まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

おむすび

2006年04月30日 | Weblog
ここのところ、気候がいいので、おむすびを握ることが多い。

昨日も9個、今日は8個。

自分の分と、息子達の分も。

手のひらから出ている、オーラというのか、気というのか、お米に染み込んでゆくような気がする。

とても、コンビニなので、買って食べる気にならない。

おいしくないんです。

自分で握ったのが、一番おいしい。

最近では、にぎるとき、米粒を四方にばら撒かなくなったし。

いまは、シーチキンにお醤油をいれたのに、凝っている。

河口湖へ行くという息子にも、と思ったけど、どうせ、ファミレスかな、と言うので、どうぞ、ご自由に、だった。







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河口湖

2006年04月30日 | Weblog
ハタチの息子が、河口湖へ、バス釣りに行く、というので、河口湖談義になった。

もう10年近く前になるだろうか、河口湖の民宿に泊まって、バス釣りに行ったものだ。

釣りをよく知らない親父だから、むしろ、息子たちに連れられて、という具合。

ついでに、本栖湖や達磨山、田貫湖でのキャンプの話。

オレも大人になったら、キャンプやろう、あれいいもんね。

と、いうから、おまえ、もう大人だろ。

いやいや、家族を持ったら、という意味だよ、と。

自分が、春秋の墓参りに行くみたいものだな、と一瞬、おもいながら、息子の話を聞いていた。

本栖湖のときには、斜面にテントを張ったから、寝ているうちに、ごろごろと下のほうに、みんな集まってしまったこと。

達磨山では、夜間の風雨を、オレと離婚した妹の亭主と二人で、雨の中、テントが飛ばないように、ずっと、押さえていて、その間、女性陣は、いびきをかいてねていたこと。

田貫湖では、お前がまだ小さくて、朝起きたら、頭の中は、アリだらけだったこと。

友達の乗るハリヤーで行くという。

オレのよりいい車だな、と思いながらも、最近、富士吉田オタクやっている、と、2万分の1の地図をひろげて、多少、薀蓄を披露する。

ついでに、今の時期、ミツバツツジの、ムラサキというか藤色というか、鮮やかだぞ、桜も少々、残っているかもしれない、と。








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サダカ

2006年04月30日 | Weblog
世界遺産を紹介する番組で、カイロについてやっていた。

毎年、犠牲祭、というのがあって、その時、羊をおろす。

そして、その肉は、三分の一は家族で、三分の一は親族・友人、残りの三分の一は、貧しい人たちに、分け与える、という。

商売がうまくいっている人のお宅での光景が、流れていた。

羊を一頭買ってきて、自宅で、おろす。

今年は、30人分を配ることができた、と言っていた。

なぜ、そうするのですか、の質問に、イスラムとしての誇り、と答えていた。

貧しい人たちに配ることを、サダカ、というらしい。

マムルーク朝という、遊牧奴隷がカイロを支配する時代があったらしいけど、そのときには、モスクには、寄宿舎あり、病院あり、学校ありで、そのすべてが無料だった、と。

サダカの思想で、富める人々のみならず、そうでない人々からの寄進で成り立っていたらしい。

7世紀に、カイロには、イスラムが入ってきたようだけど、それ以前からあった、初期キリスト教、コプト教の聖なる日に、イスラム教徒が教会へ行って、一緒に祝う、という場面があった。

宗教は違うけれど、カイロの仲間だから、と。

イスラム教というと、ジハードや自爆テロ、ということに直結しがちだけど、環境で、ずいぶん違うものになってしまうものだ。





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日本最古の神社

2006年04月29日 | Weblog
富士吉田市の明見町にある。

杓子山へ登る途中に、ひっそりと、たっていた看板。

同行した友人が、思わず、つぶやいていた。
 
 わかよ たれそ つねならむ

いろはにほへと に続く歌だけれど、ずっと同じように続いていくことがあるだろうか、という慨嘆。

たしかに、草ぼうぼうで、そんな気分にもなる。

小祠に、お線香をあげて、帰ってくる。





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夢オタクⅡ

2006年04月28日 | Weblog
またまた、夢オタクの女性からの話で、気づいたことがある。

夢から現へのはざ間。

現から夢へのはざ間。

その二つのはざ間が、ひょっとしたら、とても、大事な時間かもしれない。

彼女は、夢を忘れないように、ノートする。

そして、日常の生活に、つまり、現の時間に、入っていく。

それを聞いていた、わが妻が、私の場合、あっ、お弁当、作らなきゃ、と起きるからね、と言う。

彼女の場合は、夢から直行で、現の時間に、飛び込んでしまうんだよね。

そうだ、この夢とも現ともいえない時間が、大切なんだ、と気づく。

このはざ間を持つことで、現と夢が、つながる。

ぐるっと、ひとまわり循環して、眠ることと起きていることが、ひとつながりになる。

これができると、過去夢だったり未来夢だったり、予知夢だったり、いろんなことを、教えてもらえるようになるのではないか、と。

ひょっとしたら、病気の、本当の理由にも、たどり着くのかもしれない。



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母の一言

2006年04月28日 | Weblog
ある夕食後の会話。

きょう、まあちゃんに、言ったんだけど、と、母親が言う。

わたしも、80年生きてきて、いいことも悪いことも辛いこともあったけど、なんとか、いままで、やってきたよ。あんたも、いろいろ、つらいこともあるだろうけど、だいじょうぶだからね。

