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廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

古き良き時代のレコード

2025年05月05日 | Jazz LP (RCA)

The Don Elliott Quintet  ( 米 RCA Victor Records LJM 1007 )


器用貧乏の最右翼と言えば、ドン・エリオットである。トランペット、ヴィブラフォン、メロフォン、ボンゴ、ヴォーカルまでこなし、挙句の果てはリスがスキャットする
レコードまで存在するが、この手の人の常でこれといった決め手が見当たらない。器用にいろんなことをこなすが、結局のところ、広く浅くで終わっているように思う。
芸術として人の心を動かすには多かれ少なかれある種の「極み」が必要なんだろう。それがなければ、言い方は悪いかもしれいが、エンターテインメント留まりとなるのは
どうやら確かなようである。

長くレコード漁りをしているのでリーダー作に接する機会は多く、気が向いたら手に取って聴いてきたがピンとこないものが多かった。どうもこの人のやった音楽は少し
普通の感覚では理解しにくいタイプのものが多かったような印象で、永く繰り返し聴くかと言えばとてもそういう気にはなれないものが大半だったが、そんな中でこれは
まだマシかなというのがこのRCA盤だった。

モルト・ハーバートのベースが珍しいピアノトリオにジョー・ピューマが加わる上品なカルテットをバックにエリオットが穏やかにソロを取る内容で、これがなかなかいい。
お世辞にも傑作とか佳作ということではなく、せいぜいBGMに毛が生えたような感じではあるが、音楽が始まるとこれが何とも心地よい。トランペットのワンホーンで
臨む "Long Ago And Far Away" はチェット・ベイカーそっくりだったりして、後のリーダー作で見られるような変なクセのない、いい意味で力の抜けた白人のジャズが聴ける。

見開きの厚紙ジャケット、厚手のフラットディスクと丁寧な作りのレコードで、当時のモノづくりへの拘りを感じるところもいい。古き良き時代のレコードだ。



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無名の強者たちを率いて

2025年04月29日 | Jazz LP(Vee Jay)

Ira Sullivan and The Chicago Jazz Quintet / Bird Lives !  ( 米 Vee Jay Records VJLP 3033 )


1962年シカゴの "Bird House" で開かれたパーカーのメモリアル・コンサートにアイラ・サリヴァンが出た時の記録が残っている。シカゴ・ジャズ・クインテットとの共演となって
いるが、これがレギュラー・バンドだったのかどうかはよくわからない。地元のローカル・ミュージシャンたちで構成されたバンドだが、テナーのニッキー・ヒルはその後も
サリヴァンと活動を共にしている。

名前だけで判断しがちな我々をあざ笑うかのように、無名のミュージシャンたちが驚異的なレベルの高さで演奏を繰り広げる。スピード感といい、切れの良さといい、
フレーズの滑らかさといい、楽器の音の張りの良さといい、どれも耳を奪われる。パーカーのメモリアルということで彼が演奏した楽曲が軸になってはいるけど、演奏が
上手すぎてビ・バップ感はどこにもない。「パーカーは生きている」というのはパーカーがやった音楽を再現するということではなく、その精神を受け継いだ者たちが演奏する
ということなのだと言わんばかりの内容だ。

アイラ・サリヴァンはトランペットでの演奏だが、格段に上手くなっている。ABC盤では聴けなかった抑揚が十分に効いていて、フレーズの巧みさが増して成熟感が溢れる。
随分腕を磨いたなあという印象で、素朴な管楽器奏者だった姿はここにはもうない。寡黙だが熱い演奏をする強者たちの群れを率いる獅子王という感じだ。

このレコードが教えてくれるのは、名前だけがすべてではないということだ。レコードというのはパッケージ・ビジネスではあるが、演奏者の名前やレーベル名だけに価値が
あるわけではない、という当たり前のことを思い出させてくれる。




Ira Sullivan and The Chicago Jazz Quintet / Bird Lives !  ( 米 Vee Jay Records VJLP SR 3033 )


音圧高く音楽が迫ってくるモノラルプレスの良さに音の分離の良さと楽器の音色の艶の良さが加わるのがステレオプレス。どちらも甲乙付け難い。
この時の演奏は選から漏れた楽曲がまだあり、CDではそれらを加えた2枚組でリリースされているようだ。これは聴かねばならない。



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アイラ・サリヴァンの実像

2025年04月26日 | Jazz LP (ABC-Paramount)

Billy Taylor / Introduces Ira Sullivan  ( 米 ABC-Paramount Records ABC-162 )


アイラ・サリヴァンはワシントンD.C生まれで、成人してシカゴを拠点に活動し、60年代に入るとマイアミへ移住した。そのせいでレコード・ビジネスから距離があって、
50~60年代のレコードがあまり残っていない。また、父親からトランペットを習い、母親からはサックスを習うという経歴から2つの楽器を同等に使うという特異な
演奏スタイルで、聴き手からするとその実像が定まりにくく、ほとんどまともに評価されていない気の毒なミュージシャンの代表格だ。

ジャズの世界では1人のミュージシャンが系統の違う複数の楽器を扱うというのは評価の面では分が悪い。その最たる例はタビー・ヘイズのヴィブラフォンで、彼の高額な
レコードを買う人は彼のテナーの演奏が聴きたいからなのに、その中のいくつかで没個性的なヴィブラフォンを聴かされると辟易するだろう。エディ・コスタもピアノだけで
通したアルバムは好かれるのにヴィブラフォンが混ざるアルバムはさっぱりだ。本人たちは自信があったからこそそれらで録音をしたんだろうけど、聴く側からするとこれが
まったく面白くなく、苦痛すら感じる有り様となる。聴き手の気持ちを慮らない演奏者側が悪いのか寛容性のない聴き手側が悪いのかはさておき、マルチな演奏家のアルバム
への風当たりは厳しいものがある。

ただサリヴァンの場合は元々どちらかが主力というほど比重に偏りがあるわけではなく、そもそもの認知度が低いこともあり、そういう余芸的な見方はされていないだろうが、
逆にどちらがメインなの? という戸惑いを感じさせるところが他のミュージシャンと違うところなのではないか。そういう正体不明感がもたらす聴き手側の感情の揺らぎが
この人への親近感を阻害するようなところがある。

1956年10月21日のJ.R.モンテローズのブルーノート・セッションに参加した翌11月にビリー・テイラー・トリオと吹き込んだこのABC盤は彼のワンホーン・スタイルで、サックスと
トランペットの二刀流で臨んでいる。ブルーノートはモンテローズが主役なのでサリヴァンはトランペットだけで通し、相方としての立ち位置での振る舞いだが、ABC盤の方は
タイトルからも伺えるように事実上はサリヴァンのリーダー作としての作りになっている。サックスを吹いているのは2曲だけだが、この2曲の演奏の印象が強く残る。
トランペットの演奏は抜けのいい音で音圧も十分あるが、抑揚や陰影感に欠けるところがあってまだまだこれからという感じだが、サックスは音が太く硬質でしっかりと前へ
飛んでくる。サックスだけのアルバムがあればもっとよかったのにと思わせる。一応ビリー・テイラーがバックを務めているけれど、ここでは完全にバッキングに専念していて、
その存在は霞んでいる。これはサリヴァンを聴くためのアルバムになっている。

両方吹ければ相手がトランペット奏者でもサックス奏者でも共演できただろうからレコーディングの機会はもっと多くあったはずだが、ローカルミュージシャンとしての活動に
終始したのはそれが本人の望んだこととは言え、遠い島国の愛好家としては演奏に触れる機会が少なく残念なことだった。シカゴ時代にアーゴから声がかかっていたはずだと
思うけどレコードが出ていないところを見ると、あまりレコードを作ることに積極的ではなかったのかもしれない。



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モダンに寄った熱い演奏

2025年04月19日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Joe Newman / Joe Newman Quintet at The Count Basie's  ( 米 Mercury Records MG-20696 )


カウント・ベイシー・オーケストラに在籍したミュージシャンがソロ活動でアルバムを作る際、その音楽はスイング系だったり中間派だったりする場合がほとんどなので、
彼らはそういうタイプの音楽しかやらないのか(できないのか)と考えがちだが、カタログの中にはこっそりとモダンをやっているものがある。そして、そういうタイトルを
聴くと、意外にも上手くモダンをこなしていることに驚かされることが多い。フランク・フォスターにしてもフランク・ウェスにしても、彼らのやったモダンの演奏はなぜか
数は多くないけれどもどれも一級品で、私も愛聴している。

ジョー・ニューマンもベイシー楽団に長く在籍してその腕を振るっていたが、ソロ活動にも積極的で自己名義のアルバムをたくさん残している。その中で珍しくメインストリーム
側に寄せた音楽を披露しているのがこのアルバムだ。そのカギを握るのがオリヴァー・ネルソンで、彼の重みのあるテナーが音楽をグッとモダンに寄せる効果を出している。
オリヴァー・ネルソンも結局何をやりたかったのかがイマイチよくわからなかった人だが、ここでの一テナーマンとしての演奏を聴いているとベースはやはりモダン・テナー奏者
だったのだと思う。バックのリズム・セクションも地味なメンツながらしっかりと音楽を支えていて、熱いライヴ演奏となっている。

ジョー・ニューマンの奏法のベースはやはりスイング系のもので、こういう音楽の中で聴くとモダン・トランペッターのそれとの違いが明確にわかるが、随所で鋭くキレのいい
フレーズを挟み込むなど、彼の他のリーダー作とは一味違う。百戦錬磨のベテランらしく演奏は安定していて、しっかりと聴かせる。

