あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ジョニー・ハートマンに出会った日

2013-02-24 | JAZZ
ジョニー・ハートマン(1923年7月3日 - 1983年9月15日)

モダン・ジャズを聴く人で、好き嫌いは別として、ジョン・コルトレーンを知らない人はいないと思います。
そしてコルトレーンは生涯でただ一度だけ、歌手とのセッション・アルバムを作っています。
それは1963年3月7日、当時のオリジナル・カルテットでインパルス・レーベルに録音した「ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン」です。
このレコードは私の愛聴盤の1枚でもありますので、こちらは別の機会に譲るとして、ジョニー・ハートマンが来日した時のことを思い出して見たいと思います。

本名、ジョン・モーリス・ハートマンはイリノイ州シカゴの出身で、8歳からピアノと歌を始めています。
プロ・デビューは1947年のアール・ハインズ楽団で、その後ディジー・ガレスピー楽団を経て、アーサー・ゴドフリーのタレント・スカウト・ショウにて広く注目されることとなりました。
そして1947年12月に、ダニー・メンデルソンのストリングスをバックに、サヴォイ・レーベルへ録音した2曲が、初録音のようです。

日本への初来日は1963年1月で、アート・ブレイキーのバンド(ジャズ・メッセンジャーズ)に同行し、その後、1972年、1977年と、全部で3回来日しています。
1972年の時は単身での来日で、各地の小さなクラブでのライブだったようで、私はこの時に「生ハートマン」にお目にかかりました。
それは11月26日(27日だったかもしれません)
場所は銀座7丁目(辺りだったと思います)の、今は無き「ジャズ喫茶・ジャンク」でのことです。
そこはビルの一角にあり、エレベータで4F(だったと思います)に上がると、細長い感じのスペースでした。
聴衆は20人ぐらいだったと記憶しています。

そして当日のライブですが、コルトレーンとのレコーディングから10年近く経っているせいなのか、PAのせいなのか分かりませんが、生声は少し線が細く、かん高くなったような気もしましたが、相変わらずのベルベット・ボイスでした。
ハートマンは思ったより背が低かったのですが、ライブが終わって帰り際に握手をしていただいた手は骨太で、暖かかったことが今でも強く残っています。

この日のライブの前後で、日本のレコード2社に別の形で録音していて、当時はLPでそれぞれ発売されました。
  

なお、この2枚のレコードは、後に輸入盤CDで1枚に纏められて出ましたが、これを聴くたびに、その当時の記憶を甦らせることができます。
 

当日歌われた曲目は、このアルバムの中のものや、コルトレーンとのセッションでも録音されているゼイ・セイ・イッツ・ワンダフルなどでしたが、マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブだけは歌いませんでした。
そしてバックバンドは菊池雅章カルテットで、峰厚介はまだアルト・サックスを吹いていました。(現在はテナー・サックスが中心です)
ライブは途中休憩を挟んで、前後2回行われましたが、当日の峰はマウスピースの調子が今一つのためか絶不調で、休憩中に演奏された「驟雨」という曲では、音が途切れ途切れとなり、リーダーの菊池が睨んでいたのも印象的でした。

この来日時のハートマンは、日野皓正クインテットとの共演アルバムの解説の中で「僕の最も満足すべき演奏は、11月25日夜の赤坂クラブVIVA roomにおける公演と、東芝における日野皓正クインテットとの録音であった」と語っています。
またこの中では、ハートマンが1932年生まれとなっていますが、正しくは1923年です。
なお、上記のアルバムに記載されている菊池雅洋トリオの録音日が25日となっているため、同じ日にライブとレコーディングをしていたことになります。
(菊池雅洋は雅章の弟で、兄弟共にジャズ・ピアニストです。弟は2008年3月に65歳で亡くなっています)
  

ジャンクでのライブは、赤坂クラブの直ぐ後でしたが、ハートマンの歌はバック・バンドの不調に引きずられたのかもしれません。

なお峰厚介は、1970年8月4日にスリー・ブラインド・マイスに「MINE」というタイトルで、初録音をしています。
また菊池雅章は、この後、レギュラー・バンドで「エンド・フォー・・ビギニング」という最後のアルバムを録音し、エルビン・ジョーンズのグループに参加するため、翌年4月5日に渡米しています。
このアルバムのメンバーは、菊池雅章(p) 峰厚介(ss)、宮田英夫(ts,fl) 鈴木良雄(b) 村上寛(ds) となっていました。

