廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ガーランドの一番好きなアルバム

2024年11月02日 | Jazz LP (Prestige)

Red Garland / All Kind Of Weather  ( 米 Prestige Records PRLP 7148 )


気候変動で生活様式がすっかり変わってしまったような気がする。昔は天候の移り変わりが穏やかで、四季折々の中で風情を感じたものだったが、今は暑いか寒いかの
どちらかしかないような感じになっている。だから、これから先はこういう風に季節や天気のことを想って歌が作られることはもうないのかもしれないと思ったりする。

四季に風情があった頃に作られたこれらの歌には美しいメロディーや深い情感が込められていて、レッド・ガーランドのような人が演奏するにはうってつけだ。
私はガーランドのレコードの中ではこれが1番好きで、もう30年以上聴き続けている。このアルバムの演奏の中には他のアルバムにはない優雅で上質な空気感が溢れていて、
ガーランド美学の静かな頂点を見る思いがする。

シナトラやスー・レニーが歌った "Rain" を軽快にドライヴして幕が開き、物憂げな "Stormy Weather" 、如何にもガーランドらしい "Spring Will Be A Little Late Thie Year"、
夢見るようなテンポでスイングする "'Tis Autimn" など、楽曲の素晴らしさを最大限に引き出すことに成功した演奏が圧巻。また、アート・テイラーのドラムが素晴らしく、
彼の代表作と言ってもいいような演奏でトリオを後押ししている。

短い期間に集中的にありとあらゆるスタンダードをたくさん録音しているのでどの演奏も似通った内容ですぐに飽きてしまうガーランドだけど、このアルバムだけは
例外的に長年聴いていても飽きない。気候に想いを馳せると人は名曲を書くというのはなんだか不思議な話だけど、このアルバムを聴いているとどうやらそれは間違い
なさそうだし、だからこそこういう企画のアルバムが作られて素晴らしい演奏が実現したのだろう、とようやく涼しくなった外の空気を肌に感じながら聴いている。



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処分前の備忘録として

2024年10月14日 | Jazz LP (Riverside)

Dexter Gordon / The Resurgence Of Dexter Gordon  ( 米 Jazzland JLP 29 )


無類のデックス好きの私も、長年記事にするのを躊躇していて手をこまねいていたのがこのアルバム。ドラッグが原因で50年代にまともな記録を残せなかったデックスが
出所後にブルーノートと契約する直前の隙間を縫ってジャズランドに1枚だけ残したのがこのアルバム。1960年10月13日、ロザンゼルスで録音されている。

デックスの演奏自体は何も悪いところはないのだが、如何せんアルバムとしての出来が悪い。3管編成というデックスにしては異色のフォーマットだが、音楽的な纏まりが
なく、散漫な感じで聴きどころがない。デクスター・ゴードンのリーダー作ということでハードバップを意図した企画だったはずだが、トランペットとトロンボーンが
無名の演奏者で力が弱く、ハードバップとして成立していない。演奏されている楽曲も出来が悪く、音楽的な印象がまったく残らない。

セクステットにしたのは第一線に復帰して間もないデックスを補助するための配慮だったのだろうと思うが、それが裏目に出たように思える。本来はワンホーンで朗々と
吹いていくところにこの人の持ち味があるわけだが、それがここでは封印されているのでデックスのアルバムを聴いているという実感が何もなく、凡庸な3管ジャズを
聴いているというだけに終始する。かと言って、ほかの奏者の演奏に聴きどころがあるわけでもないので、こちらの集中力もすぐに途切れてしまう。

裏ジャケットのライナーノートには伝説の巨人をレーベルに迎えられた喜びが書かれているが、残念ながら後味の悪いアルバムとなってしまった。これは完全に企画ミス
だったと言えるだろう。どうせならレーベルお抱えだったウィントン・ケリーのピアノトリオをバックにワンホーンでスタンダードをやればもっといいアルバムになった
はずだと思う。デックスが収監されていた施設が西海岸だったということも、彼を生かしたアルバムが作れなかった背景にある。50年代にわずかに2枚だけ残された
アルバムもレコードとしての有難みは別にして、内容はデックス本来のポテンシャルが十二分に発揮されたものとは言い難く、これはジャズの歴史における重大な損失の
1つに数えられる。この穴を埋めようとして60年代にはブルーノートに一連の傑作を残すわけだが、あの演奏は本来なら50年代に残されていたはずの演奏だった。
他の契約アーティストたちがみんな60年代という新しい時代に向けた音楽を模索していた中、デックスだけが威風堂々と50年代のジャズを録音していたわけだから。

そんなわけで、このアルバムは聴くことがまったくないので処分しようと思ったが、その前に記録だけは残しておこうということでここに記しておくこととなった。
古いサヴォイの録音やダイヤルへの録音も同様に好きになれず随分前に処分したが、そちらは記録に残しておくのを失念しており、その反省を踏まえての今回の記事
ということで。



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R.I.P Benny Golson

2024年09月28日 | Jazz LP (Riverside)

Benny Golson / The Other Side Of Benny Golson  ( 米 Riverside Records RLP12-290 )


ベニー・ゴルソンの訃報が飛び込んできて、「そうか、残念だな」と悲しい気持ちでレコード棚を眺めた1週間だった。

薄々気付いてはいたけれどゴルソン絡みのレコードはたくさん棚の中にあって、果たしてどれを献花として手向ければいいかよくわからなかった。一番彼らしいレコードは
一体どれなのか、私が一番好きなレコードはどれなのか。でも、これまでに結構彼のレコードは取り上げてきているし、同じものをまた取り出してくるのも芸がない。

