あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

メンフィス出身のミュージシャン(4)

2013-07-30 | JAZZ
7月10日の「 DOWN HOME REUNION / YOUNG MEN FROM MEMPHIS 」において、メンフィス出身者で編成されたアルバムを紹介しましたが、そこに登場した人を順次紹介しています。
その第4回は「フィニアス・ニューボーン Jr.」、「カルヴィン・ニューボーン」、それに「チャールス・クロスビー」で、このシリーズは今回で最後です。

フィニアス・ニューボーン Jr.(Phineas Newborn Jr.) 
1931年12月14日 - 1989年5月26日

音楽一家に生まれたフィニアスの、最初の音楽との係りはと言えば、その土地柄故にR&Bからでした。
そしてB.B.キングが1949年に初レコーディングした際に、バックを務めたのがカルビン家で、ニューボーンがピアノを、弟のカルヴィン・ニューボーン(Calvin Newborn)がギターを、そして父親のフィニアス・ニューボーン・シニア(Phineas Newborn Sr.)がドラムを受け持ったR&Bバンドだったそうです。

フィニアスは、地元メンフィスでプロ活動を開始していますが、テネシー大学で音楽を学び、兵役除隊後はカルテットを組み、1956年にニューヨークでジャズ界にデビューしています。
彼はバド・パウエルやアート・テイタムの影響を受けていて、それらを吸収した驚異のテクニシャンで、普通のピアニストが両手でやることを片手でやることが出来、特に左手が強力で「ブルース・フォー・レフト・ハンド・オンリー」という曲もあるくらいで、他にも左手だけで演奏されたものもありました。
彼のピアノタッチは、想像力に富みエネルギッシュであり、ブルースも得意でした。
しかし神経質な性格から、1960年にLAでリリースしたレコードが不評だったことがきっかけで精神を病み、おまけにピアニストとして命ともいうべき手の怪我も災いし、1960年代中期から1970年代中期にかけては健康のために断続的な活動しか出来ず、しだいにアルコール中毒もひどくなり、1989年にメンフィスで亡くなっています。

ここで紹介する最初のアルバムは、彼のデビュー作です。
「HEAR IS PHINEAS」 ATLANTIC 1235
   
1. BARBADOS
2. ALL THE THINGS YOU ARE
3. THE MORE I SEE YOU
4. CELIA
5. DAHOUD
6. NEWPORT BLUES
7. I’M BEGINNING TO SEE THE LIGHT
8. AFTERNOON IN PARIS
PHINEAS NEWBORN jr.(p) OSCAR PETTIFORD(b) KENNY CLARKE(ds)
CALVIN NEWBORN(g/1,2,5,8)  録音 1956年5月3日 

また、ドラマーのロイ・ヘインズがリーダーとなったピアノ・トリオ・アルバムで、フィニアスがピアノを担当している「ウイ・スリー」の中に、「ダウン・ホーム・リユニオン」で演奏していた「アフター・アワース」が入っているのでこれを取り上げてみました。
ダウン・ホーム・リユニオンでは弟のカルビンのギターソロも聴かれますが、この曲に限って言えば、重量メンバーのこちらに軍配が上がると思います。
「WE THREE」 NEW JAZZ 8210
   
1. REFLECTION
2.SUGAR RAY
3. SOLITAIRE
4. AFTER HOURS
5. SNEAKIN’ AROUND
6. OUR DELIGHT
ROY HAYNES(ds) PHINEAS NEWBORN Jr.(p) PAUL CHAMBERS(ds)
録音 1958年11月14日

以下の3枚はCDで、いずれもコンテンポラリー・レーベルからのものです。
最初の「ア・ワールド・オブ・ピアノ」は彼の最良の内の1枚で、デビューから5年を経過していて、安定感があります。
2枚目、3枚目はフィニアスを最後まで支援したレイ・ブラウンと、エルヴィン・ジョーンズがバックを務めていて、この2枚にはおよそ7年の間がありますが、同じ組み合わせであることから取り上げました。
  