余談ですが、1969年12月26日~27日に、このジャンクでライブ録音された、当時の渡辺貞夫カルテットのLPがありました。
メンバーは渡辺貞夫(as&sn) 増尾好秋(g) 鈴木良雄(b) 渡辺文雄(ds) となっています。
    

ハートマンに戻って…
3回目の来日は77年10月で、この時は女性歌手のキャロル・スローンと、新編成のニュー・ヨーク・ジャズ・カルテット(MJQではなくNJQ)と共に来日し、それぞれレコーディングもしています。
ハートマンは10月13日に吉祥寺のジャズ・クラブ「サムタイム」で、またキャロルは、10月16日に東京のメディア・スタジオで、デューク・エリントンにちなんだナンバーを集めてのものです。
その2枚をここで一緒に紹介します。
左側がハートマンのCDで、当日歌った曲も記載されています。
そして中央がキャロルの、今となっては懐かしい日本のトリオ・レコードから発売されたオリジナルLP、右側が同じ内容のジャケ違いで、米国のアリスタ・レーベルから出たものですが、こちらは中古で入手したため、どなたか宛ての直筆のサインが入っていました。
  

この時のライブ公演は、キャロルに軍配が上がったようですが、このような小さなクラブではキャリア十分なハートマンも、自らのペースを発揮し見事な歌いぶりだったようです。
また2人は肌の色の関係で、キャロルのほうがハートマンを嫌っていたとの噂も聞こえてきていました。

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私の愛聴盤(第4回)

2013-02-23 | 私の愛聴盤
第4回はアート・ペッパーの「アート・オブ・ペッパー」です。
アート・ペッパー(1925年9月1日 - 1982年6月15日)
カリフォルニア州ガーデナ生まれで、アルト・サックスの他に、クラリネットやテナー・サックスも吹いていました。

アート・ペッパーの絶頂期は1950年代半ばで、ウエスト・コースト出身でありながら、NYを中心としたイースト・コーストの、ハード・バッパー達とも互角に渡りあえる技量を持った素晴らしいミュージシャンでした。
残念なことにデビュー当初から薬とのお付き合いがあったことで、長いブランクもありました。
日本には1975年4月にカール・ジェイダー (vib)グループの一員として初来日し、郵便貯金会館ホールでの東京公演をFM放送で聴きました。
その時に演奏したチェロキーという曲を猛烈なスピードで吹いて、圧倒された記憶が今でも残っています。
その後も3回来日していますが、好きなアルバムは1960年までのものが大半です。

彼のフアンは数多く、皆さんにも愛聴盤は沢山あると思うのですが、私も同じで、これらは順次紹介するとして、まずはこの1枚です。
「ART OF PEPPER」 (Omegatape ST - 7020 /- 2030)
   

<第1集>
1. HOLIDAY FLIGHT
2. TOO CLOSE FOR COMFORT
3. WEBB CITY
4. BEGIN THE BEGUIN
5. SURF RIDE
6. BODY AND SOUL

<第2集>
1. LONG AGO AND FAR AWAY
2. I CAN’T BELIEVE THAT YOU’RE IN LOVE WITH ME
3. FASCINATIN’ RHYTHM
4. WITHOUT A SONG
5. THE BREEZE & I
6. FASCINATIN’ RHYTHM (alt. vers.)
ART PEPPER(as) CARL PERKINS(P) BEN TUCKER(b) CHUCK FLORES(ds)
1957年4月1日録音

このアルバムはハリウッドに本拠地があったオメガというテープ会社のものが原盤で、最初はオルタネイトを除く11曲がテープとして発売されていました。
その後、西ドイツのバカロラ社から発売されたLPが、スイング・ジャーナルに掲載されたこともありましたが、当時日本では「幻の名盤」扱いとなっていて、なかなか聴くことができませんでした。
暫らくして、テイチク・レコードからオリジナル・テープ・デザインの2枚が発売されるに至り、私も裏が日本語解説になっているこのLPを購入して良く聴いていました。
また2002年4月には、上記の赤のデザインと同じCDが更に3曲追加され、東芝EMIから紙ジャケットで発売されています。
上記のLPは、たまたま中古レコードで見つけたので、テイチク盤から買い替えたものです。

