あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ソプラノ・サックスによるデュオ

2016-02-28 | JAZZ
スティーヴ・レイシーとエヴァン・パーカーによるデュオを聴く

「Chirps」 saj-53
  
1. full scale
2. relations
3. twittering
STEVE LACY(ss) EVAN PARKER(ss)
録音 1985年7月18日  

今から30年以上前に、ベルリンで行われたライブ、
2人はフリー・ミュージックの世界にあって、共にソプラノ・サックスの名手です。
このアルバム、
スピーカーから流れて来るのは、期待を裏切り?、非常にソフトでスムースな心地良い音、
ジャケットに書かれているので2人を判別できるのですが、スティーヴ・レイシーの発する音のほうが若干太く感じられ、
インプロビゼーションの曲をどのように纏めていくのか興味がありましたが、終わりのフレーズだけは3曲共に約束事の仕掛けがありました。

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私の愛聴盤(第82回)

2016-02-27 | 私の愛聴盤
第82回は佐藤允彦の「ブリンク」です。

彼の作品はオーソドックなものから、フリー、それにフュージョンまでと多岐に渉っていますが、
私にとってこのアルバムは、1968年のPALLADIUMに次ぐお気に入りの1枚です。
また、今は亡き日野元彦とのセッションも貴重なものです。
冴えないジャケットですが、どうしてどうして内容は素晴らしく、スタンダードも独自の解釈により全く異なった曲として聞こえ、それが彼の真骨頂でもあります。
発売当時、国内ではでDENONのPCM録音が一役買っていましたが、こちらはTechnicsの機材によるデジタル録音盤でした。

「BRINK」 CONTINENTAL HL-5027
  
1. BRINK
2. SOMEDAY MY PRINCE WILL COME
3. FLYING RICEMAN
4. WAVER
5. MUZYNO LINE
6. HEAR COMES THE SUN
7. JACKE′S DISSATISFACTION
佐藤允彦(p) 井野信義(b) 日野元彦(ds)
録音 1983年4月10,11日 5月22日

ここに収められている7曲中5曲は、佐藤が新たに書き下ろしたものです。
残り2曲は「いつか王子様が」と、ビートルズナンバーの「ヒア・カムズ・ザ・サン」で、共にメロディーをそのままに異なったコードで味付けされており、全く別の曲にも聞こえる不思議な雰囲気を持っています。

オリジナル曲について、
バラードである4曲目の「ウェイヴァー」を除く4曲は、いずれもミデアム・テンポ以上の曲で、「フライング・ライスマン」は一瞬マッコイ・タイナーではないかと思わせるような早いパッセージで弾きまくっています。
裏面のトップを飾る「マジノ・ライン」は、ピアノに絡むベースが必死に食い下がり、それをブラシで支える元彦も良いです。
全曲を通してコード変化とリズム感よろしく、従来の形式に拘らない小節の割り付けが単なる楽曲とならないところがこの作品の面白さでもあります。

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2月23日

2016-02-23 | 日記
2月23日をゴロ合わせで「ふじさん」と読むことで、今日は富士山の日だそうです。
あいにくの天気で、すっきり晴れとはいかず、朝は雲に隠れていました。
(午後は、だいぶ雲が切れてきたので、いつもの場所からの日の入り後を追加しています)
   

山梨県観光部観光資源課のサイトを開いてみたところ、今日は各地でいろいろなイベントが企画されていました。
その一つである河口湖の花火、宿の壁にもポスターが貼ってありました。


冬の間の毎週末の夜に打ち上げられていて、今日は火曜日ですが富士山の日ということで特別に・・・
しかもこの冬の最終日でもあり、これはぜひ行かなくちゃと、早速湖畔に出てみました。
しかし、駐車場のベスト・ポジションは早くから車で満杯のため、少し離れた位置からの鑑賞となりました。
また、今回は三脚を持ち合わせていなかったので、手振れ覚悟の撮影でした。
    

気温3℃と寒い中での鑑賞でしたが、冬の花火はキリリと締って見事でした。

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スティーヴ・マーカスの初リーダー作

2016-02-21 | JAZZ
1939年9月18日、ニューヨーク生まれのスティーヴ・マーカス、
ボストンのバークリー音楽院を卒業後、スタン・ケントンやウディ・ハーマンのオーケストラに参加する一方で、この初リーダー作が録音された当時は、マイク・マントラーを発起人とするJCOA(Jazz Composer′s Orchestra Association)の一員としても活動していました。

そしてバックでサポートする2人、
ラリー・コリエルは、65年に自らのロック・バンド「The Free Spirits」を結成した後に、このアルバムに参加しています。
ニュージーランド出身のマイク・ノックは、リーダーと同じバークリー音楽院を出た後、同地のクラブのハウス・ピアニストとして働いていた時期もあったようですが、彼が注目を集めるようになったのはこの録音以降で、68年に「The Fourth Way」を結成して本格的にジャズ・ロックの世界に入ってからであり、ここではまだ存在感が薄いです。

このアルバムは、ジャズ界にはまだクロスオーバーやフュージョンという造語がなかった時代で、バーズ、ドノヴァン、それにビートルズの作品をロック・リズムに乗せてプレイしたことと、プロデューサーがハービーマンということで、当時話題となった1枚でした。

「STEVE MARCUS TOMORROW NEVER KNOWS」 VORTEX 2001
  
1. EIGHT MILES HIGH
2. MELLOW YELLOW
3. LISTEN PEOPLE
4. RAIN
5. TOMORROW NEVER KNOWS
6. HALF A HEART
STEAVE MARCUS(ts, ss) LARRY CORYELL(g) MIKE NOCK(p) CHRIS HILLS(b) BOB MOSES(ds)
録音 1967年10月31日

レコードでいうB面1曲目の長尺な表題曲、
ベースとドラムスは最初から最後まで一定のリズムパターンを刻み、その上をリーダーがソプラノサックスで朗々とテーマを吹き、続くコリエルはエレクトリック・ギターで個性あるプレイを披露、
それに比べここでのノックは、アコースティック・ピアノを端正に弾いていて、少し場違いな雰囲気もします。(他の曲ではエレピも弾くのにね)
そして仕上げは、再びリーダーのソプラノに戻ってスムースなアドリブ・ソロを、バックでコリエルがアクセントを付けています。
スティーヴ・マーカスは、ここでは新しい方向を示した1枚でしたが、70年代中盤からはバディ・リッチ楽団等でのサックス・プレイヤーになってしまったようです。

何はともあれ、かのマイルス・デイビスでさえグループにエレクトリックを持ち込んだのは68年1月に録音された「MILES IN THE SKY」からで、こちらはそれに先んじてのものであり、28歳のリーダーが放った話題の1枚でもありました。

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フォンタナ・ニュー・ジャズ・シリーズからの1枚

2016-02-20 | JAZZ
このシリーズは、オランダ盤と英国盤の2種類があり、しかも一部はステレオとモノラルの両方があります。
過去には日本フォノグラムからもオリジナルのデザインで発売されたことがありました。
これらは、これまでステレオ国内盤で聴いていましたが、最近の中古セールでオリジナル盤を見かけるようになったため、何枚かゲットしました。
これはその中の1枚で、モノラル盤の凝縮されたエネルギー(音)を再認識した内の1枚です。
「MOHAWK ・ THE NEW YORK ART QUARTET」 FONTANA 681 009
  
1. RUFUS 3RD
2. MOHAWK
3. BONGING ON THE WHITE HOUSE DOOR
4. No. 6
5. EVERYTHING HAPPENS TO ME
6. QUINTUS T.
7. SWEET V.
JOHN TCHICAI(as) ROSWELL RUDD(tb) REGGIE WORKMAN(b) MILFORD GRAVES(ds)
録音 1965年7月16日

この「THE NEW YORK ART QUARTET」は、ジョン・チカイがラズウェル・ラッドと共に1964年に結成したグループです。
同年10月の「ジャズの10月革命」に参加した後、2枚のアルバムを録音し渡欧しています。
このアルバムはその2枚目のもので、米国のRudy Van Gelder(RVG)スタジオで録音されています。
渡欧後にオランダで3枚目を録音し、そこでグループは消滅してしまいます。

1960年代前半、米国には従来の伝統的スタイルから脱皮し、更なる新しいサウンドを求めた人たちがいました。
その筆頭はオーネット・コールマンで、彼らが求めた新しい音は米国内では中々認知されず、唯一受け入れられたヨーロッパで多くの記録を残しています。
このアルバムは、当時としては12音階を取り入れた新しいサウンド、すなわちフリー・ジャズのカテゴリーに入るものですが、今ではごく当たり前のジャズとなっています。
くり返し聴くアルバムではないですが、ジャズのこれまでの歴史をたどる中での貴重な1ページであることには変わりありません。

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ハマクラさんの曲(詩)

2016-02-14 | 演歌・ポップス
前回に続きハマクラさんの曲を取り上げてみました。
「歌えば天国」のアルバムに入っている12曲中、8曲がありました。

最初は彼が多くの作品を提供している守屋浩の6枚、
1959年の「僕は泣いちっち」に続き、翌60年には「有難や節」もヒットしています。
「銀座の子守唄」は同じ60年に和田浩治が歌っていますが、こちらは71年の発売です。


67年2月に発売され、大ヒットした石原裕次郎の「夜霧よ・・・」と「粋な別れ」、
どちらもA面扱いの、素晴らしい詩と曲(もちろん歌も)です。
このレコードは、初盤(左)と、再発盤(中央)がありました。
裕ちゃんには全部で4枚のアルバムを提供しています。


66年5月に「恍惚のブルース」でデビューし、80万枚を売り上げた青江三奈、
続く2枚もハマクラさんの曲です。
島倉千代子の2枚は、67年と87年のヒット曲、
都はるみの「たった一つの愛の星」は、
NHK歌のグランド・ステージの新しい歌として、72年2月に発表されています。
この年は裕ちゃんの「恋の町札幌」も、


ベテラン3人(組)は、
65年のマヒナ、64年の旭、67年のオミズ、
タイトルにいずれも「星」が付く西郷輝彦の歌は、65年、66年、67年発売の3枚、


そして66年「バラが咲いた」のマイク真木、
66年「夕陽が泣いている」、67年「風が泣いている」のザ・スパイダース、
70年「もう恋なのか」の、にしきのあきら、
坂本九の「夢はどこにある」は、67年の映画主題歌(監督 山田洋次)です。
山田太郎が歌う「エンピツが一本」は、元々九ちゃんが67年に歌っています。


最後はいずれもメジャーでのデビュー曲となった3人、
67年「花と小父さん」の伊東きよ子、
69年「みんな夢の中」の高田恭子、
そして73年、台湾出身の方怡珍の「我愛你」で、共に個性ある歌手です。


ここに掲載したアルバムは、ハマクラ・ミュージックのほんの一握りの曲(詩)ですが、
実に幅広いジャンルの歌に、改めてその偉大さを認識しています。

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ハマクラさん

2016-02-13 | 演歌・ポップス
昭和の歌謡曲、ポップスを手がけた人の中で、私が好きな作曲家は、中村八大、浜口庫之助、平尾昌晃等々・・・
今回、ここで取り上げたハマ・クラこと、浜口庫之助さん、歌っても素敵です。
1967年には2枚のアルバムが作られていますが、数年前にCDでも再発されました。
1枚はポップスやボサノバを中心とした「僕だって歌いたい」、
そしてもう1枚はセルフカバーの「歌えば天国」です。
  

歌謡ポップス系の歌を集めた「歌えば天国」の4,7,8,12の4曲は、沢田駿吾グループがモダンな演奏でバックアップしています。
40歳で歌手から作詞、作曲家に転向しましたが、歌手時代には1953年から3回続けてNHK紅白歌合戦にも出場しており、53年の第4回では「僕だって歌いたい」に挿入されている「国境の南」を歌っていました。

そして探してみたら、こんなシングル盤も作って歌っていました。
 

彼が作った曲はいろんなジャンルに及んでいてその数5,000曲とも言われていますが、歌手活動を一旦停止してからの最初のヒットは、1959年の「黄色いさくらんぼ」と「僕は泣いちっち」で、共にコミカルな曲です。
発売当時聴いた「泣いちっち」は、不思議な響きが今でも記憶の中に残っています。
 

こうなれば「歌えば天国」で取り上げている曲を、オリジナル歌手でも聴いてみたいと思いませんか?

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私の愛聴盤 (第81回)

2016-02-07 | 私の愛聴盤
第81回はハワード・ライリーの「フライト」です。

60年代後半以降、英国のジャズ・シーンに登場したピアニストのハワード・ライリー、
米国の大学で作曲を学んだこともあり、その奏法は理論的でもあり、当時のフリー・ジャズ・シーンの中で独自の展開をみせています。
「FLIGHT」 Turtle Records TUR301
   
1. MOTION
2. CIRRUS
3. FORGOTTEN GAME
4. TWO BALLADS FOR LESLEY FOR SUE
5. FLIGHT
HOWARD RILEY(p) BARRY GUY(b) TONY OXLEY(ds & perc)
録音 1971年3月20日 LONDON

初レコーディングは1967年12月29日の「DISCUSSIONS」で、各種スタンダードを独自の解釈で料理しています。
その後、オリジナル曲を中心にCBSレーベルに「ANGLE」や「THE DAY WILL COME」を吹き込んでいて、時々斬新なフレーズが飛び出しはするものの、しっかり構成されていて、ハプニングはほとんど起こりません。
それが今回の「FLIGHT」になると、ドラマーがトニー・オクスレィに替わったこともあり、強烈な個性同士がお互いに刺激を受けながら反応していく様は、スリルがあって面白いです。
以前から相方を務めているベースのバリー・ガイも、アルコをゴリゴリ・ブンブン弾き散らし、オクスレィは電気仕掛けの打楽器も駆使しています。
全5曲の内、4.を除く4曲は殆どフリー・インプロの展開ですが、そこは理論派のライリーのこと、決してグチャグチャにはならず、聴くたびに新し発見があります。
ところで、4曲目の「2つのバラード」というタイトルがついた2バージョン、最初はライリー、後半はガイの作曲によるもので、一服の清涼感あるバラードとなっています。
タイトルからして、お互いに関連のある女性の名前でしょうか?
この後は、同じメンバーで「SYNOPSIS」を録音していますが、この「FLIGHT」がハワード・ライリーのベスト盤ではないかと思っています。
そして一つ付け加えると、
各楽器の粒立ちが良く、メリハリが利いた音で収録されている好録音盤です。

今回記載したアルバムは、いずれもCDで発売されています。


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2本のトロンボーンの共演アルバム

2016-02-06 | JAZZ
ジャズ・トロンボーン奏者の共演は余り多くなく、その中でもJ.J.ジョンソンとカイ・ウインディングのコンビが有名ですが、ここではカーティス・フラーとスライド・ハンプトンの共演した1枚を取り上げました。
「TWO BONES」 GXF 3064
  
1. FUSS BUDGET
2. OATMEAL COOKIE
3. DA-BABY
4. PAJAMA TOPS
5. SLIDE’S RIDE
6. LOQUACIOUS LADY
7. MEAN JEAN
CURTIS FULLER(tb) SLIDE HAMPTON(tb) SONNY CLARK(p)
GEORGE TUCKER(b) AL HAREWOOD(ds)
録音 1958年1月22日
これは当時、キングレコードが世界に先駆けてLPの形で発売した1枚で、曲はコルトレーンのブルー・トレーンに似たファンファーレのような出だしで始まります。
2トロンボーンとピアノが左、ベースとドラムスが右に位置したステレオ録音ながら、完全なセパレートとはならず、好ましいバランスです。
2人の聞き分けについては、スライド・ハンプトンの解放的な音色に比べ、カーティス・フラーは、少し線が細く、内に篭った感じの音のため、同じ方向から聞こえる音でも2人を比較することは容易です。
このレコードには、全曲に渡りソロ・オーダーが記載された親切な解説書が付いています。

バックを務めるリズム陣がまた強力です。
ソニー・クラークの紡ぎだすシングル・トーンは、自身のリーダーアルバム同様、リラックスした雰囲気の中で好演しており、またベースとドラムスの2人は、ホレス・パーランの「アス・スリー」の時と同じく、しっかりしたサポートで盛り立てています。

そして、冒頭に記載したJ&K
こちらはクリード・テイラーがプロデュースを担当し、豪華メンバーを揃えたインパルス・レーベルの輝かしい1番目のアルバムで、非常に洗練された演奏が展開されています。
「THE GREAT KAI & J.J.」 IMPULSE A-1


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2016年2月の富士山

2016-02-03 | 富士山
2月3日、今日は節分
2日続けて積雪のあった富士山は、裾野まで白くなり、やっと本来の冬の姿になりました。
   

翌日、宿泊先の窓からの日の出時間に
  

そして翌々日、
いつもの場所に戻って・・・
  

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