まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝は表題を忘れた。

2022年01月31日 | Weblog

忘れ物はなんですか、ってなもんだな。

探すのをやめた時に浮かんでくるのか、どうなのか。

たまにあるんだよね、認知症の前兆?、にしても、あるある話だな。

なので、石原慎太郎はポケットにいつもメモ用紙を入れて、だそうで。

たまにあるんだよね、というか、よくあるんだな、これが。

瞑想の後に浮かぶ、とか、今はエネルギーワークだけど、ともかく、そんな具合。

プリウスを運転している時までは覚えているような、そんな感覚なんだけどね。

ところで、Facebook上に誕生日のお祝いをいただき、何人の方々なのか。

今年は、それにお一人お一人に返信をしようと思い立ち、まるで年賀状の時のような感じ。

その方を目の前に浮かべ、共通の話題を返す、みたいなの。

まだ、たぶん、残っているかな。

今朝は、焙煎堂さんのソフトブレンドと名付けられた珈琲をいただきながら、だ。

背中側には、ローソクストーブが灯り、と。

しかし、藤井聡太さん、また、勝ったね、王将戦の第三局。

将棋世界の界隈は大騒ぎかもな、AIを超えた宇宙人、なんてね。

あちこちにAIが使われていて、人間の評価、判断なんてのが、どこかへ行っちゃいそうだ。

なんて時代に、彼の将棋が注目され、ってことの次第かもな。

いまだに表題を思い出せぬままに、本日のブログは終了としますか。

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闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう!が響いてる。