さて肝心の内容ですが、サーフ・ライドがペッパー、ウエッブ・シティがバド・パウエルのオリジナルで、その他はスタンダードです。
ビギン・ザ・ビギンや、そよ風と私といった、本来はラテン曲もきっちりこなしています。
そして1曲目からメンバー全員が全開モードで、1曲たりとも手抜きはありません。
バックのリズム陣も全てウエストのメンバーということもあり、カラットしたウエスト・コーストのアルバムとの印象です。

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百貨店でも輸入盤が買えた時代

2013-02-22 | JAZZ
本格的にレコード収集を始めた頃は中野に住んでいたので、休日ともなれば新宿界隈のジャズ喫茶やレコード店を徘徊していました。
そんな中で、新宿西口にある「小田急百貨店」でも輸入盤を扱っていて、時々掘り出し物もある良い時代でもありました。
それも格安で…
そんな中の2枚を紹介します。
   

左側はホレス・シルバーの「THE STYLING OF SILVER」(Blue Note 1562)で、オリジナル盤ではありませんが、NEW YORKレーベルのRVGの刻印の入ったブツで、購入価格は1,800円でした。
当時は既に東芝が輸入盤を扱っていた時期だとは思いますが、これは和文解説もないれっきとした直輸入盤です。
そして内容はといえば、BNの4番目のアルバムで、アート・ファーマーとハンク・モブレーがフロントを担当しているクインテットです。
ご覧のとおりジャケットも良い感じだし、ホレス・シルバーの中でもよく聴く部類のものです。
6曲入りの内の5曲はシルバーのオリジナル、残り1曲はスタンダードのマイ・ワン・アンド・オンリー・ラブです。
シルバーはバラードが上手くないという人もいますが、私はそうは思わないし、このスタンダードのアレンジもイカしていると思っています。

右側はレッド・ガーランドの「alone with the blues」(MOODSVILL 10)で、プレスティッジの傍系レーベルから出たソロ・アルバムです。
こちらもRVGの刻印が入っていますが、ピアノの録音は上手くないと言われるように、あまり良い録音とは言えません。
またガーランドのピアノ・ソロも全曲通して聴くにはチョッとのところもあります。
こちらは1,500円で購入しました。

このLPを購入した1960年後半の新宿西口と言えば、淀橋浄水場跡の再開発が始まった時期でもありましたが、目ぼしい建物と言えば、小田急と京王の2つの百貨店、安田生命ビルや郵便局、それに大学が一つだけで、浄水場跡地は広い原っぱであり、京王プラザホテル(1971年6月5日開業)も、ヨドバシカメラも都庁もありませんでした。
今の高層ビル群を見るにつけ、全く様変わりしてしまったなぁ~と、当時を懐かしむ一人でもあります。
そういう意味で、この2枚アルバムを見るたびに当時のことが思い出されます。

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寂しい限りです

2013-02-21 | 日記
都内に就職して以来、国内盤のLP、CD、DVDの大半はこれまでず~とこのお店で購入してきました。
そのお店の入り口に突然「閉店」の案内が掲示されました。
そこで早速中に入ってみたところ、大勢の人達でごった返していました。
陳列棚の一部は既にあちこちで隙間が見受けられました。
それもそのはず、全商品が20%オフとなっていて、中には50%のものもありました。
 

思えば40数年の長きに渡り通い詰めたお店で、この間、ジャズ関連の売り場は5回変わり、店員さんも4人が入れ替わりました。
恐らく今の店員さん達より、私の方がこのお店の歴史が長いかもしれません。
ここの店長さんはポピュラー関連売り場の方ですが、つい先日もCDの売れ行きについて夕方のTV番組に出演したばかりで、本当に驚いていると同時に、残念です。

閉店の理由を伺いましたが、商売が成り立たなくなったようです。
一昨年以降、都内の大手チェーン店の閉店も相次いでありましたが、このお店の様に小回りが利くと、店員さんとのコミュニケーションの中から、色々な情報が得られることもしばしばで、単にソフトを購入する以上のものがありました。