このアルバムは彼の代表作というほどの重みはないけれど、よく出来ているアルバムだ。アザー・サイドというタイトルはどういう意味で付けられたのかよくわからない。
彼が書いた有名な曲は外してそれ以外を取り上げているということなのか、ハーモニー重視ではなく標準的なハードバップ・スタイルの演奏だからということなのか、
いずれにしてもあまり目を引くとこはない地味な位置付けにあるように思う。でも、RVGのような特定の色付けはされていないリヴァーサイドらしいナチュラルなサウンドが
ゴルソンのサックスの音色を割と的確に捉えているし、親しい相棒のカーティス・フラーとの演奏ということで鉄板のスタイルは揺るぎない。このアルバムを聴けば、彼の
テナーがモゴモゴしているという批判には当たらないことがよくわかるだろう。フィリー・ジョーのドラムがいい具合に効いていて、音楽が踊っている。

レコード棚を漁っていて気が付いたけど、ゴルソンはマイナーなレーベルは別にしてほとんどのレーベルに録音、若しくは何らかの形で関与している。おそらくまったく
縁がなかったのはパシフィック・ジャズくらいではないだろうか。そう考えると、彼の存在の重みやジャズの世界への貢献度合いがよくわかってくる。彼がいなかったら
ハードバップという音楽にはこれほどの色彩の豊かさはなかっただろうし、映画やミュージカルの楽曲をスタンダードという形で導入した流れと互角に張り合った楽曲を
書くことができた筆頭の人だった。私がハードバップという音楽に一番惹かれたのは結局のところ、彼の作ったハーモニーだったり彼の書いたメロディーだったのだ。

彼を失った悲しみの中でのささやかな慰めは彼が最後に来日した際の演奏を間近で観ることができたことだ。半年後にコロナ禍で世界が一変するなどとは想像すら出来なかった
あの頃、また日本に来てくれたら観に行こうと楽しみにしていたのだが、あれが最後になってしまった。それでも、あの時のステージでの演奏や彼がステージの上で語った
ブラウニーの話は今でもよく憶えているし、その温かい人柄の温もりは私の中にしっかりと残っていて、この先も消えることはないだろう。

彼の残したレコードはまだまだ他にもあるから、これからも折を見て取り上げていければと思う。彼の音楽を忘れることはないのだから。



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未だに謎が解けないレコード

2024年09月16日 | Jazz LP

The Hank Babgy Soultet / Opus One  ( 米 Protone Hi-Fi Records And Recorded Rapes HBS-133 )


ユニオンのセールに出ているのを見て、そう言えばもう何年も聴いていないなあと思い出して久しぶりに棚から取り出してきたレコード。買った当時はよく聴いていたが、
この手のレコードは飽きるとまったく聴かなくなってしまう。おそらく10年振りくらいに聴き返してみると、やはり感銘を受ける内容であることを確認できた。

リーダーの名前も知らなければ他のメンバーもまったく知らない、おそらくはローカル・ミュージシャンの集団で、レーベルも他にジャズのレコードを出してはいないらしく、
とにかく謎だらけのレコードでこういうのは非常に珍しい。にも関わらず、モノラルとステレオの両方をリリースしているらしく、64年という時期を考えれば当然なのだが、
それにしてもその入念な販売状況からもしかしたらこの演奏を残すためにわざわざ立ち上げられたのか?と勘ぐってしまうほどだ。とにかく音が凄くいい。

そういう謎だらけにもかかわらず、欧州ジャズのような楽曲の雰囲気や演奏レベルの異様なまでの高さから一体これは何なのだ?と聴いていいて訳が分からなくなる。
それでも楽曲の出来は当時の欧州ジャズなんかよりも遥かに上回っていて凄いとしかいいようがないし、演奏も誰か名うての名人が覆面で演奏してるのかと思うような
レベルだが、ジャケットの裏面を見ると彼らの写真が載っていてそういうことでもないらしい。

そういう何が何だかさっぱりわからないところが常に居心地の悪さを誘発するが、それでも呆気にとられながらもあっという間に全編を聴かされてしまう。このレコードが
日本で「発見」されたときはそのモーダルでメロウな雰囲気が大ウケしたようだが、大事なのは最後まで一気に聴かせるその勢いだろう。当時のジャズの主流からは外れた
ところでこういう音楽が演奏されていたという事実が驚異的だし、こういう音楽が発売当時に評価されなかったのは当時のジャズ・ジャーナリズムの荒廃ぶりを物語っている。

無名のローカル・ミュージシャンたちが作ったレコードといえばアーゴのレコード群を思い出すけれど、それらとはまったく違う質感の演奏で、アメリカのジャズの層の厚さを
思い知らされることになる。そういうレコードだから稀少盤になってしまうのも無理もないが、ただこれは弾数が少なくて珍しいだけの中身のない稀少盤ではない。
手元にあるのはモノラルプレスなので、これがステレオプレスで再発されたらおそらくは買ってしまうだろうと思う。



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Left Alone の名唱

2024年09月01日 | Jazz LP (Riverside)

Teri Thornton / Devil May Care  ( 米 Riverside Records RLP 12-352 )


