あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

2014年の富士山 (9月)

2014-09-30 | 富士山
9月最後の日
頂上には傘雲が掛っていて、クッキリ、ハッキリとはいきませんが、久しぶりに富士山を見ることが出来ました。
早朝6時の気温は12℃、
ススキも穂を出し、すっかり秋らしくなっていました。
   

富士山に傘雲が掛ると天気は下り坂・・・
午後からは曇り空になり、お山は完全に姿を消してしましました。

次回見る時は、雪帽子を被っているかも知れません。

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スタンリー・タレンタインの「シュガー」

2014-09-29 | JAZZ
前回のベニー・ウォレスに続き、1987年の「マウントフジ・ジャズ・フェスティバル」の影像の中に、作曲者のスタンレー・タレンタイン自身が演奏する「シュガー」もありました。
これも懐かしいアナログ画像です。
   
ここで演奏しているメンバーが凄い!
ブルーノート・レーベルのオールスターが勢ぞろいしています。
STANLEY TURRENTINE(ts) FREDDIE HUBBARD(tp) JIMMY SMITH(org)
KENNY BURRELL(g) RON CARTER(b) JOE CHAMBERS(ds)


そしてこちらは、スタンレー・タレンタインの代名詞ともいえるタイトル曲の入った名盤、ブルーノート・レーベルの古巣を離れ、CTIへ移籍しての第1作です。
こちらも超豪華なメンバーにより、濃厚な演奏が繰り広げられています。
「SUGER」 CTI RECORDS CTI 6005
   
STANLEY TURRENTINE(ts) FREDDIE HUBBARD(tp)  BUTCH CORNELL(org)
LONNIE L. SMITH, Jr. (el.P) GEORGE BENSON(g) RON CARTER(b) 
BILLY KAYE(ds) RICHARD “PABLO” LSANDRUM  録音 1970年11月


それから・・・
ゴンさんこと水橋孝(b)が率いるバンドが、LP片面を使った長時間の熱演を繰り広げています。
「LIVE IN “ 5 DAYS IN JAZZ 1974 ”」 three blind mice tbm-28
   

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テネシー・ワルツを聴く

2014-09-28 | JAZZ
生まれて初めて耳にした洋楽の「テネシー・ワルツ」、
この歌は、私が小学生のころ、近所に住むお兄さんがギターをつま弾きながら教えてくれました。
日本では1952年に、15歳の江利チエミの歌でヒットしましたが、その経緯を語った映像がありました。
  

この歌は今でも心に深く残っていますが、先日テネシー州チャタヌガ出身のサックス奏者であるベニー・ウォレスが、この曲を演奏している「トゥワイライト・タイム」というアルバムを見つけました。
「TWILIGHT TIME」  BLUE NOTE (東芝EMI BNJ-91012)
   
1. ALL NIGHT DANCE
2. IS IT TRUE WHAT THEY SAY ABOUT DIXIE?
3. SAINTE FRAGILE
4. TENNESSEE WALTZ
5. FRESH OUT
6. WILLIE MAE
7. TROUBLE IN MIND
8. SAINT EXPEDITO
9. TWILIGHT TIME
BENNY WALLACE(ts) RAY ANDERSON(tb) BOB CRANSHAW(elb)
JACK DeJOHNETTE(ds) DR. JOHN(p, org) RABBIT EDMONDS(h.sax)
EDDIE GOMEZ(b) CHRIS PARKER(ds) BERNARD PURDIE(ds)
JOHN SCOFIELD(g) STEVIE RAY VAUGHN(elg) 録音 1985年
ベニー・ウォレスは、初期のジョー・ヘンダーソンと、ルー・タバキンをミックスしたような吹奏で、お目当ての「テネシー・ワルツ」は、オールスター・メンバーで演奏されています。
ベニーは、ドイツenjaレーベルの諸作で、豪快な演奏を披露していましたが、ブルー・ノート移籍後のこの第1作では、アメリカ南部に素材を求め、伸びのびとした気分のアルバムに仕立てています。

