まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

わからないという事実に耐えられるかどうか?

2020年03月31日 | Weblog

せめて、自粛要請、いつくらいまでには収束します、と言ってくれれば良いのに。

と、テレビで、いわゆる、識者、という方々が詰るような話を展開する。

のを尻目に、表題は、このところ、お気に入りの、岩田先生。

例の、ダイヤモンド・プリンセスに乗り込み、YouTubeにその感想をアップした御仁。

その彼が、どこぞのメディアのインタビューに答えていた中のフレーズ。

それに続いて。

一人ひとりの成熟とプライドが試されてる、なんてね。

いいでしょ、爽やかで。

って、僕だけかも、か。

未知との遭遇を、楽しめるか、慈しめるか、唯一無二の瞬間として、ね。

ってのが、ここでの話だな。

ググれません、ってわけだ。

このところ、東京のアウトブレイク、が気になっていて。

だって、長期化するかどうかの、それこそ、瀬戸際、でしょ。

来期への方針、どうするか、ってのに関わることだしね。

もちろん、起こりくることに、今できることに最善を尽くす、という当たり前のことはありつつ。

とはいえ、目の前に起こりくることが、何を指し示しているか、ってのは。

語弊があるかも、だけど、興味深いものでもあり。

山上に暮らす仙人ならまだしも、市井の民たる当方が、それでも。

市井、という立ち位置に洗脳されずに、自由自在に描く、と。

そんなポジションだな、と思う次第で。

そうそう、昨日目にした、もう一つのフレーズ。

耳触りの優しいディストピア、ってのがあった。

これは、CIAの手羽先、なんて揶揄もされた落合信彦さんの、ご子息、落合陽一さん。

今、売り出し中だよね、彼のものなんだけど。

ディストピアってのは、言わずと知れた、ユートピア、楽園だね、その反対語だよね。

今日のブログの一番上、教えて教えて教とでもいうか、くれくれ教でもいいか。

偉大なる教祖様、あたくしめに道を指し示してくださいませ、みたいな風情でしょ。

いつ終わるのか教えて欲しい、っての。

これ、ディストピアへの入り口、ってわけだ。

価値判断、やめます、あなたの意のままに、なんてどこかのラブストーリーみたいな、ね。

もっとも、イタリアみたいに、なんでも疑ってかかると、初動が遅れる、ってのもあるのかも、だけど。

このディストピアについては、イスラエルのハラリ教授も、書いていて、日経電子版に和訳、あったな。

現在時の、中国とアメリカの状況を見比べると、わかりやくすもあり。

中国は、耳触りの優しくないディストピア、なにせ、各所に置かれた顔認証付きのID監視システム。

しかし、一方、日本やアメリカでは、「耳触りの優しい」ディストピアめがけ、って絵柄で。

何れにしても、COVID-19を人類共通の敵、と設定したら、そうなるのは仕方ないよね、って世論。

朝からとてもめんどくさい領域に入っちゃったので、やめときます。

ということで、今日は社員さんに、発酵アルコールと次亜塩素酸ナトリウムをお分けします。

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桃園が住居になるってどうだろう?

