まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

おやじのピークはいつなんだよ!?

2015年07月31日 | Weblog

今朝の表題は、知る人ぞ知る、天才桜木のセリフ。

のパクリ、なんだけどね。

バスケットボールの漫画、「スラムダンク」より、と。

全国大会、山王戦で、背中を痛め。

このまま、試合に出続けたら、選手生命の危機がくるかも、という。

コーチや安西監督へ吐いたセリフなんだね。

おれのピークは今なんだ、という。

禅僧が、静かに言いそうなことを、彼は、やかましく、けたたましく吐き出すわけだ。

究極の境地でもあり。

実のところ、明日は永遠に訪れず、ってことでね。

ま、昨日のエントリー、おまえはゴッホになれ!ってことでもあるね。

あの、エキセントリックな版画家、だれだっけ、彼も、なんか、そんなこと。

言っていたよね。

誰しも、もちろん、高名な芸術家なんかにかぎらず、人生の真実の瞬間を。

表出、というのか、体現、というのか、そんな場面はしこたま持っていて。

っていうのが、人間ってやつでもあり。

だから、面白いね、ってことで。

そうそう、上記の版画家、おだはゴッホになる、だっけ。

棟方志功だったね。

ところで、ゴッホが、耳を切っちゃったのは、なんだったんだろう。

五蘊皆空、じゃないけれど、耳も目もじゃまになっちゃったのかな。

存在そのものである、というためには、五感が邪魔をする、というのかね。

わかりません。

今、セミが鳴いているんだけど、あるいは、ちょっと、遠方で、車の音。

こんな音を、いちいち、セミだの車だの、と区分けしないで。

音そのものを聴いている、という経験を続ける。

ってのが、なんとかという手法らしく。

溝口あゆかさんという、イギリス在住の方が、話していた。

早い話が、宇宙のはてはどこ?みたいな質問に、たぶん、だれも答えられない。

という程に、人間の認識能力ってやつは、あるいは、能力というより、仕組みがね。

不完全なもので、それを、何十万年だかかけて。

自分自身に言い募って、これがデフォルトの人間の認識能力、仕組みです。

ってことにしてきちゃった、とでもいうのかね。

そんなことはともかく、今日は。

この間の、わが人生初の山行をサポートしてくださった方々と。

夕食をいただき、ということで。

そう、今朝は、タイムのドライハーブを飲んでます。

なにせ、この暑さ、わがベランダハーブ園は、しばしの休憩だな。

 

 

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1円も使わないと快感なんです。

2015年07月30日 | Weblog

表題は、昨日の営業会議。

弊社、新入社員くんのコメントなんだけどね。

ま、わが長男坊で。

節約生活しているので、というわけだ。

これね、21世紀の、代表的な、あるいは、必須の理論につながると思うんだよね。

人間や草花が成長する、と使うときの、成長、という言葉を。

経済学とかいう、あるのかないのか、実のところ、わけわからないものにまで。

経済成長、なんてあてはめて、というところがね。

ある種の、洗脳、価値観の強要、みたいなところにつながり。

不幸のドツボに落ちてゆく、というありがちな。

ストーリーから、逃れ出るためには、とても、大切な「理論」です、まる。

ってことで。

そもそも、「理論」なんて、書いてる自体で、価値観の強要につながりそうだけど。

ところで、去年とれた種を蒔いた、今年のアサガオがね、大きな葉っぱをつけなくて。

なんて話をしていたら、F1かもね、なんてコメントをいただき。

おいおい、アサガオにまで、あの、なんとかいう会社のコンセプトというのか。

採れた種からは、次の世代は生まれません、というね。

なんとも、胸のあたりに、乾いた風というか、油のきれた歯車が音をたてているような。

そんな気分になる、F1コンセプトですが。

このところの暑さで、わがハーブたちも、省エネ飛行、というか、省エネ生活に。

長男坊の節約じゃないけれど、そんな具合で。

地表での活動を、しばしお休みし、地中でのひそかな、蓄電をしているようで。

そんななかで、地表活動を継続中の、ローズマリーとレモングラスとセージを摘み。

今朝のフレッシュハーブティーなのであります。

表題もそうだけど、煎じ詰めると、その気になる、ってことで。

なんにしても、身内からたぎる思い、ある人は、パッション、と呼んだりするけれど。

そこんとこ、テストに出ますよ、ってわけだ。

もうね、自分への嘘はやめとこうか、とね。

よく言われる言い方ね、今日、死ぬとしてそのことをしますか、なんてのね。

アップルのジョブズも言っていたんだったか。

吉田松陰だったか、本居宣長だったか、やむにやまれぬ、と言っていたよね。

そのあとに続く、大和魂、ってのは、どうも、「理論」になっちゃうんだけど。

それはおいて、やむにやまれぬ、って思いを、ほんとのピュアな思いを。

そりゃ、一番の大事なものにしてだね、なんだけど。

その、思い、ってのも、なかなか、フィルターがかかっちゃっていて。

微妙なんだよね。

なので、瞑想やら座禅やら、っていう静寂の時があれば、なんてことにも。

つながるんだろうけど。

あるいは、少思多動、だっけ、たくさん動けば、考えが少なくなります。

ってやつね。

もうね、山歩きなんて、最高だね、って我田引水になっちゃうね。

職人の技、匠、なんてのも、出来上がった作品がとやかくされるけど。

実際のところは、製作中の、現場での施工中の、作っているそのものになっちゃう、ってところがミソなはずで。

他人の目は、必要ないんだけどね。

そうはいっても、今日の飯をたべなきゃ、なんていう、そんなおそれが邪魔しちゃうんだよね。

なので、今日からお前はゴッホになれ!ってわけだ。

作品への評価なんてのは、死んだあとでいいんだ、あるいは、どうでもいいんだ。

というね、雄々しい、と書いたら女性に叱られるんで、潔い、という境地だな。

なんて書いてくると、今までのことがすべて、つながるような気もしてね、この60年なにがしの。

歲月がさ。

おやおや、お寺の鐘、増上寺さんではないけれど、セミの鳴き声を包容するように。

鳴っているんだけど、「芝浜」でも、くまさんが聞いているのかどうなのか。

 

 

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セミがけたたましく鳴いている

2015年07月29日 | Weblog

ここのところ、お暑うございます。

というような時候の挨拶がね、デフォだけど。

それに呼応するように、表題の如くで。

やけに、今朝は、張り切っているな。

酷寒の冬ともなれば、あの頃がなつかしい、なんて思いももたげ。

なんてことでね。

比較の問題ですね。

しかし、おかげさまで、あんまり、暑さ寒さを口に出さない。

というクセ、というのか、仕儀、というのか。

もちろん、そりゃ、オトナなんで、それなりに、応じもするんだけど。

それにしても、やっぱり、ここのところの猛暑のせいか。

わがハーブも元気がなくて、へたっている。

今朝は、そのなかでもとりわけ元気な、レモングラスのみ。

というフレッシュハーブにあいなり。

消化を促し、神経の昂ぶりをしずめます、ということだ。

昨日の午後は、浜松で会合、とってかえして、静岡で、またまた、会合。

ということで、よく歩いた。

1万歩を超えたからね。

最近、iPhoneの何とかというアプリが、自動で。

歩数やら階段の数やらを、算出してくれるんで。

なにせ、年に似合わぬ使い手、ならぬ、なんだろう。

山登りをスマートにね、「風の王国」の主人公のような歩きを。

なんとなく、目指してもいるんで。

このところ、歩くのが楽しみに変わってまして。

このブログを始めた頃、寄ると触ると、糠漬けの話だったのを思い出すよ。

今は、歩き、というか、山行、という具合で。

浜松の、遠鉄ビルかね、その最上階に、谷島屋があって。

そこで、ぱらぱらと、山コーナーで、地図の見方やらなにやら。

さまざまな分野で、いろんな方が、活躍されているんだよね。

好日山荘で、物色していたら、近くの画面から、DVDが流れていて。

山歩きの初歩的な注意点について、やっていて。

なるほど、YouTubeって、手があるな、と気がついた次第で。

便利な世の中です。

それでも、まだ、何か不満、あります?ってくらいだね。

こんばんは、田中会と銘打って、お座敷をつけていただく。

つまり、芸者さんの踊りを見ながらの酒宴で。

10名くらいかな。

もう、そのメンバーとは、どうだろう、20年になるか、いや、25年か。

そんな古くからの知り合いと、累積にすると、何百回にもなるのか。

合って話す、なんてことがね。

いくつくらい言葉、交わしたんだろう。

それこそ、iPhoneのアプリでも、登場しそうだね、そのうち。

なんのたれべえさんとは、こんな会話をしています。

なんてね。

今でも、グーグルおじさんやアマゾンなんかでは、おせっかいにも。

あなたのお好みは、こんな本です、こんな動画です。

なんて、教えてくれるからね。

というわけで、本日は、営業会議です。

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今度は安倍城だ

2015年07月28日 | Weblog

という気になっているわたしですが。

どうやら、洞慶院から登るらしく。

おもしろいもので、あることに、興味が湧いてくると。

そのことについて、話すでしょ。

すると、え、あなたもそうなんですか、という感じで。

あそこがいい、ここがいい、という情報が寄せられるわけで。

これ、会社の経営にも生かせますね。

もちろん、人生一般にも、だけどさ。

身内から沸き上がるものから、まわりで起こっていること。

は、始まるんだね。

それはともかく、安倍城といえば、浅羽さんの「安倍七騎」に出てきたかな。

時は元禄、じゃなく、今川から武田にうつり、さらに、徳川に、という。

駿河の中世から近世にかけての、という時代だね。

あの頃は、もちろん、フランス由来の人道主義なんてのも、影も形もなく。

かどうかは、知らないけれど、なかなか、えぐい、人間ドラマが繰り広げられ。

今から見れば、良家の子女は眉をひそめ、なんてこともたくさんあったんだろう。

なんて時代を、追想するように追走する、ってのは、どうでしょう。

以前から、泊まりの旅は、なかなか、大変なんで、なんていう声もあって。

じゃ、安倍七騎の足あとを、たどりますか、日帰りで。

なんて言っていたんだけど、そこはそれ、こちとら、まったく土地勘がなく。

なので、ペンディングになっていたんだね。

ひとつところが、開かれると、つまり、一点突破全面展開、なんて懐かしい言葉。

思い出すような、そんな展開だな。

浅羽さんのご本によると、三河から徳川の精鋭部隊というのか。

が、まず、井川から攻めて、駿河の地に入ってくる。

というシーンがあって、ほう、井川ですか、なるほど。

と隣のご隠居みたいな感想を持って、そのまんまになっていてね。

車もケーブルカーもない時代、途方も無い山奥、ッて感じでしょ。

五木寛之の「風の王国」じゃないけれど、山の民、という人々を。

思い起こしもし。

賤機山の、武田の裏街道もそうだけど、今は上書きされてしまった。

道というものね。

そこには、さまざまな、生き様も眠っているわけで。

そんなわけで、次ぎの休みは、安倍城へ行こう。

かな、と思っている次第で。

安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏、と賤機山城跡には。

書いてあったからね。

こりゃ、南朝と蝦夷由来だろう、安倍川と山歩き、の3点セット。

が、そろい、わが故地、駿河を深く掘ることと。

わが細胞の奥底から揺り動かされる、という山登りが。

ジャストフィットしそうな、そんな塩梅です。

 

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武田の裏街道を歩いてきた

2015年07月27日 | Weblog

日和って、なんて、昨日の表題に書いちゃったけど。

僕的には、ひよるどころか、ハードな道のりで。

6時から歩き始め、浅間神社のお休み処へ戻ったのが。

12時半くらいかな。

お腹もすいてきて、水も残り少なくなって。

浅間神社から鯨ヶ池まで、というコースをひたすら。

途中、お茶畑の中を通りながら。

しかし、鯨ヶ池まではいけず、福成神社で折り返し。

この神社は、豊受大御神が御祭神で。

つまり、伊勢の外宮と同じ神様ですね。

 ここのご由緒に、表題の武田の裏街道だった、と書かれていて。

しかも、その宿泊所だった、というんだね。

なので、往きは徳川方の密偵のような、帰りは武田方の侵略軍の尖兵のような。

そんな行程だった、とも言えるけど、とても、兵隊さんのような歩きではなかっただろうね。

なにせ、武田方は、甲府あたりから、やってくるんだろうから。

その間、歩きづめ、という感じでね。

この神社のずっと手前、つまり、浅間神社側に、賤機山城の跡があって。

そこの高札によると、南北朝の動乱期、14世紀に、今川方が築いたようで。

安倍川の西岸に、南朝方の狩野氏が、対峙していたので、それに備えて、と。

してみると、今川氏は、北朝方に与したことになるね。

その後の、駿府には、今川焼きしか残っていない、という印象も、なるほど、という感じでもあるな。

明治になって、南朝方の天皇になった、なんて話が、ひそやかに、どころか。

いや、やっぱり、ひそかに、か、語られたりもするからね。

それにしても、2万6千歩を歩き、今朝は、筋肉痛です。

ほら、ああいうところでは、おはよう、とか、こんにちわ、とか、挨拶を交わすでしょ。

道中、印象に残っている方が、何人かいて。

一人は、40代かな、女性で、こんにちわ、暑いね、と、扇子で仰ぎながら登ってきて。

僕が、八幡山かなんかを眺めながら休んでいると、また、さわやかに、仰ぎながら、帰っいった。

ありゃ、そうとうの使い手だわ。

五木寛之の、「風の王国」に出てくる、名前忘れたけど、女性の主人公みたいだったな。

歩くのが超早い、風のようにすり抜けていく、というような。

風といえば、その休憩中に吹き抜ける風が、なんとも言えず。

この世の至福とでも言っちゃいたいくらいで。

ちょうど、その時、妻から電話があり、こちらはとても暑いけど、大丈夫?、ってわけで。

状況を説明したんだけど。

しかし、汗をかいたな。

何年ぶり、何十年ぶりかね、タオルが絞れたからね。

そうそう、今川と狩野が対峙し、南北朝の動乱は、北朝方の勝利、というか、そのまま、戦国の時代になっていくのか。

賤機山城も、今川方から徳川方へ、そのときに、廃城になったらしい。

そんな歴史を巡ってきての、あの城跡だ。

そこを、えっちらおっちらと、通り過ぎる我が姿を、時をたがえた彼らは、どんな風にながめていたのか。

というわけで、わが賤機山トレーニングは終了したのでした。

 

 

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日和って賤機山です。

2015年07月26日 | Weblog
越前岳へ、なんて、豪語していたんだけど。

脆くも、怖じ気づき。

予定変更。

今、目の前の景色は、これです。



賤機山城の跡を過ぎ、桜峠へ。

シニアの方々も、軽快でね。

ちなみに、ここは、年金者組合、お休みどころ。

って書いてあるベンチ。

お、今、ウグイスの谷渡り。

彼らも、元気だ。

ところで、そういうわけで、越前岳、断念しました。

と、メッセージを、師匠に送ったら。

登山者、たくさんいるから、全然、大丈夫ですよ。

だって。

またのお楽しみです。

さて、もう少し、ハイキングコースを行くとしようか。
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ハーブの茎をとりながら資本主義の終焉を

2015年07月25日 | Weblog

今朝の表題、中途半端でしょ。

実際は、ハーブの葉だけを残し、そこへ熱湯を注ぎ込み。

という作業のことなんだけどね。

ミントとレモンバームとタイム。

これを、一つひとつ、丹念に、茎から葉っぱだけとる。

とね。

なんの拍子か、今朝は、たくさん、採っちゃって。

で、昨日に引き続き、なんだけど。

その作業中にね、これ、たぶん、少しでも早くやろう。

とかね、いろんな道具を考案して、作業効率、能率をあげて。

なんてこと、だれかは、考えるだろうな、あるいは。

今までも、いろんなこと、考えてきたんだろうな。

それも、うべなるかな、で。

忙しい主婦にとって、そんな悠長な時間はありません、とかね。

ひもじい幼子が、むずがりながら、傍らにいたとしたら。

なんとか、この作業を早く終えて、お乳をのませなきゃ、とかさ。

理由は、いろいろあるんだけど、その作業をやりながら。

その先のことを、その先の手順、段取りを、あれやこれやと模索する。

これが、製造業やら建設業やらでは、なかには、ストップウォッチをもった。

おじさんやらおにいさんやらが、いかめしい顔をして。

はい、今の作業工程は、10.5秒、今度は、10秒切りましょうね。

と、100mの桐生くんに空気いれる、みたいなね。

「資本主義の終焉」というのは、水野和夫さんの書いた新書で。

もう少し長い書名かも、だけど。

100万部まではいかないだろうけど、経済本では、売れている部類にはいる。

くらいの本ですが。

近代、というのは、もっと遠くへもっと早く、という合言葉。

で表される、と言うんだね。

遠く、というのは、新大陸を発見し、そこの資源。

ま、人間も含む、かっこ。

ってくらいですが、そこで、いきなり、簒奪し、とか。

未開の地から文明開化の地へ、資源・人を強制的に移動させ、とか。

いろんな言葉を使えるけど。

化外の民を教化して、とか、文明に預からぬ人々をわが神の名のもとに。

結集せしめ、より幸せな暮らしを、提供します、とか、言い出したらキリがないくらいの。

言説はあるけれど。

そこ、主題ではないんで、やめときますが。

そんな遠くへ行く、ということと、早くやる、早く移動する。

という2つのキーワードだ、と。

馬車が自動車になり、飛行機になり、というね。

しかし、そのしくみ、というのか、発想、というのか、ま、考え方。

価値観がね、終焉を迎えつつあるんじゃね、ってのが。

彼、水野和夫さんの論なんだけど。

ハーブの茎をとりながら、そんなことが、浮かんできたわけだ。

人間の本性に根ざすものなのか、あるいは、古代の人々であったら。

花を摘む乙女のように、防人ということで、遠くへ旅する、愛しい人の。

道中の安寧に祈りをこめながら、だったのか。

そんなに言葉の豊富でなかったころであれば、ハーブそのものとの。

会話を交わしながら、ゆったりとした一時をね。

まるで、禅家の食事風景のような。

そんな時代も、あったんだろうしね。

なんてことが、キーボードの先から溢れてきているんだけど。

今日は、おじおば会、なのです。

もうね、待ちきれないくらい、低学年の子たちが遠足を待ちかねて。

という風情で。

今月はいつだっけ、と何度か、おじからの電話があったりね。

さて、どちらへ行くことにしようか。

西方面は、帰りが、安倍川の花火に重なるかも、という妻のアドバイスもあり。

なんだけど、わが母親に、何回目かの、今日がおじおば会であることを伝えると。

じゃ、うなぎだね、と先月も行った西方面の、さくめさんの話になり。

なんだろう、おいしい、とか、小さな頃みた光景の楽しさ、とか。

そんなことが、すべての記憶が残っている、という玉手箱から、うなぎ。

という言葉を引っ張りだすための、大きな力になっているのか。

認知症とは言いながら、その意識の流れ、というのか、仕草のあれこれ。

ってのは、認知症ではありません、と診断されている我が身としては。

べんきょうになるのです。

ある説では、認知症は、死への恐怖からの逃走だ、ってのもありね。

たしかに、わかりやすくはあるけれど。

じゃ、僕は、人は死なない、と考えているので、認知症にはならないかね。

多少の記憶喪失は、かんべんしてもらうとするか。

そんなこんなで、信州にするか、富士五湖か、塩山の恵林寺ってのもありかな。

 

 

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今朝は表題が浮かんでこない

2015年07月24日 | Weblog

ので、書き出しがむずかしく。

というわけだけど。

そこはそれ、キーボードにつながる指先が、なにやら考えてもいるようで。

こんな具合に、文字の羅列が始まるのですが。

そう、今朝は、ハーブの、例えばミントなんかの、茎を丁寧に取り除き。

葉っぱ一本、ということで、やってみた。

どこかのサイトに書いてあったのを、思い出し、ね。

どうだろう、多少、変化はあるのか、たしかに、刺激が少なくなる。

とでもいうのか。

あるいは、ハーブそのものに限りなく近い、とでも言えばいいのか。

そんなわけで、フレッシュ・ミックス・ハーブティーで。

カタカナ文字が長いけどね。

この、カタカナ文字の原型が、カタカムナ、なんて話もあり。

下をかまないでくださいね。

平十字(ひらのとうじ)という、山の民から、楢崎さんという物理学者。

だったか、がお預かりし、それを、現代語に翻訳して、なんて本を。

自家出版で、何冊か、持っているんだけど。

平十字が、山の民と言っちゃえるのか、は、ともかく。

一子相伝、口伝、代々、口伝えで、言ってみれば、1000年、2000年の単位なのか。

伝えてきた、というんだけどね。

じゃ、カタカムナ、ってのは、なんなの、140字で答えてください。

というリクエストがあっても、無理です。

難しくて、途中で読むの、やめちゃいましたし。

印象にのこっているのは、例えば、記憶ね。

あることが、思い出せそうで思い出せない、なんてこと。

あれ、宇宙をめぐるほどの、大きな楕円軌道に、乗っちゃう。

というんだね、考え、というのか、記憶、というのか、思いつき、ってのが。

なので、また、運良く戻ってくるには、ぐるーっと回ってこないとね。

なんてことかな。

もっとも、宇宙規模の楕円軌道でも、時間空間はない、ということであれば。

戻ってくるのも、瞬時、ということだけどね。

日本には、文字はなくて、中国由来の漢字がその原型で、なんてことだけど。

実は、日本にも文字がありました、神代文字といいます。

なんて説もあって。

あちこちに、そんな足あとが残ってもいるようで。

なんて書いてくると、ドツボにはまっちゃいそうだけど。

いわゆる定説と、実はですね、とひめやかに、ひそやかに語られることってのが。

あるわけだ。

富士と沼津の境にある、なに神社だったかな、飯綱神社か、そこの宮司さんは。

たしか、天皇家より古い、256代だったか。

そこへは、何回か、訪れたりもしたけどね。

愛鷹山麓は、富士山の噴火の影響が、富士吉田側よりも少なく。

なので、実は、いろんな古いものが、残っているのです、なんて話やらね。

アヒル文字なんてのも、あるようで。

信州は、安曇野のちかく、だったか、そこに碑がある、と。

一時、富士に、実は王朝があった、なんて説を、民間歴史家の三輪さん、いや。

加茂さんという方が書いていて。

へぇー、へぇー、とへぇボタンを押しながら、読んだことがあって。

その頃、富士山のまわりには、300の浅間神社があるんです、なんて言われ。

あのあたりの神社をたずね歩いたこともあったりね。

人間、いろんなことに、興味をもつのです。

ま、そんなことを言いながら、考えながら、いまという時代を生きてもいるわけで。

仮に、悲劇、ってものがあるとしたら、今、という時代に。

今ならぬ、ま、過去の遺物のような、価値観やら発想やらにはまり込んっじゃている状態。

ってことかね。

わが家は、世が世なら、平氏の末裔、源氏の末裔、とかね。

おれが若かった頃はこうでどうで、にもかかわらず、今の若いもんは的なことや。

朝から、ちょっと、ヘビーな方向に行きそうなんで。

本日は、このへんで。

 

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岐阜と言えば信長さんだ。

2015年07月23日 | Weblog
いきなりの表題だけど。

今日は、合同安全パトロールということで。

一路、岐阜へ。

なので、金華山へ行ったり。

岐阜という名前の由来などを。

暢気に、感心したりする時間はないのですが。

確か、織田信長が、中国の古典からとった名前 。

じゃなかったっけ。

忘れましたが。

今朝は時間がないので、短い手紙です。

なんて、芥川の逆のセリフを残しつつ。

のブログなんだけどね。

昔の人々も、領地替えやらなにやら。

各地を転々と、なんて話もあるけれど。

当方も、ローカル人間でありつつ。

各地を転戦するのです。
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今朝は目覚ましをかけ忘れた

2015年07月22日 | Weblog

ということで、朝の勤行ならぬ。

瞑想は省き。

いつもより、ほんの少し遅れで、出かけたんだけど。

ご近所の聖人は、巴川沿いを、僕の挨拶も聞こえないほどに集中して。

ゴミ拾いというわけでね。

いつもながら、あたまが下がるのであります。

夕べは、広報委員会があって、わが山登りの師匠も遅れて参加。

今週、日曜日に、越前岳へ行ってみようか、と思っているんだよ。

の言葉に、土曜日の午後なら、つきあいますよ。

なんておっしゃるので、かたじけないけれど、日曜日に行ってみます。

と応えたんだよね。

彼、3日ばかり前には、御殿場口から富士山を、6時間かけて上り、2時間かけて。

降ってきたようで。

パワフルです。

夕べの会合は、6階だったので、一段飛ばしで、登ってみて。

あがりきってしばらくすると、汗が吹き出てきてね。

今、涼しい川風が、やってきて。

一陣の涼風、ってのは、こういうとき使う言葉かな。

川越しの風は、自然のクーラーみたいなもので。

一時の幸せを味わっているのです。

この間、岩手は、盛岡へ総会に行ってきたんだけど、その時に。

むづかしい話はやさしく、やさしい話は深く。

深い話は面白く、なんて言い回しに出会ってね。

なるほど、と。

なので、このブログも、それにならい、なんて思ってみたものの。

ところで、ぼちぼち、ご近所の稲荷神社の夏祭り、例大祭の時季で。

来週の日曜日には、祭りの準備だ。

今年からは、わが長男坊も参加、ということで、少なくとも。

あと30年以上は、その準備がつながるというもので。

そんな具合に、古来、さまざまな祭り事は続けられてきたんだな、という思いで。

それについては、自分が、30歳の時では、考えもつかなかったんだろうね。

どうも、今日は、思考が続かない、ってのは。

ひょっとしたら、いい傾向かも、と思いつつ。

ブログ、終了です。

 

 

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