あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

私の愛聴盤(第21回)

2013-08-29 | 私の愛聴盤
第21回はデクスター・ゴードンの「ゴー」です。

デクスター・ゴードン(Dexter Gordon  1923年2月27日 - 1990年4月25日)

ロサンゼルス生まれのテナー・サクソフォーン奏者で、1940年代に誕生したビ・バップの「語法」をテナー・サックスで表現することに成功した最初の人です。
初期の録音をサヴォイやダイヤル・レコード等に残していますが、彼もまた麻薬の影響で演奏活動を中断する時期がありました。
50年代後半に半引退生活から復帰し、1960年10月にジャズランド・レコードに5年ぶりの吹き込みを行った後、名門ブルーノートへ多くの傑作を残していきます。
サックスの音色は男性的で太く、ゴツゴツとしたフレーズから生み出されるアドりブは、一聴すればすぐにデックスであることが分かります。
ブルーノート・レコードでは7枚のアルバムが順次発売されました(後に2枚が追加)が、65年5月の GETTIN’ AROUND の吹き込みの後はヨーロッパへ移住し、コペンハーゲンを中心とした活動となり、同国のステープルチェース・レコードにも数多くの録音を行ないました。
また1986年には、コペンハーゲンのジャズ・クラブ(カフェ・モンマルトル)を舞台にした映画『ラウンド・ミッドナイト』で主役を務め、アカデミー主演男優賞にノミネートされました。

そこで、まずは復帰後のブルーノートに吹き込みを開始する前のアルバムを紹介します。
「THE RESURGENCE OF DEXTER GORDON」 Jazzland JLP - 29 
    
このレコードは生まれ故郷のLAでの録音で、現地のミュージシャン達とのセッションです。


そして本題のアルバムですが、丁度51年前の8月に録音されています。
「GO」 BLUE NOTE  BLP 4112
  
1. CHEESE CAKE
2. I GUESS I’LL HANG MY TEARES OUT TO DRY
3. SECOND BALCONY JUMP
4. LOVE FOR SALE
5. WHERE ARE YOU
6. THREE O’CLOCK IN THE MONING
DEXTER GODON(ts) SONNY CLARK(P) BUTCH WARREN(b) BILLY HIGGINS(ds)  
録音 1962年8月27日

これはブルーノート・レコードの第4作目で、ソニー・クラークのピアノ・トリオをバックに朗々と吹くデクスターが素晴らしいです。
1曲目のチーズ・ケーキは彼のオリジナルで、以降度々演奏されています。
そしてこのアルバムは、アップ・テンポの曲とスロー・バラード(2曲)が上手くブレンドされていて、曲の構成も良いです。
アップ・テンポの曲では豪快に、バラードは感情豊かに歌い上げています。

デクスター・ゴードンは私の好きな奏者の一人で、彼の演奏する愛聴盤は他にもありますので、またの機会に取り上げてみたいと思います。

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気がかりです 洋輔さん

2013-08-28 | JAZZ
ジャズ・ピアニスト 山下洋輔のサイトを開いてみたら、最初のページに以下のコメントがありました。

【緊急告知】 山下洋輔出演中止に関するお知らせとお詫び

山下洋輔は、肝機能障害による体調不良のため2カ月間の入院治療が必要との診断を受けました。
このため、10月末までの活動を取りやめさせていただくこととなりました。
山下洋輔の演奏を楽しみにしていただいていたお客様、関係者の皆さまには、多大なご迷惑をおかけいたしますことを深くお詫び申し上げます。
なお、演奏を取りやめさせていただく各公演の具体的な対応については、恐れ入りますがSCHEDULEをご覧の上、各主催者にお問合せください。
山下洋輔は、この2カ月をかけて治療と回復に専念させていただきます。
11月以降は万全の体調で演奏に復帰できる見通しですので、何とぞご容赦のほど重ねてお願い申し上げます。(Aug 22, 2013)


http://www.jamrice.co.jp/yosuke/

1942年2月26日生まれ、71歳になった洋輔さん。
気がかりです。

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驚きました !

