゥカに産業があったらいいのに」とアジメリ君はこぼす。
グジャラート州の中心都市アーメダバードでは、経済の隆盛によって貧民街から脱け出すイスラム系住民も現れつつある。サーバルマティー川の西側の旧市街から東側の新市街へと移っているのだ。子供たちは昔そうだったように、宗教を問わない学校に通う。
インド最大の格付け会社クリシルや製薬メーカーのザイダス・グループのコンサルタントを務めるスニル・パリク氏はこうした動きを歓迎しているが、グジャラート州の政治が簡単に変わるとは思っていない。「結局のところ、経済の成長だけがこの州の結束をもたらすのだ」(パリク氏)。【2007年12月25日 日経ビジネスonline】
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上記は2007年末の記事ですから、経済成長が続くなかで、現在では更にチャンスをつかんだイスラム系住民も多くなっているものと思われます。
そうは言っても、成長の恩恵を受けていない住民も多数存在すとも思われます。
弱者への配慮を欠いた成長路線が経済格差を招くことは、インドだけでなく世界共通の現象ともなっています。
良好な経済状態は問題解決を容易にはしますが、問題解決への積極的政治姿勢が不可欠です。モディ州首相にその資質があるかどうかとなると、疑問を感じます。
【活動を続けるインド共産党毛沢東主義派】
成長から取り残された貧困層の不満は社会を不安定化させます。
インドでは、以前より左翼武装組織のインド共産党毛沢東主義派が活発な活動を行っています。
特に、インド北部から東部に広がる「赤い回廊」と呼ばれる密林地域では、警察の力も十分に及ばないとも言われています。
(2010年5月29日ブログ「インドの「赤の回廊」 繰り返される「インド共産党毛沢東主義派」のテロ活動」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20100529)
貧しい農民が中心となり、貧困の改善やカースト(身分制度)による差別の撤廃を要求、「社会主義革命」を掲げて武力闘争を続けるインド共産党毛沢東主義派ですが、そうしたイデオロギッシュな毛派は70年代の後半に完全に消滅し、90年代に入って登場した現在の毛派と直接の関係はほとんどないとも言われています。
ただ、経済成長の陰で拡大する格差への不満が、今も活動が絶えない背景にあるとも思われます。
その毛派のテロ活動が最近また目立っています。
****インド毛沢東派が与党政治家を襲撃、少なくとも23人死亡****
インド中部チャッティスガル州で25日、与党・国民会議派の州幹部や支持者らを乗せた車列が共産党毛沢東主義派(Maoist)の武装勢力約300人に襲撃され、少なくとも23人が死亡、32人が負傷していたことが分かった。州警察当局が26日に明らかにした。
毛沢東主義派は1967年以来、貧困層に平等に土地や雇用機会が行き渡るような共産主義社会の構築を目指して反政府運動を続けている。インド中部や東部の森林地帯で政治家や治安当局への襲撃を繰り返しているが、今回の地雷と銃撃による急襲は過去3年間で最悪のものといえる。
国民会議派のソニア・ガンジー(Sonia Gandhi)総裁は、毛沢東主義派に対して、「卑劣な行為だ」と非難した。【5月27日 AFP】
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****インド:毛派が列車襲撃、10人死傷****
インド東部ビハール州ジャムイで13日、武装集団約100人が列車(乗客約1500人)を襲撃し、鉄道警察官1人と乗客2人を殺害、運転士ら7人が負傷した。
警察によると、襲撃したのは「インド共産党毛沢東主義派」(通称「毛派」)のメンバーや支持者。乗車していた鉄道警察約10人と銃撃戦となり、鉄道警察の武器を奪って逃走したという。鉄道警察の4人が誘拐されたとの未確認情報もある。
毛派は先月25日、中部チャッティスガル州で、与党・国民会議派の政治家や支持者の車列を襲撃し、28人を殺害、約40人を負傷させていた。貧困層の解放を目指す毛派は、近年の経済成長の影でインドで広がる貧富の差を問題視しているとみられ、攻撃を激化させている可能性がある。【6月13日 毎日】
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貧困、民族対立、身分制度・・・「世界最大の民主主義国」インドが抱える問題は、共産党による実質的一党支配体制の中国が抱える問題同様、根深いものがあります。