リヴァーサイドが作ったヴォーカル作品はどれも1級品で唸らされるものばかりだが、これもそういう1枚。
テリー・ソーントンはデトロイト生まれで50年代から地元でキャリアをスタートさせていて、コロンビアからも何枚かリリースしてはいるものの
作品には恵まれず、広くその名前を知られることはなかった。声質や音楽のタイプは違うけれど、デラ・リースやダコタ・ステイトンなんかと
その存在のイメージが被る。実力と人気・知名度のバランスが悪い。

ジャズ専門レーベルのいいところはバックを務めるミュージシャンが豪華なところだろう。レーベルゆかりのミュージシャンがざくざくと参加
していて、その演奏を聴くだけでも価値がある。このアルバムもクラーク・テリー、セルドン・パウエル、ウィントン・ケリー、サム・ジョーンズ、
ジミー・コブらが参加していて、この時期特有のリヴァーサイド・ジャズの濃厚な雰囲気が立ち込める。

若い頃のデイオンヌ・ワーウィックに少し似た声質でしっかりとしたタッチで歌っていく。選曲が通好みでなかなかシブくていい。
そして、何といってもこのアルバムの目玉はビリー・ホリデイの "Left Alone" が収録されているところだ。ビリー自身はレコードに収録しなかった
のでこの曲を歌唱として聴けるアルバムはそれだけで価値があるが、なぜかどの歌手もまったく収録していない。畏れ多かったのか、それとも
何か別の理由があったのか、そのあたりの事情はよくわからない。ジャッキー・マクリーンの演奏をイメージすると少しその違いに戸惑うかも
しれないが、それでもこの曲特有の哀感にヤラれる。

ゴージャスなオーケストラをバックに歌うものもいいが、こういう我々が普段よく聴いているミュージシャンたちの演奏に囲まれて歌っている
アルバムには格別の良さがある。ヴォーカルと各楽器が等価の存在として不可分に絡み合いながら音楽が築かれていくところが素晴らしい。



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廉価レーベルのオリジナル

2024年08月18日 | Jazz LP (Vocal)

Mel Torme / The Touch Of Your Lips  ( 米 Venise 7021 )


メル・トーメのレコードを探していく過程で懸案となるのは、廉価レーベルからリリースされているアルバムの存在である。

これはジャズに限った話ではないが、アメリカのレーベルにはメジャーレーベル、マイナーレーベルとは別に、廉価レーベルというのががある。
まあマイナーレーベルと言えばマイナーレーベルなんだけど、その中でも際立って資金力が乏しく、粗悪な材質でレコードを製造し、販路も
正規のレコード店ではなくスーパーやドラッグ・ストアなんかがメインだった。カタログの内容も、レーベル独自の企画もあれば別の会社が
録音したものを買ってきたものもある玉石混淆で、訳がわからない。

よく知られているところでは、Royale、Allegro、Tops、Remingtonなんかがあって、これらが暗躍したのは主にクラシック音楽である。
クラシック音楽の世界ではアメリカというのは巨大な未開の地だったのでレーベルや権利関係がいい加減で、そのせいで製作されたレコードも
かなり混乱していたが、だからと言って無視できる存在ではなく、例えばジョルジュ・エネスコのバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集なんかは
完品が市場に出れば3百万円は下らない値段が付く。そういう中でジャズのレコードも僅かではあるが制作されていて、その中にメル・トーメの
レコードがいくつか含まれる訳だ。

このVeniseという聞いたことがないレーベルから出ているレコードもどうやらこれがオリジナルのようである。デイヴ・ペルのプロデュースで
マーティー・ペイチが編曲と指揮をしているとのことだが、本当かよ?と疑ってしまうような作りのチープさに困ってしまうのだが、更に困って
しまうのが、この内容の素晴らしさである。甘美なストリングスをバックにしっとりと歌い上げたブルー・バラード集で、同時期にベツレヘムから
出された "It's A Blue World" と似た内容だが、こちらの方が出来がいい。完璧に抑制された歌い方で丁寧に歌われる曲はどれも素晴らしくて
聴き惚れる。音もクリアで艶やかで、廉価レーベルのレコードとはとても思えない。





Mel Torme / Sings  ( 米 Allegro Elite 4117 )

アレグロ盤特有のスカ盤の10インチでこれ以上のチープなレコードは他にはない感じだが、これもれっきとしたオリジナル。
こちらは若い頃の歌唱のようで音質もあまりよくないが、これでしか聴くことのできないものばかりで貴重な1枚。
尤も、よほどのメル・トーメ好きでなければ買う必要はないだろうと思う。

どちらもユニオンに出ればワンコインのレコードだが、男性ヴォーカルは人気がない分野なのでレコード自体の回転が悪く、入手は困難を極める。
売れば金になる高額盤は次から次へといくらでも出てくるが、こういう安レコが実は1番難しく、正に10年に1~2度見かければ御の字であり、
これこそが究極の「レコード道」なのではないかといつも思うのである。



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記念すべきプレスティッジ第1号

2024年08月10日 | Jazz LP (Prestige)

Billy Taylor / A Touch Of Taylor  ( 米 Prestige Records PRLP 7001 )