2013-08-27 | 日記
時々利用する早朝の「川越線」車内、まだ夏休みとあって学生がいないので、電車は空いています。
私が長椅子の一番端に座り、対面の若いサラリーマン風の男性の足元を見たところ・・・
私と同じメーカーの、同じ型式の、同じ色の靴を履いているではありませんか。(汗)
幸い相手は目を閉じていましたので、こちらの足元には気が付きませんでした。(また汗)
ということで、まずは私の靴をアップで撮り、その後対面の人の足元にソッとカメラを向けてもう1枚を…

また昇降ドアを挟んで端に座っている女性の靴が、色は違えど良く似ていることで、これまた偶然とはいえ 驚きました。!
でもこれって、ちょっと恥ずかしかったです。

  

写真の靴は、先端が丸く4Eサイズで、しかも軽量なので非常に履きやすいです。

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吉田のうどん(番外編)

2013-08-26 | 吉田のうどん
「吉田のうどん」と称するお店は、それを証明するノボリを立てているか、(一財)ふじよした観光振興サービスが発行している案内に必ず登場しています。
しかし中には、この団体には属さず、普通のうどんを提供するお店もあります。
従ってそのようなお店は決して「吉田のうどん」とは言わず、単なるうどん屋です。
うどんも市販の茹で玉に、その店でアレンジしたスープとトッピングということになります。

ということで、今回は当日目指して行った「吉田のうどん」店が運悪く定休日だったので、番外編となりますが富士吉田市のうどん屋さんになりました。
場所はマップの⑤天下GO!麺と、⑦カレ吉の中間にある「たばた」というお店です。
ご覧の通り「うどん」の暖簾はありますが、店の名前はどこにも見当たらず、地元の人に教えていただきました。
そしてうどんは、いつもの通り「肉うどん大盛り」をオーダーしたところ、大玉2個が大きいどんぶりで出てきて驚きました。
これでお値段は¥450円です。

   

安いだけあって、昼時はお客さんが入れ替わり入ってきました。
でもこの地域で食べるからには、「しっかりした歯ごたえのあるうどん」が食べたいです。

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モントルーのビル・エヴァンス

2013-08-25 | JAZZ
ウィリアム・ジョン・エヴァンス(William John Evans, 1929年8月16日 - 1980年9月15日)

今年も彼の命日が、もうすぐやってきます。
存命していれば84歳、まだまだ演れます。
没後30年となる2010年には、イギリス人で音楽に関する著書と評論で著名なキース・シャドウィック氏(Keith Shadwick 1951 ~ 2008年)や、SJの編集長も務めたことのある中山康樹氏(1952年 ~ )がエヴァンスに関する本を出版していて、この2冊は内容も良いです。
   

ビル・エヴァンスのアルバムについては駄作が殆どなく、多くの方が取り上げられていますので、ここでは夏に相応しいスイス・モントルーでのライブ・アルバムを紹介します。
エヴァンスは1969年、1970年、1975年と3回出演していて、ベースはいずれもエディ・ゴメスが担当しています。
なお国内盤のLP、CDにはそれぞれ解説書が付いていますが、中山さんの評論が的を得ているので、上記の「名盤50選」の中からと、他の単行本(エヴァンスを聴け!)からの記事を添附しました。

モントルー・ジャズ祭は1968年に第1回が開催され、エヴァンスは翌年の第2回に出演しました。
当初はヨーロッパのジャズを紹介することが目的で開催されましたが、彼のトリオはスペシャル・ゲストとして迎えられています。
最初のアルバムは、演奏良し、録音良し、ジャケット良しと、3拍子揃っていることで、名盤として何度も再発されています。
「BILL EVANS AT MONTREUX JAZZ FESTIVAL」 Verve V6 - 8762
   
   

「BILL EVANS MONTREUX Ⅱ」 CTI 6004
     
A面2曲目は珍しくバート・バカラックのアルフィーを演奏しています。
B面2曲目はエヴァンスお得意の曲ですが、最も早いテンポのイスラエルです。
そしてもう一つ付け加えるならば、この録音のマスタリングはRVGです。

「MONTREUX Ⅲ」 Fantasy SFAN 6034 ( 国内盤 SMJ - 6158 )
     
記録の上でのエヴァンスは、1969年秋からエレクトリック・ピアノを弾いていますが、ここでも数曲で披露していています。
そしてライブのせいもあるのでしょうか、彼の弾くエレピは冴えています。

久しぶりに3枚を通して聴いてみましたが、1枚を選ぶとしたらやはり1969年の最初のアルバムです。
当時のエヴァンス・トリオのドラマーは過渡期で、次のマーティ・モレルが座るまで、都度替わっていましたが、このアルバムはジャック・デジョネットが担当していることが記録として残っていることでも価値があります。

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日比谷野音でのジャズ・ライブ

2013-08-24 | JAZZ
日比谷野外音楽堂は今年90周年を迎えました。

http://yaon90.com/

90年の間に、ジャズに関するイヴェントも数多く開催されました。
この7月27日には渡辺貞夫と山下洋輔のグループも出演し、話題になりました。
記憶に新しいところでは、2009年7月19日に行われた「山下洋輔トリオ結成40周年記念」として開催された復活祭ライブも大変な盛り上がりをみせました。
   

