せめて、自粛要請、いつくらいまでには収束します、と言ってくれれば良いのに。
と、テレビで、いわゆる、識者、という方々が詰るような話を展開する。
のを尻目に、表題は、このところ、お気に入りの、岩田先生。
例の、ダイヤモンド・プリンセスに乗り込み、YouTubeにその感想をアップした御仁。
その彼が、どこぞのメディアのインタビューに答えていた中のフレーズ。
それに続いて。
一人ひとりの成熟とプライドが試されてる、なんてね。
いいでしょ、爽やかで。
って、僕だけかも、か。
未知との遭遇を、楽しめるか、慈しめるか、唯一無二の瞬間として、ね。
ってのが、ここでの話だな。
ググれません、ってわけだ。
このところ、東京のアウトブレイク、が気になっていて。
だって、長期化するかどうかの、それこそ、瀬戸際、でしょ。
来期への方針、どうするか、ってのに関わることだしね。
もちろん、起こりくることに、今できることに最善を尽くす、という当たり前のことはありつつ。
とはいえ、目の前に起こりくることが、何を指し示しているか、ってのは。
語弊があるかも、だけど、興味深いものでもあり。
山上に暮らす仙人ならまだしも、市井の民たる当方が、それでも。
市井、という立ち位置に洗脳されずに、自由自在に描く、と。
そんなポジションだな、と思う次第で。
そうそう、昨日目にした、もう一つのフレーズ。
耳触りの優しいディストピア、ってのがあった。
これは、CIAの手羽先、なんて揶揄もされた落合信彦さんの、ご子息、落合陽一さん。
今、売り出し中だよね、彼のものなんだけど。
ディストピアってのは、言わずと知れた、ユートピア、楽園だね、その反対語だよね。
今日のブログの一番上、教えて教えて教とでもいうか、くれくれ教でもいいか。
偉大なる教祖様、あたくしめに道を指し示してくださいませ、みたいな風情でしょ。
いつ終わるのか教えて欲しい、っての。
これ、ディストピアへの入り口、ってわけだ。
価値判断、やめます、あなたの意のままに、なんてどこかのラブストーリーみたいな、ね。
もっとも、イタリアみたいに、なんでも疑ってかかると、初動が遅れる、ってのもあるのかも、だけど。
このディストピアについては、イスラエルのハラリ教授も、書いていて、日経電子版に和訳、あったな。
現在時の、中国とアメリカの状況を見比べると、わかりやくすもあり。
中国は、耳触りの優しくないディストピア、なにせ、各所に置かれた顔認証付きのID監視システム。
しかし、一方、日本やアメリカでは、「耳触りの優しい」ディストピアめがけ、って絵柄で。
何れにしても、COVID-19を人類共通の敵、と設定したら、そうなるのは仕方ないよね、って世論。
朝からとてもめんどくさい領域に入っちゃったので、やめときます。
ということで、今日は社員さんに、発酵アルコールと次亜塩素酸ナトリウムをお分けします。