この "Count Basie's" というのはニュー・ヨーク7番街132通りにあったクラブのようだが、どんな感じのクラブだったのだろう。この演奏を聴く時はいつも、行ったことのない
ジャズ・クラブのその外観や内装なんかを想像する。名前からしてそそるものがあるじゃないか。当時はそういう演奏を聴かせる店がたくさんあったのだろう。ライブアルバム
を聴く醍醐味の1つである。



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爽やかさがにじみ出る愛聴盤

2025年04月12日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Jimmy Cleveland / A Map Of Jimmy Cleveland  ( 米 Mercury Records MG-20442 )


アーニー・ウィルキンスの編曲をベースに彼のフリューゲルホーン、ジェローム・リチャードソンのサックス、レイ・コープランドのトランペット、ドン・バターフィールドの
チューバらとの多管編成で臨んだ何とも爽やかな傑作で、私の密やかな愛聴盤になっている。アーニー・ウィルキンスがリヴァーサイドでやっていた編曲は泥臭くて重い重奏が
多かったが、ここでは楽器数が少ないこともあって響きが上手く整理されており、見晴らしがよく素晴らしい。重奏が前に出過ぎることなく各人のソロが充実していて、ジャズ
本来の良さも活かされている。

特に顕著なのが全体を覆う清涼感溢れる上質で独特な爽快さで、こういうメンバー構成ではなかなか想像にしくいことだが、初めて片面を通して聴いた時にはとても驚いた。
これと似たような雰囲気の演奏は他には聴いたことがないような感覚で、これはいい、と一人で小躍りしたものだ。

クリーヴランドのトロンボーンも柔らかくなめらかで遠くに伸びていくようなトーンで歌っており、この楽器特有の望郷的で倍音豊かな音色がとにかく素晴らしい。
トロンボーンもサックスなんかと同じで一人一人皆音色が違うが、この人の場合も誰とも似ていない独自のヴォイスを持っている。

1958年12月の録音だが、時代的にもハード・バップの爛熟期で誰もが無理な背伸びをすることなく落ち着いて演奏していることがわかるその正直さが私の心を打つ。
ジャズのレコードをたくさん聴いているとそれらの演奏の多くがその時代背景に否応なく翻弄されていることがよくわかってくるものだが、このアルバムには全体的に
各人の非常に澄み切った心持ちがにじみ出ているようなところがあって、それが冒頭にも述べた爽やかさにつながっているのだろうと思う。こういうことを感じられる
ようなアルバムはなかなかないと思う。

蛇足だが、このレコードは音もすごくいい。マーキュリー・レーベルのレコードの音質などは誰からも相手にされないが、このざらっとしたリアルな質感や程よい残響感が
もたらす奥行きの深みは筆舌に尽くしがたい。こういうレコードを聴いていると、ヴァン・ゲルダーの話などはどうでもよくなってくる。



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ジャズらしいマイナー感

2025年04月05日 | Jazz LP (Savoy)

Pepper Adams / The Cool Sound Of Pepper Adams  ( 米 Regent Records RMG-6066 )


1957年はペッパー・アダムスの当たり年だった。7月にMODEレーベル、8月にPacific Jazzレーベル、11月にRegentレーベルに本アルバムを立て続けに録音している。
それまでのキャリアは十分でミュージシャン仲間の間では評価が高かったが、ようやく世間一般に広く認知される時が来た、ということだろう。

先の2作とは違ってこちらはハンク・ジョーンズ、ジョージ・デュヴィヴィエ、エルヴィン・ジョーンズがバックを固める東海岸の濃いジャズとなっていて、作風の対比が面白い。
オジー・カデナはビ・バップ期から活躍していたオーセンティックなアーティストはサヴォイ、ハード・バップ期に頭角を現した新しめのアーティストはリージェント、という
感じで振り分けをしていたような印象がある(但し例外もあって、あまり厳密な感じではなかったようだ)が、アダムスはやはり後者からのリリースになっている。

後にサン・ラで活躍するバーナード・マッキニーのユーフォニウムとの2管編成という低音に寄せたサウンドが暗くシブい。そこにハンク・ジョーンズのいぶし銀のピアノが
重なって、シブさは更に磨きがかかる。まだ若いエルヴィンのおとなしいリズムと寡黙なデュヴィヴィエの重い低音がヴァン・ゲルダーの暗い残響で満ちた空間の中で踊る。
スタンダードもなく、どこまでも地味で人目を惹くところもないが、このジャズの本道とも言うべき独特のマイナー感に眩暈を覚える。