次はニューボーンの弟のカルヴィン・ニューボーン(Calvin Newborn )です。
彼のリーダー・アルバムは手元にありませんが、サイトでチェックしてみたところ、2005年に「UP CITY」と「NEWBORN」の2枚が発売されていて、以下のようなコメントで紹介されていました。
最初のアップ・シティのほうは、メンフィス屈指のソウルフルギターで、トーンはウェス直系である。
魅惑のメンフィス・サウンドが根底にあるファンキージャズで、まったりしたオルガン・サウンドがコテコテ系のソウルジャズ・フィーリングも加味されている。
ブルースもジャズも等しく好きな人にとってこのようなサウンドは文字通りのSuper Bad,Finest Groovy Soundと言えます。フィニアスの弟という説明も不要なくらい、カルヴィンのダウンホームなブルースフィーリ ングはもうそれだけで大きな看板に成り得ます。
派手さはない分、リアリ ティを余計強く感じる点も出色、俗にいう本物だけが持つ手応え有りです。

と紹介されているので、機会があれば一度聴いてみたいと思います。

そして最後はドラマーのチャールス・クロスビー(Chales Crosby)です。
この人のアルバムを探すのは更に難しく、たまたま雑誌の「ジャズ批評」のローランド・カークを取り上げた中に、チャールスが参加しているものを見つけましたので、ローランド・カークのCDで以下の2枚を紹介します。
 
CDの解説書を見てもメンバーの名前が書かれているだけで、チャールスのことは一切紹介されていないので、ここまでとなってしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メンフィス出身のミュージシャン(3)

2013-07-29 | JAZZ
7月10日の「 DOWN HOME REUNION / YOUNG MEN FROM MEMPHIS 」において、メンフィス出身者で編成されたアルバムを紹介しましたが、そこに登場した人を順次紹介しています。
その第3回は「フランク・ストロージャー」と「ジョージ・コールマン」です。

フランク・ストロージャー (Frank Strozier) 1937年6月13日 - 1961年10月?
リーダー・アルバムは少なく、私が所有しているLPは1枚だけです。
「LONG NIGHT」 JAZZLAND JLP56
   
1. LONG NIGHT
2. HOW LITTLE WE KNOW
3. THE NEED FOR LOVE
4. THE MAN THAT GOT AWAY
5. HAPPINESS IS A THING CALLED JOE
6. THE CRYSTAL BALL
7. PACEMAKER
8. JUST THINK IT OVER
FRANK STROZIER(as) GEORGE COLEMAN(ts) PAT PATRICK(bs) 
CHRIS ANDERSON(p) BILL LEE(b) ALTER PERKINS(ds)
録音 1961年9月12日 (2,4,5,7はストロージャーのカルテット)

ストロージャーはチャーリー・パーカーに憧れて、アルト・サックスを吹くようになりましたが、このアルバムでは4曲がワン・ホーンのカルテットとなっています。
そして、サックスの音色は優しく美しく、このアルバムの中で演奏されるハロルド・アーレン作曲の、ハピネス・イズ・ア・ジング・コールド・ジョー(LP B面1曲目)は絶品です。
他にリーダー作としては VEE JEYやSTEEPLE CHASE にあります。

またサイド・メンとして、ロイ・ヘインズや、マッコイ・タイナーのアルバムにも参加しています。
 


次はジョージ・コールマンです。(George Coleman) 1935年~
学生時代からアルトサックスを始め、レイ・チャールズ、B.B.キングなどのバンドに参加した後、テナーに変更し、マックス・ローチのバンドを経て、マイルスのバンドに抜擢されています。
ローチのバンドでは、先のブッカー・リトルと共に録音されたものがあります。
またマイルスのバンドでは、ハンク・モブレーからバトンを受け、ウエイン・ショーターに後任を譲るまで在籍していました。
また、ハービー・ハンコック名義の名盤である「処女航海」(65年3月録音)に参加していますが、モード・ジャズにはついていけず、ここが限界でした。
そのため、90年以降はプレイスタイルを変え、自己のバンドで活躍しています。
なお、上記のフランク・ストロージャーのロング・ナイトにも参加しています。
彼のリーダー・アルバムは手元に無いので、ローチの3枚と、マイルスの名盤とされる2枚、それにハービー・ハンコックがリーダーとなり、マイルス・バンドの面々が勢ぞろいした処女航海を取り上げました。
  
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メンフィス出身のミュージシャン(2)

