あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

2014年の富士山(10月第3回)

2014-10-31 | 富士山
今月は3回目の撮影です。
山中湖からの富士山は、夏以降4回目となりますが、過去に1度も完全な姿を捉えられませんでした。
30日(木)は「晴」で、午後から週末にかけては下降気味との予報だったので、朝のチャンスにかけてトライしてみました。

富士吉田市を通過した時点では、雲が無かったお山が、何時もの撮影場所に着いた時は気温4℃、日の出の時間になり、東の空が赤くなっても、辺りはガスっていて、何も見えませんでした。
   

太陽が昇り、1時間程粘っていたら、東の空の雲間が少しずつ晴れて来て、お山の頂上から徐々に姿が見えてきました。
太陽が完全に顔を出すと、急に雲が動きだし、数分で雄姿が現われました。
   

植込みの葉が真っ赤に染まり、富士山との調和も良いです。
    

山中湖の最後は、完全に雲が切れた「逆さ富士」です。
   

今回の撮影場所を示す看板がありました。
 


こうなれば、何時も行っているポイントの写真も撮っておこうと・・・
例年より雪が少ない感じがしますが、10月最後の「富士山」で、こちらはススキと2ショットです。
   

コメント (2)
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ナチ・チャコのシングル盤

2014-10-30 | 演歌・ポップス
昔むかし、お世話になった深夜ラジオ放送、TBSの「パックイン・ミュージック」、1967年の開始から15年間続いた番組で親しまれました。
トークの中では、ちょっぴりお色気の話も飛び出して・・・・
今となっては、懐かしい思い出です。

そのパーソナリティを務めていた「ナッちゃん・チャコちゃん」こと、野沢那智と白石冬美、

野沢 那智(1938年1月13日 - 2010年10月30日) 本名 野沢那智(のざわ やすとも)
白石 冬美(19**年10月14日 - ) 本名 白石芙美子(しらいし ふみこ)

10月に関係ある2人が歌ったシングル盤(3作目)です。
「青山レイニィ・ナイト」 キャニオン・レコード 6A0199
作詞 森 雪之丞 作曲 鈴木邦彦 編曲 薗 広昭
  

で、この歌に纏わる経緯を、フリー百科事典から・・・
パックインミュージックの放送最終年の1982年の夏に、同番組15周年記念版と銘打ちシングルレコードとして金曜パックインミュージックのパーソナリティ野沢那智と白石冬美のデュエット曲として、キャニオンレコードから発売された。
レコード会社のスタッフが「シャレだ!」と白石に対しても公言していたとおり製作予算は少なく、ジャケット写真は白石が愛猫を持ち、野沢がバストアップという構成の、当時としても珍しいモノクロ撮影によるものであった。
このジャケット写真に対し白石は「ナチちゃんが、中心よぉ」と不満げな感想を放送中に笑いながら漏らしている。
ちなみに野沢、白石の、いわゆるナチチャココンビによるデュエットソングとしては「テレフォンラブ」、
「おいらケムケム」に続く第三弾であった。

野沢が「ちゃんと練習しなければ、録音はダメだよ」とマネージャーを介し製作側に伝えたことで「録音前の一週間は、ほぼ毎日が歌の練習のスケジュールばかりですごい」と放送中に嘆く場面もあった。
また発売直前にゲストにやってきた古川登志夫を気遣った野沢が「これから(古川、白石版レイニィナイトと)交互に(番組内でレコードを)掛けます」と発言したものの、実際には最終回まで野沢、白石版のレイニィナイトしか放送中には掛けられていない。
なお野沢にしてみれば、かなり恥ずかしいレコードであったようで、番組中に掛かる直前には「ちょっとの我慢です」と小声で何度も漏らしていた。

元々は、当時の人気声優の古谷徹や三ツ矢雄二らのパンド「スラップスティック」のLPに収録されていた一曲で、メンバーの古川登志夫と、バンド外からのゲスト白石冬美とのデュエット曲だった。

野沢白石版シングルでは、楽曲中の男女ふたりの台詞がシリアスな雰囲気なものに変更されている。
また台詞は、発売されたバージョンの「ここらへんが、寒いのかな?」の他にも、未採用になったが劇中の女性が蚊に刺されたという「ここらへんが、痒いのかな?」という蚊編なるものが存在し、番組内で一度だけ放送された。
この蚊編の音源のテープは、白石自身がスタジオから持ち帰り所有していると告白している。

[発売後の反響と売上]
もともと終了が発表された番組に対して、レコード会社から持ちかけられた企画モノという背景から、初回プレスは3000枚?と、野沢が講演会等で発言したとおり、積極的な販売促進活動は番組以外では殆ど見かけず、野沢の元には発売前にも関わらず「どっさりとレコードが届いた」と不安だった気持ちを打ち明けた。
それを裏付けていた事例としてキャニオンに対するレコード店からの注文は少なく、発売当日の流通数も極めて少かった為、リスナーであるパックメイトの間でもプレスされた半数程度とも噂された。
結果として、発売日に予約なしで手に入れられた者も少なく、同週の金曜日には見つからない、どこに売っているのか?というネタでの番組への投書が相次ぐ事態となり、放送中に白石が「予約注文して下さい」と連呼し、野沢に至っては(予約して店に入り売るという)「そういう売り方なんです」と事情を説明し謝罪する事態ともなった。

発売翌週以降には「どこどこの店で見た」「あそこの店には、まだ在庫が・・。」等のレコードを購入する事が出来た等の投書の他、新星堂上大岡店での在庫が大きく取り上げられ、同店を訪れたリスナーが撮影した手作りと見られる販促ディスプレイ写真が、キャニオンレコードの営業マンの手に渡り、ようやく追加プレスが決定したが、同店でも一回の注文数は10枚から20枚と少なく、理由としてレコード会社への返品が不可という販売店サイドの窮状を伝えていた。

売上面では、パックインミュージック放送最終週でオリコン100位以内は確実!と、放送中に当時TBSに在職していた林美雄ディレクターからの正式な発表がされており、野沢・白石2人の潜在的な人気もあり、また有線放送まわりも実行された事から追加プレスされた分も含め、ほぼ完売という当初の予想外の結果を出した。

アナログレコードでは廃盤となっており、CDでの再発売や復刻はされていないが野沢の突然の逝去により白石冬実が司会を務めた追悼番組の放送中にも、
復刻を望む声がFAXやハガキなど多数届き紹介されていた。


1982年夏に発売されたこの歌、
4小節のギターのイントロ ~ 6小節のバースを経て、素人が、カラオケ・バーで歌う男女のデュエットそのものですが、雰囲気はでています。

そして間奏部で、歌詞には無い2人の掛け合い・・・
男 「寒くないかい」
女 「ちょっと寒い」
男 「どこが寒い、ここらへんかな? ここらへんかな?」
女 「いやぁ~ん・・・」 のセリフがやけに色っぽいです。

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ハロウィンの後は

2014-10-29 | 日記
ハロウィンが終わる前に・・・
早くも冬の風物詩が登場しました。  

 

 

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裕次郎が歌う「無情の夢」と・・・

2014-10-28 | 演歌・ポップス
前回の「あの人は今」で、佐川ミツオの「無情の夢」を取り上げましたが、なんとなんと、石原裕次郎もこの歌を歌っていました。
それに「君恋し」も・・・

「無情の夢」 テイチクレコード SN-894 1969年発売
作詞 佐伯孝夫 作曲 佐々木俊一 編曲 横森良造
「君恋し」
作詞 時雨音羽 作曲 佐々紅華 編曲 横森良造
   
「無情の夢」のアレンジは佐川ミツオバージョンに近く、昭和初期の歌謡曲の雰囲気です。
そして、このアレンジを担当している人、アコーディオンの伴奏で有名な、横森良造(1933年3月25日 - 2012年8月27日)さんです。
どんなリクエストにも応えて、歌い手に合わせた自在なテンポで演奏する様は見事でした。

それから、B面の「君恋し」に関する記事を「フリー百科事典から」
[オリジナル盤]
佐々紅華が「君恋し」を作曲したのは大正十一年で、二村定一により東京レコードに吹き込まれた。
この時は佐々紅華自身が作詞していたようで歌詞が異なる。
このレコードは現存品未確認で、月報や総目録にも掲載が無く未発売と考えられる。
その後、高井ルビーにより1925年12月3日に日本蓄音器商会に吹込まれ、1926年10月24日に「ニッポノホン」レコードの11月新譜として発売され、後に「オリエント」レコードの1929年6月新譜として再発売されている。
その後、時雨音羽による新しい歌詞が付けられて、1928年(昭和3年)10月5日に浅草オペラで人気を集めていた歌手・二村定一により日本ビクター蓄音器株式会社に録音がなされ、1月新譜として12月20日に発売され、二村の代表曲の一つとなった。
昭和初期を代表するヒット曲であるとともに、「波浮の港」や「東京行進曲」などと並ぶ、流行歌のレコードの草創期を飾る作品でもある。
現在良く知られているのはこの版である。
ただし佐々紅華の希望により、歌詞の「君恋し」だけは残される形となった。

井田一郎によるアレンジで日本ヴィクター・ジャズバンドの伴奏となっている。
(編成はサックス2・トランペット・トロンボーン・バンジョー・ドラムス・ヴァイオリン・チューバ)
曲は当時流行したフォックストロットの軽快なリズムを用い、十小節の短いイントロで始まりヴォーカルは1番から3番までの歌詞を一気に歌う。
残りはインストルメンタルで「ホーム・スイート・ホーム」(埴生の宿)をアレンジした演奏を行うという変わった形である。
古風な歌詞とジャズ音楽の取り合わせが独特の雰囲気を漂わせ「・・・彼らは持てる技術を尽くしてフォックストロットのリズムに身をゆだね、ジャズに痺れている。・・・
二村の畳みこむよう焦燥感せまるヴォーカルは、豊かな官能を湛えたアレンジに包まれて語る以上の働きをする。・・・
井田のアレンジは個々のプレーヤーのソロや絡みに気を配った日本人らしい細やかさが特徴である。」
(毛利眞人「ニッポン・スイングタイム」 講談社 2010年 ISBN978-4-06-216622-5 93頁)と評されている。

この曲の最初の部分(「宵闇」から「涯なし」まで)の旋律は、夭折の作曲家・貴志康一の「交響組曲・日本スケッチ」の第2楽章に、リズムをやや変えて引用されており、1934年(昭和9年)に作曲者指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏された。

[リバイバル・ヒット]
戦後、1961年(昭和36年)に、フランク永井がこの曲をカバーした。
二村定一のオリジナル盤とは雰囲気が大きく変わり、寺岡真三によってリズミカルにアレンジされた。
こちらのレコードも大ヒットとなり、同年の第3回日本レコード大賞グランプリに輝きフランクの代表曲の一つとなった。
ただし、3番の「えんじの紅帯」という歌詞などが時代に合わないと判斷されたためか、このカバーでは3番は省かれた。
2008年に『海雪』でデビューした黒人演歌歌手・ジェロによって当曲がカバーされ、同年6月25日に発売されたアルバムCD「カバーズ」に収録されている。


リバイバル・ヒットしたフランク永井の初期盤 (1961年発売)
「君恋し」 ビクターレコード VS-537 
作詞 時雨音羽 作曲 佐々紅華 編曲 寺岡真三
  

こちらのアレンジは、裕ちゃんバージョンと共に、モダンです。
フランクのほうは、モノラル録音のせいか、若さ(28歳)のためか、歌声が細く聴こえます。

裕ちゃんのほうは、珍しく3番の歌詞まで歌っています。
そして、このコーナーの主役である裕ちゃんの歌は、アレンジに関係なく裕次郎節です。

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秋晴れの1日

2014-10-26 | 日記
今年の「秋一番」の好天となったこの日、風もなく絶好の「G」日よりで、プレーと共に、「お山」を満喫しました。
所どころで、紅葉も始まっていました。
   

富士山の見える5ホール、
プレーはそっちのけで、シャッターを切りました。
   
 

夕方、帰宅途中、民家の前からでもまだ堪能できました。
ちょっぴり電線が邪魔ですが・・・
 

そして「牧丘の巨峰」、
地元の人の話では、牧丘のものが美味しく、お薦めだそうです。
 

「秋」を満喫した1日でした。

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私の愛聴盤 (第50回)

2014-10-25 | 私の愛聴盤

第50回はトミー・フラナガンの「オーバー・シーズ」です。

このシリーズも50枚目となりましたので、ジャズを聴きはじめた頃からず~と聴いていて、しかも、何度も買い替えてきたトミ・フラの傑作盤を取り上げました。

トミー・フラナガン(Tommy Flanagan) 1930年3月16日 – 2001年11月16日 デトロイト生まれ
本名 トマス・リー・フラナガン(Thomas Lee Flanagan) 

デトロイトの音楽家の家庭に生まれたフラナガンは、ソリストとしても、伴奏者としても超一流で、多くのセッションに参加しています。
1945年、15歳でプロ・デビューを果たし、幾つかのバンドを経た後、ベース奏者のウィルバー・リトル、ドラマーのエルヴィン・ジョーンズと共にトリオを結成し、1957年に今回のアルバム「オーバーシーズ」を発表しています。

このレコード、再発の輸入盤です。
「OVERSEAS」 PRESTIGE 7134 (Analogue Productions)
   
1. RELAXIN’ AT CAMARILLO
2. CHELSEA BRIDGE
3. ECLYPSO
4. BEAT’S UP
5. SKAL BROTHERS
6. LITTLE ROCK
7. VERDANDI
8. DALARNA
9. WILLOW WEEP FOR ME
TOMMY FLANAGAN(p) WILBUR LITTLE(b) ELVIN JONES(ds)
録音 1957年8月15日

初リーダー作にして、燦然と輝くピアノ・トリオの名盤、
スエーデンのMetronomeから発売されたオリジナル盤と同じジャケット(EP盤 3枚組)


このアルバムのレコーディングされた1957年、
トミ・フラは、J.J. ジョンソン・クインテットの一員としてスエーデン・ツアーに参加していました。
6月14日のラジオ番組出演に始まり、8月中旬までの2か月間、各地で演奏会が開催され、帰国直前に、このレコーディングが行なわれました。
しかし、J.J.は契約の関係で参加できず、ボビー・ジャスパーも多忙であったため、幸い(?)にして、クインテットの演奏でなく、ピアノ・トリオとなりました。

当時のクインテットの演奏は、CBSの「DIAL J.J.5」や、MARSHMALLOWの「LIVE AT CAFE BOHEMIA」で聴くことができます。
そのライブ盤には、ジャケット裏面にクインテットの写真が掲載されていました。
 


一方、こちらの「オーバーシーズ」の国内盤には3曲の別テイクも含まれていて、後に発売されたCDは、更に別テイクが3曲が追加され、15曲入りとなっています。
「OVERSEAS」 DIW-25004 
  

さて、今更ではありますが、内容について一言、
1曲目の「リラクシン・アット・カマリロ」でのトミ・フラと、エルヴィンの掛け合い、加えてエルヴィンのブラシによるプッシュ、そしてウェアの太くて力強いベース音、
2曲目の「チェルシー・ブリッジ」では一転、エレガントなバラードへ・・・
曲ごとの、強と弱のコンビネーションも素晴らしいです。

このアルバムは、レコーディングから既に57年を経過していますが、聴くたびに感動を覚える1枚でもあります。

この「オーバーシーズ」を挟んで前後に録音されたトミ・フラ名義のアルバムを並べてみると、
1) 57年4月18日録音の「THE CATS」 オールスター・セッションです。
* ここに57年8月15日録音の「OVERSEAS」が入ります。
2) 59年3月10日録音の「LONELY TOWN」 ピアノ・トリオのバーンスタイン作品集
3) 60年5月18日録音の「THE TOMMY FLANAGAN TRIO」 地味な演奏へと続いています。
   


トミー・フラナガンは、自身のピアノ・トリオ作品の他、多くの名演があります。
エラ・フィッツジェラルドの伴奏や、コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」、ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」、ウェスのアルバム等々・・・
彼は私のフェイバリット・ミュージシャンの一人でもあり、またの機会に再登場させたいと思います。

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「氷雨」

2014-10-23 | 演歌・ポップス
「氷雨」(ひさめ)は、冬に降る冷たい雨のことですが、歌の世界では、佳山明生の1977年のデビュー曲でもあり、1983年に日野美歌らとの競作となった大ヒット曲でもあります。

先日、日野美歌が「コロッケ千夜一夜」の中で、この歌を歌っていました。 
 

彼女の2枚目のシングルです。
「氷雨」 ユニオンレコード UE-533  発売 1982年12月5日
作詞・作曲 とまりれん 編曲 高田弘
  

フリー百科事典より抜粋 (佳山明生のコーナー)
1977年12月にデビュー・シングルが発売された後、1981年12月に再発売、1982年7月に再々発売された。
再々発売盤は1983年に80万枚近いセールスを記録し、佳山にとって唯一のヒット曲となった。
また、1982年10月には箱崎晋一郎、12月には日野美歌によるカバー・シングルも発売され、競作となった。
デビュー盤と再発盤は全くヒットはしなかったが、再々発盤は競作となった日野美歌のシングルとともに大ヒットとなり、「第25回日本レコード大賞」ロングセラー賞を受賞した。
佳山盤(再々発売盤)・箱崎盤・日野盤を累計した売上は約150万枚に達した。
1983年2月3日放送の『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」のコーナーには、佳山と日野の2人が出演し、1番を佳山、2番を日野が歌唱した。


佳山明生の再々盤
「氷雨」 日本コロムビア AH-237  発売 1982年7月21日
作詞・作曲 とまりれん 編曲 竜崎孝路
  

[佳山明生のシングル]
デビュー盤(1977年12月)
1.氷雨
2.よりを戻して
再発盤(1981年12月)
1.氷雨
2.氷雨(カラオケ)
再々発盤(1982年7月)
1.氷雨(3分40秒)
2.わたしは愛人


この「氷雨」という曲、
ヒットした後、2人の間に確執があるようです。

当時、カラオケでお世話になった皆さ~ん、
あなたは、この2人のどちらの歌がお好みですか?

この歌、競作になったことで上記以外にも、テレサ・テン、 本田美奈子、前川清、研ナオコ、中森明菜、香西かおり、アンドレ・マトス 、ジェロ、 中条きよし等々、多くの歌手がカバーしています。

その中で、中条きよしのシングル盤(B面です)
「氷雨」 テイチクレコード RE-60
作詞・作曲 とまりれん 編曲 高見弘
  

こちらの編曲者は、日野美歌と同じ高見弘ですが、弦の使い方に違いがありました。

そしてこの3人、聴き比べたところ、全く同じキィーで歌っていました。
この歌、音程の高低さがあまりないので、同じキィーでも男女を問わず歌えるのでしょうね。

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ピート・マリンヴェルニの2枚

2014-10-21 | JAZZ
ピート・マリンヴェルニの2枚のピアノ・トリオ作品を取り上げてみました。

Pete Malinverni (1957年4月19日 - ) ニューヨーク州ナイアガラフォールズ生まれ

6歳でピアノを習い、25歳の時にマンハッタンに出て、レイ・ドラモンドやメジャー・ホリーといった著名なベーシスト達と共演しています。
また、80年代末には東京に長期滞在して演奏していました。
その他、メル・ルイスのオーケストラで活動したほか、ドン・ベンザやエド・シグペン等との演奏も残しています。

最初に取り上げたアルバムは彼のデビュー作品で、オーケストラ時代のメル・ルイスが参加しているのも興味深いです。
「DON’T BE SHY」 SEE BREEZE RECORD SB-2037
   
1. FOR HEAVEN’S SAKE
2. I FALL IN LOVE TOO EASILY
3. UGLY BEAUTY
4. DON’T BE SHY
5. NARDIS
6. STAR-CROSSED LOVERS
7. HESTER PRYNNE
8. WHO CARES
PETE MALINVERNI(p) DENNIS IRWIN(b) MEL LEWIS(ds)
録音 1987年4月

ピート・マリンヴェルニ、30歳にして自主制作盤のこのレコード、ピアノ・タッチがとても美しいです。
また、バックをサポートする2人との相性も良いです。
特にメル・ルイスのドラミングは控えめながら確実で、3人のバランスも申し分ありません。
彼はピアニストの中で、ビル・エヴァンス、バド・パウエル、アーマッド・ジャマルが好みだそうですが、タッチはエヴァンスに近く、音の陰影を付けるのが上手です。
3曲目のモンクの作品「UGLY BEAUTY」は、3拍子で軽やかに演奏され、エヴァンスの演奏でも有名な「NARDIS」ではオリジナリティを発揮し、これが最初のリーダー・アルバムとは思えない充実した内容となっています。


次は、上記のアルバムから凡そ9年後に録音されたCDです。
「THIS TIME」 RESERVOIR MUSIC RSR CD 147
  
1. A LINE FOR NICHOLS
2. PSALM 100
3. BEAUTIFUL LOVE
4. THIS TIME
5. THE SHADOW OF YOUR SMILE
6. HOW DEEP IS THE OCEAN
7. DEEP RIVER
8. GOOD QUESTION
PETE MALINVERNI(p) ENNIS IRWIN(b) LEROY WILLIAMS(ds)
録音 1996年6月3日

ピアノのタッチは相変わらず美しく、ヨーロッパ系のピアニストの様な錯覚に陥ります。
前作に比べ、高音のシングル・トーンをより多く使うようになっていて、ハンプトン・ホースのヨーロッパ録音盤の様な雰囲気を持ったアルバムです。
こちらでも、エバンスが得意としていた2曲(3、6)を取り上げていますが、いずれも名演です。
また、スタンダードの「いそしぎ」は3拍子で、「深い河」は一音一音を丁寧に選びながら弾いています。

この2枚、共に充実した内容であることに加え、いずれもルディ・ヴァンゲルダー(RVG)の録音であり、レコードとCDの音の違いも楽しむことが出来ます。

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2014年の富士山(10月第2回)

2014-10-20 | 富士山
今年の富士山の初冠雪は10月8日(水)で、例年より16日遅く、昨年より3日早いそうです。
地元の知人が、9日早朝の車窓からの富士山を届けてくれました。
これを見ると、今年の初冠雪は大分沢山の降雪があったようです。
  

そして20日の早朝、
夜明け前の山中湖に再挑戦してみました。
朝5時30分の気温は7℃で、寒かったです。
シャッターチャンスを伺っていたのですが、日の出と共に雲が掛ってきてしまいました。
   

当日の撮影者は私を入れて4組で、皆さんは早々に引き揚げて行きました。



そこで、このポイントを諦めて、忍野村に行ってみました。
ここも、ほんの10分程で、やはり雲に邪魔をされてしまいました。
  


今日の最後は何時のも場所からです。
山中湖からここまでは10㎞程度ですが、頂上の傘雲以外、周りに雲はありませんでした。
先週末は暖かな陽気だったせいか、雪は大分解けています。
傘雲が掛っていたことで、予想通り午後からは雨模様になりました。
   

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レスター・ヤングのバークレイ盤 +1

2014-10-18 | JAZZ
前回、レスター・ヤング直系の4名のテナー・サックス奏者が登場したので、今度は、ジャズ史上重要な奏者の一人である彼の、晩年の1枚を取り上げてみました。

レスター・ウィリス・ヤング(Lester Willis Young) 1909年8月27日 - 1959年3月15日

ミシシッピ州ウッドヴィル生まれで、少々期はニューオリンズで過ごしています。
レスターは、父の影響で幼い頃から楽器になじみ、11歳でミネアポリスに移住してからは、父をリーダーとしてファミリーバンドを結成、19歳で独立し、中西部の名もないバンドを転々としていくつかの楽団を経験したのち、1933年にはミズーリ州カンザスシティに落ち着いて、カウント・ベイシー楽団に所属。
それまでテナー・サックスといえば、男性的なビック・トーンで説得力に満ちた表現で鳴らすコールマン・ホーキンスが全てを支配していたところに、レスターの正反対な、ソフトで優しい演奏スタイルが、徐々に人気を博していきました。
彼の名演奏はCBSとデッカにありますが、小さい音色で優れたフレーズを繰り出す彼の奏法は、ビックトーンでブローする他の奏者に見劣りしたため、それから逃れるために薬と深酒に侵されるようになっていきます。
後年は生活も荒れ、健康も損なわれて、演奏にも影響が出ていました。

さて、このアルバムですが、死のわずか10日ほど前に、フランスで録音されています。
59年の2月から3月にかけて、パリへの演奏旅行に出かけ、途中で体調が悪化し、ニューヨークへ戻ったホテルでは、旅から帰ったままの姿で発見されています。
そんな背景の中でレコーディングされたこのレコード、
「LE DERNIER MESSAGE DE LESTER YOUNG」 BARCLAY 84069
   
 1. LADY BE GOOD
 2. BACK HOME AGAIN IN INDIANA
 3. I CAN’T GET STARTED WITH YOU
 4. I DIDN’T KNOW WHAT TIME IT WAS
 5. THREE LITTLE WORDS
 6. PENNIES FROM HEAVEN
 7. TEA FOR TWO
 8. I COVER THE WATERFRONT
 9. A.B.BLUES
10. THERE’LL NEVER BE ANOTHER YOU
11. ALMOST LIKE BEING IN LOVE
12. LULLABY OF BIRDLAND
LESTER YOUNG(ts) UNE URTREGER(p) JIMMY GOURLEY(g) 
JAMIL NESSER(b) KENNY CLARKE(ds) 1959年3月4日 録音

ご覧の通りベイシー・バンドの十八番をはじめ、多くのスタンダードが並んでいます。
ミデアム・テンポの様な比較的早い曲も、フレーズは短いですが、スムースな流れで、彼の最後の執念を垣間見ることができます。
このような背景の中で、フランス勢の好サポートも見逃せません。


なお、59年8月録音のリーダー・アルバムに、上記と同じ編成のものがあります。
「THE PRESIDENT PLAYS WITH THE OSCAR PETERSON TRIO」 VERVE (MV2084)
 
バックはオスカー・ピーターソン・トリオとなっていますが、ギターのバーニー・ケッセルも加わったカルテットが努めています。
そして全8曲中、6曲までがバークレイ盤と同じです。
2枚を比較することはナンセンスですが、アドリブはスムースで、演奏時間も長いです。
因みに、アルバム・タイトルの「プレジデント」は、レスター・ヤングのニック・ネームです。

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