レーベル・カラーというのは不思議なもので、そんな話は非合理的なようでいて、でも確かにそういうものが存在する。サヴォイのアルバムはそれがベテランのものであろうが
新人のものであろうが、どこか古びていてうらぶれたような錆が浮いたようなムードが漂っているが、このアルバムにも同じ空気というか匂いを感じる。ヴァン・ゲルダーの
録音だが彼らしい音場感はなく、全体的にくすんだ色彩の沈み込むようなサウンドで、それがそういうムードをより煽っているのかもしれない。レコーディング・デビューして
まだ間もない人が残すにはあまり相応しくない老成した内容だが、聴く側の人間も枯れてくるとこのくらいの地味さがちょうどよくなってくる。



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ペッパー・アダムスの初々しい姿

2025年03月29日 | Jazz LP (Mode)

Pepper Adams / Quintet  ( 米 Mode Records MOD-LP112 )

ペッパー・アダムスの自己名義のリーダー作としてはこれがデビュー作ということになる。1956年頃に西海岸に行った際にレコーディングの機会を得たのだろう。
カール・パーキンス、ルロイ・ヴィネガー、メル・ルイスの鉄壁のトリオと実力者スチュ・ウイリアムソンを相方にした、メンバーに恵まれた幸先のいいデビューだった。

既に完成された演奏技術で長いソロを吹き切る姿は圧巻。"Baubles, Bangles And Beads" での疾走するロング・ソロは驚異的で、粒立ちのいい豊かな低音をこのスピードで
吹き切ることができるのはこの人以外にはいない。バリトンということを横に置いても、サックスでここまでの演奏ができる人はなかなか見当たらないのではないだろうか。

スチュ・ウイリアムソンは西海岸で活動してベツレヘムに残したリーダー作は典型的なウエストコースト・ジャズで魅力に乏しいが、その演奏は良くて、音色もフレージングも
耳を奪う素晴らしさがある人。ここでも短いながらもしっかりとした演奏で併走している。ヴィネガーのベースが重低音でよく鳴っていて、サウンドも安定している。
このメンバーなので西海岸風の味付けの楽曲も交じっていて、それが足を引っ張っているせいでアルバム全体の印象は及第点といった感じだが、B面後半のスタンダードの
バラードやアダムスのオリジナル "Muezzin'" は東海岸の雰囲気に満ちた素晴らしい仕上がりだ。

MODEは西海岸のレーベルなので基本的に興味がなく、そのほとんどのタイトルは聴いてこなかったが、中には自分の趣味に合うタイトルが混ざっていることもあって、
そういうのは割としつこく聴き続けている。聴き続けていると良さも見えてくるし、そうなると愛着も湧いてくるから手元に残ることになる。



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CoolというよりMatureなヴァーヴ期

2025年03月22日 | Jazz LP (Verve)

Lee Konitz / Very Cool  ( 米 Verve Records MG V-8209 )


ヴァーヴ期のコニッツは "ウォーム" だと言われることが多いが、実際はアルバムによって表情がかなり異なっていて、簡単にそういう一言では括れない。
トランペットとの2管編成であることやげんなりするジャケットからこのアルバムまで丁寧に聴く人はそんなに多くはないだろうが、このアルバムは非常に出来がいい。
全編がトリスターノ・マナーとなっていて、言わばストーリーヴィル時代の音楽の発展形が記録されているのだが、時間の経過が音楽を更に成熟させているからだ。

コニッツは1953年頃からサル・モスカ、ピーター・インドらトリスターノ門下生たちをバンドを組んでおり、そのメンバーでストーリーヴィルに録音を残したが、
このバンドはその後もしばらくは活動を続けていて、1955年には同じくトリスターノの下で学んだトランペット奏者のドン・フェラーラも参加し、バードランド、カフェ・
ボヘミア、ハーフノートなどのジャズ・クラブで盛んに演奏した。その成果がこのアルバムにいい形で集約されている。

A面にはフェラーラが書いたオリジナルが2曲置かれているがこれがトリスターノ楽派の内容で、コニッツがストーリーヴィル時代にやった音楽そのままだ。門下生であれば
誰が書いても同じような曲になるのが面白い。B面には "Billie's Bounce" が当たり前のように置かれているが、これがパーカーから遠く離れた独特のスタイルで演奏されており、
パーカーを相対化することでトリスターノの音楽が発展していったことが端的によくわかる。

コニッツの音色はストーリーヴィル時代のそれと酷似しており、硬質で厳しい表情も交えながら素晴らしいソロを取っている。時代が進んだ分だけストーリーヴィルの
レコードよりも録音がいいこともあり、アルトの鳴りの良さがうまく捉えられていると思う。その骨太さが音楽全体をしっかりと支えて、トリスターノの匂いを薄めて
バンドとしての自立した音楽へと成熟させているところが何よりも素晴らしい。

それにしても。このジャケット、どうにかならなかったのか。ウイリアム・クラクストンが撮った写真だとはとても信じられない。



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ミンガスの盟友たちの実力

2025年03月15日 | jazz LP (Metro Jazz)

The Pepper-Knepper Quintet  ( 米 MetroJazz E1004 )


ペッパー&ネッパーと韻を踏んだタイトルが如何にもという感じだが、おそらく2人がミンガスの下で演奏していた時の縁から作られたアルバムなのだろう。
アダムスがドナルド・バードとグループを組む直前に録音されている。カラフルな色使いのデザインや下から見上げる構図が印象に残るジャケットだ。

バックはウィントン・ケリー、ダグ・ワトキンス、エルヴィン・ジョーンズという豪華で珍しい組み合わせで、この3人の顔合わせは他にはあまり記憶がない。
3人が3人とも独特の違うタイム感の持ち主だから一見すると水と油のようだが、これが素晴らしいドライヴ感とパワーで演奏を下支えしている。特にワトキンスの
イン・テンポなベースが見事で、音楽に疾走感をもたらしている。

ネッパーの音色は暗く少し汚れたような感じで、タンギングの仕方も他のトロンボーン奏者のような滑らかさ重視ではないので腹にズシンとくる。それに加えて
アダムスの重戦車のようなバリトンの音色がバリバリと雷鳴のように響く。この凄まじい音響感は筆舌には尽くしがたい。ペッパー・アダムスはどちらかと言えば
小柄で痩せた人なので、その外見からはこんな大きな音とスピード感でバリトンを吹くということがうまく想像ができず、そのギャップには毎回驚かされてしまう。

両面の中盤にエリントンのバラードを配しているところにも特徴があって、それが音楽全体のムードに一種の格調高さを与えている。ただの圧の高いハードバップ
では終わらせないという工夫が施されているのは明らかだろう。ウィントン・ケリーのピアノの独特の音色と清潔なフレーズの良さが際立つ。

ハードバップ全盛期に録られたこのアルバムはテナーとトランペットというフォーマットではなかったことやネームヴァリューのあるレーベルではなかったということで
ほとんど聴かれることなく素通りされているが、メンバー1人1人がベストな演奏をした圧巻の内容。おまけに音がとてもいい。楽器の音がクリアで生々しく、適度な
残響感があり、音圧も非常に高いジャズ愛好家が泣いて喜ぶ理想的なモノラル・サウンドだ。このレーベルは大手MGMのジャズ部門が50年代後半に使っていた名前だが、
自営業で自身の名前を広告する必要があったヴァン・ゲルダーなんかとは違い、録音技師の名前がクレジットされなかったせいでそのサウンドが評価されることがないのは
残念なことだといつも思う。



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都会の孤独と喧騒

2025年03月08日 | Jazz LP (Verve)

Kenny Burrell / Asphalt Canyon Suite  ( 米 Verve Records V6-8773 )


ケニー・バレルはギター好きの私にとっては名盤だらけでどれを聴いても存分に楽しめるアーティストの1人だが、ヴァーヴ後期の中でも特に好きなものの1枚がこれ。
バックが大編成なものは純ジャズではないと敬遠されるが、そうやって聴かれることがないまま時が過ぎ、いつまで経っても評価されずに埋もれていくアルバムの
何と多いことか。ヴァーヴ後期には、エヴァンスを除いて、そういうアルバムが多数眠っている。

タイトルからもわかる通り、都市生活者の孤独を静かに語るようなこのアルバムにはバレル特有の切ない音色の効果もあり、寂寥感に満ちた音楽が詰まっている。
A面のすべてを使い切る組曲ではバックのオーケストラの伴奏は極限まで控えめでデリケートにサポートしていて、孤独な人々の独白を邪魔しない。
メロディーは憂いを帯びて優しく切なく響き、まるで孤高の映像作家が残した単館公開用映画のようなモノクロの情景が流れていく。
B面になると孤独の時間が過ぎて街が眠りから覚め、人々が黙々と動き出す時間が始まる。各々がそれぞれの目的地に向かって寡黙に動き出す様が映し出される。
そうやって極めて情景的な音楽で全編が構成されている。

特に複雑なことや高度なことをやらなくても、これだけ聴いている人の心を動かすことができる音楽があるのだということが端的に提示されているところが素晴らしい。
バックの演奏が過度な主張をせず、ケニー・バレルが常に中央にいて、彼にすべてを語らせるという建付けがよかったのだろうと思う。

アルバム冒頭、最初の1音でケニー・バレルとわかるその音色はまるで琥珀のよう。また、どのパッセージも如何にもバレルらしい旋律で、聴いていて嬉しくなる。
ブルーノートの頃の演奏は若く、まだまだという感じだったが、この頃になるともう演奏は円熟味を増して、これ以上ないくらいに落ち着いた風格が漂う。
最初のピークはこの頃だったんだろうと思う。


ジャケットの裏面が、これまた泣かせるのだ。







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ひねくれもののコーラス

2025年03月01日 | Jazz LP (Vocal)

The Hi-Lo's / Listen !  ( 米 Starlite ST 135 )



The Hi-Lo's / I Presume  ( 米 Starlite ST 6005 )



