瞑想後、テレビをつけたら、そんなフレーズが踊っていて。
まさに、記録的な暴風、もたしかに、その通りだな、と思った次第。
あれは、何年前になるか。
こんなような日曜日の朝、富士山の麓、浅間神社の近くの現場から。
スマホじゃない携帯電話へかけてきたのが、今は、黄泉の国へ旅立った御仁で。
屋根が飛んでる、うわー、といって、電話が切れた。
掛け直しても、電話に出ない。
おいおい、こりゃ、そのまま、本人も飛ばされちゃったのか、と慌てて、今は専務になっている。
わが社員さんと急行。
大きな現場だったのだけど、何十枚か緊縛してあったうちの一枚の先端が外れていて、それがバタバタしていた。
それを大風の中、しっかり緊結し、ことなきを得たのだけど。
その現場まで行く道中、樹木は倒され、強風の中だし、現場の状況もわからず、なので。
気が気でない、なんて時間を過ごしていたんだった。
その帰り、富士川の橋の上では、大型のトラック、何台かが欄干にもたれかかっている、そんな光景を覚えている。
その時の風速が、瞬間で、50mと言ってたな。
以来、風速の基準がそこにあって、今度のが、東海で60mと言うんだから、そりゃ、大きい。
なんてこと、朝っぱらから思い浮かべて、そう言えば、と。
石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」、そんな題名の映画、あったよね。
台風来襲盛んな今年では、とても使えないフレーズなんだろうな、いかな裕次郎でもさ。
上記、くだんの御仁とは、その後、北海道へ夫婦でゴルフ、とか行ったり。
ふだんは無口だけど、シャレ男で、奥さんにぞっこん、と言うような印象が残っている。
それこそ、裕次郎と同じ、動脈破裂だっけ、なんか、そんな血管の不具合で、帰らぬ人となった。
そんな彼の葬儀も、10年になるか、ならないか。
窓の外は、嵐の前の静けさ。
巴川沿いを犬を連れて散歩している姿、川はいつもの朝のように、流れているようないないような。
今朝は、自家ブレンドコーヒー、マンデリンとルワンダのブルボン。
ブレンドも面白そうだ。
味がね、お互いの主張でなく、融合というのか、テイスティングの素人なので、これ以上。
言葉が出てこないけど、この間、昨日か、アップした古い友人。
彼、ワインのマイスター、じゃなく、ソムリエか、なんだそうで。
ワインでも、やっぱり、テイスティングの記録をとるらしい。
つまり、共通言語を獲得するわけだ。
この味は、こんな風に表現します、という基準をね、じゃないと、他の人にわからないでしょ、ってなもんだ。
という話を聞いていて、言語を獲得する、表現を標準化する、というのは、わかり合う、とかの意味ではいいけど。
多くのものを捨てて行く、放棄する、ということなんだな、なんて大仰なこと。
思ったわけだ。
散在する小さな文明を、大きな文明が飲み込む、それは同時に、言葉を大きな方に合わせる、ということでもあり。
ってね。
ブラジルやなんかの南米って、スペイン語かポルトガル語でしょ。
あれ、複雑な思いが湧いてくるよね。
さて、複雑な思いをこの場に残し、わが骨との対話に向かうとするか。