2020年03月30日 | Weblog

そうやって、文化文明、都市化が進み、田舎と都会。

なんて言い方、流行ったよね。

田舎モンだから、とかね。

畑や田んぼが住居になっていく様、あれは、中学の頃か。

自宅から北の方は、ほぼ、田んぼばかり、そのあぜ道に毛の生えたような道を。

友達の家まで歩いて、泊まりに行ったな。

と、月日は過ぎ、高校生から大学生になる頃、この辺りにはこんな家もなく。

なんて会話を、彼としたものだ。

住居だらけに様変わりしていたわけだ。

というのは、すでに、何十年も前の話。

表題は、つい先日、父親の実家、のお寺へお彼岸のお参りに行ったんだけど。

駐車場脇の桃園が、綺麗になくなり住宅地になりつつあった。

いつだったか、ちょうど、このくらいの季節か、園内では、受粉、人工的な受粉をしていたな。

ミツバチ、いないのかな、なんて思いながら眺めたことを思い出す。

ちょっと、胸の奥の方がプチッと痛む光景だった。

梃子の原理、カタカナで言えば、レバレッジとなるのか、そんな原理旺盛な世の中。

一つの桃を育て、収穫する収入と、金融業界、投資業界のような。

1から10を産み出す、一見ね、そんな風情濃厚な時代には。

後継者は、桃の育成・収穫を諦めたんだろうか、なんて妄想逞しく、だな。

今朝の珈琲は、パプア・ニューギニアから届けられた豆、シグリ農園と書いてある。

これだって、桃園の桃、みたいなもので。

かの地では、未だに、桃ならぬ珈琲豆を栽培し、出荷しているわけだ。

フェアトレードとかなんとか、欧米でも言われているけれどね。

なんてことに思いを致し、と、ちょっと人権派、社会派を気取りつつ、味わっている。

当方、って絵柄だ。

それにしても、COVID-19関連だけど、政府も、広報官、プレゼン上手な、ね。

そんなポジションを作った方がいいな。

総理大臣は万能ではないしね、それも、全体のコントロールが効いているかどうか。

という課題はあるけれど。

TOKYO2020、だっけ、それが延期になってから、やっと本腰を入れましたね、東京。

みたいな論調もあるけれど、一方で、ひょっとしたら、現状況、いっぱいいっぱいじゃないのか。

なんてこと、浮かんできてね、こりゃ、大変だ、と。

さんざっぱら、行政の効率化、とか、公務員を減らせ、とかの議論が華々しく論じられ。

実際にもスリム化させられていた、ダイエットし過ぎ、あるいは。

古いメンタリティを残したままのダイエットだったのかも、なんて、素人判断も出てきたり、だけど。

イタリアやフランス、スペインなどで、医療崩壊の恐怖を味わいつつ、彼らが医療従事者への。

エールをそこここで送っている映像が流れてくる。

たぶん、今は、それをしつつ、忖度付きのワークからの解放が求められているのかも、だな。

出でよ、ナイチンゲール、ってなもんですが、彼女のような冷徹な、ね。

しかし、そんな、ないものねだりの評論家ポジションでいる場合ではなく、自分としてできること。

に、精出すことだな。

これこそが、自己免疫力と自尊、ってやつだ。

というわけで、わが内なるナイチンゲールを発動させることにします。

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三倍、三倍!ってCM、あったかな。

2020年03月29日 | Weblog

高見山さんだったと思うけど。

布団かな、暖かさ、何倍、って商品PR、ってわけだ。

こちらの表題は、わが走り。

昨日は雨の間隙を縫い、だったんだけど、よくありがちな、あの頃は。

みたいな追憶、思い出、記憶、を手繰り寄せてね。

ハタチかそこらだったか、1500m走のタイムを呼び起こした。

ざっくり、4分半、だから、1.5キロで割ると、キロあたり3分、ってわけだ。

これ、僕のピーク、ってやつだけど、現在のトレセンでのApple Watchに示されるのが。

7分くらい、キロあたりね。

だから、厳密には、三倍じゃないんだけど、ちょうど、年齢が三倍なんで、語呂がいいかな。

くらいの話なんだけどね。