またベニーは、1986年8月に山中湖で開催された「マウントフジ・ジャズ・フェスティバル」のために初来日した時に、山下洋輔のスペシャル・バンドと品川ESPASEで共演し、この曲を演っているものが手元にありました。
今から28年前のアナログ映像です。
   
この曲を、しっかりと3拍子で演っていますが、演奏内容はご想像におまかせします。
なんたって、山下洋輔との共演ですから。

このアルバムのタイトルにもなっている「トワイライト・タイム」は、翌87年の8月にも再来日して出演した際、ソロで演奏していました。
   


「テネシー・ワルツ」が聴ける以下の2枚も合わせて掲載しました。
*ピアノとベースのデュオで演奏しているスティーブ・キューン
「MOSTLY BALLADS」 ポリドールレコード 28MJ3546
  


*おしまいは、この曲をスマートに歌っている日本の歌手、金子晴美
「MY ROMANCE」 日本フォノグラム PHCE-5003
   
1990年の録音で、ニューポート・ジャズ・フェスティバル・オールスターズが豪華にバックを務めています。
「テネシー・ワルツ」は、江利チエミの歌を思い出させそうなところが見え隠れします。
「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」「オーバー・ザ・レインボウ」「ブルー・スカイズ」の3曲はバースから入っていて洒落ています。
「イッツ・オンリー・ペーパー・ムーン」と「キャラバン」ではスキャットも披露しています。
全11曲、しっかりした音程で丁寧に歌っていて、いずれも見事な歌唱です。

ここに取り上げた「TENNESSEE WALTZ」、
それぞれ違った味がある、いずれも名演、名唱です。

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都幾川町へ

2014-09-27 | 日記
9月最後の週末、
好天に誘われて、都幾川町へ足を延ばしましてみました。
我が家から凡そ25㎞の距離です。
現地へ着いたのが丁度昼時だったので、「やすらぎの家」に立ち寄りました。


この家は、今から100年以上前に建てられた民家を移築した農山村体験交流施設で、手打ちうどんが評判ということなので、天麩羅うどんをオーダーしました。
〆て800円なり
   

家の隣には、夏の花「サルビア」と秋の花「黄バネコスモス」が同居していて、「となりのトトロ」もありました。
 

お腹も満たされたところで、近くにある「シュウカイドウ」を見学に、この花は7月~9月が見頃ということで、終わりに近かったのですが、まだまだ楽しめました。
   
我が家の前に咲いているベコニアと比較してみて・・・
  

近くにはススキのお化けのような背高ノッポの草と、何処かのお家で栽培しているキュウイもありました。
   

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パット・メセニーの2枚

2014-09-25 | JAZZ
パット・メセニー(g)は、1974年7月、ゲイリー・バートン(vib)の「RING」(ECM 1051)でレコーディング・デビュー、同じECMより75年12月「BRIGHT SIZE LIFE」(ECM 1073)で初リーダー作を発表し、既に独特のテイストを発揮しています。

以下は同じECMレーベルから、自身の6枚目のリーダー作、70年代のフュージョンの先にある“硬派”で、しかも爽快なアルバムです。
「80/81」 ECM 1180
    
PAT METHENY(g) MICHAEL BRECKER(ts) DEWEY REDMAN(ts)
CHARLIE HADEN(b) JACK DeJOHNETTE(ds)  録音 1980年5月26~29日 OSLO

このレコードは2枚組で、ダブル・ジャケットの内側に奏者と曲目、及びソリストがクレジットされています。
登場する2人のサックス奏者は、普段簡単に聞き分けできるのですが、ECMレーベルの特徴ある「音」だからでしょうか、どちらも同じように澄んだ音色に聴こえ、上手く判別できません。
パット・メセニーが、デューイ・レッドマンや、チャーリー・ヘイデンのような異質なタイプと共演することにより、お互いが刺激し合い、密度の濃い演奏が展開されています。

全9曲のうちの大半は、強力なベースとドラムスに支えられ、テーマ~アドリブの構成ですが、LP2枚目の最初の曲「オープン」は、全員のリレーによるフリーで最も激しい演奏が展開されています。
最後の「ゴーイン・アヘッド」は、メセニーのギター・ソロで締め括られ、3分56秒の牧歌的なサウンドが心地いいです。

