まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

中央銀行は戦費調達のためにつくられた

2015年06月30日 | Weblog

今朝の、表題は、硬めだけどね。

これ、昨日の日経で、スイスのUBS会長が、ぽつりと書いていて。

UBSというのは、世界最大級の銀行だそうで、彼、BIS理事会のメンバーでもあるそうだ。

この、BISなんていうのは、世界の銀行の親分だからね。

中央銀行といえば、日本では、日銀ね、アメリカでは、FRB、今話題のヨーロッパでは。

ECBだね。

下々の民たる僕からすると、どうも、うさんくさくてしょうがない部署ではあるけど。

よくもまぁ、いけしゃあしゃあと、言っちゃうよね。

しかし、戦争のために作られた、という中央銀行、ってのは。

なるほど、とも思えるね。

民主主義の始祖、ギリシアで起こっていることは、文明の始祖、中東で起こっている。

例のIS国とにていなくもなく。

注意して見てると、というか、なんの衒いもなく見ていると、ものごと、実は。

とても、シンプルなんだろうな、という感想だな。

今朝のフレッシュハーブは、レモンバーム、レモングラス、ローズマリー、タイム。

それから、セージ、ミントと、わがベランダハーブのオールスターだよ。

効能は、ま、とにかく、いいことだらけ、ってわけだ。

昨日、久しぶりに「馳走」さんでお昼、いただいたんだけど。

ペットの話になり、僕は、とても猫、犬までまわらないよ、自分自身が。

ペットみたいなものだから、と言ったんだな。

そんな具合で、ハーブが体にいいからといって、健康志向、ってわけでもなく。

わがペットたる、この体に、理に叶った日々を送っていただこう。

というね。

親心、というのか、体が親なら、こどもからの親孝行ってことになるね。

夕べ、帰りがけ、いつものように、ご神域、というのか、稲荷神社のご神木に。

瞑目して、「真理の言葉」ってのを、唱えた、というか、ご披露申し上げ。

たんだけど、目をあけているときより、数段、気持ち良い気がひろがり。

くせになりそう、だけど。

力をもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。

というフレーズがあるんだけど、気にいっていて。

日本文学最高の作品、なんて密かに、思ってもいるのは、道元さんが書いたんだな。

明日は、花ちゃんとプチミーティングで。

榎本孝明という役者さんみたいに、いや、榎本さんは、絶食だったか。

彼は、夕食のみ、という具合に、一日をクリエイトしている御仁だけどね。

キリストがゴルゴダの丘を登るような、そんな坂道のある神学校に。

60歳過ぎから通ったという熱血漢、というか、世間的には。

変わり者ですが。

昨日、つい最近、上司にきつく叱られた、という若いバンカーに、明日は永遠に訪れず、なんことを。

のたまいながらも、このブログでは、明日ですね、と書いている。

という、この人間存在の、あるいは、言葉というものの、摩訶不思議さではあるんだけどね。

そんなこと、書いてる間に、初登山の日も近づいていて、明日は永遠に、なんて言ってる場合じゃない。

のですが。

今晩は、小芝八幡宮での茅の輪くぐりの儀式に参列のあと、「おだっくい」さんで。

コンパだそうで、還暦過ぎてのコンパ、ってのも。

なんだか、おもしろそうで、そういえば、昨日の若きバンカーも。

最近、長くつきあった彼女とわかれ、結婚なんて考えないけど、コンパ。

行くんです、と言ってたな。

違った業種業態の方々と出会うのは、おもしろくて、と。

まるで、新芽の会みたいだけど、こちらは、ワンコインですむけどね。

そうそう、彼に言ったのは、あなたは「マレビト」だよ、と。

つまり、その昔、山々に囲まれた村に、見知らぬ土地からやってくる。

マレビト、客人、とか、客神、とか書くんだよね。

いろんな会社まわり、なんだけど、その会社ってのは、わりと、村みたいなもので。

その村々を、あなたは、経巡り、ある意味、語り部とも言えて。

と。

経営指導だとか、なんだとか、タカピーな目線じゃなく、語り部であり、マレビトであり。

というわけだ。

その解釈でいけば、数字にコミットするのも、楽しくなるよ、というね。

そんな話をしたんだった。

ついでに、マレビトってのは、土地の豪族の娘さんといい仲になり。

村人は、貴種の混じった子供を、そりゃ大事にし、あるいは、中央とのつながり。

にもなり、なんてこと、古来、繰り返しても来て、ということも話し。

それが、場合によっては、1000年もつづく、伝承として、土地土地に残され。

というわけだ。

あらあら、今朝は、軽く、と思っていたんだけど、気がついたら、2000文字超え。

ともかく、ギリシアの支配層はともかく、下々の民は、いたぶられる。

という仕儀とあいなり。

と言いながらも、彼ら、たくましいからね、わが日の本の民草とおんなじで。

ギリシアの民、IS国の民、ミャンマーのイスラム教徒たるロヒンギャ族の民などなどと。

通底する、哀しみ、というか、たくましさ、というか。

そんなことを思いながら、わが日の本の民も連帯しようではありませんか。

って、最後は、アジテーションみたいだけどね。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシアが危ない?

2015年06月29日 | Weblog

なでしこ、ベスト4進出、のニュースと並んで。

IMFが、もう待てない、といったんだったっけ、ギリシアね。

今週開けのマーケットはどうでしょうか、みたいなニュース。

それと、あれ、どこの話だったか、墓場でなんとか、という事件ね。

このところ、ニュース番組、みないので、たまに見ると、それなりにおもしろい。

というほど、根を詰めて見てないけど。

なんたって、見てなくても、生きていける、って、当たり前だけどね。

昨夜は、娘はまじれなかったけど、家族団らんを、「たんぽぽ」という。

ひさしぶりの焼き肉屋さんで。

母親が、こんなふうに食べるのはいいね、と何度も、くりかえし。

明日は東京から静岡へやってくる、という長男坊の彼女が。

その昔なら、三指つきながら、お世話になりました、という。

そんな心境をあじわっているんじゃないかな、という晩に、迎え入れるこちらはこちらで。

焼き肉パーティー、というわけです。

その後、長男坊のマンションに行き、と書いてきて。

やっぱり、モーニングページってのは、無理があるな、と。

なので、きっぱり、あきらめ。

そう、孫崎さんの本、「日米開戦の正体」という書名でしたが。

3分の1くらい、読んだんだけど、丹念に証言を拾い集め、書くのは大変だっただろうな。

と思いつつ、残念なのは、日露戦争からだけど、どこからお金、借りたのかな。

というのが、書いてなくて。

借りる、ということは、貸す方は、儲かるわけで。

もちろん、表題のギリシアじゃないけど、返す、という約束のもとで、ということだけど。

ロスチャイルド系のゴールドマン・サックスが、なんて、香ばしい話は、ネット上では、漏れ聞こえ。

そりゃ、政治ってのは、裏側には、というか、表側には、かな、お金にまつわる。

ま、上品に書けば、富の分配をどうしよう、ということで。

利害調整がめんどくさい時には、戦争になる、んだからね。

って、ずいぶん、はしょった言い方になっちゃってるけど。

ところで、明日は、小芝神社、正式には、小芝八幡宮の茅の輪くぐりでね。

夏越の祓、ということになるのか。

事務所の、奇跡の榊が、どうやら、ぼちぼち、という具合で。

なにせ、去年の稲荷神社のお祭りのときに、小芝神社でいただいた榊が、いまだにね。

青々としていて、来る人来る人に、自慢でもないけれど、ご披露申し上げ。

という件の榊くんも、世代交代ということになりそうだ。

それにしても、驚きだ、一年、もっちゃったんだから。

どの世界にも、カール・ルイスはいるし、そうでない人もいるし、というだけの話ではあるんだけど。

そうそう、昨日は、下のおばのご主人のお見舞いに、ちょっと、二三時間、というつもりで。

興津在住のおばにも声をかけ、母親を乗せて、出かけたんだけどね。

天気もいいし、ということで、草薙のまごころ、という老健施設へ行く前、第二東名を走って。

なんてやってたら、産女観音、大鈩不動尊、丁子屋のとろろ飯、とつながり。

帰ってきたら、ほとんど、夕方に近く。

そのまま、上記の焼き肉だったんで、慌ただしかったのであります。

おばも母親も、喜び、なんだけど、こちらにも都合ってものもあり、もう帰るよ。

と、僕だけ、老健施設で言っても、なんやかや、と二時間近く、になっちゃって。

さすがに、こちらも、だんだんむくれだし、だったんだけどね。

おばはおばで、これ、ガソリン代にして、とお金を出し、なんてこともあり。

でね、この時、外の駐車場で、待っていたんだけど、二時間ね。

僕の中に湧き上がる、この感情はなんだろう、と。

追いかけてみたんだけど、わかりませんでしたが。

もしかすると、幼いころ、母親につれられていった、百貨店での買い物なんかの記憶かね。

僕から見ると、母親の都合で、引きずり回され、疲れていやになっちゃっているんだけど、なかなか。

帰らない、というね。

その後の、焼肉屋さんの段取りも、妻と長男坊でやったんだけど、ひとつひとつ、ぶつぶつと繰り言が湧いてくる。

そんな時間もあって、老健施設での感情の雲のなかに、囚われてもいたのかな、というね。

そんな感想、というか、解釈をしている、月曜の朝なのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝もモーニングページ

2015年06月28日 | Weblog

隣の部屋で、なでしこジャパンの試合が流れている。

中、モーニングページってのは、どうなるのか。

と書いてきて、やっぱり、なでしこを見てしまった。

後半戦入場の時、選手がみんな、笑顔だったので、なんとかなるかな。

なんて思っていたんだけどね。

怪我あけの岩渕選手が、決勝点なんで、感慨ひとしお、ってことで。

よかったです。

ので、表題とは展開が違ってくるけれどね。

モーニングページってのは、浮かんでくること、すべて、書き出す。

という仕儀だそうなんで。

こんな、オープンなブログでは、そこはそれ、多少の慮りも混じるわけで。

どうなんだろう。

とはいえ、それを続けていると、自動書記、というのかね。

例えば、大本教の出口なおさんだっけ、どこからかのお告げのように。

勝手に、筆先がすべり、ということもあったり。

宗教教団をつくる、ってことばかりでなく、芸術家なんかが、降りてくる、って使う言葉ね。

ミュージシャンも使うよね。

そんな類の、習慣が、ついちゃう、という仕組みかな。

なんて書きながら、昨日は、寝っ転がりながら、孫崎享さんの。

書名、忘れたな、真珠湾攻撃の真実、くらいの本だったか。

それを読んでいて、なぜ真珠湾の奇襲という罠にはまったのか、っていうね。

当時の主だった方々の発言をもとに、という本で。

暑い中、なんでこんな罠にハマっちゃっている僕がいるのか、と時折、立ち止まりながら。

読んでいたのです。

ピケティーを読んだ時も思ったけど、この時代、ってのは、SNS的な、あるいは、新聞の見出しで。

すべてを語っちゃう、という。

短兵急な、慌ただしい、というか、はしょりまくり、というか。

結論から話せ、的な時代では、たまには、まわりくどい、ある意味、かったるい。

分厚い本ってのを、手にするのも、悪くないかな、くらいの感じですが。

ところで、今朝は、カモミールのポットの中にアサガオが混じっていて。

それを、アサガオのポットのほうへ、移し替えたんだけどね。

種が落ちて、どこかではずんで、越境したのか。

それとも、僕の指くらいに種がついていて、こぼしてしまったのか。

おおげさに言えば、謎です、と。

それを、天からのメッセージといってもいいし、偶然の産物、といってもいいし。

たまたま、思考能力というのか、妄想能力を身につけてしまった。

人間の。

あるいは、それこそ、天からのたまもの、というのか、各自の自由ではあるけれど。

早い話が、すべて、解釈の違いで、どうぞ!ご自由に、というほどの。

自由気ままな存在というのが、たぶん、デフォの人間ってやつなんだろうな。

と、このところ、つくづく、思うのであります。

そこに、時代の価値観、とか名付けられている、ま、言ってみれば。

炊きたての御飯をたべるときの、鮭のふりかけ、ノリのふりかけ、削り節、くらいの違いで。

さまざまな、思い込みを、後生大事に携帯し。

それぞれに、それぞれのフィルターから、まわりで起こっていることを、解釈し、と。

どうせ解釈するなら、ポジティブにしようよ、なんていうのやら。

そうすれば、なんとかかんとかを、引き寄せます、という法則があるのです。

なんてことやら。

とにかく、いろんなことが言われてますね。

なので、昨日のエントリーじゃないけど、少思多動(しょうしたどう)ってのが。

けっこう、パワフルなんだろうと思うね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少思多動という言葉があるらしい

2015年06月27日 | Weblog

しょうしたどう、と読むようだね。

というのも、わが妻の弁ですが。

中国の、よく、なんとか広場なんてとこで、体操している。

ま、中国のラジオ体操おじおばさん、ってわけだ。

その主導者だったか、そんな方が、唱導しているようで。

早い話が、考えるのは少し、からだをたくさん動かしなさい。

ということだね。

なにしろ、ほら、県立美術館にもコピーのある。

ロダンの考える人、あれが、近代のモデルです、理想型です。

なんてことを、欧米の方々が、それこそ、唱導しちゃってきて。

日ノ本では、黄色い顔した白人の、付和雷同もね。

おかげで、まわりはてんてこまっているわけだ。

考える、とか、インテリ、とか、戦略、ストラテジーだね。

考えるな、感じろ!って言ったのは、ジャッキー・チェンだったか。

アジアでは、理詰めでなく感詰め、だな、ざっくりまとめちゃうと。

ところで、昨日。

長男坊が、僕の、それこそ唱導するところの、真実の瞬間をね。

味わったようで。

そりゃ、めでたい。

玉掛け講習での会場で、初めてあった川根の方らしいけど。

喫煙コーナーでの会話から、だったようで。

孤児院で育った相方が、最近、9年間つきあった彼女を亡くした。

交通事故だったのか、それを語った瞬間。

長男坊の目から涙が出た、そうで。

そこは、共感の場で、そう、それがコミュニオンとか言うんだね、きっと。

帰りの車中、自分の中のコンプレックスのようなものが。

そりゃ、どうでもいいことだ、くらいの感覚になったようで。

そうなんだね、その場に浮かぶ言葉の数々ってのは、二人の共有物なんだね。

なので、あなたとわたし、という区別はない。

そこにあるだけ、って仕組みで、これ、たぶん、古来、賢人たちが。

言葉をつくして言ってきた境地で。

言葉をつくしてきた、のだけれど、言葉のない世界、というパラドキシカルな。

そんな場でもあり。

というわけで、なかなか、いい体験をしたな。

なんて会話を、目の前の食卓で聞いていた、というか、耳が遠いので。

聞こえていない母親が、僕を指しながら、この子はこれこれこうで、神経質で。

みたいな、それこそ、コンプレックスの源に通じるような話に展開し。

まるで、つながっているようだね、と長男坊と二人で、顔を見合わせたんだよね。

そりゃ、言葉でのコミュニケーションが、デフォにみえるけど。

その実、それ以外の、体全体からの交流ってのが、ある。

サザンの桑田も、言葉にすがるようじゃ恋も終わり、と言ってるしね。

説得、とか、説諭、とかってのは、終わっちゃっているんだよね、その時点で。

そうそう、今朝も、朝顔が咲き誇り、って、夏休み前なのに、ね。

もっとも、10個ばかりなんで、咲き誇り、ってのは、オーバートーク気味ではあるけど。

一つ一つの花の立場からしたら、誇ってもいるんでね。

そう、昨日は、初めて、一時間の個人ミーティングに参加した方がいて。

あれやこれや、一時間、何を話そうか、なんて感じてもいたようだけど。

あれ、もう一時間ですか、ってくらいで、これ、毎月やるんですか。

いいですね、というわけだ。

ことほどさように、ある時間を、自分以外の人と共有する、ってのが。

あるようでない、ってことかな。

ま、そんなこんなで、手作り御朱印帳が出来上がりました、というメールも

入っていた朝、ブログは終了に近いんだけど。

忘れていたことがあって、モーニングページ、って手法があるらしく。

朝起きたら、ノートに向かい、頭に浮かんでくることを書き留める、ってやつで。

山川紘矢さんという方が、Facebookだったかで、書いていて。

なんてこと、考えていたら、僕にとっては、このブログだな、と。

表題さえ出てきたら、あとは、ほとんど、自動書記とまではいかないけど。

キーボードに触れる指先が、勝手に、思考を紡ぎだす、って仕儀で。

それがまた、健康の源にも通じ、というわけで。

終了します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白山市には白山神社があるんでしょ

2015年06月26日 | Weblog

という会話は、この間。

修善寺で、同窓会をやった中のお一人。

ひさびさに、名刺を交換したら、石川県白山市、だったか。

そんな住所に、なんとか会社の社長、という肩書でね。

彼、中堅の建材商社勤務、なんで、子会社の社長です、ってわけだ。

帰宅は、5時過ぎ、っていうんで。

一人暮らしを満喫してます、と言うんだね。

奥様は、福井の実家で暮らし、と。

そう、白山ね、一時、その神社にちなむ名前のついたブログに行っていたことがあり。

なんだけど、どうもね、その抹香臭さ、というか、道徳臭が、鼻についてきて。

今は、ご無沙汰なんだけどね。

そんなことも思い出した、彼の名刺だったのです。

そのうち、そちらに行くかも、だよ、なんて会話にもなって。

昨夜は、長男坊の新居の契約なって、今日は引っ越しにいい日だそうだ。

と、妻が、ネットで調べたようで。

夜中に、といっても、9時過ぎなのか、三人で、荷物をひとつ持って、行ってきた。

表札をかけてこなかった、というから、それは、二人でかけるさ、ということでね。

白い壁の部屋は、そう、二人でクリエイトしていきなさい、というメッセージで。

なんていうほど、大げさではないけど。

ま、楽しいでしょうね。

どんな瞬間でも、実のところ、クリエイティブなので、この間。

久々に、PTA役員の頃の花ちゃんというね、60歳から神学校に通い、牧師さんなのか神父さんなのか。

なった、という方と話したら。

彼、一日の食事は、夕食のみだそうで。

そりゃいいね、と応じ、そうして、一日をクリエイティブに切り取るってのは。

とても、楽しいことだよね、というわけだ。

僕も朝晩30分の瞑想、ってのがね、事の良し悪しはおいても、クリエイティブでね。

なんて話をしたのでした。

食事といえば、今週の「新芽の会」にいらっしゃった、30歳の御仁が、最近、結婚したようで。

その相方、つまり、嫁さんが、断食をしているので、自分もつきあって。

なんて言ってたな。

そりゃ、いいことだよ、と応じたんだけどね。

みんな、なんやかんやいいながら、さまざまなトライをしているんだね。

トライといえば、トライアンドエラーだ。

失敗しなよ、というわけだ。

その瞬間には、失敗に見えるけど、ひいてみたら、成功への道、まっしぐら。

ってわけで。

そもそも、成功も失敗もない、生きてるだけでまるもうけ、という観点からは。

同じアホならやらなきゃソンソン、ということだね。

失敗を恐れて一歩がでない、というのも、ある解釈では。

インナーチャイルドのなせる技、という言い方もできそうで

つまり、幼いころの、ある思い込み、傷、解釈、などなど、言葉はどうでもいいけど。

感情と言われるものの、その奥のほうに、眠る、というか、息づいている、あるできごと。

なんて言い方もありますね。

それを、どうにかする、っていうよりも、その傍らに寄り添う、という。

ま、それで、おつかれさん、の一言でもかければ、きれいさっぱり、変容するんだろうけどね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣くまで待とうとホトトギス

2015年06月25日 | Weblog

夕べの独演会、柳家花緑師匠のね。

泣かせてもらいましょう、とも意気込んでもいたんだけど。

「愛宕山」という、ざっくり言うと、ナンセンス漫画みたいな噺で。

アスリートのような落語、とでもいいましょうか。

相当はしょった書き方だけどね。

しかし、うまいね。

二年前は、前座の修行中だった、という緑太と書くのかな、お弟子さんの成長著しく。

とても上手だったので、最初のときのドキドキ感、いたわり感など思い出しながら。

だったのでした。

柳家花緑師匠の「愛宕山」は、古今亭志ん朝から稽古をつけてもらったものらしく。

そのおやじは、古今亭志ん生で、こんな具合でしたか、なんて真似をしていたけど。

僕は、どうも、そのおやじさんの方が、性に合っているようで。

って、すでにリアルでは聴けないわけですが。

40過ぎまで、死神と言われ、売れなくて、とった銭は、博打と酒で蕩尽し。

まで行かないほどの割前ではあったようだけど。

噺がおもしろくなくて、表情が暗い、というので、死神とあだ名され。

というんだから、どこで化けて、昭和の名人なんて言われるようになったのか。

だから、人間、いくつになっても変われるのです、by エド・はるみ、ってことでね。

落語のあとは、馳走さんで、幕の内ならぬお弁当で、西国の住人ご夫妻プラス姫と。

熱燗を少々、いただきながら、という仕儀で。

ちょっと慌ただしく、帰りの電車に乗ったわけだ。

すると、スマホがなり、長男坊の友達、引っ越しを手伝ってくれる、という彼からで。

どこにいます、待ってますから呑みませんか、というね。

そこで、急いで、って、電車の速度は変わりませんが、清水に帰還。

ご子息が、某大手ハウスメーカーの営業をされている、というママさんのお店で。

午前零時の鐘がなるまで、三人プラス・ワンで。

真実の瞬間、の話やら、自殺願望の男の話、あと、友達、奥さんというんだけど。

彼のおばあさまへ贈った、なんとかボールという話やらね。

結婚を間近に控えた長男坊への、彼からのエール、とでもしておきましょうか、そんな話やら。

書き出せば、きりがないけど。

そう、修善寺、独鈷の湯でのエピソードも交え、宵も更け。

あと、35年かね、俺の寿命も、なんて話に、そう考える事自体、信じられない、というくだんのママさんの。

問いかけをあとに残しつつ、帰巣本能を湧き上がらせ。

という一夜でしたが。

7月の海の日に、わが長男坊と彼女、お母様との顔合わせ、ということらしく。

ちょうど、娘も帰省する、なんて連絡が、妻のところにも届いていたので。

家と家との結び、なんてウタイの結婚の儀式が、だんだんと簡略化され、というのも。

グローバル化のなせる技なのでしょうか。

そうだ、西国の住人の娘さんも、来春に結婚されるそうで、めでたい。

なんて書いたり、夕べを振り返ったりしながら、思うのは。

この身内から沸き上がるエネルギーは、なんだろうな、というか。

やっぱり、サナート・クマラだからかね、なんて書くと、ドン引きでしょうが。

この摩訶不思議ないきもの、人間ってやつの、底知れない深さとでもいいましょうか。

あるいは、宇宙そのものの、なんてことが浮かんできて。

その浮かんでくる、ということさえ、どこから、ワ・タ・シ、のところにやってくるのか。

そうだ、昨日は不思議なことがあり、見ようによっては、単なる間抜け、とも言えるけど。

入江岡から新静岡まで、電車に乗ってね、iPhoneで、吉川英治の「太平記」を読んでいた。

のはいいんだけど、気が付くと、どうも、方向が逆のようなんだね。

早い話が、新静岡駅へついて、そのまま、僕は座席にすわり、その電車が、今度は。

清水方面へ走りだし、というわけだ。

どうもね、この駅は、降りるお客さんが大勢だな、どうしたんだろう、なんて思ってもいたわけだけど。

その駅ってのが、新静岡の手前の駅じゃなく、当の新静岡だったんだね。

ちょっと、複雑な乗り越し、ってことで。

なので、到着時間は、30分以上狂い、予定の理事会には出席できず。

だったのです。

これ、おもしろいな、というのも、アメリカの長距離の運転手が。

東海岸から西海岸まで、荷を運んだんだけど、自分がわかっているのは。

出発した時と目的地についた時、だけで。

ほとんど、道中、自動運転みたいなものだった、という逸話を紹介している方がいてね。

信号も守り、対向車にも気をつけながら、安全に現地までついたのだけど。

そのことを、覚えていない、気がついていない、というね。

じゃ、誰が運転していたの、ってわけだ。

このエピソードについては、解説できたら面白いけど、朝からドン引きは申し訳ないので。

今朝は、このへんで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翻訳アプリを試してみた

2015年06月24日 | Weblog

昨日のエントリーの続き。

みたいになっちゃうけど。

実は、独鈷の湯で、中国からの娘さんと会い。

国際交流を試みたわけだ。

が、こちら、英語もしどろもどろ、単語が出てこないし。

あちらは、なかなか、英語は流暢で、中国語も、あたりまえだけど。

どうやら、青島(チンタオ)からのツアーのガイドさんとその友人みたいで。

まぁ、小学生くらいの会話が成り立ち、というのも。

グーグルの翻訳アプリってのを、急いで、ダウンロードし。

音声で、どこへ行きますか、なんて入れると、英語で、出てくるんでね。

その画面を見せながら、だったんだね。

しどろもどろながら、お互いが、なんとか、通じ合おう、という領域での。

時間ってのは、楽しいもので。

こんな体験が、何度か続くと、英語でも習ってみようか、くらいの気持ちにもなるんだろうけどね。

最後に、自撮り、っていうやつ、iPhoneを自分に向けて、ね。

彼女たちと記念撮影をしたんだけど。

それ、ここでご披露すると、臨場感が伝わるのかも、ですが、やめときます。

おっさんのむさい顔、アップしても仕方ないからね。

中国、ちゅうごく、とひとくくりにしちゃいがちだけど。

そこはそれ、その国には、さまざまな方々が、生きているわけで。

アメリカにしたって、全部が全部、カリフォルニアの青い空、みたいなメンタリティじゃなく。

鬱になる方もいるし、金融街でブイブイいわせる方もいる、というわけだ。

わが日の本だって、同じで、縄文系もいらっしゃるし、弥生系もいらっしゃるし、とね。

縄文の系図をつぐ、男性のY染色体のなかの、なんとかというやつが、日本の人口の3割にのぼり。

中国、朝鮮にはなく、とか言ってたね。

東アジア全体でも、それはなくて、チベットとなんとかいう島々に残っている、と。

って、つい最近、テレビでやったらしく、というのは、紙屋さんの女史にきいてもいたんだけど。

YouTubeを見ていたら、そのテレビ番組が紛れ込んで、あらためて、そうなんだ、というわけだ。

チベットという、山に隔離された地、あるいは、日本列島のような島国、そこに残されている。

そういう条件でないと、弥生系というか、渡来系というか、中華系というか、そういう人々に、席巻されてしまい。

という仕儀で。

そうした、外へ出張る、というメンタリティが、どういう理由で生まれるのか、ってのも興味深いのですが。

今の中国の政策、なんてのを眺めると、人間ってのは、生半可な年月では、変わらないんだろうね。

3000年、4000年、というスパンかね。

日本の観光地では、いいもわるいも含め、インバウンド観光とかいってね。

わんさか、外国の方が、訪れ始めていて、縄文由来のY染色体が、駆逐されていく様。

とも解釈できるね。

そもそも、現代の、例えば、ビジネス環境なんてのは、その魁でもあるかもね。

仕事をして鬱になる、なんてのも、その人の育った環境が、とか、精神的な弱さが、なんてわけわかんない方向へ。

向きを変えちゃうけど、そこんとこ、テストに出ますよ、的な。

江戸時代だか、明治の初期だか、日本を訪れた外国人が、日本の労働者が、よく笑うのが謎だった。

なんて文章が、残されているようだけどね。

欧米人からすると、労働ってのは、辛く苦しく、しかも、労働する階級ってのは、貧しく、というね。

働くやつは、下の階級、わが貴族は、労働しません、くらいの勢いだったとかいうしね。

そんなことより、今夕は、柳家花緑さんの落語会。

泣かせてもらいましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漱石の道を歩きながら

2015年06月23日 | Weblog


独鈷の湯まで来た。

病療養の漱石とは違い、こちらは。

いたって、元気なんだけどね。

いつもの瞑想がすみ、6時前から露天風呂で。

朝陽を浴び。

同行の設計の先生から、仕事のレクチャーを受け。

さて、水音とコゲラかな、鳴き声の中。

iPhone6にて、ブログエントリー中。

ホテルから道中、ウグイスの谷渡りがずっと。

この、修善寺川なのか、周辺では、何種類かの鳥達の鳴き声。

吹く風は爽やかで。

タバコでも吸うとしようか。

朝食の後、訪ねる御仁、左半身不如意のね。

彼は、元土建屋にもかかわらず、バードウオッチングが好きで。

そうだ、僕らはひそかに、バードウオッチャーと呼んでもいたんだ。

彼がこの場にいれば。

さまざまな鳴き声、あるいは飛び方の習性から。

あれはこれ、これはあれ、とレクチャーしてもらえるんだけど。

夕べは、彼不在の中、もう20年になるのか。

僕らが、30代半ば過ぎから40代にかけての事だったんだね。

なんて、まさに、20年ぶりの同窓会だったんだよね。

しかし、この水音は、心を洗い流す、とでもいいましょうか。

爽快感を残しつつ、本日のブログ終了です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1500×800の板が欲しい

2015年06月22日 | Weblog

という長男からのリクエストがあったので。

そりゃ、クラフトコンサートのおいちゃんに訊かなきゃ。

だよ、ということで。

スーパードライを片手に、妻もまじえ、三人で伺ったわけだ。

駿府の在なんで、駐車場につくなり、ウグイスの谷渡り。

もちろん、囲まれた山々は新緑だ。

それだけで、気分は、鄙に遊ぶ、という感じでね。

タバコも吸えるし、酒も飲めるし、ということで、話題は。

多岐にわたり、かくかくしかじかで、結婚するんです。

という長男坊の話から、住宅ローンがとおらなかった顛末まで。

ふと、iPhoneをみると、西国の住人、という方から、昨日のエントリーへの。

コメントが入っていて、さすが、絶妙のボケとツッコミのタイミングが。

なかなかで、なので、今朝は、日曜日ではないという理由で。

ブログは、短いものにします、まる。

ってわけだけど。

そう、今晩は、修善寺泊だった。

ご案内の通り、って、挨拶の定型文みたいだけど、右脳の損傷で。

左半身が不如意の、古くからの友人を囲む会、とでも銘打っちゃえそうな。

そんなウタイの会ですが。

当のご本人は、足が痛いのでホテルには行けない、ということに相成り。

趣旨が変わっちゃうね、というような展開になりつつあるのですが。

まぁね、右脳がやられちゃうと、喜怒哀楽の表現がひきこもり状態なんで。

どうしても、そうなりがちではあるんだけどね。

左脳優位な、自己批判、くさぐさのものへの分析眼、みたいなのが。

オーバーフローしがちなんだよね。

それはそれで、いいんだけど、はたして、どんな顛末になりますやら。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神は七日目に安息日を創り給うた

2015年06月21日 | Weblog

聖書では、たしか。

海や山をお創りになり、人間、動物を、そして。

七日目を安息日とし給うた。

というようなことが書かれているよね。

って、そんなに詳しく読んだことはないけれど。

そう、神がお創りになった、という。

七日目の安息日、ということになっている、日曜日。

昨日、清水の駅前銀座の、100円ショップで買ってきたザルというのか。

あれ、葭でつくってるのか、竹じゃないようだけど。

そのザルに、そうだ、ざるそば、っていうくらいだから、あんな具合なやつね。

朝のハーブを摘入れたんだけど、なかなか、気分がいいな。

花摘む乙女みたいな感覚、とでもいいましょうか。

表題ね、安息日、ってのに、すっかり、わが日の本の国も飼いならされ。

グレゴリオ暦ってやつのなせる技でもあるけれど。

そもそも、労働ってのは、なんて話にもなっちゃうんで。

苦行としての労働、なんてのが、どうも、アングロサクソン風で。

アスリートのように、肉体の疲れや脳の筋肉の疲れをとるのは。

そりゃ、ごく当たり前の話なんだけど。

自然の中に生きる動物としての人間、と見たら。

どうなんだろうね。

縄文時代に、安息日って概念、あったのか、なかったのか。

聖書では、楽園たるエデンの園から追い出された、ってウタイだよね。

そりゃ、おまえら人間が、罪を犯したからね、ってわけだ。

おいおい、輪廻転生も否定しながら、ほんの一人の、ま、罪とも思わないけど。

その、ひとつの仕草所業で、未だに、おれらを責めるのかい?ってね。

罪深きわれわれには決められないけど、全能なる神がお決めになった。

という仕儀がね、後世、さまざまなところへ影響を与え。

って、書いてくると、おまえはアンチキリストか、なんて思われそうだけど。

実は、そうでもなくて。

キリストにしても釈迦にしても、ほんとのところは、どうだったの?というね。

昨日も、書かれたものは、著者の意図に反して、誤読される運命にあり。

なんて書いたけど、それを言ったら、キリスト教にしても、仏教にしても。

教えの祖、ま、教祖さまだね、彼らは、書いてもいないわけで。

せいぜい、生前、おっしゃっていたことを、何十年だかたって、その弟子が。

だいたい、こんなもんじゃない、って書いてるんで。

誤読の山が築かれている、とも言えるね。

そんなこと言い始めたらきりもなく、なので、最近では、あなたの中に神がいます。

いや、むしろ、あなた、そのものが、神なんです、創造神なんです、と。

さらに、その上を行って、あなたはいません、ノンデュアリティ(非二元)です。

とくる。

なんだか、今朝は、宗教ブログみたいになっちゃってるけど。

宗教というと、これまた、手垢、つきまくりの言葉で。

そんなことより、どこからきてどこへいくの、というくらいのシンプルな話ではあるんだけど。

昨日、ある御仁の甥っ子さんが来社され、楽しい3時間弱、という時間を過ごした。

楽しい、と書いたけど、もともとは、10年以上勤めた会社をやめ、就活中ということで。

妻子のあるなか、悩み多き、というようなシチュエーションだったんだけど。

それでも、楽しかったんだから、しょうがないね。

視点が変わった、とおっしゃっていたんで、つまり、解釈も変わるわけで。

当たり前だけど、同じ現実が、違った光景として登場するんだろうから。

そりゃ、楽しいでしょ。

それを聞くともなしに聞いていた妻が、起きがけに。

あたしは、ネットで、銅板の押出技術を紹介しているサイトを楽しんでいた。

あたしは、ものを作ることに没頭する職人なんだよね、おとうさんは、言葉を紡ぎだす職人。

だと思った。

という感想を洩らしていて。

なるほど、それは、とても重要なポイントで、どうしても、言葉で表現されたことってのは。

いかにも重大そうな気分をもたらすけれど、実は、言葉ですら、無限に広がる人間の。

潜在能力のいち部分でしかない、というね。

そこに、気付かされたんだよね。

奇しくも、その晩、菩提寺の世話人会があって、そのあと、総代さんかな。

311の震災のころ、コンサルで起業され、ピーク時、170回だったか。

年間ね、講演で全国を回っている、という御仁と一杯やって。

先輩なんで、おれが誘ったからおれがおごるよ、というクラッシクな。

おかげで、おごっていただきましたが。

その方の次男さんが、ダウン症だそうで、左脳2、右脳8という感じなんだって。

計算はできないけど、物事、風景の記憶が、半端じゃなく、友達も多く、ということで。

帰りのタクシーで、僕も左脳を少なくしようと、奮闘努力の毎日ではあるのです。

と、告げたわけだ。

ことほどさように、って、なにがさようだか、だけど、左脳という裁判官と検察官をかかえる。

あるいは、そこにスポットライトをあてる、というのが、現代という時代の病でもあり。

冒頭の七日目に安息日、っていうシステムも、とても、左脳的で。

右脳バンザイ!縄文バンザイ!という気分でもあるんだけど、それを、左脳から。

言葉として発している、というこの、なんというのか、矛盾というか相反というか。

ま、それが、人間という存在の仕方のデフォなのかも、ですが。

書きたいこと、あとからあとから湧いてくるんだけど、そこはそれ。

駿府の西側に生息する御仁からの、ながーい!まる、みたいなコメント届きそうだから。

お後がよろしいようで、としておきますか。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする