まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

能力を活かしきらない罪

2022年03月31日 | Weblog

ってのが、わが列島のいにしえの時代にはあったそうで。

天津罪だというんだね。

素晴らしい罪があったものだ。

その観点、視点がね。

あちらの世界、つまり、西欧ね、では、能力を活かそうとしたら罪にされた、なんての、あったよね。

エデンの園でのアダムとイブ。

もっともその解釈は、ちょっと違っていて、神に信をおかず、委ねず、わが道を行く。

ということが、悪魔への道だった、なんてのも、たしか、あったな。

天津罪と国津罪については、なんとかの祝詞に出てくるよね、禍々しい感じで。

それはともかく、自らの力を発揮しきらない罪、という発想がね、いいな、と。

もっとも、そのエピゴーネン、ナンバーツーのような人々は、どんな具合にそれを周知していったのかは。

実のところ分かりませんが。

どのみち、緊張感を強いる倫理道徳みたいなのに、変わっていったのかも、だな。

はともかく、人を生かす経営、と同友会でも言っているんで、それこそ、その教えを生かさなきゃ、でもあるな。

国津罪の方は、律法とか戒律とかで、あれはダメこれはいい、みたいなものかな。

その辺りの立て分けってのが、これまた、一大事でもあって、ことに、今のような時代には。

そこを極めるのが仕事、なんて勘違いが横行しているから、やばい話でもある。

有名な、ポリコレ、みたいなの。

結果、がんじがらめになっちゃって、何もできません、何もしません、言いません、って具合。

Youtubeなんか見ていても異和感あるのは、ロシアのこと、言ってますが、決して。

ロシアがいいと言ってるのではありません、なんての、よくあって。

メジャーな領野では、そんな気遣いも必要なのかもね、何万人もの視聴者を持ってらっしゃったりね。

このタイミングでは、たしかに、時代というのか、歴史的な大転換でもあって。

そりゃ、いろんな意見が出てきてみんないい、ってなもんなんだけど、どうも。

意識の方が、大転換を意識に届けてない、なんてわけだ。

ファクトチェッカーなんて訳わかんないのもあるし、エビデンス病だよな。

その根拠は、そのエビデンスは、ってのが流行ってるけど、たしかに、社内での会議、会話では。

妄想はやめとけ、事実に基づいて、という方向性でもあるけれどね。

ま、とにかく、力を自ら生かしきらない罪、ってのは、つかまえ方によっては素敵なものだ。

すべての人は天才、というのの同意、同義の言葉だ、とほくそ笑んでる次第です。

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ゴッホの誕生日です。

2022年03月30日 | Weblog

というのは、わがプリウスくんだ。

自ら耳を切り落とし、という、かのゴッホだ。

何億だったか、何十億だったかの値がついて、だったな。

存命中の彼は、貧乏暮らしだったんだろうけどね。

なんて書いていても、大して知らないんだな。

ずっと前に泊まった淡島ホテルのロビーには飾ってあったか。

習作という感じの絵が。

今朝は、そのプリウスくんに乗る刹那、霧雨、と浮かんできた。

そんな具合の、雨ともいえない雨が来ていたな。

ところで、僕のタイムラインには、ウクライナがほぼ降伏だね、なんて飛び込んできた。

一方、メインのメディアでは、どんな切り取りが流されるのか。

それぞれに、世界線が分かれていて、早い話が、見たいものをみる、ってわけだな。

今年は、桜の気分ではない、なんて書いたけど、チラホラとそんな話がやってきもし。

そうだな、おじおば会全盛の頃なら、彼女たちも今頃、どこへ行こうか、と画策もし。

だったんだろうけど。

そうだ、このところ、まわりでガンが多いな、という印象だ。

ガンに限らず、どこかが病気です、みたいな人、ね。

それだけ、医療が張り巡らされ、早期発見、早期治療、ってことなのかも、だけどね。

この何十年かで、年間40兆円の医療費、だったか、ほぼ、税収と一緒くらいじゃん、ってことだ。

こうした時代が続くと、人間は病気になるものです、ってフレーズが当たり前化しちゃうよね。

アイヌだっけ、どこだったかの先住民には、病気という言葉がない、なんて話。

そんなことも思い出すな。

しかし、ヒヨドリたちもエライもので、早稲の甘夏には目もくれずに青島みかんだ。

甘さが違うのか。

いつだったか、春野町の大光寺じゃなく、なんだったかな、そのお寺でご住職の奥様と話になって。

住職が電流を流してくれるんです、じゃないと、猪が食べちゃうんです、って。

百合の根なんかも、ね。

その時に、人間が美味しいと思うものは猪も美味しいんですね、と。

そんなことを思い出したな。

さて、今日を始めるとするか。

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おたがいさま、ですね。

2022年03月29日 | Weblog

と返したら、気持ちのいい笑顔がやってきた。

今朝の一コマ。

いつも早いね、とご近所か、見知らぬ方からの声かけ。

くだんの御仁は、ライトを片手に朝の散歩という風情。

瞬間だけど、それがこんな具合にブログに書き込まれ、って次第で。

人生の妙味とでも言おうか、極意と言い換えてもいいくらいな話だな。

実は、この瞬間しか存在しない、とも言われるんだけど、そこはそれ。

わが邦の認識の仕方、心の動き方、ありよう、心の収まりどころってのは、なかなかに厄介でもあり。

過去ってやつね、あるいは、未来、ってのもあるか。

それらに揺れ動き、ってわけだ。

もっとも、それはそれでそうなっているわけで、そこへの反逆を試みても、どうなのかね。

瞬間瞬間を生きている、というのは。

いずれにしても、現在、まわりで起こっていることは、この瞬間と過去と未来をどんな具合に落着させるか。

くらいの話だと思っているんだけどね、最終的には。

ロシアが勝った負けた、とか、東西冷戦模様の云々、ゼレンスキーが、とか。

国際金融マフィアが、とか、あと何かな、とにかく、おどろおどろしい言葉が後から後から。

ついでに、ウイルスと呼ばれているモノ、またゾロの変異、とかさ。

物質が主人です、の世界では、あれやこれやの、それこそ、「変異株」が次から次へ、だよな。

とはいえ、霊主体従だっけ、そこでいう霊の世界も、体を引きずりながらの主人だからね。

ま、表題のように、おたがいさまの世界をどう現出させるか、だな。

おまえもあほや、わてもあほや、って言ったのは、稲盛和夫さんだったか。

と巴川に目をやったら、いつもの180spmの女史だ。

そのほかにも、新顔のランナーが走っていく。

春だね、明るい朝だね、ってことだ。

もと自治会長さんと副会長さんが、歩きすぎていった。

さて、こちらも、次なるルーティンへ、だな。

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静かな朝だな。

2022年03月28日 | Weblog

鳥たちが速攻やってくるかと思いきや、静かだ。

今朝は、骨ストレッチをやりながら、創始者の松村さんや彼と対談していた武術家の甲野さんのこと。

思い出してもいた。

甲野さんは、ここずっと、パンデミックと総称される世情についてのツイートをしている。

ところで、ロシアの天然ガス、ガスプロムという会社が輸出しているそうだけど、株価ダダ下がり。

その底値を、ゴールドマンサックスとあとどこだったか、モルガン・スタンレーか。

買い漁っている、なんて話があったな。

おいおい、またかよ、ってなもんだな。

流れてくるニュースは、まずは眉唾もの、ということだけど、性格悪くなっちゃうよね。

なぜお前は素直に信じられないんだ、受け取れないんだ、みたいな話だな。

という間に、平安貴族も飼っていたというヒヨドリが大きめのみかんを啄んでいる。

いつものお約束、ってことで。

これをもって日常という、だな。

今朝は言葉が出てこないので、ここらあたりでやめにしときます。

 

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鳥たちの朝が早くなった。

2022年03月27日 | Weblog

のではなく、日の出が早くなった。

とも言えるし、人間界だけは、それらと別物の時間を流している。

ってことになるか。

というわけで、僕が事務所に着いた時間には、すでに彼ら、準備万端。

中には、囀りで、おい、待ってたぞ、みたいなメッセージも。

たしかに、明るくなるのが早いよね。

季節は巡る、という言葉に置き換えちゃうか。

ところで、第11候は、桜始めて開く、なんだけど。

この、始めて、と言ってた頃は、河津桜みたいなの、人口に膾炙してなかったんだろうな。

あれも、作られたもの、といえば、そうではあるけれど。

それにしても、僕の中だけなのか、なんだか、今年は桜を愛でる気にならないんだよな。

もっとも、その時期にちょっと車で走ったりすれば、満開の桜に出会ったりするんだろうから、変わるかも。

だけどね。

気分の問題だな。

911、311に次いでの、どうにも居た堪れないような気分なんだよね。

一体全体、どうなっちゃってるんだい、ってんもんだ。

コロナパンデミックに続く、ハートランドでの諍い。

その過程で明らかになる、いわゆる分断みたいなもの、ね。

ついでに、その裏側に潜む、と言われているさまざまなことごと。

そうだった、今日は、「哀しみの河岸の市」なんて表題で進めようと考えていたんだった。

忘れてた。

これは、またの機会に、ってことで、次なるルーティンへ向かうとします。

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寿命は誰が決めたのか。

2022年03月26日 | Weblog

今朝の表題は、大きく出たけれど。

越前、小浜の魔女というか比丘尼は、700年。

武内宿禰は500年だっけ、忘れたけど。

インドの聖人、ババジだったか、彼は6000年か、しかも、若いカラダにすり替わっての、だ。

あと、歴代の天皇、どなただったか、相当長い方もいらっしゃる。

ニビル星からやってきたアヌ族、彼らは80万年だそうで。

星回りで、土星だったかな、その間は30年、その次が60年、今は84年、なんてのが。マドモアゼル・愛さんの弁。

と言いつつ、ちょっと曖昧な書き方だな。

はともかく、そんな具合にさまざまだ。

世に、反逆者は数々あれど、寿命というのか、死んでいくことについての反逆者は、あんまり見かけないな。

と思った次第。

社会の仕組み、考え方、イデオロギー、パンデミックなんかに、楯突く方々はあまたいる中で、だ。

俺は、寿命というものに逆らうぞ、なんての。

粛々と、「人には寿命というものがあるんだから仕方ないよね」的な話になりがちだ。

どこかにいないかな、反逆児。

ちょっと、探してみようかな。

もっとも、かくいう僕は、死なないと思っているのだけれど。

僕、が死なないのか、僕を表に押し出している源の意識というのか。

そもそも僕ってなーに、って、その昔の芥川賞作家の、誰だっけ、三田誠広か、その書名みたいな。

なんてたわいもないことを書きつつも、今朝は朝イチで走ってきた。

先週は、どうも身体が重いな、という感じだったけれど、今朝は軽かったな。

ほんとに、日々新たに、日に新たに、ってなもんだな、わがカラダも。

 

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最低賃金が上がるらしい。

2022年03月25日 | Weblog

上がる、というと確定みたいだけど、そんな検討に入っているらしく。

昨日、同友会の理事会があって、リモートでのブレイクルームでの会話。

いや、最後のご挨拶をされた女史からか。

いずれにしても、そんなことが話題になるのも、世を上げての、日本の賃金は上がっていない。

お隣の国よりも低い、とか、世界で何番目に落ちた、とか、世情で囁かれ、騒がれ、雄叫びをあげ。

みたいな気配だよね。

ことあるごとに、生産性が低いので、なんてフレーズ、気候の挨拶みたいなものになりつつあるからね。

ロシア危機からの金融崩壊、なんてことがヒタヒタと押し寄せつつありそうな、そんな中での。

だな。

ところで、ベランダのヒヨドリのみかんの食べ方、一気呵成、って感じだな。

腹も身のうち、というからね、なんて声のひとつもかけたくなるくらいのもので。

なんて他人のこと言いつつ、こちらも似たようなものかもな。

あそこの何がうまいそうだ、なんとかの出しているあれが美味だそうだ、とそうだ村の村長さん、って具合。

カラスが何百年来の、いや、八咫烏から計算すると、何千年来かの声で。

久々に鳴いている。

さて、次なるルーティンを始めるとするか。

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メジロを眺めているのはいいな!