2013-07-28 | JAZZ
7月10日の「 DOWN HOME REUNION / YOUNG MEN FROM MEMPHIS 」において、メンフィス出身者で編成されたアルバムを紹介しましたが、そこに登場した人を順次紹介しています。
その第2回は「ルイ・スミス」です。

ルイ・スミス ( Louis Smith )  1931年5月20日 -
 
トランペッターのルイ・スミスは、前回登場したブッカー・リトルと従兄弟だそうです。
13歳でトランペットを手にし、マナサス高校のバンドを経て、奨学金でテネシー州立大学で音楽を専攻し、そのまま大学院に進み、更にミシガン大学でトランペットを学んでいます。
そしてディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイビスを始めとして、多くのトランペッターと共演した経験もしています。
1954年に徴兵され軍楽隊に所属し、ここでフィニアス・ニューボーン・ジュニアと遭遇しています。
除隊後はアトランタの高校教師となり、ホレス・シルヴァーのバンドに誘われたことで、プロの道に踏み込んだのですが、生活基盤はあくまで音楽教師の仕事でした。
レコーディングのきっかけは、ピアニストのデューク・ピアソンと共演していた時に、トラジション・レーベルのオーナー(トム・ウイルソン)に認められ、レコード番号(TLP-22)まで決まっていましたが、トラジションが倒産してしまい、ブルーノートのアルフレッド・ライオンがテープを買い取り発売されました。
このブルーノートからは立て続けに2枚のLPが発売されましたが、当時から音楽教師にウエートを置いていたため、3枚目のリーダーアルバムは1978年のステープル・チェース・レーベルまで、何と20年間のブランクがありました。

その後スミスは音楽教師をリタイヤする時期になり、もう一つの夢であるミュージシャンとしての活動に趣きを置くようになって、このデンマークのレーベルに続けて10枚以上のレコーディングを残しています。そしてスミスもまた、クリフォード・ブラウンの流れを汲む、トランペッターの一人でもあります。

ここでは上記で記載した3枚のアルバムを掲載しました。
「HEAR COMES LOUIS SMITH」 BLUE NOTE BLP1584
   
1. TRIBUTE TO BROWNIE
2. BRILL’S BLUES
3. ANDE
4. STARDUST
5. SOUTH SIDE
6. VAL’S BLUES
LOUIS SMITH(tp) CANNONBALL ADDERLEY(as) DUKE JORDAN(p/1,2,5) 
TOMMY FLANAGAN(p/3,4,6) DOUG WATKINS(b) ART TAYLOR(ds)
録音 1957年2月4,9日
なお、ここに参加しているキャノンボール・アダレイは、契約の関係からLPジャケットにはBUCKSHOT LA FUNKと記載されていて、彼をを見事に言い当てた名前になっています。
そしてアルバムの1曲目は、デューク・ピアソンの作曲による「ブラウニーに捧ぐ」という、正にクリフォード・ブラウンとタイトルした通りの演奏内容となっています。

「SMITHVILLE」 BLUE NOTE BLP1594

1. SMITHVILLE
2. WETU
3. EMBRACEABLE YOU
4. THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU
5. LATER
LOUITH SMITH(tp) CHARLIE ROUSE(ts) SONNY CLARK(p) 
PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(ds)
録音 1958年3月30日

「JUST FRIENDS」 STEEPLE CHASE SCS - 1096
   
1. BLUES FOR JIMMY
2. LILU
3. VAUGHN’S BOUNCE
4. I REMEMBER CLIFFORD
5. OLEO
6. MINOR BIT
LOUIS SMITH(tp) GEORGE COLEMAN(ts) HAROLD MABERN(p) 
JAMIL NASSER(b) RAY MOSCA(ds)
録音 1978年3月19日
ここでも4曲目で、ベニー・ゴルソン作曲のクリフォード・ブラウンに関連の曲を演奏していますし、同胞のジョージ・コールマンも参加しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メンフィス出身のミュージシャン(1)

2013-07-27 | JAZZ
7月10日の「 DOWN HOME REUNION / YOUNG MEN FROM MEMPHIS 」において、メンフィス出身者で編成されたアルバムを紹介しましたが、そこに登場した人を順次紹介しています。
その第1回は「ブッカー・リトル」です。