レコードがたくさん残っているビリー・テイラーも、そのキャリアのスタート当時はダウンビート誌のナット・ヘントフが「今日のニューヨークで
最も過小評価されているピアニスト」と嘆くような感じだった。これと言って話題になるような活動をしているわけでもないことから人々の目に
留まることがないだけなんだろうが、そんな彼にレコーディングの機会を提供したのがボブ・ワインストックだった。彼が栄光の12インチ時代の
幕開けとなる7000番台の記念すべき第1号に選んだのはマイルスでもなければスタン・ゲッツでもなく、ビリー・テイラーだった。ブルーノートは
マイルス・デイヴィス、リヴァーサイドはセロニアス・モンク、サヴォイはチャーリー・パーカーだったことを考えると、ワインストックが如何に
ビリー・テイラーに期待していたかがよくわかる。

プレスティッジを巣立った後はいろんなレーベルに録音を残し、知名度も上がっていくにつれて演奏の表情は明るくなっていき、その印象が
一般的なものとして定着しているけれど、プレスティッジ時代はそういうのとは雰囲気が少し違っている。どことなく遠慮気味で謙虚さがあり、
「私のことはご存知ないかもしれませんが、少しでいいでの私の演奏を聴いていってもらえませんか?」と言っているような雰囲気がある。
そして、その演奏は控えめながらも上質で品格があり、エレガントにスイングしている。それでいて音楽の核心へと真っ直ぐに切り込んで
いくような率直さもあって、安っぽいエンターテインメントには決して堕することもなく、才能の飛沫を感じる。

特にこのアルバムはスタンダードを入れず、ほとんどを自作で固めているお陰でいつ聴いても新鮮で、ありふれたピアノ・トリオのアルバムとは
一線を画している。どの曲も耳当たりが良く、穏やかな曲想のものが多い。 自作の "A Bientot" を聴いていると、この人の澄み切った心象風景が
目の前に浮かび上がってくる。誰もそうは思わないかもしれないが、このアルバムは3大レーベルの一角を占めるレーベルの第1号に相応しい。



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ハービー・ハンコックのデビュー

2024年07月29日 | Jazz LP

Herbie Hancock / Jammin' With Herbie Hancock  ( 米 tcb Records TCB 1006 )


ハービー・ハンコックのプロ・デビューはドナルド・バードとペッパー・アダムスの双頭コンボに加わったところから始まっている。その時の記録は
ワーウィック・レーベルから1枚のアルバムとしてだけ残されたが、このセッションには別テイクが残っており、それらがワーウィックが倒産後に
こういう形で1970年に流出した。この頃は既にビッグ・ネームとなっていたハンコックの名前を使ってこっそりと売りに出された半ば海賊盤の
ようなリリースだったようだが、これはワーウィック盤を愛する人にとっては聴き逃せない内容となっている。

著作権に抵触しないように各楽曲の曲名はすべて別の名前に変えられていて、更に原盤には収録されなかったスタンダードも含めて、これと
ワーウィック盤の2枚を聴くことで、この時のセッションの全容が把握できるようになっている。各曲はテーマ部の管楽器のパートはカット
されていて、ハービーのソロから始まるように編集されており、なかなか手の込んだ隠蔽の跡が見て取れる。

この時の演奏は5人が5人とも何の屈託もなく実に気持ち良さそうに伸び伸びと演奏しており、彼らの爽やかな心象風景がきれいに描かれている
ところが1番の魅力。何と気持ちのいい若者たちだろう、とこちらの心が洗われるような爽快感のある音楽であるところが素晴らしい。

ハービーの演奏から始まる楽曲を聴いていると、ハービーはデビュー当時から既にハービー・ハンコックだったんだなあということがわかる。
それまでのピアニストたちとはまったく違うタッチ、新鮮なフレーズ、そのどれもがバド・パウエルの呪縛とは無縁のまったく新しい語法で、
このピアノを聴いたドナルド・バードは新しい時代の扉が開くのを感じたのではないだろうか。

このアルバムは1970年にリリースされているが、既に大スターとなっていたハービーにあやかっての作り方となっていて紛らわしい。
ただ、音質は良好で音楽はしっかりと楽しめる。後年スペインのFresh Soundsから色違いのジャケットでVol.2という体裁で出されたはずだが、
あちらは音質が期待できないのでこれで聴くのが1番いいのだろう。








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本格派のモダン・ジャズ

2024年07月21日 | jazz LP (Atlantic)

Harry Lookofsky / Stringsville  ( 米 Atlantic Records 1319 )


ジャズの世界でヴァイオリンと言えばステファン・グラッペリやジョー・ヴェヌーティ、レイ・ナンスが頭に浮かぶが、彼らの音楽はモダンからは
距離があり、日常的に聴こうという気にはあまりなれない。そう考えると、モダン・ジャズに正面から取り組んだヴァイオリンと言うと、
おそらくはこのアルバムが唯一のものかもしれない。ハープやフルート、オーボエなんかでジャズをやっているアルバムはそこそこあるのに、
ソロ演奏に向いているヴァイオリンのアルバムがほとんどないのはよく考えると不思議だ。

このアルバムはハンク・ジョーンズ、ミルト・ヒントン、ポール・チェンバース、エルヴィン・ジョーンズがバックを務める本格派のモダン・ジャズで、
全体的に素晴らしい音楽が展開される。特にハンク・ジョーンズの演奏が光っており、"Somethin' Else" で聴けるような音数を抑えた漆黒のシングル
トーンが見事だ。ずっしりとした重量感のあるサウンドで、腰の据わった素晴らしいジャズが聴ける。

冒頭の " 'Round Midnight" がダークな雰囲気の名演で、原曲の曲想をうまく生かした展開はこの曲の数ある名演の中に列挙される。この曲はその
曲想が素晴らしいので、変に崩して演奏してもらっては困る。よく取り上げられる楽曲だがそれをわかっている演奏は意外に少ないので、これは
貴重な演奏である。