2022年01月30日 | Weblog

今朝の表題は、若々しいでしょ。

誕生日の翌朝に、だ。

これは、中島みゆきの「ファイト!」という歌。

昨日は、吉田拓郎のYoutubeを聴き、もう一人の女史のカバー、それから。

女子高生なのかな、ストリートミュージシャンみたいな出たちの、も聴いた。

いいねぇ!って感じでね。

ことの発端は、カナダ。

トラッカー・コンボイ。

国境を越えてのトラックデモってやつ。

もう、そんな馬鹿げたことやめとけよ、って。

打ったやつも打たないやつも、のトラッカーの車列に、沿道から国旗を持った市民たちが声援を送る。

そんな映像を眺めていて、目頭が熱くなってきてね。

人間って、すごいな、と思った次第。

そんな朝は、雞始めて乳(にわとりはじめてとやにつく)の最終候。

春の気を感じた鶏が鳥屋に入って卵を産み始める頃、とある。

次の候は、立春となるのか、最終の候は、大寒・末候だ。

いずれにしても、春が近い。

鶏は鳥屋に入っての産卵、人間は産屋に入っての、なんての、谷川健一さんが書いていたな。

箒を持って、一人で産屋に入り、と。

細かいことは忘れたけれど、たしか、掛川のあたりに、その跡が展示されていたか。

見付宿にある学校跡だったか。

産土の神様、なんて言い方もあるので、だけどね。

そうだ、福岡伸一さんの美しい言葉に出会ったんだった。

「世界はわからないことで満ちている」というやつなんだけどね。

役所に行って、なんかの書類をもらう親子に、違う苗字が呼ばれ、お母さんは、はい、と返事をして窓口へ。

それも聞いた子ども、なぜ、苗字が違うの?と訊く。

するとお母さん、なぜなんだろうね、と答えた。

そんな情景に出会った福岡さん、子どもに、なぜ、どうして、を残しておくことがいいな、と。

ああだこうだと理屈をこねくり、その場凌ぎの回答を与えず、というわけだ。

やがて子どもは、自分で知っていくことになるんだろう、ということだな。

なんて美しい言葉の余韻を残しつつの本日への出立です。

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静かな朝だな。

2022年01月29日 | Weblog

ブラウニーさんのブレンドをいただきながらの感想です。

元旦がとても静かな朝だったことを何度も思い出す。

静けさに憧れるわけでもなく、喧騒は喧騒でそれなりに楽しめるものでもあるんだけど。

どこかに、静かな、という場面、世界が置いてある、存在している、とでも言おうか。

いずれにしても、迫力満点の映画のような世界も佳し、岩に染み入るという静けさも佳し、ってわけだ。

自然、自ずから然りとなす、とか、気取って書いておくか。

それがまんま自分の中にもあり、だな。

なるもならぬも、自ずから然り、ってことだ。

そんな中で、自ずからに抗うように、あれをこうしてこれをああして、という演出家としての立ち居振る舞い。

それを人生と名づけ、ある時には映画の主人公、そして、ある時には観客、あれ、なんかこんな言い方なかったかな。

多羅尾伴内とかだったかな、変幻自在の変装名人、か。

静かな朝に、心も静かなら何もやってこないのだろうけど、こうして、Macの前に座ると。

捻り出す、放り出す、とせっかくの静けさは破られ、千々に思いは乱れ、ってことになるのかも。

乱れ、と言っても、悩みとは少し違うし、余計なこと、でもないし、だな。

夕べ、リモートで、ライフレコード、ま、我が人生の記録、みたいなものをほんの数名でシェアし。

お互いに感想を述べ、なんて時間をもった。

自己開示とでいうのか、すると、その場の空気感は一気にあるフェーズに様変わり。

なんてことになったな。

もちろん、そこはそれ、己が人生の演出家たる立ち位置、ってのになっちゃうんだけどね。

人生は何度でもデザインできる、というコンセプトのもとにのプチ・ワークショップ、だ。

思い込み、決め込み、がわが人生、なんて幻想の中に生きているのがデフォな生き方、みたいなの。

濃厚なので、ここんとこの気分、決断が様変わりしたら、すべての人は天才、なんてことが実現するんだけど。

というか、すでに天才として生きているので、それをそのまま、OK、わかった、そうするよ、というだけで。

そのあたりのことは、治っちゃって、昨日と同じ日の出を迎えるに過ぎない、というストーリーですが。

ということで、今日も天才たる一日を味わうとするか。

そう、今日は、誕生日だったのです、なにはなくとも、ありがとう!ってなもんだ。

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春が近いね、たぶん。

2022年01月28日 | Weblog

なぜかっていうと、僕のアカギレが気にならなくなってきたから。

というとても個人的な理由です。

湿気も増したのかな、手のざらつき感が少なくなっている。

よくしたもので、季節のほのかな変化に反応しているんだろうな。

と書いてきて、ひょっとしたら週末は、寒さの日々になるのかも知れず、だ。

そりゃ、日々に新たに、なので、よくわかりません。

わからないものはわかりません、と会津の、ならぬものはなりませぬ、というわけだ。

これ、ならぬ、というから、倫理道徳的な、躾的な意味だけと解釈していたけれど、今、ふと。

なるものはなる、ならぬものはならない、というごく当たり前の、自然の動き、天と地の躍動なのかな、と。

今年の社内の年賀状に、ある人たちには伝えた、ものごとは勝手に進む、ってのだな。

加速度を求めるな!とね。

この加速度ってやつ、近代の、というのか、知性偏重の時代には、ありがちなやつでね。

ハリアップ!急げ、スピード感だぞ、大事なのは、みたいな。

早けりゃいいのかよ、ってなもんだな。

何を持って早いというのか、何と比べているのか、ということになるね。

早かろうが遅かろうが、ならぬものはなりませぬ、だ。

この間の、ライフデザインのワークショップで、シンデレラの物語が例題で出たんだ。

これについて書くと、面白そうだけど、長くなるので、久しぶりのto be continuedにしときますか。

ついでに、今朝のブログもそうしときます。

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あれもできないこれもできない。

2022年01月27日 | Weblog

なんてフレーズが飛び交う世の中だけど、その代わりに。

あれもできるこれもできる、ってなもんだ。

命の灯、なんていうけれど。

と書くと、風前の灯、なんてのがやってくるから困りもして。

いずれ、どんな時代だろうと、その灯火は消えることはない、消したくないと言っても三次元的には。

こちらの思惑とは相違しての消灯、って感じではあるけれど。

もっとも、こちらの設定は、ギネス挑戦みたいな気分で、112歳くらいか。

宇宙の果てじゃないけれど、その先はどうなってるの、というわけだな。

今朝の珈琲は、ブラウニーさんのブレンド。

腕によりをかけての、だ。

ストレートだと、焙煎と仕入のテクニックのみ、なので、そこへテイスティングの年月も混ざるブレンド、とね。

昨日のワークショップ、ライフデザイン。

人生は何度でもデザインし直すことができる、というコンセプトでの、だったんだけど。

結局、それぞれの人の根っこの部分で繋がる、とでも言おうか。

なので、ほんの数時間で、一挙に距離が近づいちゃって、というもので。

これ、うまく使ったらとてもおもしろいものになるという予感だ。

そこへ、わがエネルギーワークを加えて、なんて妄想、構想、理想、予想は広がるな。

人が動いてしまう、生きてしまう、決断、判断してしまう、その根っこにある、somethingが活性化され。

ということになるな、たぶん。

誰かからの指示命令、提案、アドバイス、云々、ではなく、ということなんだけどね。

早い話が、自分の頭で考え、行動し、成長します、って、我が社の経営理念じゃないか、まんま。

自分の頭、というときに。

IQみたいなゴリゴリの知識偏重、頭脳依存、教えられたもの、指図されたもの、ではなく、だな。

自分の、本来の、天とつながる、頭、とでも書いておくか。

そう、だから、すべての人は天才!に早変わり、って次第で。

ここんとこ、テストに出るところなんだけどね。

さて、そんな気分で、今日に出張って行こうか。

 

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仕事が増えた。

2022年01月26日 | Weblog

朝のルーティンに、いつの頃からか。

鳥の餌やりが加わり、だ。

どうも、ルーティーンをなくしていく、というのは難しいものだ。

餌やりから始まって、ローソクストーブの火をつけ、榊の水換え、ついでに。

日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり、の顔洗い。

珈琲用のお湯を沸かし、ミルで挽いて淹れる。

挽く時には、パタカラ体操をしつつ、ついでに、ハトホルになりきって。

その前に、骨ストレッチだ。

いやいや、断捨離ってのは、なかなかなものだ。

と言いつつ、の朝。

寒さも少し緩み、だな。

この、緩み、という表現は、最近、覚えて、今朝、初めて使ってみた。

たしかに、カラダ全体が緩む感じだよね。

なんてこと言っていられるのも、駿河の地だからか。

しかし、世の中、すごいことが進行している、のかもしれず、そんな中、呑気に。

今朝は、焙煎堂さんの手になるブレンドをいただいている。

つくづく、世界はパラレルな佇まい、だな。

子どもの頃、七色仮面、なんて番組、食い入るように見ていた記憶が残っているけれど。

いろんな仮の面貌をして、人々は歩いている。

そういう自分もそうだけどね。

静かな朝だ。

先ほど、暗い、人影も見えない巴川ぞいを、明かりをつけた、いつものランナーが走っていった。

僕が、窓に向かい骨ストレッチをしている頃だ。

さて、今日は、ライフデザインのワークショップ。

人生はデザインし直すことができまっせ、というコンセプトでの、なんだけどね。

その後は、飯でも食いながら話すか、と同行の者には言ってある。

えっ、まんぼうが出ますよ、みたいなこと、言わないでね。

ということで、今日を始めることにします。

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母さんのアカギレ痛い。

2022年01月25日 | Weblog

生味噌を摺り込む、か。

かあさんの歌、だっけ。

こちらは、母親ではないけれど、僕のアカギレが痛いので、ドラッグストアに行った。

自分も用事で行っといてなんだけど、商品の多さに、倒れそうになった、くらいだったな。

凄まじい数の薬、健康食品、だ。

これが、街に一軒ならば、貴重なお薬屋さん、ってな話にもなるんだけど、ね。

うちの会社でも仕事やらせていただいているので、ああだこうだとは言えないけれど。

忖度、ってわけでもなく。

いったいぜんたい、どうしちゃったんだい、へいへいベビー、って清志郎を気取りたいくらいだ。

ところで、とうとう、最後の一枚になっちゃった七十二候の第71候。

水沢腹堅と書いて、さわみずこおりつめる、と読むらしい。

大寒の次候、とある。

沢に厚い氷が張りつめる頃、ともあるんだけど、今朝は少し暖かだな。

気温6度。

上記、腹堅という文字、なんともいい表現だな、と感心した次第。

沢の水が、いかにも心底から凍ってるのが伝わってくる。

気温を書いたけど、同じ数値でも微妙に体感が違うんだよね。

これ、おもしろいね。

今朝は、足元のファンヒーターをつけずに背中側の、いつものローソクストーブを体感している。

音もしないしね。

そうだ、うちの会社で介護の仕事を始めた。

と書くと、おじいちゃんおばあちゃんのお世話をするの、とくるだろうけど、たしかに。

煎じ詰めるとそこへ行くけれど、介護福祉士などの資格と建築士の資格も持っている御仁に入社いただき。

さて、次なるステップを、って算段なんだよね。

どんなコラボが実現するでしょうか、お楽しみお楽しみ、ってことだな。

ありえない会社が創造されるのだろうか。

か、は余分だな、創造されるのです、の方がおさまりがいい。

さて、そんなわけで、少し暖かな大寒の次候へ出かけるとするか。

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表題が浮かんでこない朝。

2022年01月24日 | Weblog

って、イージーな書き方だな。

朝も早よから、鳥たちの餌、ミカンに「野鳥のごはん」、と書いてあるの、をあげた。

この、あげた、という言葉、その昔、妹が小さかった頃、ということは僕も、だけど。

犬を飼っていて、朝ごはんをあげる、と言ったんだったか。

それを聞いた祖母が、そう、明治28年生まれの、だけどね。

犬にあげる、なんて言っちゃだめ、とたしなめられたことがあったな。

犬畜生、という考え方だな。

古来からの仏教ではそういうことになっていたのか、今のペットブームでは置いてけぼりになりそうな。

そんな発想なんだろうな。

僕自身は、幼い頃に犬に噛まれた、なんて経験をしているので、ペットという発想がないのか。

さらに、長じてからは、自分がペットみたいな感覚なんで、だけど。

そういえば、あれは誰だったか、小林旭か、あの子をペットにしたくって、なんて歌詞、あったな。

「自動車唱歌」とか言ったか。

やばい歌詞だよね、実際のところ。

今歌ったらどうだろうな、どんな反響がSNSに出揃うのか、興味深いね。

歌は世につれ世は歌につれ、なんていうけれど、まんま、そんな感じでもあるな。

歌に限らず、いわゆる、常識、とか、世間様、とかの合言葉、ってのは。

今でいえば、例えば、「人流」なんて言葉、ことだまの幸はふ国たる、わが列島での言葉とも思えないよね。

ゆめゆめ油断めされるな、おのおの方。

なんて気分にもなろうってなもんだ。

言葉が変わると気分も変わり世の中の出来事も変わり、って連環、ってのはあるある、だからね。

あんまり、腐したり揶揄したり、ってのは、やめとくに如くはなし、ってことだな。

二元、二項対立、みたいなの、あんまり、流行らない気分、濃厚なんだけどね、ことに、若い人たちにとっては。

無い物ねだりからあるもの探し、ってわけだ。

ところで、いつもの七十二候、残り2枚になった。

5日が二つで、10日だな、新年まで。

すると、初春の、なんて言い方になっていくんだな。

季節感にピッタリな感じ。

年賀状が、初春のお慶びを、なんて文言から始まる異和感、とマドモアゼル・愛さんがYoutubeで言ってたけど。

まさに、暦、ってのは、その土地土地の、ローカルなものなんだよね。

そのローカルの、さらにローカルが、自分の一日というわけで、今日を始めます。

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鳩は何キロ先までも見えるらしいね。

2022年01月23日 | Weblog

道理で泰然自若、人間が近寄っても落ち着いているわけだ。

なんてことを感心したんだけどね。

それにしても、何キロ先まで、なんてのは、すごいものだ。

次男坊によると、メジロもそれに近いそうだ。

人間関係の持ち方なんてのに、似ているよね。

関係というのか、認識というのか、社会生活というのか、ま、言い方はともかくとして。

知っていることは安心、なんて心の動き、あるからな。

知らないことには、怯え、というのか、大体、吠えるよね、人間も犬も。

そんな具合に眺めていると、わがベランダでの鳥生活ってのも、奥深いものがあるってもんだ。

もっとも、そんなことを楽しんじゃう、そのことが、自然からの離反、距離感、みたいなものでもあり。

単に、そうなんだ、そうくるか、とか、へぇー、とか虚心坦懐に眺めているだけ、ってのが賢者の態度。

かね。

ところで、昨日は、大浜公園あたりを初めて走り、どうも、プチ旅ランの様相を呈してきたな。

初めての地、というのは、それこそ、未知との、道との遭遇、って親父ギャグみたいだ。

そんなわけで、また、違った楽しみでもあるんだよね。

これ、おもしろそうだな。

1〜2時間かけて、どこぞの、例えば、新緑の鮮やかな道まで車で走り、その後、1〜2時間走りに行く、とかさ。

桜の季節でもいいし、雲の流れを追いかけて、のあとの温泉もありか。

コロナコロナの自粛、ソーシャルディスタンスなどなどの合言葉をいいことに、の独り走り、っての。

朝まだきの街道を車で走り、少し明るくなった野の道を自らの足で走る、だな。

もう少し暖かくなったら始めるとするか。

今朝のわが方のベランダには、そろそろ、日の出前42分、鳥たちがやってくるんだろうか。

か、というのは、日々新たに、だから、昨日の続きではない、という可能性も残しつつ、だ。

と見やると、既に、スズメの群れがやってきていた。

不思議なことに、いつもは羽をバタバタさせて追い払うヒヨドリも一緒にいるんだよね。

どうなっちゃってるのか。

とにかく、そんなわけで、日々新たな今日が始まっております。

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オミクロンが「猛威」を振るっている。

2022年01月22日 | Weblog

という書き方もできるし。

ヒタヒタとみじかにお押し寄せている波のような感じで。

いろんな物語が紡ぎ出され、色とりどりの人生が動いている。

もう2年になるか、コロナ禍なんて言葉が日常用語になってからね。

おかげで、おじおばの会はずっとできずにいるんだよな。

そんな朝は、ブロウニーさんのブレンド。

このところ、二つの焙煎屋さんのブレンドがお気に入りだな。

プロの技が濃縮されているんだから、味わうに如くはなし、ってことだ。

最近、メジロがやってき始めた、わがベランダ。

となると、あとどのくらいの鳥たちがやってくるのか、なんて、まるで。

まだまだもっともっと、の世界にはまり込みそうだな。

そんな具合にできているのが、現代風なメンタル、ってなことだな、御用心、御用心。

目の前の一つを愛でる、ということから、目の前にない別の何かを、ってやつ。

例の青い鳥を探す、っての。

あるあるの世界といえば世界だけどね。

そんなメンタルとともに、現代資本主義やらグローバリズムやらを批判、批評するなんてのは。

本末転倒、天に唾をするようなもので、すべて、自分の内面が作り出す世界です、なんて言説みたいな話だ。

そう、メジロの話だ。

ヒヨドリが前からやってきていたんだけど、くだんの彼?彼女?

ナワバリに固執するのかなんなのか、スズメは追い払い、メジロまで、という感じなんだよね。

自宅の方では、餌場をうまい具合に共有しているように見えるんだけど、このベランダではそういうことで。

彼らの会話の仕方、人間関係ならぬ鳥関係の持ち方などなど、興味は尽きないわけだ。

そうだ、深夜に大分で震度5の地震、なんてTwitterに流れてきていたな。

天変地異が続く。

人間の世界でも、さまざまな異変が続く。

もっとも、変化変容は世のならい、世の常、ゆく川の流れは絶えずして、ってやつだ。

それをどのように解釈するか、ってのが、当方の当方たる所以で。

さて、今日は、どんな解釈になりますやら。

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