当面の密かな目安が、6分なんだけどね、というのも、ずっと前に出走した駿府マラソンの。

足切りのタイムが、10キロで60分、なんて事、思い出して。

正確じゃないけどね。

なんて朝は、昨日の名残の筋肉痛だ。

これもまた、昔を思い出し、ってことでは、楽しいことだけど。

「ペスト」という小説が売れていて、とかね、から、カミュに想いがいたり、彼の。

「異邦人」とか「シジフォスの神話」とか読んでいた、あの頃の、わがココロのウチを思い起こし。

なんてことも、楽しみというのか、愛おしい、というのかね。

雨の朝は、コロンビアからのアマニエゴという珈琲豆で。

軽いけど苦味があり、こんな朝にはふさわしい味だ。

そう、味がわかる、薫りもわかる、味覚嗅覚OK!、感染してないね、COVID-19。

なんて頭の動きも、遠からず、デフォになっていくのかもしれず、例えば。

子供の頃に言われた、生水は飲むな、なんてのや。

それこそ、神経質な祖母から言われた、お金を触ったら手を洗え、なんての。

あんなのは、スペイン風邪由来だったか、あるいは。

その頃は、小児麻痺とか、伝染病とか言われていたのか。

なにせ、祖母の長男、わが母親の兄は、罹患し、幼い命を全うしたんだから。

とにかく、微細菌、ウイルスとの遭遇による、日常の知恵、罹患を恐れる知恵、だったんだろうな。

と今になって思えるな。

元々の大昔、現在では、わが相方、細胞内のミトコンドリアくん。

彼だって、細胞へ入り込んだ異物、という解釈も成り立ち、その大昔には、今みたいなパンデミック。

なんて、密かに言われていたのかもしれず、そのおかげで、ホモ・サピエンスとなり。

莫大なエネルギー産出を手に入れ。

巨大文明に至る、ってわけだ。

さて、今晩は、娘が鶏肉に串を打ってくれるらしい。

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横一文字のサージカルテープは

2020年03月28日 | Weblog

つまり、夕べから今朝にかけての時間、わが口は結ばれていた。

上唇と下唇が、ってわけだ。

結婚でもしているみたいな表現だね。

口呼吸をしない、と言う眠り方ね。

これね、たぶんだけど、いびきをかかない、だけでなく、口の中が乾かない。

と言うことだな、と今朝、起きがけにアイデアがやってきた。

唾液が液状のままで機能する、とでも書き直してみるか。

僕の瞑想の仕方が、両耳の上側を三度引っ張るを三回してから、瞑目が始まる。

んだけど、これで、仙骨が刺激され、その両側にある三つだったか、四つだったかの穴から。

顎へ繋がり、そこから唾液が湧出する、って算段なんだけどね。

体内の消化活動が、例えば、胃の蠕動に由来するのではなく、酵素と言うのか、微生物、微細菌の賜物。

なんて言い方、どこかで聞いたけど、そのデンで、唾液がね、助けるわけだ、消化吸収ってのを。

助けると言うより、メインの活動をしている、かな。

なんてね。

素人の、聞きかじりの仮説、今流行りの言葉で言えば、Aプランでなく、Bプラン、とでも。

言っておこうか。

そんなことが浮かんでくる朝、これから、たぶん、トレセンでの走りが可能なお天気だな。

お昼頃からまた、降り始めそうな予報がiPhoneには出ていたから、雨の間隙を縫っての。

ってわけだ。

ところで、時宜にかなう、ってことで、アルベール・カミュの「ペスト」と言う小説が。

大売れに売れ、ってことらしいけど、僕も若かりし頃、読んだ。

ほとんど、と言うか、まったく、覚えてませんが。

テレビによく出てくる室井祐月さんの元亭主、高橋源一郎さんと昨日もアップした。

ヤマザキマリさんのラジオ対談というやつを聴いた。

「ペスト」を題材にした、現在のイタリアと日本を語る、ってものだったんだけど。

ヌルい!ニッポン!ってのが、ヤマザキマリさんの言で、あとは、昨日書いたことね。

イタリアに暮らす旦那に電話すると、恐れられるらしい、こんな感じで買い物に、なんて話すと。

なんて事してるんだ、やめろ、今すぐにやめろ、離婚するぞ、くらいな勢いで、と。

家族、友人との濃厚接触がデフォなイタリア、って。

久しぶりに、「ペスト」読んでみるかな、なんて思ったり、あくまでも、思ったり、だけど。

というわけで、少し青空がのぞいてきた巴川上空、わが走りを賀いでいるのを眺めながら。

今日を始めるとするか。

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起きがけに「未知との遭遇」だな、と。

2020年03月27日 | Weblog

そんな思いがやってきた。

思い、と言うのか、アイデア、と言うのか、思念、とか、思考、とか。

なんでもいいけど。

このところ、COVID-19で世も日も開けぬ、って風情なんだよね。

会社的にも、5月が決算で、そのあとの展開をどう考えるか、ってお題もあり。

かつ、日々の社員さんの、あるいは、これからの社員さんの日常とか。

もちろん、我が身の日常、ってのもありだけど。

だけではなく、日々、さまざまに変化、変容する、多くはマスやSNSなどのメディアからの知見。

とかね。

いつにも増して、情報量が多いわけだ。

と言うか、取りに行ってる、とも言えるけど。

そんな中で、やっぱり、表題なんだろうな、と。

夕べ、ヤマザキマリと言うイタリア在住の漫画家さんが、話していた。

なぜなんですか、イタリアの爆発的な感染は?と言う問いへの答えとして。

もちろん、財政難での医療削減はありつつ、濃厚なんだ、と言うんだね。

家族、と言うもの、友人、と言うものへの接触、関わり、コミットメント、ってのが。

それに、よく食べ、よく話し、よく集まる、と言うこと。

週に何度か、あるいは、月にだったか、一族郎党が集まり、食べ、飲み、喋る。

それ、当たり前、デフォ、そこへ参加しないと、なんだかな的な見られ方をしちゃう、とかね。

とにかく、今では、禁忌になっちゃってる観のある、濃厚接触なわけだ。

そりゃ、ローマ帝国の時代から、闖入、侵入、侵略、劫略、言い方はともかく、各地各方面から。

いろんなホモ・サピエンスたちが、姿形を変えて、やってきたと言う歴史の中で。

もちろん、自分たちも出張って行った、ってのは大きいんだろうけど。

そりゃ、みじかな、心を許せる仲間たちとの、再確認、よかったね、一緒にいれて、力を合わせて。

頑張ろうね、って日常は、ありだよな。

なんて思いつつ、そんな社会が、なんとかdistancingなんて言われて、距離を取れ、離れろ。

みたいなメッセージでしょ。

彼らの中では、どうしたんだ、何があったんだ、ってなもんだよね。

加えて、終末医療→看取り→埋葬?火葬?→葬儀、と言う流れが、壊れざるを得ず。

だって、感染者には、例の防護服でもきてなきゃ、だし、そもそも、誰がどこの人で、と言うコントロールが。

崩壊してるようで、誰にも看取られず、看取ることもできず、と。

そこに唯一、最後の、臨終の場面に立ち会う、神父様、その方の存在が、救いなんだそうだ。

そんな、神の使い?代弁者?なんて称するかはわかりませんが、彼らだって。

不死身ではないわけで、当然のように罹患するんだよね。

殉職した医師の数より多くの神父様たちが、お亡くなりになっている、と言うんだね。

なんて話を聴きながら、の独りで過ごす夜だった。

わが方は、サージカルテープを横一文字に貼り付け、そして、眠りについた。

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ポジとネガ

2020年03月26日 | Weblog

って、写真の現像みたいな表題だけど。

なんでもポジティブに捉える、受け取る、なんて思考法が流行って。

かくいうあたくしめも、その時期、その病に罹患し、ある意味。

今のCOVID-19みたいなものでもあり、感染だ。

明るいことはいいことだ、そんな暗くならずに。

ってわけだ。

前向きに、前向きに、なんてことで、それへのアンチとして、タモリだったか。

お前の明るさが俺を暗くさせる、だったか、あるいは、お前の明るさは。

便所の100ワットだな、とかね。

現在でも、そんな風潮はあり、COVID-19の世界的流行を尻目に、そんなの。

マスコミが、NHKが、とか、朝日新聞が、とか。