この最後の曲の雰囲がそのまま繋がっているのが、下記のアルバム(邦題:ミズーリの空高く)です。


チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーは、アルバム「80/81」が2人のコラボレーションの始まりで、それ以来幾度となく共演してきています。
そしてこの作品では、音楽的に最も相性の良い2人が、お互いの音楽性を尊重し合いながら感情を込めて演奏しています。
古いカントリー・ソングやフォークソング、更には映画音楽等々、様々なジャンルから集められた旋律が、2人のシンプルで奥深い「音」で綴られています。

「BEYOND THE MISSOURI SKY」 VERVE 537 130-2
    
CHARLIE HADEN(b) PAT METHENY(g) 録音 1996年 NY

録音は最初に2人のデュオで行われ、その後シンセサイザーやオーケストレーションが加えられています。
パット・メセニーのギターは、時にスパニッシュに、時にアメリカ大陸の響きを持っています。
因みに彼は、ミズーリ州リーズサミットの出身です。

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私の愛聴盤 (第48回)

2014-09-23 | 私の愛聴盤
第48回はキース・ジャレットの「生と死の幻想」です。

キース・ジャレット(Keith Jarrett、1945年5月8日 - ) ペンシルベニア州アレンタウン生まれ

近年はピアノ演奏に専念していますが、当初の演奏楽器はソプラノ・サックス、パーカッション、リコーダなど多彩です。
そしてジャズばかりでなく、ピアノやハープシコードによるクラシックのアルバムも録音しています。
幼少期はクラシックの教育を受けていましたが、高校時代からジャズに傾倒するようになり、ボストンのバークリー音楽大学へ進学した後、自己のバンドを結成、ジャズ・ピアニストとしての活動を開始しています。

1965年にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズ、チャールス・ロイド・カルテットを経て、70年にはマイルス・デイビスのバンドに参加、この間、67年にはポール・モチアン(ds)、チャーリー・ヘイデン(b)を加えたトリオで、最初のリーダーアルバム「人生の二つの扉」を発表しています。
71年まで続いたトリオは、同年デューイ・レッドマンを加えたカルテットへ発展し、モダン・ジャズの枠を超えた「音楽」への展開を図っていきます。
それに加え、ピアノ・ソロ活動も開始しており、74年にはヨーロッパのメンバーによるカルテットを同時進行させ、アメリカ人とヨーロッパ人による2つのバンドでの活動も行っていました。

今回、愛聴盤として取り上げた「DEATH AND THE FLOWER / 死と花」は、国内盤では「生と死の幻想」というタイトルで発売されていますが、これはキース自身が書いた詞の題名をそのまま使ったものです。

「DEATH AND THE FLOWER」 IMPULS ASD-9301
   
1. DEATH AND THE FLOWER
2. PRAYER
3. GREAT BIRD
KEITH JARRETT(p, ss, osi-ds, wood-fl, perc)
DEWEY REDMAN(ts, perc) CHARLIE HADEN(b)
PAUL MOTIAN(ds, perc) GUILHERME FLANCO(perc)
録音 1974年10月9 ~ 10日

タイトル曲は、キース・ジャレットの死生観と独自の美学を音楽的に表現したもので、パーカッションとフルートによる長いアンサンブルに続いて、重厚な伸びのあるベースが加わり、曲のイメージを作り上げています。
その後、キースのピアノに続いてテナー・サックスも加わり、キースを中心としたスリリングな展開へと移って行きます。
2曲目はピアノとベースのデュオですが、タイトルの「祈り」の様に内面的、且つスピリチュアルな雰囲気を持った曲です。
3曲目はラテン・リズムに乗ってテナーとソプラノがテーマを奏したあと、それぞれが自由なソロを展開しますが、一部で多重録音も使っています。

このアルバムの演奏時間は凡そ42分です。
演奏される3曲はお互いに個性を持った曲ですが、通して聴いても違和感はなく一気に聴き通せます。
そして、これらの演奏を一層引き立たせているギレルミ・フランコ(perc)にも、拍手を送りたいと思います。
このアルバムでは、彼の存在も重要です。