The Hi-Lo's / On Hand  ( 米 Starlite ST 7008 )



The Hi-Lo's / I Presume  ( 米 Starlite ST 7007 )



The Hi-Lo's / Under Glass  ( 米 Starlite ST 7005 )



The Hi-Lo's, and The Jerry Fielding Orchestra  ( 米 Kapp Records KL 1027 )


ジャズのコーラス・グループと言えば何といっても1948年に結成されたフォー・フレッシュメンということになるが、そこから遅れること5年後の1953年に結成された
ハイ・ローズの歴史はいかにフォー・フレッシュメンとは違うハーモニー・スタイルでやっていくかという苦労の軌跡だったと言っていい。偉大なスタイリストの真似を
することなく、そこからいかに遠くまで行けるかを模索した試みがこのスターライト・レーベルのレコードに克明に記録されている。

フォー・フレッシュメンの豊かで洗練されたハーモニーとは違い、ハイ・ローズのそれは豊かさや心地よさを捨て、4人の声が四方八方に飛び散るような拡がり方をする。
曲芸的なフレーズも随所に取り入れ、一般的なコーラス・グループの概念を壊しにかかる。だからリッチなハーモニーの愉楽を期待する向きには概ね不評を買う。
でも、彼らにすればそういう評価は当然織り込み済みだっただろう。

フランク・カムストックにしてもジェリー・フィールディングにしても音量の大きいうるさめのオーケストラが後ろについているので、音楽は迫力があり、スケールも大きい。
そういうところでもフォー・フレッシュメンとは差別化を図ろうとしていたようだ。いずれにしても、あらゆる面で意思を持って違う音楽をやっていたのだと思う。

カリフォルニアのマイナーレーベルだった "Starlite" はどういう会社だったのかはよくわからないが活動期間は短く、レコードもほとんど残っていない。一部の音源は
KAPPに移り、そこから再リリースされているタイトルもある。彼らはこの後コロンビアと契約してメジャーな存在となっていき、中心メンバーのジーン・ピュアリングは
1967年にシンガーズ・アンリミテッドを結成し、コーラス・グループの新しい規範を作り上げていく。その土台となったのがこれらの初期のレコード群ということになる。



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温かい存在感

2025年02月22日 | Jazz LP (ABC-Paramount)

Lucky Thomson / Featuring Oscat Pettifford Vol.1  ( ABC-Paramount Records ABC-111 )


リーダー作のあまり残っていないラッキー・トンプソンの実像は分かりにくい。ビ・バップ時代から活動していてパーカーやマイルスとも共演していてメイン・ストリームの
真ん中にいたが、キャリアを通じてレコード作りには積極的ではなく、早々に渡欧したこともありレコードがあまり残っていない。演奏スタイルもホーキンス/レスターと
ロリンズ/コルトレーンの中間にいるような感じだったし、音楽的にもハード・バップの波には乗らず独自の道を歩いたようだ。

そういう彼の姿が割とよくわかるのがこのレーベルに残された2枚のアルバム。リーダー気質の強いペティフォードと組んだのでリーダー作としてのフォーカスが甘い意匠
になっているが、トロンボーンを入れたクインテットだったりベースとギターとのトリオだったりと複数のフォーマットで演奏されていて多面的な作りになっている。
トロンボーン奏者の表記は "Jim Whatsmyname" というふざけた名前になっているが、これは当時エマーシー専属だったジミー・クリーヴランドのことである。

腕の確かなクリーヴランドと互角に渡り合う演奏は堅牢で見事だし、ワンホーンで吹くバラードはベン・ウェブスターを思わせる深みがあり、素晴らしい。
テナーの音は終始ソフトな質感が維持されていて、フレーズをなめらかに歌うように紡いでいく感じがゲッツやズートと似ている。だからVol.1のB面のようなワンホーンの
スタイルが好ましい。"Body And Soul" のコード進行で演奏される "A Lady's Vanity" なんかは原曲のイメージを生かしながらも官能性を漂わせていて、この人独自の個性が
よく表れていると思う。一歩間違うと下品になりそうなところを踏み止まり、上質な演奏に仕上げるところに底力を感じる。

この後フランスに渡り、現地のミュージシャンらと録音を残したりするが内容はパッとせず、一時アメリカに戻りプレスティッジに数枚残してまた渡欧して、という感じ
だった。ただ、音楽シーンを変えるような作品を残すことはなかったが、その演奏は心に残るもので、私のような古いレコードでジャズを聴くのが好きな変わり者の心を
ひっそりと温めてくれる存在だった。




Lucky Thomson / Featuring Oscat Pettifford Vol.2  ( ABC-Paramount Records ABC-171 )



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物真似は果たしてジャンクなのか

2025年02月16日 | Jazz LP (Argo)

Jazz University's New Kicks / Morris Grants Presents J.U.N.K ( 米 Argo Records LP 4006 )