2022年03月24日 | Weblog

今朝は、そういうわけで、メジロくんがほぼゆったりとみかんを啄んでいた。

いつもなら、ヒヨドリの襲来に備え、なんだけど、ね。

まったく、人間模様を仮託して、って具合だよな。

あるある、的な。

鉄砲で撃たれる、わけじゃなく、言葉や態度で撃たれる、ってやつか。

それに怯えたり、強がったり、ま、いいから、楽に行こうぜ、ってなもんだけどね。

そこがそれ、それぞれの世界線を生きると定義づけられた、人間ってやつのサガでもあるか。

づけられた、のか、づけている、のか、微妙でもあるけれど。

今、川向こうを180spmの女史が走り去っていった。

変わらぬ日常だ。

と見る間に、ヒヨドリが番なのか、二羽でやってきて、メジロよりも荒々しくみかんを啄み始めた。

巷では、青島みかんから八朔やはるみに変わってきている。

わが邦のみかんも、残り少なくなり、そこに季節の訪れも感じつつ、だな。

こんなに食物に恵まれた「野鳥」たちも、史上始まって以来、なのかも知れず、彼らの生態系を。

大きく変えちゃっているのかもしれないな。

ごめんごめん、と誰に謝っているのか、創造主への陳謝か。

このところの世界線を眺めていると、大きな変換、転換のタイミングだと思うのだけど、その割に。

日常は静かに流れているのが、不思議でもあり。

もちろん、飛び交う言説は、おどろおどろしかったり、不安、苦悩であったり、だけどね。

結果、明日は永遠に訪れず、ってことになるな、たぶん、きっと。

今、いま、現今、中今、いまここ、みたいな。

ではあるけれど、時折訪れる直感、直観、ね。

それもあったりもするんで、だけど、それも、単に今に佇んでいる結果でもあるか。

なんてことぐだぐだ書いているのも、円安を止めるために金利を上げると更なる円安に向かう、なんて言説を。

いつもの吉田繁治さんのメルマガで読んだりしたせいかな。

ま、いいか。

そういうわけで、メジロくんを眺めているのはなかなか素敵なことです。

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ミッシャ・エルマン

2022年03月23日 | Weblog

今朝の表題は、ウクライナのヴァイオリニスト。

と言っても、そのくらいしか知らなくて、なんだけどね。

トロイメライとかhumoresqueとか、いいんだよね。

あのハートランドの戦禍の地に想いを馳せつつ、ではあるんだけど。

かつて、若かりし頃、ベトナム戦争に反対した、反戦平和、を叫ぶほどではなく。

まわりで起こっていることごとにも、なんらかの関係があるような、そんな立ち位置からの。

想いを馳せる、だな。

キエフ。

かの地は、たしか、ドストエフスキーの「悪霊」の登場人物、ニヒリストのキリーロフ。

だったかな、彼の出身地だったか。

今更ながらに地図を眺めると、フランスまで地続きだから、馬車に揺られだったのか。

彼のまわりには、おフランス帰りの、鼻眼鏡のインテリもどきが来ていたな。

ロシア語にフランス語を混ぜて話す、っての。

今のわが邦にも似てるけどね。

出羽守(でわのかみ)、おフランスでは、とか、アメリカでは、とか。

キエフ・ルーシ、ベラ・ルーシ、モスコー・ルーシ。

スラブ人たち、slaveだっけ、奴隷の民、なんて不名誉な名前が残されているんだよね。

常に西の方からの侵略のなせる技、とでも言えるか。

歴史ってやつの野蛮さ、理不尽さの証左とでも言おうか。

理不尽というのか、ある民族、種族の生き様の証でもあるね。

それぞれにそれぞれの理由があり、というわけだ。

わが邦でも、風よ吹いてくれ、という精錬の民の祭りと風よ吹かないでくれの農耕の民の祭り、ね。

みんな違ってみんないい、とも言われるんだけど、ある時には、その違いのために、お互いの殺し合い。

なんてのが、数えきれないくらいにあったんだよな。

だから、自分の中にもある、そんな違いへの抗いを、よく見つめて、なんて言説もあるにはあるな。

イエス・キリストが、右を叩かれたら左の頬を出しなさい、なんて言っていた、という話もあるしね。

原罪なんて概念も西欧由来の地では流布しているか。

それにしても、ミッシャ・エルマンのヴァイオリンを聴きながら、こんなこと書いてるってのも。

まったく粋じゃないよね。

とわが身の原罪を振り返りつつ、今日へ出かけるとするか。

 

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雀始めて巣う(すくう)の春分・初候

2022年03月22日 | Weblog

スズメが巣を作り始めるというんだな。

家族を持とうとするのか。

コロナ憎し・怖しからプーチン憎し・怖しへの移行、みたいなこと、書こうと思ったんだけど。

そこはそれ、このまったり感満載のブログには似合わないか、ということで、春分・初候にした。

くだんのスズメくんたち、天と地からどんなメッセージをいただくのか。

なんてことも考えもせず、言葉にもせず、か。

言葉、ってのは、不思議なものだよね。

なきゃないで寂しいし、あればあったで、めんどくさいし。

もっとも、言葉がなければ世界を切り取ることもできないのが、今のところの我が認識だな。

さらに、言葉につられて脳内に映像を作りだし、だよね。

有名な、インカだっけ、マヤだっけ、の話、スペインの大きな船がやってきた時、彼らには見えなかった。

なんての、ね。

知らないものは見えない、というわけだ。

だから、未来は見えない。

たまに、こっそりと未来へ行ってきて、はい、こないなりました、というチャネラーさんもいらっしゃるけれど。

それはそれ、彼女、彼の視点からの未来像だしね。

俺のは、それと違うよな、きっと、ってなもんだな。

もっとも、出口王仁三郎の予言の書とか、聖書の予言の書とか、これだけ激変出来の時には、何かと。

話題にもなるんだけど。

ところで、今朝はグアテマラのラスロマス。

甘くてほんの少し苦味があり、お彼岸にはお似合いか。

ご先祖様との再会、邂逅、とでも言おうか、お墓参りをして、思い浮かべる。

その仕儀が、甘くもあり、苦くもあり、なんてね。

昨日も妻とお墓参りの時、俺も、あと50年もしたらここへ入るのか、と冗談とも本気ともつかない言葉を放ち。

なんたって、ギネス挑戦、みたいな気分でいるからね。

その時には、子どもたちがいくつで、なんてね。

はともかく、春分の甘さと苦さを共に味わうとするか。

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