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美味しいぶどうを頂きました

2014-09-21 | 日記
爽やかな休日、
勝沼にあるぶどう園で、沢山の美味しいぶどうを頂いてきました。

そのぶどう園とは、知人に紹介して頂いた「山梨園」で、過去に自家製ワインも購入したことがありました。
  

庭先の中央には樹齢35年のぶどうの木があり、この1本から庭一面にぶどうが広がっていました。(左側2枚)
隣の畑にも・・・(右側2枚)
     

早速家の中に入れて頂き、席に着いたところ、試食と称して沢山の種類のぶどうが大きなお皿で出てきました。
そして、園主の向山さんが一つづつ丁寧に説明して下さったので、予め持って行ったリストに書き込んでみました。
右側リストのアンダーラインで示した「19種類+1種類」です。 ワォー!
   

ご覧の様に、過去に経験がない多くの種類を一度に頂くことができて、感激です。
形も、色も、味も様々・・・
他園には無い品種のぶどうを、自信を持って提供してくださいました。


最近のぶどうは、種の無い品種が多いですが、種が一番栄養があるのだそうです。
そこで、頂いたぶどうの中で、種のあるものは全て噛んで食べました。
もちろん皮もです。


ぶどうの他に、ワインの試飲もさせて頂きました。
赤ワイン3種類、白ワイン4種類、
残念ながら、運転手さんは赤・白のぶどう汁でしたが、これも美味しかったです。(そのようです)
 

隣にはこれから各地に配送されるぶどうが沢山ありました。
 

今回頂いたぶどうの中で気に入った3種類を購入しました。
中央の写真、左から「モルゲンシェーン」「ブラックキング」「瀬戸ジャイアンツ」
右側の写真「アジロンダック」は、ワインにもなるとても甘いぶどうですが、ご好意で頂いてきました。
  

そして、赤ワイン2種類、白ワイン3種類、それに赤・白のぶどう汁を購入ました。
多くの種類を購入した理由は、ここで飲めなかった運転手が自宅に戻って飲むのです。(笑)
 

今日は沢山の美味しいぶどうを頂き、同行者は試飲と称してワインを何杯もお代わりさせてもらいました。
親切丁寧にお世話して頂いた山梨園の皆さん、ありがとうございました。

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ヒロシという名の歌手

2014-09-19 | 演歌・ポップス
井上ひろし (本名 井上 博 1941年8月23日 - 1985年9月19日)  神奈川県横浜市出身
  
1961年の第12回 NHK紅白歌合戦で「別れの磯千鳥」を歌った記録がありますが、彼に関する私の記憶は、リバイバル・ソングのさきがけとなった「雨に咲く花」です。

「雨に咲く花」 コロムビア レコード SA-390  1960年6月発売
作詞 高橋掬太郎 作曲 池田不二男 編曲 柳田六合雄
  

このレコードのもう1曲、「煙草が二箱消えちゃった」(作詞 関沢新一、作曲 前田利克)は、井上ひろしのロカビリー時代を彷彿とさせる歌い方で、調子の良い曲です。

フリー百科事典より抜粋
経歴[編集]
1958年にザ・ドリフターズのボーカルなどのロカビリー歌手を経て、1959年11月、「雨は泣いている」でデビュー。
12月発売の「地下鉄は今日も終電車」は地下鉄丸ノ内線を歌ったもので若い女性の間で絶大な人気を得る。
翌、1960年7月、リバイバル曲「雨に咲く花」(原曲は1935年に関種子が歌った)がヒットした。
このヒットによって、リバイバルブームが起こり、井上の「並木の雨」(オリジナルはミス・コロムビア)、佐川満男「無情の夢」(オリジナルは児玉好雄)、「ゴンドラの唄」(オリジナルは松井須磨子)、フランク永井「君恋し」(オリジナルは二村定一)などがヒットした。
水原弘、守屋浩とともにロカビリー三人ひろしと言われた。
1961年には、NHK紅白歌合戦にも出場している。

やがて低迷期をむかえ、1970年代は地方のキャバレーをドサ回りする不遇の日々を過ごす。
1985年から料理店経営のため調理の勉強を始めるが、9月19日、心筋梗塞で44歳の若さで死去。



後のお二人さんには、またの機会に登場して頂きたいと思います。

水原 弘 (1935年11月1日 - 1978年7月5日) 東京府東京市深川区出身
守屋 浩 (1938年9月20日 - ) 千葉県出身
 

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浅川マキの3枚

2014-09-17 | 演歌・ポップス
浅川マキが山下洋輔(p)をバックに歌っているレコード、先日セコハン店で「寂しい日々」を見つけ、3枚が揃いました。

浅川マキと山下洋輔のジョイントは他にも1枚、1972年の作品「ブルー・スピリット・ブルース」(東芝EMI ETP-72052)がありますが、これはビリー・ホリディの歌で有名な「奇妙な果実」1曲のみの収録であり、アルバム単位としては以下の3枚です。

録音順に・・・

「MAKI Ⅵ」 東芝EMI ETP-72011 
  
1. わたしの金曜日
2. 港町
3.ジン・ハウス・ブルース
4. キャバレー
5. あんな女ははじめてのブルース
6. 今夜はおしまい
7. 戸を叩くのは、誰
8. ボロと古鉄
浅川マキ(vo) 
山下洋輔(p) 森山威男(ds) 坂田明(as, cl) 稲葉国光(b)
1974年9月19日 神田共立講堂でのライブ

山下洋輔のレギュラー・トリオにベーシストが加わったもので、初めてのヨーロッパ・ツアーを終え、帰国後の録音です。
1曲目の「わたしの金曜日」はピアノのみをバックに、マキがサラリと歌っています。
2、3曲目はいずれもスインギーな曲で、ベースが刻む4拍が良いアクセントを付けています。
4曲目は1転、スローなバラードで、中間部で鳴るアルト・サックスが切ない感じを良く出しています。
5曲目はタイトル通りのブルース、その後、短い2曲が続いて、8曲目の「ボロと古鉄」は、一風変わったリズムを持った演奏で、メンバー紹介も交えて最後に相応しいエンディングとなっています。


「寂しい日々」 東芝EMI ETP-80051
   
(B面のみ)
1. ナイロン・カバーリング
2. 女が笑う
3. 寂しい日々
4. 暗い日曜日
浅川マキ(vo)
山下洋輔(p) 川端民生(b) つのだひろ(ds) 
杉本喜代志(g) 向井滋春(tb)
録音 1978年 東京

山下洋輔は片面4曲のみの参加ですが、マキの歌は透明感あふれ、非常にシンプルに歌っています。
1曲目の「ナイロン・カバーリング」は、日本音階による「どどいつ」もどきの歌が面白いです。
2、3曲目の杉本のギター演奏が素晴らしいです。(歌をそっちのけで聞き惚れます)
4曲目のシャンソン「暗い日曜日」は、マキがピアノだけをバックに語りかけるように歌っています。

このレコードに添付されていたマキのコメント

コメントにもあるように、このアルバムのミキサーは吉野金次が担当しています。
この中で、彼の体調を気遣っています。


「ONE」 東芝EMI ETP-80125
   
(A面のみ)
1. 午後
2. あの男がピアノを弾いた
3. 都会に雨が降るころ
4. For M
浅川マキ(vo)
山下洋輔(p) 川端民生(b) 近藤等則(tp, toys)
録音 1979年~80年 東京ピット・イン、スタジオ・テイク・ワン

レコードに添付されていたマキのコメント


この1~3曲目はマキのコメントにもあるように、最初の2枚とは全く変わった内容で、それはバックで吹く近藤のトランペットにも良く表れています。
歌のバックを付けるというより、バックで邪魔をせず、しかしカラスの勝手でフリー・インプロビゼーションを展開するというものです。
レコードのB面に山下洋輔は加わっていませんが、山内テツのエレキ・ギターが加わり、一層のフリー・ミュージックが展開されています。

この録音も吉野金次が係っていますが、こちらは前作に比べオン・マイクでの録音となっています。

コメント (2)
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船村・高野のコンビによる名作

2014-09-15 | 演歌・ポップス
NHKBSの 「今も響くこころの歌 ~ ふるさと歌謡で人々を癒した」という番組で、懐かしい歌の数々が披露されていました。
その中で紹介されていた船村徹・高野公男のコンビによる「別れの一本杉」と、「あの娘が泣いてる波止場」

栃木県塩谷郡船生村(現塩谷町)出身の船村徹、
茨城県西茨城郡北山内村(現・笠間市大郷戸)出身の高野 公男(本名 高野吉郎)
共に東洋音楽学校(現・東京音楽大学)の出身です。

「別れの一本杉」のオリジナルSP盤と高野公男の詩
 

春日八郎「別れの一本杉」と、三橋美智也「あの娘が泣いてる波止場」
   

フリー百科事典より抜粋
船村徹の大学在学時はまだ駐留米軍が数多くいた時代であり、米軍キャンプ専門のバンドでそのリーダーをつとめたこともあったという。
大学在学時に、作詞家の高野公男と組み作曲の活動を開始した。
ただ高野とともに、生活は困窮を極め、バンド・リーダーのほか、流しの歌手なども経験する。
1953年、雑誌「平凡」コンクール曲第一席「たそがれのあの人」がレコード化され、作曲家としてデビュー。
作曲家としての本格的な作品は「別れの一本杉」(歌・春日八郎・1955年発表)。
その後も、「ご機嫌さんよ達者かね」、「あの娘が泣いている波止場」(歌・三橋美智也)などが連続ヒットした。
1956年、キングレコードからコロムビアレコードに移り、「柿の木坂の家」、「早く帰ってコ」(歌・青木光一)が大ヒット。
「王将」(歌・村田英雄)は戦後初のミリオンセラーを記録した。
1993年、日本作曲家協会理事長に就任し、1997年に吉田正の後を受けて第4代会長に就任、2005年に遠藤実へバトンタッチするまで務めた。

高野公男は大学在学時に作曲家の船村徹と出会い、作詞家活動を開始。
当初はビクターレコード専属の作詞家としてデビューしたもののこれといったヒット曲もなく、鳴かず飛ばずの状態が続いたが、もう後がないと思って売り込みに行ったキングレコードで春日八郎を担当していたスタッフの目にとまり、春日の歌唱による『別れの一本杉』が大ヒットして一躍名の知られる作詞家となった。
その後コロムビア専属となっても、船村とのコンビで数々のヒット曲を生み出す。
高度経済成長時代の当時、田舎のにおいが感じられる公男の詞による曲は集団就職などで都会に出てきた若者たちの心をとらえた。
しかし1955年、『別れの-』のヒットから間もなく公男は肺結核に侵され翌年9月8日、国立水戸病院で死去、26歳没。
後に彼の生涯は松竹から『別れの一本杉』という題名で映画化された。

2006年11月22日にキングレコードから、春日、美空ひばり、三橋美智也、村田英雄、北島三郎、五木ひろし、大川栄策、藤圭子などの歌手が歌った『別れの-』を収録したアルバム「別れの一本杉は枯れず」が発売された。
これらの『別れの-』のうち、シングルレコードとして発売されたのは春日が歌唱したもののみである。


ということですが、何と2人が作った名曲を雪路姉さんが歌っていました。

「別れの一本杉」「あの娘が泣いてる波止場」 東芝レコード TR-1004
作詞 高野公男 作曲 船村徹 編曲 小野崎孝輔
  

こちらの「別れの一本杉」、雪路姉さんは変に味付けせず、ストレートに歌っています。
しかしフル・オーケストラによるアレンジ、ギターのイントロも無く、オリジナルとはちがう曲に聞こえ“望郷”というイメージが湧きませんでした。
このレコードの発売年は不明ですが、定価 290円ということから、1962年(昭和37年)頃のものと思われます。

朝丘雪路は、その昔ジャズを歌っていた時代がありました。
こちらも発売は1962年5月となっています。
日本語主体の歌唱ですが、音程もしっかりしていて上手いです。
 

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