現状の音楽業界は、楽曲ジャンルの多様化に加え、有料配信サービスの普及が急速に高まったこともあり、国内の生産枚数も年々減少しています。

日本レコード協会のデータによる国内の生産枚数
     1998年         2007年
邦楽 363,885(千枚)     198,121(千枚)
洋楽   93,285           62,219        
となっていて、この10年間で43%も減少しています。

それはそうと全国のショップのサイトをチェックしてみると、インディーズ系も含めての話ですが、国内外の各社からこれでもかと、毎日洪水のように新譜と旧譜の紹介があるのですが、どれも似たり寄ったりの横並びのものばかりのようで、興味をそそられるものが極端に少なくなってきていることも事実です。

私にしてみると「売れるものと欲しいもの」のギャップがあり過ぎると感じていることも確かです。

最後にあえて正式の名前で呼ばせていただきます。
「ムトウ楽器店」さん
長い間、本当にありがとうございました。
(当初は楽器も扱っていて、今でも楽器店となっています)

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美味しかった昼食

2013-02-17 | グルメ
近くのモールにショッピングに行ったついでに、その中にあったレストランで昼食を食べました。
そのお店の名は「登利平」といって、群馬県前橋市に本店がある鳥料理のチェーン店です。
実はこのお店、一緒に行った家族は皆知っていましたが、私だけはここに来るまで全く知りませんでした。

ネットでチェックしてみたところ、始祖は東京北千住で昭和初期から鳥専門店としていた伝統あるお店でした。

http://www.torihei.co.jp/torimeshi.html

この店の大半は群馬県に集中していますが、関越自動車道沿線にある埼玉県にもありました。
その埼玉県東松山市の店で昼食を食べました。
  

私が注文したのは上記の「かつ定食」でした。
お店の名前が「登利平」となっていたので、これだけでは「鳥料理店」とは思えません。
そして料理が出てきてから「トン」ではなく「トリ」であることに気が付きました。
しかしこれが揚げたての鳥カツで美味しかったこと。
そして鳥カツはもちろん、価格が高騰しているキャベツも大盛りで納得したこと…などなど
満足いく昼食だったので、早速写真を撮ってきました。

ちなみに2月のこの時期は受験シーズンでもあり、受験生は「受験に勝つ」という意味から、縁起を担いで「豚カツ」を食べることは良くあります。
そういう私も昔むかし、受験当日はそうしていました。
でも実際のところは胃に負担があるので、頭の働きからすると豚カツはお勧めできないようです。

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コーヒーに纏わる曲

2013-02-16 | JAZZ
2月9日に「自宅で楽しむコーヒー」について書きましたが、今度はコーヒーに纏わる曲について掘り下げてみました。
その中で、いの一番はポール・フランシス・ウェブスター(詞)、ジョニー・バーク(曲)による「ブラック・コーヒー」です。
そしてこの歌は…
「眠れない夜、ブラック・コーヒーを飲んで気が狂いそうになりながら、帰らない人を待っている」というやるせない内容の歌詞で、最初はサラ・ヴォーンが録音(2回)していますが、有名になったのは1953年に吹き込んだペギー・リー(1920 - 2002)のほうです。
このアルバムのオリジナルは10インチ盤で、ジャケットはうす紫をバックにしたセピア色をしていて、絵柄も掲載のものとは異なります。
残念ながら私はオリジナル盤を持っていませんので、モノクロにしてみましたが、こちらの方がこの曲の雰囲気に合うような気がしますが、いかがでしょうか?
  