大の大人たちが大真面目におふざけしたレコードだが、失笑して聴きながらも色々と考えさせられるところがある。ジャケットには明記されていないが、演奏しているのは
Jordan Ramin (sax)、Doc Severinsen (tp)、Bernie Leighton (p)、Triggar Alpart (b)、Don Lamond (ds) たちで、ブルーベック・カルテット、マイルス・デイヴィス・グループ
(キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン)、エロール・ガーナー、オーネット・コールマン(ドン・チェリー、チャーリー・ヘイデン)、ズート・シムス、ジェリー・マリガン、
チェット・ベイカー、ジーン・クルーパー、メイナード・ファーガソン、セロニアス・モンクらの物真似をしていくというキテレツさで、J.A.T.P. のパロディー形式でコンサート
MCが曲を紹介し、観客の大歓声がオーバーダブされている。

どの演奏も実によくその特徴を捉えており、そっくりと言ってもいい演奏が次から次へと現れてくるのは圧巻だ。たださすがにボロが出るからか長尺の演奏はなく、どの演奏も
断片的というか短いワン・ショットで、それらをリレー形式で繋いでいく。そういうところもJ.A.T.P.っぽい。デスモンドとブルーベック、マイルス、マリガン、オーネット、
モンクは本人かと思うほどよく似ていて、キャノンボールやコルトレーンはちと苦しいかという感じだが、そこはご愛敬。オーネットのグループの演奏が始まるとブーイング、
終わった後は数人がパラパラと拍手するだけだったり。徹頭徹尾、ジョークが行き届いている。とにかく聴いていてニヤニヤが止まらない。面白いなあ、笑ってしまう。

本人たちは "ジャンク" と言い切っているが、果たしてそうだろうか。これを聴いて思うのは、偉大なスタイリストたちの演奏の特徴は誰でも真似ができる、つまりその人しか
演奏できないような特殊なものではなかった、ということだ。にもかかわらず彼らが偉大だったのは、それを自らの手で誰もが素晴らしいと感じられるような普遍的な形で
生み出すことができた、ということだろう。物真似はその対象への愛がなければ出来ないとはよく言われることだが、正にここにはその理想形があるのだ。ここまで徹底した
形で創り出されるパノラマには大きな情熱が込められているし、嫌みや妬みのような感情は一切なく、純粋な愛情しか感じられない。そこが素晴らしいと思うのだ。

聴いていてこんなにも愉しく幸せな気分になれるレコードが他にあるだろうか。こんなものを作ってしまうアーゴというのは不思議なレーベルである。



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もう1つのワンホーンアルバム

2025年02月08日 | Jazz LP (Columbia)

J.J. Johnson / A Touch Of Satin  ( 米 Columbia Records CL 1737 )


J.J. のもう一つのワンホーンがこのアルバムで、先の "Blue Trombone" よりもこちらの方がアルバムとしては親密な感じで好ましいと思っている。
ヴィクター・フェルドマン、サム・ジョーンズ、ルイス・ヘイズがバックにつくカルテットで、メンツ的にも負けていない。ピアノがフェルドマンというのがミソで、
黒人ピアニストとは明らかに違うムードを持ち込んでいるのが効いている。サム・ジョーンズのリズム・キープも凄くて、アップテンポでの彼のプレイは圧巻だ。

セロニアス・モンクの "Jackie-ing" をやっているのが嬉しい。モンクの曲想をうまく表現した演奏で、アルバム全体の良さに花を添えている。J.J. はモンクとの共演もあるし、
彼の楽曲も好きだったようだ。また、"聖者が街にやってくる" なんて古い曲も彼の手にかかればこんなにもモダンな曲に生まれ変わる。どの曲もスッキリとしていて、
彼の音楽の作り方がよく表れている。

ワンホーンの演奏を聴いていると、彼のフレーズ1つ1つが実によく歌っていることがわかる。マンハッタン・トランスファーが "ヴォーカリーズ" というアルバムを作って
クリフォード・ブラウンやソニー・ロリンズの演奏をヴォーカライズした際に一緒に取り上げたのがカウント・ベイシー・オーケストラの "Rambo" で、この中でJ.J. が取った
アドリブ・ソロを鮮やかに歌った。これだけでも、J.J. はブラウニーやロリンズに並ぶ歌い手であることの証明と言っていい。





J.J. Johmson / A Touch Of Satin  ( 米 Columbia Records CS 8537 )


このステレオプレスも "Blue Trombone" と同じで、演奏の途中でバックの演奏の再生レベルが急に落ちて音が聞こえなく箇所が複数回出てきてがっかりさせられる。
なんでこんなことになっているのかよくわからない。いい演奏が台無しで、コロンビアへの信頼性に傷がつくレコードになっている。



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Blue Trombone の問題点

2025年02月01日 | Jazz LP (Columbia)