「日比谷野外音楽堂 Hibiya Open-Air Concert Hall」  (フリー百科事典から)
「小音楽堂」

日比谷野外音楽堂は、東京都千代田区の日比谷公園内にある野外音楽堂である。
大・小の2つがあり客席数・使用用途も異なっている。
明治時代に小音楽堂が開設された後、大正時代に大音楽堂が開設された。
小音楽堂は日本最古の野外音楽堂である。
一般には、『野音(やおん)』の名で親しまれている。
野音といえば、この大音楽堂を指す、野外音楽堂の代名詞的存在である。
客席数は椅子席 2,669、立見席 450。
さまざまなアーティストのコンサートに使われる(周囲への騒音等を考慮し、コンサートは土曜・休日のみ可能)ほか、毎年5月1日のメーデーや、市民団体の集会(反消費税、脱原発、反TPP)なども行われている。
初代の大音楽堂は1923年(大正12年)7月に開設、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)より一時休館。
戦後はGHQに接収されたが、接収解除後の1954年(昭和29年)8月に改築の上 2代目大音楽堂として再開した。
その後老朽化が進んだ為1982年(昭和57年)より全面改築工事を行い、翌1983年(昭和58年)8月に3代目大音楽堂として完成、現在に至っている。

2006年(平成18年)4月1日より、日比谷公会堂とともに、東京都の指定管理者による管理に変更された。
降雨時の傘の使用は禁止であり、雨合羽はここのイベントでは必需品である。
かつては客席内でタバコが吸える唯一の会場であったが、現在は禁煙である。飲食は可能で、酒類も販売される。
キャロルの解散コンサート(炎上事件)、尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件、岡林信康のライブやキャンディーズが解散宣言をした。
また、1987年4月19日にはLAUGHIN' NOSEのライブ中、ステージに詰め掛けたファンが将棋倒しになり死傷者を出す事故が発生。
2代目音楽堂のファイナルは萩原健一のコンサートだった。

小音楽堂
わが国初の野外音楽堂として1905年(明治38年)に完成した。1923年(大正12年)9月の関東大震災で倒壊したが後日再築された。
1983年(昭和58年)には大音楽堂と同時期に改築されて現在に至っている。
客席数 1,075。最大の特徴はすべての催事が無料であることであり、基本的には有料公演の貸し出しは行わない。
完成時から軍楽隊の定期演奏会などが行われていた。
関東大震災以降の中断期間を経て、1949年(昭和24年)ごろより再開。警視庁音楽隊と東京消防庁音楽隊が演奏を行っている。


ということで、日本のジャズが「熱かった時代」、この野音で行われたジャズ・コンサートの2枚 (共に2枚組) のレコードを紹介します。
出演者や曲目については、添付の資料をごらんください。

1枚目は1969年8月30日の演奏で、この時は日本のジャズを更に発展させようという主旨のもとに「日本ジャズ協会」が設立されたのを
記念してこの日のコンサートが企画され、当日は29グループが出演しました。(この団体に加盟したミュージシャンは171名とされています)
「 JAZZ IN TOKYO ’69 」 tact JAZZ PSS - 10011 ~ 12 - CT
    
 

2枚目は前年に続いて行われた8月28日、29日の演奏です。
「 SUMMER JAZZ IN TOKYO 」 CANYON CAJ - 1002 ~ 3
 
   

今、改めて聴きなおしてみても、非常に中身が濃く、それぞれの演奏レベルも高いです。
そして、なによりも「熱い音」が伝わってきます。

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8月の富士山

2013-08-21 | 富士山
8月21日の富士山です。

8月も後半に入り、何時もの場所でやっと写真を撮ることができました。
7月にあった雪も、麓から見た限りでは無くなっていますが、もうすぐ雪が降ってきます。
( 昨年の初冠雪は9月12日でした ・・・ 撮影場所は異なりますが下の右側の写真です )
地上はまだまだ残暑厳しいですが、お山は次週26日の「吉田の火祭り」で山終いとなります。
そして富士山に月見草が似合う季節になりました。
       

今回は、ここから山中湖方面に向かって8㎞程のところにある「花の都公園」に立ち寄りました。
ここでは未だ「夏の花」が沢山咲いていて、富士山と見事な調和を保っていましたので、カメラに収めてきました。
     

百日草とポピー
    

朝顔と向日葵
    
コスモスとトウモロコシ畑
    

 
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超絶技巧のベーシスト

2013-08-18 | JAZZ
アラダール・ペゲ(Aladár Pege) 1939年10月8日 - 2006年9月23日

ハンガリー出身のベーシストのアラダール・ペゲは、生家が音楽一家であったこともあり、15歳の頃には既に本格的な演奏活動を行っています。
そしてそのテクニックにおいて、ボーイング奏法は勿論のこと、ジャズの基本であるピチカート(ピッキング)奏法も巧みで、「ベースのパガニーニ」とも称されていました。
それは下記の映像をチェックしていただくと、その凄さが分かります。

Aladar Pege - Sibiu Jazz Festival 2004 (solo)

元来クラシック畑の出身で、ジャズへの関わりは1960年代の始め頃と推測され、社会主義国の中にあって、海外での初めての活動は1963年にヨーロッパで開催された Bled Jazz Festivalです。
彼のジャズ歴の中で、1970年にはモントルー・ジャズ・フェスティバルにおいて最優秀演奏者に選出されたり、アメリカ人ピアニストのウォルター・ノリスとコンビを結成したり、ニューヨークのカーネギー・ホールでハービー・ハンコックと共演をした事もありました。
晩年は、出身校でもあるリスト音楽院(ブダペスト)で教鞭を執っており、ここでも「パガニーニ」の愛称で親しまれていました。

日本で最初にアラダール・ペゲを紹介した評論家は、埼玉県に在住のA氏(と思われます)で、1970年代の初めにSJ誌で紹介された 「anthology 67/68」に登場していますが、当時ペゲの音源を入手することは難しかったです。
 

私は1980年に仕事で現地入りした時、ブダペストの英雄広場の近くでジャズ・コンサートが開催されるというチラシを見て、宿泊しているホテルから歩いて行ける場所だったので、7月23日のコンサートに行ってきましたが、入場料は20Ft.(フォリント/当時の日本円でおよそ200円)でした。
当日は「DIMENZIO カルテット」が出演していましたが、そこで貰ったプログラムで、7月16日にペゲのバンドが出演していたことを知りました。(残念)

下記はジャズ・コンサートのプログラムの一部です。
ペゲはPege Aladarと記載されていますが、Pegeが性、Aladarが名前で、ハンガリーでは日本と同じ呼び方となります。
  

そのことがきっかけとなり、帰国後はアラダール・ペゲに関する音源を集めるようになりました。
ペゲは3月2日のブログ、「ハンガリーのジャズ」の中のanthology 64 (modern jazz Ⅳ - Ⅴ)以降、このシリーズにも毎回登場しています。
 


今回、最初に紹介するのは、1970年録音のモントルー出演時の再演集で、1曲目の枯葉はトリオで演奏されていて、最初から最後まで、ベースの神業を聴くことができます。
このアルバムではペゲの奏法を、「クラシカル、ジャズ、そしてビート・ミュージック」と称しています。
    

次は1980年に発売されたアルバムで、現地で購入してきました。
1976年~78年のペゲを中心とした演奏が収録されていて、ジャケットの下段に書かれているように、A面3曲は米国のミュージシャンとの共演です。
   

その他、手持ちの「LP」と「CD」を紹介します。
     

最後の1枚は、5月18日のブログ、オイゲン・キケロの「クラシックとジャズ」に登場しています。
    

以下は他人のリーダーアルバムに参加したもので、1枚目と2枚目は冒頭に紹介したウォルター・ノリスとのデュオ作品です。
     

一連のペゲの演奏を聴いてみての感想は、テクニックが走り過ぎているきらいもあり、モントルーのアルバムにも記載されていたように、ジャズというよりはクラシック+ビート・ミュージックという方が当たっていると思います。 

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3361 BLACK

2013-08-17 | 旅行
2013年2月9日に、「この季節にふさわしいジャケットのアルバム」というタイトルで、デューク・ジョーダンの「フライト・トゥ・デンマーク」というアルバムを取り上げましたが、その中で山梨県山中湖にある「3361 BLACK」という小ホテルについて少し触れました。
このホテルは、現在休館中であるということは分かっていましたが、現在はどうなっているのだろうと気になっていたので、チョッと足を延ばして行ってきました。

当日の天候は朝から曇りがちで、本来は山中湖畔から見える富士山が全く見えませんでした。
     

3361 BLACK の住所は「山中湖村 長池2732 (TEL 0555-62-3361)」となっていますが、現在は地名も変わり、電話も止まっています。
従って地図と過去の記憶を頼りに向かったところ、道路脇に看板が残っていたので、それを頼りに細い山道を上って行きました。
その細い道は舗装はされているものの、大きい立看板の通り「やまみち」です。
   

主道路から7 ~ 800m入ったところに、黒くて大きい建物が現れました。
建物の入り口脇にはベンツと小型車があり、家の回りの手入れもされているようでした。
    

ガラス越しに中を見たところ、オーデオ機器やテーブル等はそのまま残っていました。
写真は外の景色がガラスに写ってしまい、上手く撮れませんでした。


このホテル、(3361*BLACK) 何とか再開を望みたいものです。

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ベニー・グッドマンのソビエト連邦楽旅

2013-08-16 | JAZZ
ベニー・グッドマンはソ連政府の招待を受け、1962年5月30日から7月8日にかけてソ連の6都市を巡演し、大成功を収めたとされています。(LPの裏解説より)
この楽旅は、最後の週にモスクワで行ったサヨナラコンサートが2枚のレコードに記録され、当時日本でもビクターから発売されました。
私は高校生の頃、兄が買ってきたレコードを聴かせてもらったきりで、その後は記憶から消えていましたが、2年程前にこのレコードを手に入れたので、懐かしくなり取り上げてみました。
当時中古店には、上巻、下巻の2枚がありましたが、下巻は状態が良くなかったので、上巻だけを購入しました。

「BENNY GOODMAN IN MOSCOW」 VOLUME 1  SHP - 5138
    
1. LET’S DANCE
2. MISSION TO MOSCOW
3. MEET THE BAND
4. I GAT IT BAD AND THAT AIN’T GOOD
5. WHY YOU
6. TITTER PIPES
7. QUINTET MEDLEY : AVALON, BODY AND SOUL, ROSE ROOM,
              THE WORLD IS WAITING FOR THE SUNRISE
8. BEI MIR BIST DU SCHOEN
9. STEALIN’ APPLES

このレコードに記録されている拍手の大きさから、観衆の熱狂さが伝わってきます。
当時のソ連で、この手の音楽は聴きたくとも中々聴けなかった時代背景もあったものと思われます。
演奏会が開催された経緯と、参加したメンバーについては、裏面解説に書かれているのでそちらをご覧ください。
(写真では文字が霞んで見にくいので、別途掲載しました)

なお帰国後の7月12日には、ベニー・グッドマンを除いたピックアップ・メンバーを中心に別レーベルに録音がされていて、それが下記のアルバムです。
こちらはズート・シムスのレコード収集をしている中で、偶然に関連を見つけました。
「JAZZ MISSION TO MOSCOW」 COLPIX CP 433
    
1. MISSION TO MOSCOW
2. THE SOCHI BOATMAN  (ヴォルガの舟歌)
3. MIDNIGHT IN MOSCOW (モスクワの夜は更けて)
4. LET’S DANCE
5. RUSSIAN LULLABY
6. RED, WHITE AND BLUE EYE
ZOOT SIMS(ts) PHIL WOODS(as,Cl) JERRY DODGION(as,fl) GENE ALLEN(bs)
JIMMY MAXWELL(tp) MARKIE MARKOWITZ(tp) WILLIE DENNIS(tb) EDDIE COSTA(p)
BILL CROW(b) MEL LEWIS(ds)   録音 1962年7月12日  NY WEBSTER HALL

上記メンバーの中で、ソ連の楽旅に参加しなかったのは、マーキー・マコウイック(tp)と、エデイ・コスタ(p)の2人だけです。
2曲目の原題のソチ(SOCHI)は、2014年の第22回冬季オリンピックが開催予定となっている場所です。
(ヴォルガの舟歌が、ソチ・ボートマンであるということを初めて知りました)
3曲目の「モスクワの夜は更けて」はクラリネットが良く似合う曲で、当時日本でも盛んに演奏されましたが、ここではフィル・ウッズの絶妙なクラリネット演奏を聴くことができます。

このアルバムのサブタイトルは「JAZZ ARTISTS ON THEIR RETURN FROM TOUR SOVIET UNION 1962」となっていますが、この時代は、米国とソ連がまだ緊張関係にあった時で、7月25日にモスクワでは当時のフルシチョフ首相から「キューバに核ミサイルを配備する」という提案がなされ、29日にはソ連の代表団が「キューバ灌漑施設に関する農業視察団」としてキューバに行き、カストロ首相との会談が始まっています。
このようなタイミングの中に於いて、両国で録音がなされていたことを考えると「政治と芸術は別」で良かったと思います。

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