1. BLACK COFFEE
2. I’VE GOT YOU UNDER MY SKIN
3. EASY LIVING
4. MY HEART BELONGS TO DADDY
5. IT AIN’T NECESSARILY SO
6. GEE BABY, AIN’T I GOOD TO YOU
7. A WOMAN ALONE WITH THE BLUES
8. I DID’T KNOW WHAT TIME IT WAS
9. WHEN THE WORLD TIME IT WAS
10. LOVE ME OR LEAVE ME
11. YOU’RE MY THRILL
12. THERE’S A SMALL HOTEL

この曲を歌って話題になったもう一人の歌手は、ジュリー・ロンドン(1926 - 2000)で、1960年に録音された「アラウンド・ミッドナイト」の中に入っていて、唄い方は大御所という感じがします。


この他に、この曲を唄っている3人のアルバムを紹介しますが、いずれもがペギー・リーとジュリー・ロンドンの信望者で、2人の得意とする歌を中心にしたアルバムとなってます。
 *左からオーストラリア出身のジャネット・サイデル(ペギー・リーに捧げられたアルバムです)
 *同じくオーストラリア出身で、NYで活躍しているニッキ・パロット(タイトルはブラック・コーヒー)
 *オランダ出身で、若手歌手のキム・ホォールウェヒ(邦題はペギー・リーの想い出)
この3人は共に独特のフィーリングで唄っていますが、ペギー・リーに近い雰囲気を持った唄い方をしているのは、ニッキ・パロットです。
ジャネット・サイデルはピアノを弾きながら、一方ニッキ・パロットは、ベースを弾きながら唄っています。
  

また演奏ものではソニー・クリス(as)が「ディス・イズ・クリス」で、またスティーブ・キューンが「イン・カフェ」というCDでソロピアノで演奏しています。
なおソニー・クリスのこのアルバムは名演集なので、いつかは「私の愛聴盤」に再登場させたいと思っています。
 


さてさて、ブラック・コーヒーはこのくらいにして…
次は1958年にアルパ奏者のウーゴ・ブランコの演奏で世界的にヒットした「コーヒー・ルンバ」です。
元歌は「コーヒーを挽きながら」という意味だそうです。
日本では1961~62年に西田佐知子が唄って大ヒットしましたが、同じ時期に他の歌詞でカバーした ザ・ピーナツのものもありました。
その後は森山加代子、荻野目洋子を始め、なんと2001年には陽水さんまでが初めてのカヴァー・アルバムを出し、この中で唄っています。
 

そしてそして、
ポピュラー・ヴォーカリストで、ラテンやボサノバも歌うイーディ・ゴーメの「ギフト」というアルバムの中には「コーヒー・ソング」という曲がありました。
この曲は、1946年に書かれたブラジル・コーヒーを讃えた歌で、フランク・シナトラのレコードで広く知れ渡りました。
イーディ・ゴーメのこのアルバムは「ギフト(レカード・ボサノバ)」の方が馴染みが深く、日本ではセブンスターEXのCFテーマ曲にも使われたことがありました。
ちなみにレカード・ボサノバは、ハンク・モブレーのデッピン(BN盤)にも名演があります。


さらに
コンチネンタル・タンゴの中には「小さな喫茶店」や、日本の曲の中にも、1939年に作詞 藤浦洸、作曲 服部良一のコンビによって生まれた「一杯のコーヒーから」という名曲もありました。
 

また2004年3月からはNHKラジオ第一放送で「ときめきJAZZ喫茶」という25分番組が放送されたことがあり、藤岡琢也と浅井慎平の両名が週ごとの入れ替わりでナビゲータを務めていて、この番組のためにジャズ・ピアニストの岸ミツアキが「マジカル・ジャズ・カフェ」という曲を作曲し、番組の冒頭で実際に演奏していたこともありました。


こうして並べてみると、コーヒーに纏わる曲も色々ありますね。

と、最後にコーヒーではないですが、
知人から頂いた「ブラック・ティー」を紹介して、終わりにしたいと思います。(とても美味しいです)


みなさん、最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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私の愛聴盤(第3回)

2013-02-15 | 私の愛聴盤
第3回はハンク・モブレーの「ソウル・ステーション」です。
HANK MOBLEY(1930年7月7日 ー 1986年5月30日)
ジョージア州イーストマン生まれで、ニュージャージー州で少年時代を過ごし、1950年からプロ活動を開始しています。

1954年にホレス・シルバーのクインテットに加わり、そのままアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ(JM)に吸収され、JMの初代テナーマンとして名をあげました。
プレスティッジ・レーベルにもリーダーアルバムを吹き込んでいますが、ブルー・ノート・レーベルには20枚以上のアルバムを残したハードバップ時代の代表的なサックス奏者です。

そして今回のアルバム 「SOUL STATION」 (Blue Note 4031)
1960年2月7日録音の8枚目のリーダー・アルバムで、12インチLP時代になってからは最初のワンホーン・アルバムです。
   
1. REMEMBER
2. THIS I DIG OF YOU
3. DIG DIS
4. SPLIT FEELIN’S
5. SOUL STATION
6. IF I SHOULD LOSE YOU
HANK MOBLEY(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) ART BLAKEY(ds)

このアルバムの最初の国内発売は、左側のセカンド・ジャケットのリバティ・レーベルのものが、東芝音楽工業から輸入盤扱いとして出されました。
その後国内盤は、同じく東芝からオリジナル・ジャケット・デザインでも発売されましたが、最近では米国のクラシック・レコードからの重量盤や、ミュージック・マスターズからの45回転2枚組、それにディスク・ユニオンからのプレミアム復刻シリーズ等、色々発売されています。

またCDにおいても、RVGによるリマスター盤や24BitのXRCDなどがありますが、このXRCDはとても自然の音がする良いディスクだと思っています。
 

そしてこの内容ですが、スタンダードが2曲(1、6)、残りは全てモブレーのオリジナルで占められており、モブレーを堪能するにはベストなアルバムの内の1枚ではないでしょうか。
またバックはドラムのアート・ブレイキーを初めとして、一流ミュージシャン達ばかりであり、アービング・バーリン作曲の1曲目から全開です。
モブレーはコルトレーンともロリンズとも違う「なごみ」の音が聴けるサックス・プレイヤーの内の一人です。

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まだ間に合います。テレビ英会話のジャズ番組

2013-02-14 | JAZZ
現在NHKEテレの「3か月トピック英会話」において、ジャズ・スタンダードのレッスンを放送しています。
これは2011年10月から12月に放送されたものの再放送ですが、今回は1月~3月分として、2月13日で丁度半分の6回までが終了しました。
しかしこの先まだ6回分の放送予定があります。


番組タイトルは「歌って発音マスター!~魅惑のスタンダード・ジャズ編~」となっていて、まずは歌手の青木カレンさんがピアノ演奏をバックにお手本として唄い、講師がその曲の発音に気を付ける部分について解説し、最後に生徒役の森末慎二さんがそれを実践するというものです。

放送は毎週水曜日の午後10時~10時20分で、再放送は翌週の午前6時からとなっています。
なお今後の放送予定は20日がStardust、27日がAutumn Laevesとなっていて、何時かはこのブログの中でも特集を組もうと考えている名曲ぞろいです。
まだ間に合いますので、興味のある方は是非ご覧になってみてください。
なおピアノをバックに唄ってみたい方は、NHKからカラオケ付CDも発売されています。

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毎年この時期は

2013-02-13 | JAZZ
一年中でチョコレートの消費量が一番の日がやってきます。
“ 2月14日 ”バレンタイン・デーです。
そして若いカップルだけでなく、オジサンたちも義理チョコでもいいからと、この日を待っています。


このバレンタインをタイトルにしたミュージカル・ナンバー
「 My Funny Valentine 」は、ロレンツ・ハート(詩)とリチャード・ロジャース(曲)のコンビにより1937年に生まれました。
そして、多くの人が唄い演奏していますので、この機会に同曲が入っているジャズ・アルバムを取り揃えて紹介いたします。

まずは超名盤の4枚
   
左から
1) マイルス・デイビス(tp) 「クッキン」(1956年) プレステッジ・レーベルでの最後の4部作の内の1枚
2) ビル・エヴァンス(P)& ジム・ホール(g) 「アンダーカレント」(1962年) ピアノとギターのインタープレイ
3) チェット・ベイカー(tp) 「シングス」(1954年) 彼の最高傑作の内の1枚
4) カーメン・マクレエ(vo) 「アフター・グロウ」(1957年) 彼女自身ピアノも弾いていますが、バックでピアノを弾いて                         いるのは、当時の旦那さんのレイ・ブライアントです

マイルス・デイビスはこの曲がお気に入りだったようで、CBSに移ってからも4回録音していますが、全てライブ盤です。
そして当然のことながら、年を追うごとにアドリブも変化しています。
   
左から
1)ジャズ・アット・ザ・プラザ (1958年) ニュー・ヨーク
2)マイ・ファニー・バレンタイン (1964年) ニュー・ヨーク 
3)マイルス・イン・トーキョー (1964年) 東京
4)アット・ザ・プラグド・ニッケル (1965年) シカゴ (7枚組アルバムに2回収録されている)

色々な歌手も唄っています
まずはベテランのシナトラと英国のキャロル・キッド
 

それにドイツのリサ・バーラント、英国のサリー・ナイト、そしてロサンゼルス生まれのティファニー
  
サリー・ナイトとティファニーは、いずれも日本のプロデューサーによる本邦でのデビュー作品です。

さらにインストものも・・・
キース・ジャレットのスタンダード・トリオ、ハンク・ジョーンズ率いるオリジナルGJT、ベテラン・ピアニストのエディ・ヒギンズ・トリオ、そしてミルト・ジャクソンカルテット
    

それからゲッツ&ベイカー、マリガン&ベイカー、ズート・シムス、そして日野皓正
   

まだまだあるのですが、キリがありません。
この中で皆さんのお好きなアルバムはありますか?
これを片っ端から聴くとしても、暫らく掛りそうです。

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私の愛聴盤(第2回)

2013-02-11 | 私の愛聴盤
第2回はジェリー・マリガンの「ナイト・ライツ」です。
ジェリー・マリガン (1927年4月6日 - 1966年1月20日)
バリトン・サックス奏者兼アレンジャーで、ビック・バンドリーダーの時代もありました。

ちなみにバリトン・サックスは、メロディを演奏する吹奏楽器の中では最も大きいほうで重量も6kgあり、肩からぶら下げても重いし、これを演奏するには肺活量も要ります。
キィーはE♭管で、バリトン・サックスが「ソ」の音を出した時に、ピアノやフルート(C管)が「ド」の音で同じ音程になります。
またこの楽器で早いフレーズをバリバリ演奏するようなケースもあまり多くはありません。

ジェリー・マリガンはチェット・ベイカーと共に行動していた時期に、洗練されたウエスト・コースト・サウンドを追及していたこともあり、音質もソフトサウンドです。
同年代のサックス奏者に1930年生まれのペッパー・アダムスがいますが、こちらは切れ味鋭いサウンドで「ナイフ」というニックネームが付いています。

話を本題に戻して、このナイト・ライツはその名の通り、深夜に聴いても良いアルバムです。
 

1. NIGHT LIGHTS (1963 VERSION)
2. MORNING OF THE CARNIVAL
3. WEE SMALL HOURS
4. PRELUDE IN E MINOR
5. FESTIVAL MINOR
6. TELL ME WHEN
GERRY MULLIGAN(bs, P) JIM HALL(g) BILL CROW(b) DAVE BAILY(ds) 
ART FAMER(tp, flh) BOB BROOKMEYER(tb)  1963年9月12日 10月3日 録音

1曲目のナイト・ライツはジャケットのイラストをイメージする内容で、マリガンはピアノを弾いています。
そして1963年バージョンとなっていますが、CDでは1965年のバージョンも追加されています。
2曲目と4曲目は軽いボサノバにアレンジされています。
この2曲目は、以前紹介したアン・バートンのブルー・バートンのアルバムにも入っており、4曲目はショパンのプレリュード第4番からのアレンジ曲です。
奏者の中でアート・ファーマーは、トランペットより一回り管が太く、柔らかい音が出るフリューゲル・ホーンも吹いています。
それからスタン・ゲッツとの共演も多くあるトロンボーンのボブ・ブルックマイヤーは、バルブ・トロンボーンといってスライド管ではなく、トランペットのような3本バルブの楽器を使用しています。
また、第1回のグランド・エンカウンターにも参加していたギターのジム・ホールが今回も参加しており、そういう意味では前回と同じ雰囲気を持ったアルバムであるともいえます。
なおこのアルバムは、全曲ジェリー・マリガンのアレンジによるものです。

初めてジャズを聴く人が「何かいいアルバムはないか」という場合、私は大抵このアルバムを紹介しています。

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