というのが、今朝の地の神様までの道のり。
蜘蛛の活動が活発になってきたのか、秋の気配の中。
今まではすんなり歩けたところに、朝イチの蜘蛛の巣。
それを払い払い、なんだけど、彼らにだってそれなりの理屈はあるようで、翌日も、って具合だ。
なので、なんとか算段しなきゃ、ってところだ。
なにせ、生きとし生けるものたちと共に、なんて大望を抱いてもいるわけで。
体内、体表の微細菌をバイ菌と呼べば、駆逐の対象にもなり、だから。
呼び名から変えることかもな。
なんてことを朝から考えているのが、9月22日なのです。
これは、一国の政治よりも大きな大事なことでもあるからね、僕にとって。
登山家の野口健さんが、血中酸素濃度が55%とかいったか、マナスルの高所で救助隊によって助けられ。
なんてニュースがあったな。
どこぞの炎症で、とね。
スパイクタンパク由来の、でなけりゃいいけどね。
というのも、わが母親への面会時、傍に置いてくれてある血中酸素濃度の測定器、ほぼ、毎日使っているから。
なんか、そんなニュースの文言も近しいものに思えもし。
90切ると苦しいから、とかの言葉もスタッフさんから聞いたな。
昨日も外の喫煙スペースで女性スタッフさんとしばしの歓談。
どうやら、デイサービスの頃は、我が家にも来てくれたことがある方で、話に花が咲いた。
あのスペース、いいものだ。
ココロもカラダも緩むんだろうな。
この時代、この社会、この世界、緩みを駆逐する方向へ向かっていて、しかも、それが正しい、みたいな。
例の、正という字の語源、成り立ちを白川静さんに習ってご教授申し上げたくもなる次第。
ある制度、ある組織が長く古くなると、どうも、そうなりがちなようだね。
官僚組織、なんてのがよく引き合いに出されたりするからね。
だんだん、創造性をどこかの棚にあげ、って。
創造性というのは、組織の効率化、安定性なんて観点からは、しちめんどくさいことだからな。
そこには、いわゆる「失敗」もあり不都合もあり不具合もあり、と解釈されるんだけど。
そもそも、失敗も成功も存在しない、という観点からは、というわけだ。
さて、つばめさる(玄鳥去)の最終日に向かうとするか。