まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

スタートライン

2012年10月31日 | Weblog
ロンドンオリンピックに出た陸上の選手で。

義足で走った人、いたよね。

準決勝へ進んだのかな。

すごいもんだね。

その前のオリンピックは、その義足が、反発力があるから出場できません。

みたいな決定を、国際陸連がしたらしく。

そのときは、自分が、障害者であることを、つくづく、感じた。

そうだ。

それを乗り越えて、だからね。

彼の、母親の言葉が、気に入って、メモしちゃったんだけどね。

敗者とは、最後にゴールした人ではない。

というわけだ。

スタートラインに立たなかった人だ、と。

いいね。

禅宗のえらいお坊さんやヨガ行者でもいいそうな言葉だな。

見る前に跳べ!ってやつだね。

昨日、clipboxって、アプリを教えてあげようと、娘にメールしたらね。

すかさず、返信があって。

もう、毎日、それがなきゃ、生きられない、くらいの勢いで使ってる。

って、メールで。

このアプリ、youtubeから音楽だけをダウンロードできて、自分のiPhoneのコレクションになる。

というシロモノで。

「amazing grace」や「言葉にできない」というプレイリスト作って。

僕の場合、車の中で、聴いているのです。

あるいは、「while my guitar gently weeps」なんてビートルズの曲も。

何人ものミュージシャンがカバーしているんで、それ全部集めたりね。

ま、そういうアプリなんですが、そのメールの終わりに。

韓国語のつぎは、英語をいちからやろうと思ってます、だって。

なにせ、中学もろくに通わなかった娘だからね。

そうか、さすが、俺に似ているね、といいところだけは俺に似、という落語のネタみたいだけど。

そのメールを見て、わが妻が、娘の自由な生命力とでもいうのか。

それに関心しきりで、それに引き比べて我が身は。

会社と家の往復で、なおかつ、わが母親のネガティブ・エネルギーからのがれるため。

帰宅困難者、じゃなく、帰宅拒否症候だそうで。

なんて、こんな状況だから何もできないけど、あなただけは点々、みたいなね。

これは、個人情報なので、ここだけの話ですが。

いずれにしても、スタートラインに立つことがね。

人生の醍醐味でもあり、という、本日は、実に教訓的な、お話でした。
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2012年10月30日 | Weblog
鬼、という字があるんだから、鬼は存在する。

と言えるのか。

それはよくわかりませんが。

妻とわが母親の物語です。

先週、母親が夢を見た、と。

鬼がいて、その中に次男坊もいて、あっちへ行け、と言われた。

プータローをやってる次男坊を「心配」し。

なにかと言えば、次男坊の名前を呼び、どこへいった、と言う。

そんな母親の見た夢を妻が聞き。

それ以来、夜、眠れなくなった。

というのが、物語の概略なんだけどね。

夕べは、寝ようとしたら、急に心臓がばくばく言いだし。

よっぽど、病院へつれて行ってもらおうか、というくらいだったとか。

鬼の夢がね、そうとう、インパクトがあったのか。

そういえば、この二日、夜の瞑想が、とても、辛くて。

こりゃ、いろんな方々が、さまざまな思いとともに、まわりにいらっしゃるな。

なんて、勝手に思ってもいたところなんで。

強引に、ま、牽強付会、ってやつだね、くっつけてしまえば。

それなりの物語が、また、ひとつ、できあがってしまうんだけどね。

目に見える世界が、なによりも重大事で、科学的に論理的に実証的に、なんていう立場からは。

目に見えない世界に逃げ込むな、なんていう叱咤激励がとびそうだけど。

いずれにしても、なんらかの異変があったのかもしれず。

母親の鬼も、妻の心臓も、ぼくの不快な瞑想も、リアルであるわけで。

そんな近況です。

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べったら焼き

2012年10月29日 | Weblog
郵便局の帰り。

甘いものが、食べたくなり。

近所の駒屋さんで、何か買おうかな。

と思いつつ、久しぶりに焼いてみようかな、と。

小学生の頃、祖母と作った、べったら焼きをやってみた。

黒砂糖をたっぷり入れて。



こんなんです。

小皿は、黒蜜のつもりです。

一応、卵の白身を泡立てて。

重曹もいれちゃいました。

近くにあった、iPadをひらけば。

レシピはたくさんあるんだろうけど。

昔懐かしい作り方で、べったら焼きです。

妻と母親に、どうぞ!と。

あの頃、あんたち、よくやったね、と母親は目を細め。

あんたち、というのは、妹ですね。

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ご飯

2012年10月28日 | Weblog
昨日も、1日、いろいろ、あったはずなんだけど。

夕飯のときの、炊きたてのご飯。

これにつきる。

前にもアップしたけれど、なかなか、炊きたてのご飯を食べる、ということがね。

タイミングがあわずに、できないんだけど。

夕べは、鍋で。

と言っても、野菜とサケのしらこのシンプル鍋ですが。

最後に、炊きたてのご飯を、おかかと細ネギで。

これが、たまらない。

欲を言えば、細ネギは、土のなかで育ったものが、香りもたっていいんだけどね。

それはともかく、お米大好き人間なので。

夕べは幸せだった。

って、一杯のご飯で、幸せになっちゃうんだから。

簡単なものだね。

そうそう、おかかも、今度、削り節屋の大将とところで、買ってこよう。

夕べは、袋入りの既製品だったから。

昨日は、それ以外に、本棚の整理をしたんだった。

例えは悪いかも、だけど、ほこりのように本がたまっていくんだね。

なので、今日は、続き、です。
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ネタギレ

2012年10月27日 | Weblog
ここのところ、ネタがなくて。

というわけだけど。

こんな感じで、フェイドアウトしてくのかな。

ネタがないので、自分の写真でも、アップしてみるか。

これです。



この間、近江の日野町へ行った時のものです。

なんていうお城だったか、その跡地にて。

書いてある漢字の意味はわかりません。

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行為と死

2012年10月26日 | Weblog
ここのところ、ネタを拾うのにテレビ画面から。

ってのも、ちょっと、なんだけど。

今日の表題は、石原慎太郎さんの小説です。

もう、40年近く前だろうな、読んだのは。

内容は、まったく、忘れてしまってますが。

今回の都知事、突然の辞職、ってことで、画面のキャプションにね。

かっこ80歳、とあったので。

驚いてしまったわけです。

そんなお歳になるんだ、ってね。

彼の、たぶん、60年ほど前の小説なんだね、きっと。

その前には、「太陽の季節」で、自分の一物で、障子紙をやぶる。

という描写がね、話題になったわけだ。

いやいや、人間、当たり前だけど、歳をとるのです。

古老とも呼ばれる方々が、話題になるのは、ある意味では、いいことだし。

なんて、平和な、いい時代だろうとも思えるしね。

ま、しかし、昔から、出処進退、という言葉があり。

この、退くときのね、難しさは、なかなか、理解をこえているんだけどね。

今日のところは、ポジションチェンジの勇気をよろしく!

とだけ、言っておこうか。

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電子書籍

2012年10月25日 | Weblog
iPadのminiというのが発売され。

電子書籍用の端末も、kindleはじめ、さまざま出てもいて。

本が手軽に読めます。

ということなんだけどね。

たしかに、自分の部屋を眺め渡して。

だんだん、増えている本の山をみると。

これ、多分、全部、はいっちゃうんだろうな、と思うと。

便利だよね。

とは思うけど、視覚的な面では、寂しい気もするし。

なにより、単純に人生の時間を割り算すると、読む量は決まっているから。

もっとはやく、もっととおくへ、もっとたくさん。

という近代のスローガンとはね、そろそろ、おさらばしないと。

というか、ちょっと、無理かも、という感じですね。

そうはいっても、出版社が、電子書籍なしではなりたたなくなり、紙媒体が激減してくると。

そりゃ、知らぬ間に、凌駕されちゃう日も来るんだろうけど。

俺たちのころは、木簡だったけど、あれがなくなったときはさびしかった。

なんて、古代人も言っていたのかな。


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母親の姿

2012年10月24日 | Weblog
庭を歩いていると。

ふと、隣におかあさんがいたんだよ。

というのは、わが母親です。

おかあさん、というのは、わが祖母の「おすえさん」になるわけだ。

たまに、母親が、祖母の気配がする、と言う。

たしかに、そこには、おすえさんがいたんだね。

んな馬鹿な、というのも一つだし。

ぼけたのね、というのも一つだし。

母親的には、まもってくれているんだね、となる。

ぼくが、とりたてて、親に冷淡、ということではないけれど。

昭和一桁世代って、おじおば会の車中で聞いていても。

親に対する思いは、深いものがあるんだね。

兄弟姉妹がそろうからそうなるのか、祖母祖父、曾祖母の話題になることが多いんだね。

もちろん、最上の敬意をもっての会話だけど。

そうそう、冒頭の祖母の気配ね。

あれは、ありだろうな。

リアルにそう感じたんだと思うしね。

この間、SNSの評論家なのか学者なのか、の方が、通常は、150人くらいが限度です。

みたいな話をしていた。

ぼくのFacebookのお友達が、ちょうど、そのくらいかな、少し少ないかな、くらいで。

といっても、最近、ほとんど、サイトに行かなくなっていますが。

それはともかく、「火水の伝え文」だったか、そういう本がありまして。

「日月神示」とか、そういう類いのやつなんだけど。

火というのは、どーんと地から天へ伸びていくイメージですね。

水というのは、たらーっと、地面をどこまでも流れ広がるイメージなんですが。

火と水のバランス、というのか、広がりと中心がね、うまい具合にバランスしてないと。

人間は、うすまったものを、追いかけ続ける、くらいの話です。

と言っても、わけわからないかも、ですが。

友達たくさんいます、と言っても、そこに、隠れた利害感情なんてのがあったりするとね。

てらいやらおそれやらの増幅に一役、かっちまうだけで、という絵柄でしょうか。

なんてことは、どうでもいいことですが、母親の母親の気配です。

今朝も、階下から聞こえてきますが、仏壇の前でね。

毎朝、ご先祖様にお経をあげているわけだ。

そりゃ、ご先祖様が、とても身近な存在になってきますね。

庭を歩いていて、母親の気配が、ってのも、うなづけます。

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ミス・インターナショナル

2012年10月23日 | Weblog
朝、NHKを見ていたら。

ミス・インターナショナルで、世界一になった。

というニュースがあって。

佐賀県の鳥栖高校で、ハードルかなんかで、高校総体へも出場したことがあるようで。

その美女の、お父様が、モスクワオリンピックのまぼろしの陸上代表で。

というね。

才能を独り占めにしたような女の子、といっても、25歳か。

英語でのスピーチが決め手になったらしい。

夢はかなう、ということを、子どもたちに伝えていきたい。

と言ってた。

だれだっけ、成功哲学なんて本、あったよね。

そのまんま、という感じだった。

お父様いわく、あいつはストレスってなに?って言うんだそうで。

なんにでも、一生懸命がんばって、ストレスを感じないらしい。

恐悦の極み、というやつかもしれないけど。

なんだかんだと言われる日本にも、そういう世界標準の女性も存在するのです。

25歳でしょ、サッカーの本田や長友なんかと同世代だよね。

これからは、あんまり、自己反省ばかり、みたいな自虐的な姿勢はやめてだね。

いま、なにができるか、なにをすると、自分が生き生きするか、という観点から。

物事をね、みる習慣を身につけてだね。

この大変化の時代を、切り抜けていく、ということですね。

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昨日の知恵

2012年10月22日 | Weblog
相変わらず、「一万年の旅路」ネタですが。

どうもね、ネイティブアメリカンの一部族の物語に触れたら。

離れられないというのか。

安住の地を求めての、しかも、子どもたちの子どもたちの子どもたちのために、というね。

つまり、のちのちの子孫、ということだけど。

彼らが、厳しい道のりのなかで、昨日の知恵、をなんども、反芻し。

そのなかから、まだ、まなべるものはないか、とね。

一族が集まり、みんなで話し合っていくんだけど。

解説によると、アメリカの民主主義の原点になっている、なんて言い方もあった。

それはまた、違った議論が必要かも。

変わりゆく明日に向けて貯えられた昨日の知恵、という言い方してるんだね。

賢者は歴史に学ぶ、というわけだ。

それも、ほんとにその解釈でいいのか、と問いかける。

まちがった解釈のために、「大地に横たわるものたち」が増えないように、と。

一族のなかまが、死んでしまわないように、ということだけどね。

歴史を、イデオロギーで潤色し、なんて、悠長なことでなく。

生をつなぐためには、真剣なわけだ。

なんともね、言えなくて。

その延長線上に、例えば、日本でいえば、神武天皇の東征なんていう旅が記録されているわけだ。

いずれにしても、古来、人類は、大きな旅をしてきたんだね。

二本足で歩き続けるもの、という言い方をしていたかな。

とにかく、歩く、あるく、歩く、のです。

栄養のバランス、なんてこともなく、寿命も、どうだろう、今の何分の一だったのか。

なので、彼らは、古老の知恵を大事にもし。

86歳なんていう女性の物語も、語られたりするけど。

ま、30歳をひと世代としたら、1万年を30で割ると、ざっくり、300になるかな。

300代に及ぶ物語だ。

実際には、東アフリカでの、木の上の生活、なんてのも出てくるから、もっと長いんだろうけど。

沼津と富士のあいだにある、飯綱神社の神主さんの家系は、256代だ、なんて。

どこかで聞いたこともあるけどね。

それはともかく、当分、この「一万年の旅路」の物語に、釘付けだな、たぶん。
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