最近、遅刻したり、学校さぼったりしている、わが息子にたいして、母親が、そう言った。

次の日、明るい笑顔とともに、学校へ行った息子を見て、母親は、なんともいえない、うれしそうな表情をしていた。

もちろん、母親の一言で、すべてが解決するわけではないだろう。

息子には息子の事情も、あるのだし。

でも、むしろ、母の息子たるぼくからすると、母の、ちいさな、ひとつの成功体験が、うれしかった。

息子のまわりで、いろんな事件がおきるのは、確かに面倒ではあるけれど、それはそれで、息子の成長のためには、いいことで、そのことで、ぼくもいろいろ、教えられるわけだし。

妙な家族ゲーム、親子ゲームをしつづけるのは、とても、もったいないことだと思うわけで、妻と母とぼくの、三角関係のエネルギーが、スムーズに流れることが、大事なことなのだから。

それが、息子達にも、なんらかの干渉をするだろうし。






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坑うつ剤Ⅱ

2006年04月28日 | Weblog
この間、坑うつ剤について、お気楽な感じで、書いてしまったけれど、実際は、深刻なものらしい。

副作用。

鬱に、抗する、って意味で、坑うつ剤ということなので、むしろ、興奮させることもあるらしい。

川崎の男児、投げ落とし事件の犯人や、99年の全日空のハイジャック犯。

もっとセンセーショナルなものは、アメリカのコロンバイン高校での、乱射事件で12名殺害事件の犯人達。

どうも坑うつ剤の副作用で、脳が危険なまでに、興奮してしまった結果、と言う見方もあるみたい。

覚せい剤なんかと、同じような作用になるらしい。

中2の女の子達は、これ飲むと、やさしくなるから、っていうことを、話していたみたいだけど。

そもそも、そううつ病に対して、薬で対処するのは、むなしい気がする。

僕自身の経験からすると、バッド・コミュニケーションが、根底にあるからね。

そこに目をつぶって、薬で、というのは、敵に追われたダチョウが、頭を砂の中に埋める、みたいなものだと思う。

この時代、やばいのは、病気にたいする、おおきなシステム、つまり、利権の、利益分配のしくみが、社会全体に設定されてしまっているから。





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読心術?

2006年04月27日 | Weblog
ある女性が、夜、夢を見た。

隣で、ご主人が眠れない、とタバコを吸ったりしているんだって。

どうしたの?と言いつつ、そのときは、寝てしまった。

そんな、夢とも現ともわからないような夢だった、と。

彼女なりには、何かを感じていたらしい。

翌日、会社に行ってから、携帯へ電話をしたんだって。

すると、過去の夫婦のもめごとについて、の話になったらしい。

いったんは、おさまったかに見える、夫婦だけの秘め事、というのか。

ネガティブなマインド、というのか。

それは、よせてはかえす波のごとくに、何度も訪れるようだ。

しかし、そりゃ、よかったね、と思わず、答える。

いままでだったら、そこのところを、あいまいにして、想像の世界で、ありもしないことを、ふくらませて、お互いに傷ついていたからね。

発せられた感情は、受け止められる場所がないと、デフォルメされて、なかなか、みつけにくい場所に、おさまってしまうもんね。

といいつつ、卑弥呼といい、古代のシャーマンたる、生きている土偶、現代の女性の感性に、舌をまく。

そこに流れている空気を、夢のかたちでよんでしまう。





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神社の名前

2006年04月27日 | Weblog
新静岡市の地図を買ってくる。

例のごとく、赤ボールペンで、神社に、丸をつけてゆく。

旧清水市の分布をみると、神社名に、地名をつけてあるのが、目につく。

もちろん、熊野や神明宮という名前もあるけれど、村松神社とか宮加三神社とか。

これは、国道1号線の南側から、久能街道の北側の地域で、静岡の高松あたりまで、つづく。

空襲で、焼けてしまったのかな、とか思う。

いったん、リセットして、新しくやり直そうと思ったのか、もともとの神社の名前が、地名になったのか。

それぞれの神社ネットワークの頂点にある人たちが、マーケティングをしながら、つまり、あのあたりは弱いから、少し手を入れよう、とか、そういうこともあったんだろうけれど、妙な現象だな。

それから、静岡北部から、久能街道にかけては、白髭神社が、圧倒的だ。

久能海岸の、唐津川の河口近くには、白髭大明神がある。

たぶん、そのあたりから、この地に到来したご先祖さんも、あったんだろうな。

川の名前に残っているしね、唐津、と。

しかも、賎機山のふもとには、唐瀬、なんて地名も残っているし。



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500回

2006年04月27日 | Weblog
ブログ開設以来、投稿が、500件をこえている。

少なくとも、500回は、何を書こうかな、と頭をひねったわけだ。

最近では、一日に、3件、というのが続いている。

自分なりには、5・7・5の俳句のような感覚で、一日に起こったことを、書いているつもり。

日々の出来事のなかに、3箇所くらい、おもしろい場面って、あるでしょう、てなもんで。

ほんとは、一行でおわり、というのが、理想だけど、そんな表現力あれば、谷崎潤一郎賞くらいもらえちゃうだろうからね。

最初の頃は、読んで下さるかたがたって、どんな方々、と言うのが気になったけれど、いまでも、もちろん、多少は気にしながらではあるけれど、日記でもなく、という感じ。

今日は、自宅のパソコンが壊れてしまって、会社で書いている。

夕べは、インターネットゲームができないから、と息子が、ピッタリマークで、携帯へ送られた処方箋をみながら、トライしたけど、だめだった。

ルーターに接続されていません、のメッセージが出るだけで。








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