J. J. Johnson Blue Trombone  ( 米 Columbia Records CL 1303 )


私が学生時代に愛読していた油井正一先生の「名盤100選」にはJ. J. の最高傑作としてこのアルバムが載っていて「これは聴かねば」と思っていたが、当時このレコードは
あまり出回っていなくて、実際に聴くことができたのは他の名盤たちと比べるとかなり遅い時期だった。そして満を持して聴いた感想は「なんか音悪い」という失望だった。
その時聴いたのはCBSソニーの国内盤でイコライザーカーブなんてことも知らなかったので、まあ当然だった。その後コロンビア原盤を手にしてイコライザーカーブも
触ったりするようになって上記不満は解消したが、それでもこのモノラル盤は鮮明な音という感じではなかったし、今聴いてもその感想は変わらない。
この原因は録音が1957年4月と割と早い時期だったこともあるだろうし、J. J. の音色がもともと鼻のつまったようなくぐもった感じだったことも影響しているのだろう。

他にも疑問に思うのは、アルバム・タイトルにもなっている "Blue Trombone" というこのアルバムの中核になるはずの曲がA面とB面に分断されて収録されていることだ。
A面最後に置かれたこの曲は途中でフェイド・アウトされて、B面トップでフェイド・インして再開する。この曲はアルバムの中では最もジャズっぽい曲で、各人のソロも
充実した力演になっているが、それをこういう形で編集する神経が理解できない。こんなことをするくらいなら、他の曲を1曲落としてでもノーマルな形で収録するべき
だったと思う。こういう大手レーベルのプロデュース側の我の強さというかエゴには辟易とさせられる。マイナー・レーベルだったらこんなことはありえないだろう。




J. J. Johnson / Blue Trombone  ( 米 Columbia Records CS 8109 )


モノラルの音に不満があるので当然ステレオ盤も聴いてみると、案の定、音場感や楽器の音色の輝かしさではこちらの方がずっといい。ところがこのステレオ盤には致命的な
問題があって、もろ手を挙げて薦めることができない。それはいくつかの曲で、演奏の最中に再生レベルが急に落ちてピアノやベースの音がしばらく聴こえなくなる箇所が
複数でてくるからだ。これはもちろんミキシングミスによるレコード制作時の技術的な問題で、演奏者には何も非はない。普通こんな初歩的なミスはステレオマスターを
プレイバックした時にすぐに気付くはずだが、それをせずにレコード化されたということだろう。後発プレス時に修正されているのかどうかまでは未確認だが、これは検査不良
による単なる欠陥品で、本来であれば市場から回収されるべきものだったのではと思う。


という具合いで、演奏者とは何の関係もないレコード制作上の瑕疵のせいで、その演奏を純粋に楽しむことができないのがこのいわゆる「代表作」だ。
このアルバムの印象にはロリンズの "Saxophone Colossus" に共通するある種の品格の良さのようなものがあって、こういう要素がこれらのアルバムをして「最高傑作」と
呼ばせている理由なんだろうと思うけど、私はサキコロがロリンズの最高傑作だと思ったことはこれまでに1度もないし、さほど好きな内容でもないのと同様に、このJ. J. の
アルバムも非常によく出来た演奏ではあるけれど、居心地の悪さを感じざるを得ない。この2枚に共通するのはトミー・フラナガンとマックス・ローチの演奏だが、この2人に
共通するお行儀の良さがどうも引っかかる。ここで言う「お行儀の良さ」という言葉は「退屈さ」と読み替えてもいいのだけれど、敢えてそう書かないのはその演奏が非常に
優れた技術力がなければなしえないもので、確かに素晴らしい演奏であることはよくわかるからだ。ただ、その抑制さ加減は例えばマイルスやエヴァンスの、そうしなければ
いられないというヒリヒリした感覚とは本質的なところで違っている。

と、これまたJ.J. とは関係ないところの話へと逸れてしまうが、肝心のJ.J. の演奏はどうかというと、こんなトロンボーンの演奏は他では絶対に聴けないよなと思うような
演奏だと思う。スライド・トロンボーンを吹いているとはとても思えない、音の1つ1つの粒立ちの良さというか音の独立性の高さが尋常ではないし、それでいてフレーズ全体は
なめらかでよく歌っている。彼がモダン・トロンボーンの開祖と言われる所以である。この演奏の対極にいるのはベニー・グリーンで、スライドの特徴を極限まで推し進めた
あの演奏を想うと、J.J.の特異性が際立つ。冒頭の "Hello, Young Lovers" などはそのままヴォーカリーズにしてしまえそうなフレーズばかりで、スピード感も素晴らしい。
ただ、J.J. の良さ以外のところで色々と引っかかりがあって、演奏や音楽に何もかも忘れて聴き入ることがしにくいアルバムだなというのが長年聴いてきた中での感想だ。



コメント (2)
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