だそうで。
いつものプリウスからの朝のご挨拶、ってなもんだな。
アメリカ大陸のことなのか、それとも、マヤ、インカの金銀を奪い尽くしたと言われるスペイン人の、か。
よく言われる笑い話が、結局、一番儲かったのは、金を掘りに行った人ではなく。
彼らにスコップを売った人、なんての。
それにしても、故郷の貧困由来なのか。
一族郎党を食わせるために、と一家の主人が遠い地までやってきたのかもね。
ある意味、死に物狂いでもあったわけだ。
そんな記念日、ってのも、なかなかに考えさせられる物種だな。
それぞれの物語を携えの遠洋航海も含め、異文化への突入。
物語といえば、昨日来社された御仁、いつものお茶会なんだけど。
自称75歳、人呼んで80歳の、で。
我が母親も、来月の8日で、95歳かな。
あたしももう80になっちゃって、が口癖だからね。
どうしても若い自分であり続けたい、なんて願望の表れか。
それにしても、100歳時代到来としたら、年寄り観とでもいうものの変更、変容、解釈し直しは大事かもね。
くだんの彼、働くということ、労働ということ、経営ということに侵食されている、とでも言えるか。
別に、食べて息して寝て、でいいじゃん、とも思うんだけど。
結局のところ、ないものねだりだよな。
侵食と書いたけど、洗脳とかある価値観に染まるとか、いろいろな解釈が成り立つな。
それこそ、ここらでもっと悪口を書いて免疫を上げるのも一手だ。
ところで、旧暦でいえば、今日までが三が日。
僕の中では、立春が初春の、って感じでもあり、もう少しだな。
新しい七十二候に切り替え、という時の流れを演出している次第。
ふきのはなさく、という第70候の最終日だ。
そこに書いてあるのが、かつて二十日正月というものがあって、正月の祝い納めで仕事を休む。
なんてのがあったらしい。
いいね、お祝いというものを納めるために、仕事を休む、なんての。
とにかく、仕事観、労働観、男女観、食観、何から何まで変わりつつあるような錯覚に襲われる中、でね。
もう一度、そもそも、人間ってのは、って視点も大事かもね。
昨日のお茶会での興味深い話は、またの機会に、って具合だな。
「二十日正月」とは、知りませんでした。
きっと「さくめ」も二十日正月だったんでしょうね(笑)
加茂はどうでした?
二十日正月ですね、お祝いの納め、というのが、なんともこの列島らしい表現だな、と思った次第。
七十二候によれば、今日25日が初天神だそうで、例の、菅原道真公の誕生日が6月25日、命日が2月25日にちなむ、ということらしいです。
「勝美」は入店したことはないのですが、豊橋(二川)にいる息子の所に行くときは、毎回三ヶ日ICを通るため、そのお店の前はいつも通っていて、何となくイメージも頭に残っています。
まあ、天然か養殖かの違いはありますが、うなぎに違いはないので、多分美味しかったと思います。ご同行の方のお名前と同じというご縁が良かったんでしょうね♡