ヴァイオリンだけでは単調になると思ったか、管楽器を少し入れた演奏も含まれるが、飽くまでも軽いオブリガート程度のサポートでしっかりと
ルーコフスキーが主役の演奏となっている。演奏に重みを付けるためにテノール・ヴァイオリンも使っていて、なかなかよく考えられた構成にも
なっている。ヴァイオリンだけが目立つことなく、全体的に厚みのあるしっかりとした音楽になっているところが非常に素晴らしい。

西洋音楽の主役であるヴァイオリンもジャズの世界では肩身が狭かったのか、これだけのアルバムが作れるにも関わらず、この人のアルバムは
この1枚だけで終わった。もともとジャズという音楽はクラシック音楽の要素の流入を頑なに拒んできたようなところがあるし、当時は聴き手も
敢えてそれを望まなかったのだろう。でも、私は寺井尚子のデビューアルバムは大傑作だと思うし、決して親和性が低いとは全然思わない。
今後はもっと増えて欲しいと思う。



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廃盤レコード店の想い出 ~ 川崎TOPS編

2024年07月13日 | 廃盤レコード店

Harold "Shorty" Baker / The Broadway Beat  ( 米 King Records 608 )


ネットを見ていたら、少し前に閉店した川崎の中古レコード店TOPSのご主人だった渡辺さんが亡くなられたらしい、という話が出ていた。
本当なのかどうかは確かめようがないのでそのことにはこれ以上触れず、まだ想い出話をするには記憶が生々しいけれど、それでも楽しく
通ったこのお店への感謝を込めて私の想い出を少し書き記しておこうと思う。

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トップスのことを知ったのはもう十数年前のことで、ネットでレコード店を検索していた中でのことだったと思う。在庫の回転が遅いので
頻繁にお店に行くことはなかったが、四季の移り変わりに合わせて年に4回くらいの感じでお邪魔していた。お店のHPは大体2~3カ月に1度
くらいの頻度で更新されて、新着レコードが店頭に出ていた。最初の何年かはお店に入る時に会釈するくらいだったが、そのうちに少しずつ
お話をさせていただくようになり、後半は毎回小1時間くらい雑談をするようになった。優しく気さくな方で、レコードを買う目的が半分、
雑談する目的が半分くらいの感じでお店に行っていた。

店内の雑然として何もかもが色褪せた感じに最初は面喰ったが、いざ在庫を見ていくうちにこれは尋常じゃないということに気付く。
通ううちに、このお店は国内最高のジャズレコード店だと確信するようになった。

とにかく、各アーティストのアルバムがカタログ番号順的にほとんどと言っていいくらい順番に常時揃っていることが何より驚異的だった。
1枚売れても、いつの間にか欠番が補充されている。買い取りで仕入れたらすぐに店頭に出して、を繰り返すスタイルではなく、店頭には
常時そのアーティストの主要なタイトルは番号順に揃えておく、というポリシーのようなものに基づいてレコードが並んでいた。
もちろん、定番の人気作は何度出してもすぐに売れてしまうので欠番になっているものは多かったが、人気の有る無しや高額低額という基準
ではなく、そのアーティストの作ったアルバムにはすべて同等の価値がある、という考えに基づいて在庫が揃えられているのは明からだった。
だから、あるアーティストのとある地味なアルバムが急に聴きたくなった時にHP上の在庫リストを見るとほぼ間違いなく在庫があるという、
ちょっと他のお店では考えられない買い方ができるところで、そういう意味でここは最高のお店だと私は思っていた。在庫のラインナップは
中古レコード店というよりは、まるで図書館のそれを思わせた。

更に驚かされるのは、それらのレコードの多くが傷のないニアミント状態だということだった。在庫として残っているのは傷盤ばかり、という
他のお店とはまるで違う光景が広がっていた。美品であることをことさら大げさに宣伝する他のお店のようなことは一切せず、美品であることは
当たり前でそれが何か?という感じだった。

値付けは昔の廃盤店のイメージを崩さす、その時の市場価格の動向などに左右されることなく、3千円~8千円あたりが主力帯だった。
高額盤に利益を頼るような売り方はせず、飽くまでもレコード1枚1枚を大事に売っていくというスタイルだった。高額廃盤も少しだがあること
にはあって、店の奥の棚の上にジャケットだけを無造作に少し並べてあった。本当はこんな高いレコードは売りたくないんだけど・・・という
風情で、どちらかと言えば仕方なく出してあるという感じだった。ジャケットだけを古びたビニール袋に入れて立てかけてあるので、中には
湾曲しているものもあったりしたが、そんなことにはお構いなしという感じだった。

渡辺さんのヴォーカル好きを反映してかヴォーカルの在庫が特に充実していて、その物量やラインナップは圧巻だった。ここにくれば大抵の
ものは見つかった。ビッグ・バンドやオールド・ジャズも同様に充実していて、他のお店のように人気が無く売れ残ったから仕方なく在庫がある、
というのではなく、ちゃんと意図して在庫が揃えられていた。

人気のある高額盤や俗に言う「大物」ばかりを仕入れて大袈裟に宣伝して集客するということは一切せず、各アーティストの作品群をレーベル別に
できるだけたくさん揃えて店頭に並べて、それらをリストとしてひっそりと公開し、日々お客さんが来るのを待つというスタイルはおそらくこの
お店以外では見られないスタイルだったろうと思う。渡辺さんに言わせると「全部1人でやっているから大変でそこまでいろんなことはできないよ、
パソコンのこともよくわからないし」ということだったけど、その穏和な人柄の裏には寡黙な哲学が硬い岩盤のように隠れていた明らかだった。

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店を始めた頃はアメリカによく買い付けに行っていたそうで、その時の話を聞くのが面白かった。別に店をやるわけではないけれど、いつか
私もそういう旅をしてみたいと思った。東京の中古レコード屋同士の繋がりの話やお店に来るお客の話や、その他いろんな話をゆるい感じで
よくした。ジャズのレコードが好き、という共通点だけでよくもまあこれだけ話が続くものだと思いながらも、私がそろそろ話しを切り上げて
帰ろうとすると、「そういえば、」とか「ところで・・・」と引き留められることもあったりして、そんな感じだからここに行くときは休日ではなく、
平日に行くようにしていた。

数年前に癌の手術で入院してからはだいぶ気が弱くなったようで、お店を引き継いでくれる人がいないかを探していたりもした。結構問い合わせが
あったらしいけどうまく見つからず、やがては探すのは諦めたようだった。私の印象ではそんなに真剣に探していたような感じではなかったし、
ずっと黒字経営だったことがささやかな誇りだったから、簡単には手放すつもりもなかったのだろう。「どう?買わない?」と訊かれたけど、
そんなお金があるわけないし、来るか来ないかわからないお客を待って店にずっと座っているなんて私にはできないと言うと、笑っていた。

年に数回訪れる程度だったので、行く時はいつもまとめ買いをすることが多くて、毎回1割くらいは値引きをしてくれた。このお店で買ったものは
いつも携帯のメモ帳に記録していて、次に来た時に買おうと思うアルバムを備忘録として書くことにしていた。それによると、私が最後に行った
のは2023年7月1日で、19,000円分買って17,000円に値引きしてくれている。

渡辺さんはHPに簡単なブログを書いていていつもそれを楽しく読んでいたのだが、その年の12月に体調不良でしばらく休むという記事が上がった。
養生に専念するので再開は未定とのことで心配していたが、春先に店の中がすべて片付けられて店舗は空っぽになった。登るのが大変な急な階段の
先にいつも立っていたエリック・クラプトンのポスターも何もかもがきれいになくなっていた。お店のHPも削除されてしまい、もう見ることは
できない。完全に終わったということなんだろう。最後に話した時に倉庫にまだ在庫が2,000枚くらいあると言ってけど、それらを含めてお店に
出ていたあの大量のレコードはどうなったのだろう。

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ここで買ったレコードはたくさんあるが、このショーティー・ベイカーもその中の1枚。ユニオンで出れば2~3,000円くらいなのはわかっている
けれど、こういうオーセンティックで由緒正しいレコードはこういうオーセンティックなお店で買うのが相応しいので、その倍くらいの値段で
買った。盤もジャケットも新品同様である。こういうレコードは持っているだけで嬉しい。ジャケットも最高だ。

ハロルド・ショーティー・ベイカーがワンホーンで軽快に伸び伸びと吹き切る明るく穏やかなアルバムで、エリントニアンのレコードの中では
私はこれが一番好きだ。"Love Me Or Leave Me" や "Close Your Eyes" なんかでは意外とモダンな横顔が垣間見える。本腰を入れて何年も探さないと
手に入らないタイプのレコードだけど、これでしか聴くことのできない愉楽が詰まった素晴らしいレコード。

トップスはこういうレコードと出会える得難いお店だった。レコードを一通り見ようと思ったら1時間ではとても足りず、時間をかけて何枚か
選んで、渡辺さんと他愛もない話をして、傍のドトールで煙草を何本か吸ってから帰る、そういう穏やかな日々は失われてしまったけれど、
その想い出はレコードと共にいつまでも残るだろう。



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70年代に向けた萌芽

2024年07月06日 | Jazz LP (Prestige)

Herbie Mann, Bobby Jaspar / Flute Souffle  ( 米 Prestige Records PRLP 7101 )


プレスティッジと言えばマイルスだったりロリンズだったりコルトレーンのイメージがあり、演奏者のプレイそのものに集中して聴くことが多い
けれど、ハービー・マンもボビー・ジャスパーもフルートとテナーの両刀使いで、どちらがどの演奏なのかよくわからないこともあり、演奏の個性を
愉しもうという聴き方をするとあまり面白くないということになって駄盤扱いされがちである。ところがこういうタイプのレコードは音楽自体を
味わおうと思って聴くとまったく違った感想が湧いてきて、認識が変わるものである。

冒頭の " Tel Aviv " はハービー・マンが作ったマイナー・キーの曲だが、これがとてもいい。ほの暗く、ゆったりと大きく揺れるような感覚。
テナーはおそらくボビー・ジャスパーだろうと思うが静かに枯れた演奏で味わい深く、トミー・フラナガンのピアノが端正で穏やかで素晴らしい。
プレスティッジらしい、憂いに満ちた曲想に魅了される。この1曲で、このアルバムは名盤確定である。

B面冒頭の " Let's March" も同様にハービー・マン作だが、これもマイナー・キーの佳曲。ここでもフラナガンのピアノがエレガントで素晴らしい。
ウェンデル・マーシャルのベースがイン・テンポでよく弾んでおり、これが楽曲の良さを更に引き立ていて見事だ。

ハービー・マンは50年代からいろんなレーベルに録音があってレコードはたくさんあるけど、それらを聴いてもあまり面白くない。この人の真価が
発揮されるのは70年代に入って以降である。多作家で作品はものすごくたくさんあるので聴いていくのは大変だけど、素晴らしいものが結構あって
驚かされる。フルートという楽器はハード・バップという音楽形式には根本的に馴染まず、その良さを発揮することはなかったけど、音楽が多様化
する70年代以降になるとこの人の独特の音楽センスが花開いた感がある。このアルバムはその萌芽が感じられるところがある。



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たった1枚のリーダー作(2)

2024年06月23日 | Jazz LP

Richard Williams / New Horn In Town  ( 米 Candid Records CJM8003 )


リチャード・ウィリアムスの演奏はいろんなところで聴くことはできるけれど、リーダー作はこの1枚しかない。しかもそれがキャンディドなんて
日陰のレーベルだったこともあり、ここまでたどり着ける人はあまりいない。でも、たどり着けた人は幸いである。何と言ってもこのアルバムは
最高に素晴らしい作品だからだ。ビッグバンドを渡り歩いたそのキャリアが影響したのかもしれないけど、一時期ミンガスのグループにいたことが
あって、その縁でミンガスがキャンディッドへ紹介したとも言われているけど、その辺りの経緯はよくわからない。

共演しているメンバーも彼と同じようなタイプの人たち、つまり実力はあるのにリーダー作には恵まれなかった人たちばかりが見事に揃っていて、
よくもまあここまで、という感じなんだけど、だからこそ一層このクオリティーの高さには驚くことになる。昔はこのアルバムの良さはそこそこ
知られていたが、今では完全に忘れられた感がある。

よく鳴るトランペットだが、ただ音が大きいだけではなく、優雅で内省的な響きを帯びていて抒情感が濃厚な音色。音程も正確で運指もなめらか。
それらの美点は2曲のバラードで真価を発揮する。よく歌うメロディーで心を奪われる至高の名演だ。その他の楽曲でもトランペットの音色が
印象的で、単なるストレートなハードバップには終わらずワンランク格上げされた音楽になったような感じだ。そこが素晴らしい。

このアルバムは1960年の9月にニューヨークで録音されているが、それはこういう粋なハードバップの演奏ができるのはギリギリの時期だった。
もはや独自の個性が求められる時代であり、いくら音楽が良質であってもそれが他人を押しのけるようなものでないと生き残れないような状況
だったせいでこの後が続かなかったんだろうと思う。このアルバムを聴いていると押しつけがましさのない素直さを感じるけど、こういう人柄の
良さだけではアルバムを作ることは許されなかったのではないだろうか。そう思うと何とも切ない気持ちになる。



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複雑な思い(2)

2024年06月15日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Bud Shank / Bud Shank Plays Tenor  ( 米 Pacific Jazz Records PJ-4 )


バド・シャンクのレコードはたくさん残っていていろいろ聴いてきたが、いいと思えたアルバムは非常に少ない。アルバム作りが下手だったという
ことなんだろうけど、そんな中でこのアルバムは出来がいいと思った数少ない一枚。

まず、楽器の持ち替えをせず、サックス1本でじっくりと吹いたところが何よりいい。正直言って、この人のフルートには良さは何もないと思う
けど、本人は気に入っていたのか、アルバムの中で多用した。でも、これが聴いていてまったく面白くない。早く次の曲に行ってくんねえかな、
と思いながら聴くことになり、面白くないからそのアルバムは聴かなくなるのだが、このアルバムにはそれがない。

そして、意外にもテナーの演奏に味わいがある。音色はズート・シムズに似ていて、フレーズはスタン・ゲッツによく似ている。イメージしやすい
ように説明するとそういうことになるが、それらの物真似をしているということではなく、この人独自の個性として演奏によく表れている。
音色に深みがあり、リズムによく乗る演奏で素晴らしいと思う。ズートやゲッツのワン・ホーンアルバムを聴いた時と同様の満足感が残る。

バックのトリオは当時の常設メンバーで "Quartet" と同じだが、こちらの演奏は悪くない。クロード・ウィリアムソンも別人のような陰影感のある
演奏をしており、音楽全体が上質な仕上がりになっている。このアルバムはワン・ホーン・テナーの傑作と言っていい。

でも、それがアルト奏者だったはずのバド・シャンクのアルバムだと言うところがなかなか複雑なのである。たくさんのアルバムを作る機会があり、
実力も十分あったはずなのに、なぜアルトでこれが出来なかったのかと文句の1つも言いたくなる。これは57年の録音で、彼は60年代に入っても
アルバムを作ったがイージーリスニングの色が濃くなり、ジャズの主流からは遠のいていく。渡欧せずアメリカに残って音楽で食っていくには
そうするしかなかったわけだが、おそらくそれは本意ではなかっただろう。50年代後半のごく限られた短い時期にどれだけの傑作を残せたかで
その後の評価が決まったこの世界で決定打が出なかったのは何とも惜しいことだった。



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複雑な思い

2024年06月08日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Bud Shank / Bud Shank Quartet  ( 米 Pacific Jazz Records PJ-1215 )


バド・シャンクと言えばまずはこれなんだろうけど、このアルバムを語るのは難しい。

バド・シャンクを素晴らしいアルト奏者だと認識したのは、とある動画を見た時だった。(https://www.youtube.com/watch?v=P-keeHBoz8A
ワンホーンで前傾姿勢と取りながらひたむきに疾走する演奏がカッコよく、なんて素晴らしいんだろうと思った。そして、この素晴らしさが
彼のレコードには収められていないのが残念だなあとも思った。

退屈なアレンジものを量産した西海岸のレーベルの中でこのレコードは目を引く存在だ。アンサンブル要員の1人に過ぎなかった彼が群れの中から
抜け出してワンホーンで臨んだ作品で、ジャケットの意匠も素晴らしく、本来であれば名盤となるはずだっただろうけど、そうはならなかった。

まず、バックのピアノ・トリオの演奏が単調過ぎる。クロード・ウィリアムソンの悪いところが出ていて、抑揚も陰影もなく一本調子な演奏は
単調で味気ない。ベースとドラムの演奏も弱々しくて覇気がなく、音楽に厚みがない。この凡庸さが悪目立ちしていて、バド・シャンクの演奏の
良さを感じる上で障害物になっている。

選曲もあまり良くなくて、音楽的魅力に欠ける。演奏仲間のボブ・クーパーやウィリアムソン作の曲を取り上げる気持ちはわかるけど、楽曲と
してはつまらないし、そこにエリントンやマイルスの曲を入れても喰い合わせが悪い。せっかく "All This And Heaven Too" なんていうメル・
トーメも歌ったいい曲を取り上げているんだから、そちらに寄せてもよかったのではないかと思う。曲が良ければ他の欠点をカバーしてくれる
場合もあるのだが、それがここではなかった。

このアルバムは1956年の録音で先の動画の6年前ということもあり、バド・シャンクの演奏は上手くてきれいな演奏ながらもその1歩先の力強さに
欠けていて、演奏の力で聴き手を説得するようなところがまだない。観賞する上では申し分ないけれど、あと少し訴求力があればもっといいのに
と思わずにはいられないところがあるのが惜しい。

まだ若い頃の演奏だから多くは望まず、もっと寛容な気持ちで聴けばいいのはわかっているけれど、退屈な演奏が多いウェストコースト・ジャズの
中では「これは」と期待させる条件が揃っているレコードなので、つい、ぜいたくなことを言ってしまう。そういう複雑な気持ちになるのが
このレコードなのではないか。



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小ネタ集(国内初期盤の音質はどうなのか)

2024年05月30日 | Jazz LP (国内盤)

ケニー・ドーハム / しずかなるケニー  ( 日本ビクター株式会社 RANK 5086 )

音圧が低くこもっているので、ボリュームを上げて聴くことになる。音量を上げると、音像は立ち上がってくる。各楽器の解像度は悪いが、
ドラムの音色が空間に響く様子は再現されている。ただ、全体的に薄いベールをまとったような音質で、お世辞にも音がいいとは言えない。
やっぱりこのタイトルはステレオプレスに限る。




ケニー・ドーハム五重奏団 / ケニー・ドーハムの肖像  ( 日本ビクター株式会社 RANK 5063 )

こちらの音質はまずまずといったところで悪くない。オリジナルと比較してもさほど大きくは遜色ない、と言ってもいいのではないか。
これが出ているならモンテローズの方も出ていておかしくないはずだが、見たことがない。出なかったのだろうか・・・




カール・パーキンス / イントロデューシング  ( 日 JAPAN SALES CO., LTD. TOKYO LPM 20 )

音圧が低く、ボリュームを上げて聴くことになる。音質自体は精彩があるとは言えない。ジャケットはオリジナルに忠実だが、パーキンスの
顔が写真そのままではなく修整されていて、それがなんだが作るのに失敗した人形のような顔になっていて怖い。ただ、盤のほうはフラット
ディスクになっていて、しっかりとした作りになっている。発売元の会社は当時は芝公園に居を構えていたらしい謎の会社で、そのカタログを
見るとファンタジー・レーベルのレコードを主に再発していたみたいだが、なぜかこれやアーゴの "ZOOT" なんかも混ざっている。
これが出ているのであればデックスの方も出ていてよさそうなものだが、見たことがない。




マイルス・デヴィス五重奏団 / シネ・ジャズ/マイルス~ブレイキー  ( 日本ビクター株式会社 FON-5002 )

音質は頑張っていて、オリジナルとさほど変わらない。複数のジャケットデザインがあるが、私はこのジャケットが1番好きである。
このタイトルは10インチで聴くのには向いておらず、12インチか、若しくはCDで聴くのがいい。CDは音が良くて、未発表トラックも
多数含まれていて素晴らしいと思う。元々が端切れのような断片のような楽曲たちなので、未発表トラックと並べても特に違和感なく聴ける。



最近、中古市場でペラジャケを見ることがめっきり減ったような気がする。処分する人が減ったのか、海外に流れているのか、それとも
お店が抱え込んで出し惜しみしているか。いずれにしても、漁盤はずいぶんとやりにくくなった。最後にペラジャケを拾ったのがいつだったか、
値段は覚えていても時期は思い出せない。

以前は仕事帰りに時間が早ければ店に寄って小一時間くらい遊んで帰るのが楽しかったが、それも今は昔。特にユニオンは少し前から
利益追求型へと露骨に舵を切っていて、以前のいい意味での緩さやいい加減さがなくなり、店舗の魅力が色褪せた。今は店舗に行っても、
「おお、これは!」というのがなく、何となく足も遠のきがち。


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