ブッカー・リトルJr.( Booker Little, Jr. 1938年4月2日 - 1961年10月5日)

彼は音楽的な家庭に生まれ、最初はクラリネットを手にしましたが、12歳の時にトランペットに代えて、フィニアス・ニューボーンらと共に、地元でジャムセッションをしていました。
そしてシカゴ音楽院に入学(1956~58年)してからは、シカゴのジョニー・グリフィンや、ウォルター・パーキンスの「 MJT+3 」と共演した後、ニューヨークに進出し、マックス・ローチやエリック・ドルフィーと共演するようになり、短期間に多くのセッションに参加し、4枚のリーダー・アルバムを残しています。
ジャズ・トランペッターは、マイルス・デイビスを別格とすると、その他の大部分の人はクリフォード・ブラウンの影響下にあり、リー・モーガン、アート・ファーマー、ドナルド・バードなど、皆ブラウンの演奏を手本としていて、ブッカー・リトルも同様でしたが、彼はハード・バップの全盛期にあって、一歩抜け出た新しい響きを追及していました。
クリフォード・ブラウン亡き後、マックス・ローチのバンドに参加(1958/6 ~ 59/2 )し、初レコーディングを経験しています。
またマルチ・リード奏者のエリック・ドルフィーとは、1960年12月のアルバム「ファー・クライ」や、翌1961年8月の「ファイブ・スポット」でのライブ・レコーディングも残しましたが、尿毒症の合併症によりニューヨークで急逝したため、活動期間は僅か3年でした。

ブッカー・リトルの初レコーディングは下記のアルバムで、充実期のマックス・ローチがシカゴに進出して結成した強力な新バンドで、メンフィス出身のジョージ・コールマンと共に参加しています。
「 MAX ROACH + 4 」 EmArcy MG - 36132 ( 国内盤LP 195J - 41 )
   
1. SHIRLEY
2. MY OLD FLAME
3. SPORTY
4. STELLA BY STARLIGHT
5. STOMPIN’ AT THE SAVOY
6. MEMO. TO MAURICE
MAX ROACH(ds) BOOKER LITTLE(tp) GEORGE COLEMAN(ts) EDDIE BAKER(p) BOB CRANSHOW(b)
録音 1958年6月

次はブッカー・リトルの唯一のワン・ホーン作品で、ベースにはビル・エヴァンスのトリオで有名な、スコット・ラファロが参加しています。
「 BOOKER LITTLE 」 TIME S/2011 ( 国内盤LP VIJJ - 60001 )
   
1. OPENING STATEMENT
2. MINOR SWEET
3. BEE TEE’S MINOR PLEA
4. LIFE’S A LITTLE BLUE
5. THE GRAND VALSE
6. WHO CAN I TURN TO
BOOKER LITTLE(tp) TOMMY FRANAGAN(p/1,2,5,6) WYNTON KELLY(p/3,4) SCOTT LA FARO(b) ROY HAYNES(ds)
録音 1960年4月13,15日

以下は、エリック・ドルフィーとの初共演、リトルのリーダー・アルバムにドルフィーが参加したもの、そして死の1ヶ月前のラスト・レコーディングです。
  

なおTIMEレーベルには、4人のトランペッターを集めたものがあり、クリフォード・ブラウンと、ブッカー・リトルが2曲ずつ演奏していて、聴き比べするには都合の良いアルバムです。
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リー・コニッツの 「モーション」

2013-07-26 | JAZZ
リー・コニッツ 1927年10月13日 シカゴ生まれ
白人アルト・サックス奏者の第一人者で、チャーリー・パーカーに心酔し、その影響を強く受けていて、ジャズの根幹であるアドリブの極限を追及してきた一人でもあり、その「アドリブ」がたっぷり記録されているアルバムとして「モーション」を取りあげました。
このアルバムを取り上げたもう一つの理由は、ベースとドラムのピアノレス・トリオ編成となっていて、ドラマーには先の「私の愛聴盤第19回」で登場した、エルヴィン・ジョーンズが担当しているからで、一見異色の組み合わせにも思えるのですが、これがエキサイティングでスリリングな結果を生んでいます。
エルヴィンは、ソニー・ロリンズのピアノレス・トリオで、ビレッジ・ヴァンガードでのライブ録音(1957年11月3日)が有名ですが、およそ4年後のこちらのアルバムの迫力も負けていません。

この「モーション」は、LPに5曲が収録されていますが、後に3曲追加されたCDが発売となり、更には37曲入りのCD3枚組も輸入盤で出ています。
そして大抵はステレオ録音で、いずれのソースも、左にコニッツのアルトが、右にベースとドラムが分かれています。
しかし、これをモノラルLPで聴くと、一層集中力が高まり迫力が増します。

「MOTION」 VERVE V - 8399  
   
1. I REMEMBER YOU
2. ALL OF ME
3. FOOLIN’ MYSELF
4. YOU’D BE SO NICE TO COME HOME TO
5. I’LL REMEMBER APRIL

CDの追加3曲
6. YOU DON’T KNOW WHAT LOVE IS
7. OUT OF NOWHERE
8. IT’S YOU OR NO ONE
LEE KONITZ(as) ELVIN JONES(ds) SONNY DALLAS(b)  録音1961年8月29日 NY

そして、CDの帯にも書かれている通り、このアルバムはインプロヴィゼーションの極致の内容で、いずれの曲も冒頭からアドリブ演奏となり、テーマは出てきません。
ジャズで良く言うテーマ~アドリブ~テーマのパターンは無く、曲の最後にテーマの片鱗が少し聴こえるだけです。
またエルヴィンのドラムも、バス・ドラの音がしっかり収録され、サックスと対峙していて、この間をベースが同じテンポで淡々と刻んでいます。

国内盤CDは1986年に8曲入りが、2007年にオリジナル・フォーマットの5曲入りが発売されています。
いずれも解説書が付いていますが、違う切り口で書かれているので、この2つを紹介します。
   



なお、上記のLPとCDのジャケットの色合いが異なりますが、LPは制作され既に50年が経過しているためで、元はCDの様に「赤」だったと思われます。
サックスが中心となったピアノレス・トリオのアルバムは「私の愛聴盤第13回」のアルバート・アイラー(スピリチュアル・ユニティ)もそうでしたが、他にも多く制作されているので、これらについては、機会を見つけて改めて紹介したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夏の夜の JAZZ コンサート

2013-07-25 | JAZZ
7月27日(土)は、日比谷野外音楽堂90周年記念イヴェントとして「真夏の夜のJAZZ」が開催されます。
~ 渡辺貞夫・山下洋輔 夢の競演 ~
当日のコンサートを楽しみにしていた内の一人ですが、外せない用事があり断念しました。
後は主催者側のテレビ朝日が、当日の模様を放映してくれればと、願うばかりです。

 

それにしても、すっごいミュージシャン達の出演するコンサートです。
何方か行かれたら、感想をお聞かせください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の花

2013-07-24 | 日々の暮らし
団地の植込みの木槿(むくげ)の開花が始まりました。
   

フリー百科事典より
原産地・特徴・栽培 [編集]
インドや中国が原産で、中近東にも自生している。日本へは奈良時代に中国から渡来し、和歌山県や山口県に野生のムクゲがあったとされる。夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。薬用のほか、鑑賞用に多くの品種がある。
俳句では秋の季語である。根が横に広がらないため、比較的狭い場所に植えることができる。刈り込みにもよく耐え、新しい枝が次々と分岐する。そのため、庭の垣根に利用されることもある。自然樹形は箒を逆さにしたようになる。
栽培されているものはよく剪定されてしまうため、高さは3-4mくらいのものが多く、灌木であると誤解されるが、放置すると10m以上の樹高になり、桜の木よりすこし小さいくらいの大きさになる。
花期は7-10月。花の大きさは10-18cmほど。花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。
白居易(白楽天)の詩の誤訳から一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方にはしぼんで、また翌朝開き、一重のもので2-3日。八重の長く咲くもので2週間くらい、一輪の花を楽しめる。

名称 [編集]
中国名の木槿(もくきん)を音読みし、木槿(むくげ)、木槿花(もくきんか)と呼ばれるようになった。また、「類聚名義抄」には「木波知須(キハチス)」と記載されており、木波知須(キハチス)や、単に波知須(ハチス)とも呼ばれる。「万葉集」では秋の七草のひとつとして登場する朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという説もあるが、定かではない。
白の一重花に中心が赤い底紅種は、千利休の孫である千宗旦(せんそうたん)が好んだことから、「宗丹木槿(ソウタンムクゲ)」とも呼ばれる。

中国語では「木槿/木槿」(ムーチン)、朝鮮語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)という。
英語の慣用名称のrose of Sharonはヘブライ語で書かれた旧約聖書の雅歌にある「シャロンのばら」に相当する英語から取られている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の愛聴盤(第19回)

2013-07-23 | 私の愛聴盤
第19回はエルヴィン・ジョーンズの「ヘヴィ・サウンズ」です。

エルヴィン・ジョーンズ (Elvin Ray Jones) 1927年9月9日 - 2004年5月18日 
ミシガン州ポンティアック生まれ

ジョーンズ3兄弟(ハンク、サド、エルヴィン)の末弟で、1940年代後半に軍役に服した後、ミュージシャンとしてのキャリアを開始しています。
1950年代前半はデトロイトで活動した後、1955年にニューヨークへ移り、数々のジャズ・ジャイアンツと共演することになります。
中でも1960年からのジョン・コルトレーンのグループに参加し、複雑なリズムを難なく叩くテクニシャンとして黄金カルテットを支え、多くの作品・演奏に参加しましたが、晩年のコルトレーンが凄まじい変貌を遂げていったため、1966年に音楽性の相違から退団しています。
一方、1960年代にはブルーノート・レーベルを中心に、ウェイン・ショーターやグラント・グリーン、ラリー・ヤングらのレコーディングに参加し、こちらでも歴史的名盤を数多く残しています。
また1966年の来日時は、トラブルによってしばらく帰国できなくなり、その際に日本人ミュージシャンから支援を受けたことを機に親日家となっています。
一時は日本人の奥様のケイコ・ジョーンズと共に日本に住み、九州でジャズ・クラブやジャズ・クリニックを開いたり、コルトレーンに関するイヴェントやコンサートに出演していました。
1980年代以降は、自己のバンド(ジャズ・マシーン)を結成し、度々来日し、日本人プレイヤーとの共演も多く残し、晩年は毎年年始に新宿ピットインで公演を行うのが定番になっていました。
この間、奥様を含め、日本でのエピソードは色々ありますが、またの機会とし、本題に移ります。

「HEAVY SOUNDS」 IMPULS A9160
   
1. RAUNCHY RITA
2. SHINY STOCKINGS
3. M.E.
4. SUMMERTIME
5. ELVIN’S GUITAR BLUES
6. HEAR’S THAT RAINY DAY
ELVIN JONES(ds) RICHARD DAVIS(b) FRANK FOSTER(ts) BILLY GREENE(p)  
録音1967年7月19、20日

このアルバムは「ELVIN JONES AND RICHARD DAVIS」という、サブ・タイトルが付いていて、まさにこの2人の演奏を聴く内容となっています。
中でも4曲目(LPではB面1曲目)のSUMMERTIMEは、2人で11分33秒の熱演を繰り広げ、このアルバムのハイライトとなっています。
シャイニー・ストッキングスは、ここに参加しているフランク・フォスターの作曲によるもので、カウント・ベイシー楽団のレパートリーとしても有名で、ここではピアノレスのトリオで演奏され、エルヴィンのブラシによるドラミングも聴きものです。
また、自作のブルースでは珍しくギターを弾いています。

このアルバムは、コルトレーンと別れた2年後の作品で、その当時と同じ編成ですが、コルトレーンの呪いから解放され、完全なエルヴィンの作品に仕上がっていて、マレットやブラシも駆使しています。
「ヘヴィ・サウンズ」というタイトルが、決して「重い音」ではなく、パワフルでありながら非常にデリケートな深みのあるドラミングであり、ベーシストのリチャードとの共演がベスト・マッチングの作品であると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味しい地ビール

2013-07-21 | グルメ
富士山の麓には、美味しい「地ビール」が飲めるレストランがあります。

その地ビールの銘柄と、レストランは共に 「 シルバンズ 」 と言います。
http://www.sylvans.jp/

  

その場所は、富士山5合目に通じる有料道路(富士スバルライン)の料金所の手前にあります。
  

早朝だったので、お店はまだ開いていませんでしたが、近くまで来たので立ち寄ってみました。
   

レストランには庭園もあり、良く整備されていました。
    

この地ビールは、長年に渡りビアコンテストで連続受賞しています。
「アジア・ビアカップ2013」大会最多7部門で受賞!
平成25年6月1日に東京・恵比寿ガーデンプレイスにて開催された【アジア・ビアカップ2013】(日本地ビール協会主催)において「富士桜高原麦酒」は、ボトル・缶部門で、さくらボック金賞、ヴァイツェン銀賞、ラオホ銅賞、ケグ部門で、ヴァイツェン金賞、ピルス、ラオホ、さくらボック銅賞をそれぞれ受賞し、今大会最多の7部門で受賞しました。
今回の受賞で「ラオホ」は、1999年の初出品から15年連続受賞(1999~2013)という快挙を達成しました。
【アジア・ビアカップ】は1998年より開催され、今回で16回を数えるアジアで最も権威のある国際的なビールのコンペティションです。
今年度は、6カ国49ブルワリー(内海外10ブルワリー)より、165銘柄がエントリーされ、6カ国38名(内海外5カ国(韓国・台湾・中国・シンガポール・ベトナム)から15名が参加)のジャッジにより3月30日に審査が行われました。
審査は、ボトル・缶ビール部門、ケグ・ドラフトビール部門、それぞれ12カテゴリー毎に、国際標準化されている「スタイルガイドライン」に基づき、味・品質・香りなどの観点から総合的に行われ、6月1日の授賞式で、金・銀・銅の各賞が発表されました。


その日は、このレストランの更に先にある同系列のゴルフ場でプレーしてきました。
朝は霧が掛っていて見えなかった富士山も、プレー開始前からは、雲の合間から時々顔を出していました。
   

そして打ち下ろしの13番ホールは、標高「1197メートル」の位置にあります。
おかげで、へぼな私でも、ボールが良く飛びます。(と、感じます)


夏だというのに気温が低く、吹く風は心地良く、絶好のコンデションで、富士山を見ながらプレーが出来、このハウスでもビールが飲めるので、贅沢な一日でした。
3種類のビールは、それぞれに特徴があり、いずれも美味しいです。
但し、運転手さんは禁酒ですよ!
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田口登山道とその起点

2013-07-20 | 旅行
富士山世界遺産登録で、その推薦ヶ所の一つである「北口本宮富士浅間神社」に行ってきました。
ここは「富士山吉田口登山道の起点」でもあります。
境内には国の重要文化財や県、市の文化財指定のものが数多くあります。
江戸時代以降、富士山登拝が盛んになり、この社はその起点となりました。

入り口の鳥居を潜って中に入ると両脇には石燈籠が並んでいます。(途中から前後を撮りました)
  

中へ進むと大きな赤い鳥居があります。
この鳥居、現在は修復中で真っ直ぐ進めないので、脇から回って中に入りました。
(この鳥居の修繕費用はナント1億5千万円だそうです)
 

更に奥に進むと拝殿があり、その両脇には天然記念物の大スギ(吉野スギ)が構えています。
    

拝殿を正面に見て右側に進むと、大スギと諏訪神社に奉納されている神輿が両側に見えます。
左側の赤富士の神輿は以前紹介しましたが、7月14日に「NHKのど自慢 富士吉田市」の番組の冒頭で、この神輿が紹介されていました。
     

境内の回りは、一面がスギ林で、木の香りが優しいです。
下の右側の写真の先が登山道に繋がる道です。
  

この登山道は、途中の「馬返」まで車で行くことが出来、富士山駅(旧富士吉田駅)からマイクロバスが出ていました。
  

現在は5合目まで車で行くことができますが、富士登山は麓から足で登るのが本来の姿です。
そう言う私は、ず~~~と以前に、1度だけ頂上まで登りましたが、やはり5合目までバスを利用した根性無しです。

富士山駅入り口と、その隣にある観光案内所と中にあったポスターです。
   

これから8月後半までのフジヤマ登山は、相当混雑するのでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする