あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

アンソニー・ウイリアムスの1枚

2014-02-28 | JAZZ
アンソニー・ウイリアムス(Anthony Williams) 1945年12月12日 - 1997年2月23日
イリノイ州シカゴ生まれ、後にボストンに移る 

サックス奏者であった父親からジャズを学び、9歳でドラマーを志し、若くして往年の名ドラマー達より一歩進んだ新しいコンセプションのドラミングを完成しています。
アラン・ドーソン(ds)、サム・リヴァース(ts)に師事した後、1962年末にジャッキー・マクリーンの紹介でニューヨークへ進出、63年から69年にはマイルス・デイビスの黄金クインテットのドラマーとして活躍しました。
その後は、自身のグループ「ライフタイム」を結成し、ロックへ傾倒したことで、スタイルも変化しましたが、晩年は、またジャズ・ドラムの可能性を追求するプレイに戻っています。

今回の1枚は、60年代中期の代表作で、「早く来い来い春よ来い」ということで取り上げました。
「SPRING」 BLUE NOTE  BST 84216
   
1. EXTRAS
2. ECHO
3. FROM BEFORE
4. LOVE SONG
5. TEE
WAYNE SHORTER(ts) SAM RIVERS(ts) HERBIE HANCOCK(p) 
GARY PEACOCK(b) ANTHONY WILLIAMS(ds) 録音 1965年8月12日

このアルバムは、トニー(アンソニー・ウイリアムスの愛称)の2枚目のリーダー作で、新しいコンセプトを持った内容になっています。
(レーベルに記載されているSIDE1と2が、ジャケットの曲順と逆になっています)

私がこのアルバムを好きな理由は、
1)ジャケットのレイアウトと色使いが素晴らしい(BNでお馴染みのリード・マイルスのデザイン)
2)2曲目の「エコー」で、ニュー・ジャズに通ずる斬新なテクニックのトニーのドラム・ソロが聴ける
3) 好みのサックス奏者が2人参加している(特に調性を外したようなサム・リヴァースの奏法が良い)
4) ゲーリー・ピーコック(b)の参加で、一層自由な展開が繰り広げられている
5) アグレッシブな演奏の中で、「ラブ・ソング」の哀愁を帯びた美しい曲に一息つける

と、こんな訳で、トニーのブラッシュ・ワークに乗って、サム・リヴァースが吹くサックスがとても良い感じですが、それもそのはず、トニーはこの録音の3か月前に、サム・リバースの初リーダー・アルバム(FUCHSIA SWING SONG / BLUE NOTE 4184)に参加していて、こちらも良い出来であり、近いうちに再びここに登場させたいと思っています。

彼の参加したアルバムは何と100枚を超えますが、1996年9月に録音した「YOUNG AT HEART」が遺作となっています。
 
トニーもこれから、という時に亡くなってしましました。
早いもので、あれから17年が経ちました。

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ジャズ・オルガンの第一人者

2014-02-27 | JAZZ
ジミー・スミス(Jimmy Smith) 1925年12月8日 - 2005年2月8日)

ペンシルベニア州で生まれたジミー・スミスは、最初はピアニストでしたが、28歳の時、ワイルド・ビル・デイビスのオルガン演奏を聴いたことがきっかけとなり、
オルガンに転向しています。
当時、オルガンは教会のゴスペル・ミュージックとして使用されていて、ジャズやポップスを演奏することはご法度でしたが、それを最初に打ち破ったのがジミーでした。
そして、ハモンドオルガン奏者としてソウル・ジャズ、及びファンキー・ジャズというスタイルを確立し、演奏したことで人気が高まり一気にビック・スターになりました。

2月8日はジミー・スミスの命日で、何か1枚をと、ピック・アップしたのが今回のアルバム(CD)です。
彼の演奏は、ブルーノートやヴァーブに数多くありますが、あえてそれを外しました。
というのも、これまで数々のアルバムにレコーディングしてきた代表曲をここで演奏しているからです。
ハモンド・オルガンは、同時にベース・ノートを弾くことができるため、大抵ベース奏者は参加しないので、ここでもオルガン、ギター、ドラムスのシンプルなトリオ演奏となっています。

「THE MASTER / JIMMY SMITH TRIO」 Somethin’else TOCJ - 5562
     
1. CHITTLINS CON CARNE
2. IT’S ALRIGHT WITH ME
3. THE ORGAN GRINDER’S SWING
4. THE PREACHER
5. ALL DAY LONG
6. I GOT MY MOJO WORKIN’
7. WHEN JOHNNY COMES MARCHING HOME
8. BACK AT THE CHICKEN SHACK
9. THE CAT
JIMMY SMITH(org) KENNY BURRELL(g) JIMMY SMITH(ds)  
録音 1993年12月24日~25日 

1993年は、ジミーがオルガン・トリオを結成して40年という節目の年に当たり、これはクリスマスの夜に大阪のキリン・プラザでライブ演奏されたものです。
クリスマスということもあり、3曲目のオルガン・グライダー・スイングでは、ケニー・バレルが「赤鼻のトナカイ」の一節を、8曲目のバック・アット・ザ・チキン・シャックではジミーが弾く
「サンタが街にやってくる」がアドリブの中で披露されています。
2曲目のスタンダードでは、ハモンド・オルガンの歯切れ良さを発揮したリズミックな演奏や、5曲目のオール・デイ・ロングでは、しっかりとしたベース・ラインの上をケニー・バレルのギターがブルージーに迫ってきます。
ジミーは、曲のあちこちで「ぅあ~」という声を出しながら演奏を繰り広げ、6曲目のアイ・ガット…では、しわがれ声で唄も披露しています。
そして、最後はこの曲が無いと終わらない「ザ・キャット」で盛り上げています。
このアルバムは、時にソウルフルで、ファンキーに、そして最初から最後まで軽快にスイングするご機嫌な内容で、ライブということもあり、馴染み曲のオンパレードとなっています。

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洋輔さん、お誕生日おめでとう

2014-02-26 | JAZZ
ジャズ・ピアニスト、作曲家、エッセイスト、エトセトラ・エトセトラの山下洋輔さん、
今日2月26日は、あなたの72回目のお誕生日ですネ。
おめでとうございます。

デビュー当時の演奏は知りませんが、最初のレギュラー・トリオを組んだ頃から、貴方様の演奏をず~~~と聴いて来た一人です。
多くの書かれたエッセイも殆ど読ませていただきました。
ちぃ~と古い話ですが、タモリを発掘した時のエピソードや、1975年からの冷し中華愛好会の活動等々・・・
それらも含めて、色々と楽しませて頂いております。
それはそうと、昨年夏には「肝機能障害による体調不良のため2カ月間の入院治療が必要との診断を受けました」との報道もあり、心配していましたが、その後は予定通りスケジュールを熟している様子、
安心しました。

ところで今日は何処に?と、調べてみたら・・・
何とベトナムのハノイでジャズ・コンサート、並びに国立交響楽団とのセッションに臨んでいるそうで・・・
今後も健康で、いつまでも我々を楽しませてください。

下は昔むかし、お世話になった本の数々です。
風雲ジャズ帳(75年発刊)、雑誌「ジャズランド」(76年)、「山下洋輔の世界」(78年発刊)
最後はNHKで放送されたジャズを演奏するための講座「ジャズの掟」(88年) 
    

1994年に発売されたアルバム「ウェイズ・オブ・タイム」を購入し、応募すると貰えた「トリオ結成25周年記念小冊子」(冷し中華のことも掲載されています)
    

以下はソロ・ピアノ集で、良く聴く2枚です。
2枚はいずれもスタンダード、クラシックの小品、オリジナル等から選曲されていていますが、そこは洋輔さん、しっかり「ひねり」を入れています。
それが「も~タマラン坂」です。

1枚目は1985年8月26日、ニューヨークのRCAスタジオで録音した「センチメンタル」、
この時はニューオリンズからミシシッピーを北上し、カンサスを経てニューヨークまで、各所で飛び入りセッションに参加しています。
このアルバムは、LPとCDの両方で発売され、一部の曲は異なったテイクが収められています。
録音エンジニアは、当時売れっ子だったデビット・ベイカー
   
 
私の大好きな曲、シューマンの「トロイメライ」の解釈、
最初のコーラスはオリジナルそのままにメロディーを、そして段々解体していく構成・・・ 
見事です。

2枚目は70歳記念アルバムとして、近年のコンサートからセレクトした「スパークリング・メモリーズ」、
録音は第一生命ホールと電気文化会館の2か所からのものですが、第一生命ホールの録音は、ピアノの響きが素晴らしいです。
盟友の筒井康隆さんがコメントを寄せています。
   
童謡の「シャボン玉」(7曲目)、以前トリオの演奏でもお披露目しています。
こちらはより厳かな演奏ですが、風は吹かないのに、途中でシャボン玉を壊してしまいます。

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ジャズ・ラブの記録

2014-02-25 | JAZZ
1950年代後半に、たった2年間の活動だけで消滅してしまったグループ「JAZZ LAB」、
「ジャズ・ラブ」とはジャズ・ラボラトリー(ジャズ実験室)の略で、進歩的な黒人ジャズメンのジジ・グライス(as)と、ドナルド・バード(tp)の2人によって作られた双頭ヘッドのジャズ・バンドです。
当時のジャズ界は、ハード・バップが盛んで、多くの新しいグループが誕生しました。
「ジャズ・ラブ」もその中の一つで、グライスとバードは、以前から抱いていたアイデアをお互いに交換しながら発展させ、新しいジャズを追及していました。
音楽的には重要な働きをしたものの、玄人好みの地味な存在ゆえ大衆受けすることができず、レコーディングとしては1957年の1年間に6枚のアルバム(1枚は片面)を残しただけでした。

以下にその6枚を紹介します。(一部国内盤を含みますが、リストはオリジナル番号で示しています)
1) Columbia  CL 998  57年1月13日録音
    
 
2)Riverside PLP 299 57年2月27日録音
   

3)Verve MGV 8238 57年7月5日録音
    
これはニューポート・ジャズ・フェスティバルの実況盤で、セシル・テーラーとのカップリングです。
70年代初め、日本グラモフォンの特典盤として入手しました。

4)RCA (当時未発表)57年7月31日録音
    
このアルバムは、1976年に日本ビクターが世界で初めてレコード化しています。

5)Jubilee JLP-1059 57年8月録音
   
アルバム・ジャケットは正に実験室です。

6) Columbia CL-1058 57年8月30日、9月3日、5日録音
   
最後もまたコロムビア・レコードに戻っています。  

「ジャズ・ラブの」吹き込みは、上記のアルバムで示したように、57年1月31日から始まり、同年9月5日迄の合計14セッションのみです。
メンバーについて、リーダーの2人以外は、都度入れ替えがあり、最後のアルバムではジャッキー・パリス(vo)も参加した9人編成となっています。
この6枚の共通点は、ハード・バップという伝統の線を固守しながらも、テーマ部分をより自由な小節で組み立てたり、アレンジ部分においても、個々のソリストが自由に表現できるようになっており、当時流行ったウエスト・コーストの整然としたアレンジとは異なる手法が用いられています。
私の好みは最初のコロンビア盤で、ジャズのオリジナルやスタンダードの解釈も面白く、6枚の中では一番ターンテーブルに乗る回数が多いレコードです。

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エリック・ドルフィーのラスト・デイト

2014-02-24 | JAZZ
エリック・ドルフィーのラスト・デイトを取り上げてみました。

エリック・ドルフィー(Eric Dolphy) 1928年6月20日 - 1964年6月29日 ロサンゼルス生まれ
彼の本格的な音楽活動は、1958年4月のチコ・ハミルトン楽団からで、当時の演奏はまるでクラシックの奏者のようです。
その奏法に変化が現れたのは、59年暮れのチャールス・ミンガスのグループに参加してからで、60年4月にはプレスティッジ・レコードに自身の最初のリーダー・アルバムを録音しています。
ここでは既に、バス・クラリネット(bcl)も使われており、そのプレイは「馬のいななき」のようだと言われたことがあります。
一時期、ブッカー・リトル(tp)との双頭クインテットを組んで活躍した時期があり、名演も残しています。
ジョン・コルトレーンが彼の演奏に惚れ込んで、グループに参加させたこともありました。
ドルフィーは、オーネット・コールマンのアルバム「フリー・ジャズ」で共演していて、時にフリー・ジャズに分類されることもありますが、基本的には音楽理論に則りアドリブを展開していくスタイルです。

今回のアルバム「ラスト・デイト」は、ヨーロッパんに渡った後、死の直前に現地のミュージシャンと共に、オランダの放送局でスタジオで録音されたものです。
オリジナル盤はオランダのフォンタナから出されましたが、米国ではライムライト(マーキュリー)からジャケットを差し替えて発売されています。
「LAST DATE」 FONTANA 681 008 ZL
   
1. EPISTROPHY
2. SOUTH STREET EXIT
3. THE MADRIG SPEAKS, THE PANTHER WALKS
4. HYPOCHRISTMUTREEFUZZ
5. YOU DON’T KNOW WHAT LOVE IS
6. MISS ANN
ERIC DOLPHY(fl,bcl,as) MISJA MENGELBERG(p) JACQUES SCHOIS(b) 
HAN BENNINK(ds)  録音 1964年6月2日

当日は1曲目のセロニアス・モンク作のエピストロフィーが、テスト・テイクとして演奏され、サウンド・チェック後に、改めて上記6曲が演奏されています。
ライナー・ノートによれば、バス・クラで2曲(1.4)、続いてフルートで2曲(5.2)、最後にアルトサックスに持ち替えて2曲(3,2)の順で演奏されたとしています。
バス・クラでの演奏は何時ものドルフィーらしく、強烈な印象を与えるものですが、フルートでのユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズでは一転、静かな奥深い演奏となっています。
後にフリー・ジャズの雄となるミシャ・メンゲルベルク(p)と、ハン・ベニンク(ds)も、ここではオーソドックスなバッキングに徹しています。

ドルフィーは、この録音の翌日にはパリに発ち、6月11日に放送局用として録音がなされています。
1988年なってITM RECORDSにより世に出ましたが、日本ではDIWより発売され、これが正にラスト・レコーディングとなりました。
「LAST RECORDINGS」 DIW -25020
   
1. SPRINGTIME
2. 245
3. G.W
4. SERENE
ERIC DOLPHY(as,bcl) ONALD BYRD(tp) NATHAN DAVIS(ts) JACQUES DIEVAL(p) 
JACQUES B. HESS(b) FRANCO MANZECCHI(ds) JACKY BAMBOU(perc)

このアルバムの録音(6月11日)の18日後に、ベルリンで他界しています。
この年の2月には、ブルー・ノートへ「アウト・ツゥ・ランチ」を吹き込んでおり、その時のジャケット(「WILL BE BACK」の文字と、時間のわからない時計の指針)が既にこの日を予感していたのでしょうか?

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私の愛聴盤 (第34回)

2014-02-23 | 私の愛聴盤
第34回はジミー・スミスの「ミッドナイト・スペシャル」です。
「MIDNIGHT SPECIAL」 BLUE NOTE BLP 4078
  
1. MIDNIGHT SPECIAL
2. SUBTLE ONE
3. JUMPIN′N THE BLUES
4. WHY WAS I BORN
5. ONE O′CLOCK JUMP
JIMMY SMITH(org) STANLEY TURRENTINE(ts) KENNY BURRELL(g) DONALD BAILEY(ds)
録音 1960年4月25日

ジミー・スミスの数ある音源の中から選んだ1枚、
彼のリーダー・アルバムにはトリオ作品も数多くありますが、これは比較的良く聴くアルバムです。
それは好きな奏者の一人であるスタンレー・タレンタインが加わっているからでもあります。
ソウル・テナーの代表格の一人であるスタンリー・タレンタインは、ブルー・ノートに多くのリーダー・アルバムがありますが、このレコードがここへの初吹込みなのだそうです。
それにギターのケニー・バレルが加がわれば、それだけでこのレコードの内容は見当がつきます。
冒頭のタイトル曲である「ミッドナイト・スペシャル」からソウルフルでファンキーな演奏の連続で、途中ダレることなく一気に聴き通せます。
ジェローム・カーンの「ホワイ・ワズ・アイ・ボーン」は、ケニー・バレルとジョン・コルトレーンのデュオにも名演がありますが、ここではタレンタインの独演となっていて、深いエモーショナルなプレイを披露しています。
最終曲の「ワン・オクロック・ジャンプ」はカウント・ベイシーの十八番で、多くのプレイヤーが取り上げるリフ・ナンバーを、このグループはサックス~ギター~オルガンの順にソロを受け持ち、原曲とは異なったアプローチで、スイング感溢れる演奏を展開してます。

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伊藤 薫さん作詞・作曲の1曲

2014-02-22 | 演歌・ポップス
伊藤薫さんの作詞・作曲による「ラヴ・イズ・オーヴァー」
台湾の歌手、欧陽菲菲の歌で有名ですが、先日BSフジで彼女が歌うこの歌を聴きました。
それは、宮川 彬良さんのピアノをバックにしての熱唱でした。
彼女曰く、スタジオで、しかもピアノ伴奏だけで歌うのは今回が初めてだそうです。
それだけに、本当に素晴らしい歌でした。
   

この曲、最初は1979年7月1日に発売された欧陽菲菲のシングル「うわさのディスコ・クイーン」のB面に入っていました。
その時はあまり注目されなかったようですが、それでも彼女はこの曲を歌い続け、口コミで徐々に広まって行きました。
その結果、1980年7月にA面曲として、また1982年9月1日にアレンジを変更した音源がA面曲として発売され、さらに1983年5月にはジャケットを変更して発売されています。

作詞・作曲:伊藤薫   編曲:川上了(1979年/1980年盤)、若草恵(1982年/1983年盤)
    

そして、菲菲の他に大勢の方が歌っています。(フリー百科事典より)
1980年、森進一 - シングル「恋月夜」B面曲
1981年、倉橋ルイ子 - アルバム「Without Sugar」
1982年、西城秀樹 - ライブアルバム「HIDEKI RECITAL - 秋ドラマチック」
1983年、内藤やす子 - シングル
1983年、やしきたかじん - シングル
1983年、黛ジュン - シングル
1983年、生沢佑一 - シングル
1983年、ニック・ニューサー - シングル
2008年、ミトカツユキ - アルバム「SUMMER CANDLE」
2008年、CHEMISTRY - アルバム「Winter of Love」
2008年、アンドリューW.K. - アルバム「一発勝負〜カヴァーズ」
2009年、つるの剛士 - アルバム「つるのおと」
2009年、misono - アルバム「カバALBUM」
2009年、中西保志 - アルバム「メロディーズ」
2009年、桑田佳祐 - ライブビデオ「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」
2010年、徳永英明 - アルバム「VOCALIST 4」

2010年、Acid Black Cherry - アルバム「Recreation 2」
2010年、倖田來未 - アルバム「ETERNITY〜Love & Songs〜」
2011年、青山テルマ - アルバム「SINGLES BEST」
2011年、EXILE TAKAHIRO - TBS系列EXILE魂内でのカバー。
2011年、鈴木雅之 - アルバム「DISCOVER JAPAN」
2013年、浅倉杏美、原由実、沼倉愛美 - アルバム「THE IDOLM@STER STATION!!! FAVORITE TALKS」
舟木一夫
美空ひばり


この中で、桑田佳祐と徳永英明のものは既に手元にありました。
徳永英明はピアノ伴奏だけで歌っています。
   

そんな訳で、他の方のものもと思いEP盤を中心に探したところ、以下の4枚が揃いました。
この中で、生沢佑一は6.3万枚、内藤やす子は3.7万枚のセールスを記録しています。
珍しいところでは、森進一と黛ジュンですが、こちらはいずれもB面となっていました。
    
    

YouTubeでは色々な方のヴァージョンを聴くことが出来ます。
なかでも先日亡くなった「やしきたかじん」の歌唱は良かったです。

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ジョン・ジェンキンスの2枚

2014-02-16 | JAZZ
ほんの短期間だけ、レコーディングの記録があるアルト・サックス奏者のアルバムを取り上げました。
ジョン・ジェンキンス(John Jenkins) 1931年1月3日 – 1993年7月12日 イリノイ州シカゴ生まれ

デュセイブル・ハイスクール時代に楽器を手にし、1949年からはシカゴ・ジャズ界の実力者であるジョー・シーガルの主催するセッションに参加した後、57年3月にニューヨークへ出て、レコーディング・ミュージシャンとして活躍しています。
公式レコーディング記録は1957年4月21日のハンク・モブレー(ts)のアルバムを皮切りに、同年11月18日のウィルバー・ウエア(b)名義のセッションまでの7ヶ月間で、11のセッションに参加しただけです。
この中で、リーダー・アルバム2枚、共演アルバム2枚、残りはサイドメンとなっています。
そして、60年代初頭にはシカゴに戻り、そのまま消息不明となっていましたが、83年頃より練習を再開し路上ライブに取り掛かり、亡くなる直前にはクリフォード・ジョーダン(ts)とも共演しています。

以下が、リーダー・アルバムの2枚です。
「JOHN JENKINS WITH KENNY BURRELL」 BLUE NOTE 1573 (国内盤 TOSHIBA BLP-1573)
   
1. FROM THIS MOMENT ON
2. MOTIF
3. EVERYTHING I HAVE IS YOURS
4. SHARON
5. CHALUMEAU
6. BLUES FOR TWO
JOHN JENKINS(as) KENNY BURRELL(g) SONNY CLARK(p) PAUL CHAMBERS(b)
DANNIE RICHMOMND(ds)  録音 1957年8月11日
このレコーディングは、ブルー・ノートのオフィスを訪ねてきたジョー・シーガルによってもたらされ、ジェンキンスの初リーダー・アルバムとなっています。
彼のプレイは、チャーリー・パーカーに通ずる歌心と暖か味があり、音色も美しく、それがここでも発揮されています。
デトロイト出身のベテランたちのサポートがあり、リラックスしたプレイを聴くことが出来るのも、このアルバムの特徴です。
ブルー・ノート・レコードは、有能な新人のレコーディングを続けて行なうことが多かったのですが、彼の作品がこれ1枚だけというのも残念です。

次は上記のレコーディングの1ケ月後に、録音されたものです。
「JAZZ EYES」 REGENT MG 6056 (国内盤 KING KIJJ-2016)
   
1. STAR EYES
2. ORPHEUS
3. HONEYLIKE
4. ROCKAWAY
JOHN JENKINS(as) DONALD BYRD(tp) CURTIS FULLER(tb) TOMMY FLANAGAN(p)
DOUG WATKINS(b) ARTHUR TAYLOR(ds)  録音 1957年9月10日
こちらも、デトロイト出身者達に支えられた演奏で、4曲中3曲は自身のオリジナルです。
1曲目のスター・アイズだけはジャズのスタンダードで、チャーリー・パーカーの演奏でも有名ですが、ここではジェンキンスの自信に満ちたプレイを聴くことができます。
ジェンキンスは、同じパーカー派のジャッキー・マクリーンとの共演盤(ALTO MADNESS/5月3日録音)をニュー・ジャズ・レコードに録音していますが、こうして聴いてみると、音色、フレーズ共にマクリーンに良く似ています。
いずれにしても、この2作はジョン・ジェンキンスの全貌を捉えた作品として、記憶に残るアルバムです。

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もぅ~ たくさんです。

2014-02-15 | 日記
昨夜からの関東甲信は過去100年で一番の大雪(観測史上1位)だそうです。

tenki.jp ニュース( 2014年2月15日 7時34分)
本州南岸を北東へ進んでいる低気圧の影響で、関東甲信は昨夜から雪の降り方が強まり、今朝にかけて記録的な大雪になっている。
山梨県内はたった1日で約1メートル積雪が増え、午前7時は甲府で110センチ、河口湖で138センチと観測開始以来の1位を更新している。
そのほか、秩父で96センチ、軽井沢で80センチ、飯田で72センチ、前橋で71センチ、熊谷で62センチと、いずれも観測開始以来最多。
群馬県や栃木県の平野部、埼玉県の北部、茨城県の県西地域、山梨県ではあと2~3時間、埼玉県の秩父地方は昼前にかけて、長野県の中部や南部は夕方にかけて大雪が続く見込みで、気象台は大雪による交通障害などに警戒を呼びかけている。



と、言う訳で・・・
昨夜、帰宅時の我が家の周りは
    

一夜明けて、まずは通路を確保し、
 
駐車場へ行ったのですが…
どうしましょう・・・

それでも根性出して、4時間かけて自分の駐車場周辺を除雪しましたが、車は全く動けません。


もぅ~ たくさんです。
でも、雪国のことを想うと・・・

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吉田のうどん (パート10)

2014-02-14 | 吉田のうどん
吉田のうどんの紹介も10回目となりました。
昨年暮れと、先日の大雪の後、行った2軒(18、19番目)のお店を紹介します。

   

18番目は、マップ番号48番「おお野」(A-2)です。
ここでは、いつもの「肉うどん(大)」に天ぷらをオーダーしました。
       
醤油をベースとしたスープで、コシのある麺は思ったほど硬くなく、馬肉もしっかりした味付けがなされていました。
メニューの中に「すうどん」がありましたが、うどん+スープの「かけうどん」のことだと思います。
これをオーダーした人は、自らトッピング材料を持ち込んで、好みにアレンジして食べることもできます。


19番目は、マップ番号6番「天下GO!麺」(B-5)です。
大雪の後で、道路にはまだ多くの雪が残っていたので、営業しているかどうか懸念していましたが、店の入り口の看板に「やってるよ」の文字が見えて一安心、
早速中に入って、ここでも「肉うどん大盛り」をいただきました。
テーブルには、このお店のスープ、麺、薬味に関するウンチクが貼ってありました。
メニューは、定番の「馬肉」の他に「豚肉」もあり、「W肉」というスペシャル・バージョンもありました。
     
麺は、これまで行ったお店の中では最上位となる「硬さ」で、これぞ「吉田のうどん」でした。
スープはウンチク通り、煮干しダシに、醤油・味噌の合わせ味で、濃いめの味でした。
馬肉は、どの店より甘い味付けで、もう少し甘さを抑えた方が良いのではと思いました。

食べ終わった後、厨房の中でうどんを切っているところを、撮らせていただきました。
このお店は、富士山駅ビルの地下に姉妹店があり(マップ番号34番/D-3)、この看板もカメラに収めてきましたので、今度、機会があれば行ってみようと思います。
   

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