ある意図を持って騒いでるだけ、とか、だいたい、そんなことばかり言ってたら。

楽しくないでしょ、ってなもんで。

あるいは、真逆で、うちの会社の仕事がうまくいかないのもCOVID-19のせいで。

とか、おかげで鬱状態だ、とか。

ポジとネガが交錯しているんだよね。

あぶり出される、わけだ。

仕方ないけどね、未知なるものとの遭遇なんだから、と書きつつ。

そうだ、岩田健太郎さんのツイートに。

愚かなる楽観主義者たるより、賢明なる悲観主義者たれ、なんてあったな。

お前、怯えすぎだったよな、ほら、なんのことなかったじゃないか、と結果、言われても。

ってわけだ。

真っ当に、素直に、起こっていることをみる、とでも言うか。

ポジにも振れず、ネガにもおののかず、とね。

なんて志を朝から述べてますが、昨日は。

知り合いのメールに、免疫力を上げるために、甘酒を作って飲んで寝ます、なんてのがあったので。

当方も、すかさず真似をして、やってみた。

英君の酒粕、いつもの酒屋さんで買い求めてあったからね。

この甘酒、できれば、麹を買ってきて作れば、白砂糖使わずに甘みが出せるようだけど。

生なので、まさに、生きているので、タイミングが難しいと勝手におもってしまっている。

そのうち、その辺りを解消してみるか。

自己免疫力と自尊、と言うお題をいただいている、んだよね。

だから、昨日も、わが社の現金調達力を確かめんと、ってわけで、銀行の方とお話をし。

だったんだけど、これ、ある意味、カラダとしての免疫力、だからね。

その話の中で、ご子息が今春から東京の大学へ入学、先月に下宿先へ引っ越し、と。

首都大学、だっけ、昔の都立大学、あそこなんか、新入生に、ゴールデンウィーク過ぎまで。

東京へくるな、みたいな指令が出ているらしいね、なんて話にもなり。

今、パリで都市封鎖に遭遇している、辻仁成と言う作家さんが、日記をアップしてるんだけど。

フランスでも、感染者がゼロ、なんて時期があったらしく、これで収まるのか、みたいなね。

のだけど、突然、感染爆発みたいなことになり、あれよあれよと言う間に、封鎖。

なので、高校生の息子と二人で自宅へ引きこもり、最初は、これを幸いに息子と色々と話した。

けれど、だんだん、会話もなくなり、おはよう!も言わなくなった、なんて書いてたな。

そのうち、料理が得意なので、美味しいものを、って作るんだけど、生存本能なのか、無意識のうちに。

作り過ぎちゃう、息子からは、俺を太らせる気か、くらいの言葉があり、とかね。

友達からはメールで、いいから、一度、ジーンズを履いてみろ、と。

たしかに、入らなくなってる、知らぬ間に太っちゃって、とか。

リアルタイムの報告は、そもそも、生きるって、暮らすって、なんだっけ、くらいの。

話だよね。

みんながそんな領域に入ると、そりゃ、生活習慣とか文化とか言われるものが変容し。

となると、いわゆる「消費」とか「経済」とかも、根底から問い直され。

あらあら、こんな「社会」になってました、なんてことになりそうだね。

そこでのキーワードは、おたがいが協力するか否か、かな。

おたがいを認めあい、尊重しあい、足りないところには力を貸し、あるいは、貸してもらい、と言うか。

そんな具合の社会、ってのが、たぶん、待っているんだろうと賢明なる楽観主義者。

になってるね。

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愕然という言葉がふさわしい朝

2020年03月25日 | Weblog

志村けんさんが、COVID-19の疑いで入院中、らしいね。

疑い、なのか、陽性反応、なのか。

だけど。

このタイミングで表に出てくる、ってのが、表題で。

詳しいことがわからないままで書いちゃってるので、それもまた、ね。

小池都知事からのロックダウンの発言やらなにやら。

ますます、自立、自律、自尊、ということが大事だな、と思った朝。

アメリカとは違い、ココロの中に銃をもつ、ってのも、また違うな。

いずれにしても、いろんなことが浮上してくる、あるいは、齟齬がはっきりと齟齬として。

認識されやすくなる、とも言えるか。

暑さ寒さも彼岸まで、のお墓詣りも終わり、たしかに。

なんだけど、今年は桜の便りも声が小さい。

わが御神木の楠も、新芽なのか、ちょっと赤みを帯びたものが、緑の中に点在している。

毎朝、おはよう!と声をかけ、事務所に向かう。

この世的には、僕よりずっとご長寿、江戸時代くらいからなのか、もっとか。

その御神木への毎朝のご挨拶は、なかなか、気に入っているんだ。

その瞬間、異次元とでもいうか、異空間とでも、なんて気分になり、ね。

一日が始まるわけだ。

夕べは、東京のアウトブレイクを気に掛けながらも、いつものうどんのげんきさんで、一献傾け。

相方はいつものヘアーカットの大将ジュニア。

とここまで書いてきて、どうも、筆が進まなくなった。

愕然、という表現は、そういうことなのかもしれないな。

ということで、今朝は、このあたりで。

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都市部でのアウトブレイクがあるのかないのか

2020年03月24日 | Weblog

今が瀬戸際です、というアナウンスが続く日々なんだけど。

2020オリンピックが、どうやら、開催延期、または中止、という方向へ進みそうで。

の中での、各自治体の対応ってのが、格段に変化するのかも、というわけだ。

プランAが、通常通りの開催、としたら、開催できない場合のプランBを持っていたのかどうなのか。

ってのが、いつだったか、ダイアモンド・プリンセス号に乗り込んだ、岩田さんという。

エボラとか致死率高い感染症とアフリカの最前線で戦ってきた専門家がツイートしていた。

未知の、しかも死に至るかもしれない伝染病に直面しての対応、ってのは。

そもそも、絶対的な正解、ってのがないからね。

なにせ、未知の存在なんだから。

そうはいっても、アメリカなんかでも予算、削られていたらしい、例えば、CDC。

たしかに、何もない時には、ルーティンワークだけなのかもしれず。

WHOも、どうやら、そんな感じだね、中国が、とか、日本からも300億以上か。

想像力を持てない側からしたら、宜なるかな。

とも言えるけど、いざ、災害が到来した時に、やっぱり、あの時、みたいな。

それにしても、データとか議事録とかの改ざんが常態化している統治機構、ってのは。

こんなパンデミックとかいう時には、機能性が悪いね。

専門家や政府のアナウンスを裏読みしちゃう、ってメンタリティーが醸成されちゃってるからね。

それでなくても、疑心暗鬼が広がるんだから、だって、アメリカでは銃の売上が異常に膨らんだ。

なんて話は、象徴的だよね。

不安は、怯えは、何をするかわからない。

って、ほとんどの暴力が、諍いが怯えから、とも言えるけど。

夕べ、Netflixで「コンテイジョン」という映画を観てね、パンデミックの。

三百代言のブロガーが1200万くらいの読者を集めて、煽るんだけどね、なんとかの草が効くとか。

その後ろに、ファンドの人間がいたりして、というのね。

はともかく、表題のようなことが、気になっているんだよね。

それは、実際には、どうなるのかはわからないけど、とすれば、長期化する、ということになるし。

「社会」って呼ばれるやつが、大きな痛手を食らう、ということがね。

例の、イスラエルの若手学者、ユヴァル・ノア・ハラリ教授が。

一つは、民主主義的な自由と統制主義、もう一つは、ナショナリズムとグローバリズム。

という分け方をして、書いていた。

いわゆる民主主義的な自由な国家、欧米を見れば、緊急非常事態宣言で、ロックダウン?都市を封鎖、っての。

当たり前にやってるよね、だって、COVID-19の封じ込めには仕方ないでしょ、ってわけだ。

一党独裁の中国だからできるんだ、あの乱暴な封じ込め、みたいな話、ま、似たような話だよね。

日常での、統治機構の採用するイデオロギーはともかく、共通の敵、COVID-19に向かうためには、って。

なんてこと、至福の、珈琲タイム、ケニアのチョロンギを飲みながらも、浮かんでくるのであります。

 

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ベランダの手すりにヒヨか。

2020年03月23日 | Weblog

このところ、たまに見かける。

昨日は、巴川にしらさぎか、羽ばたく姿は美しかった。

ので、すかさず、iPhoneを取り出し、だったんだけど、間に合わなかった。

東京だったか、桜は満開とか言ってなかったかな。

春です。

季節は巡り来る。

このところ、COVID-19ネタで夜も日も明けぬ、って風情濃厚で。

寄ると触るとそのネタなんだよね。

目に見えないわけで、何事もない時の空気の有り難さを実感もし。

全世界をペストとか黒死病が席巻したのはどのくらいの時期か。

わが祖母が、お金は汚い、なんてこと、言っていたことも思い出し。

その祖母の影響からか、母親もそんなこと言っていた。

母親たちは、そんな祖母に育てられたので、お祭りの屋台では一切、買い食いさせてもらえなかった。

何てことも、一つ話だ。

そんなことを思い出すのも、昨日は、お墓まいり。

父親、祖父、母方の祖父母、妻の両親、叔父と、都合、どのくらいの数になるのか。

お線香をあげながら、いろいろなことを思っていたわけだ。

ケルトのサウィン、それがキリスト教のハロウィンに習合したらしいけど。

11月1日がケルトのお正月だったそうで、その日は。

祖先や逝った親しい仲間と魂(ソウル)を交流させて、闇の季節の安寧と闇に沈んだ者たちが。

「闇から光をみいだす」ことを願う夜だった。

と、鶴岡真弓さんのご本には書いてある。

ケルトの民は、冬至前の「お正月」に魂の交流をしたわけだ。

わが方は、春秋のお彼岸、お盆には家まで帰ってくるんだよね。

という具合に、「死」というものとお付き合いしてきた。

ずっと前、霊能者と呼ばれる方に、あなたは人類代表、なんて言われたことがあって。

たしかに、僕の後ろ側には、数えきれない、ま、DNAの連鎖、というのか。

さまざまな顔、カラダ、心の動きが重なっている、とも言えて。

なにせ、途方もない歳月を経ての今、だからね。

たった一つの言葉、あるいは、好み、などなどの依ってきたる所以、みたいなものね。

なぜ、その言葉を使うか、なぜ、それが好きなのか、なんてこと、数え上げたらキリがない。

ということなんで、お彼岸のお墓を前にしての合掌は、なんらかの、どこかへのメッセージでもあり。

あるいは、あちらからの、なんらかのメッセージを知らぬ間に受け取っている、とも言えるね。

なんてこと、考えてくると、自然と厳かな気にもなろうってなもんで。

というのも、上記、COVID-19、ね。

いつだったかも書いたけど、日常への「死」の闖入、とでも言えるか、普段。

そんなに深刻に考えない、感じない「死」というものに直面させられている、とでも言おうか。

ほとんどの「死」と呼ばれるものが、病院で、ってわけで、息をひきとる瞬間は経験できない。

ので、余計に、なんだろうな、と思う。

と言いながらも、朝は始まっています。

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筋肉痛の朝を迎えた

2020年03月22日 | Weblog

なにか、誇らしそうな表題だよね。

筋肉痛。

高校生の頃、サッカー部での練習は、毎日が筋肉痛みたいなもので。

いいか、夏の合宿では階段を登れないくらいになるんだ、それを乗り越えるのが男だ。

くらいの先輩からの自慢話があったりしたか。

合宿所のベッドには、たまたま、だったのか、枕がなく、仕方なくサッカーバッグを枕に寝た。

眠りにつかなきゃ、明日の練習についていけない、なんて思いながらね。

今では、そんなこと、いちいち考えずとも、後頭部をつければ瞬時に眠りに落ち、って具合だ。

そんな16歳だったな。

あれから50年ってわけだ。

パラリンピックの映像を眺めながら、失われた脚をモノともせず走る姿、さしずめ。

当方は、失われた時をモノともせず、ってことだ。

もっとも、厳密にいうと、時は失われてはいないんだけど。

費やした、すべての時が、ここに集約され、今がある、とね。

一つだって無駄だったものはなく、というわけだ。

もちろん、これから過ぎていくだろう時も、その通り、ってことで。

そうした「時」に、さまざまなストーリー、物語をかぶせ、いろんな解釈をすることにもなるんだろうけどね。

そうだ、表題だ、筋肉痛ね、J-STEP、と書くとかっこいいけど、トレセンの周囲を走った。

途中、水飲み場が何箇所かあり、快適だ。

低い山並みを眺めながらの骨ストレッチのウォーミングアップ。

これも気持ちがいい。

走ったり、歩いたり、とざっくり、1時間ぐらい。

ジムはCOVID-19感染防止のために閉まっているけれど、外は使える。

イタリアやフランスなどと比べると、まだしも、って感じで。

アメリカも、そんな具合になりつつあるか。

凄まじいものだ。

経済を回す、とうたいつつ、アメリカなんか、日本の国家予算くらい?100兆だもんね。

とにかく、お金を突っ込む、市中に投げ入れる、昔の鼠小僧どころの規模じゃなく。

ってことで。

日本はぬるい、とかの言説もSNS上では飛び交ったりしているけれど、当方の実感としては。

この地、駿河の地では、それほどの緊迫感はないんだよね。

ご遺体に対面もできず、なんて話も聞かないし、納棺師が感染した、なんて話もないしね。

わかりません。

公文書、統計偽装系の話の後遺症があるんで、信頼できない、というのはあるにはあるけどね。

もともと、権力というものは腐敗する、ということなんで、仕方ないけど。

この二日間は、そういうことで、走った後、よく眠った、午睡、ってやつね。

午睡+通常の睡眠、ってことで、横になって重力からの負荷を受けず、って時間が長かったわけだ。

免疫力をあげるにはもってこい、って。

さて、今日は墓前にお香を進ぜることにしよう。

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