まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

お別れ会

2007年03月31日 | Weblog
今日は、この間、なくなった義弟のお別れ会。

彼の親友が、世話人代表となって、古くからの友人・知人を集めてくれた。

我が家でも、子ども達が、帰省し、にぎやかな食卓とあいなった。

母親も、なんだか、妙にはしゃいで、開放的になっている。

どんな会になるのか。

少なくとも、故人の息子たちには、大きな日になるだろう。

自分の知らない父親の一面を、多くの友人達が、照らし出してくれるからね。

人間だから、いい面も悪い面も、あったわけで、ある種のトラウマから自由になって、いろんな父親の人生を浴びること、かなしくもうれしいことだ。

いろんな事情で、お寺さんに依頼しない葬送の儀となったのだけれど、むしろ、より厳かな気持ちにもなる。

人々のこころのなかが、墓所となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マムシ

2007年03月30日 | Weblog
マムシにかまれて、体中が、ヘビのうろこみたいなもので、おおわれてしまった、という人がいるらしい。

いつもの、経師屋での話。

60歳半ばの、おしゃべりの上手な、お姫さまの小さな頃のこと。

掛川の田舎の方だったので、マムシにかまれても、なかなか、救急車がやってこない。

ずいぶん、時間がたってやってきた救急隊員は、なんだ、こりゃ、と言ったとか。

血清を打って、いのちはとりとめたのだけど、それの到着がおくれての話。

夏なんか、おなかを冷やしに、道端で寝そべっていたりするらしい。

夜になると、今のように、コンビニだの信号機だのないから、真っ暗闇。

石の上に、縄が落ちてる、なんて、マムシをとりのけようとして、かまれたりした、という。

全身うろこだらけ、というイメージが、おぞましく浮かんできて、妻に話すと、瞬間に、さぶイボ、鳥肌、とあいなった。

そういえば、寅さんのテレビ版では、車寅次郎は、沖縄だったか、南の島で、ハブにかまれて死んで、番組は終了、ということになっていたな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初啼き

2007年03月29日 | Weblog
今朝、ウグイスが啼いた。

初啼きというのだろうか。

こころが、瞬間、きれいになったような気持ちがした。

うれしいものだ。

階下から、妻が、啼いてるよ、と声をかける。

踊り場の網戸を開けようとすると、逃げちゃうよ、と言う。

でも、逃げずに、啼いていた。

なんともいえない感情が湧いてきた。

鳥の鳴き声は、なにかしらの、感慨を呼び起こす。

何百年、何千年という年月によって、刻まれた、ぼくのDNAの記憶に、感応するかのようだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうしていいかわからない

2007年03月28日 | Weblog
うちの末の息子と同級生の女の子をもつおかあさん。

ぼくよりずいぶん若いんだけど、油屋の店先で、話した。

その下の息子さんが、今度、中三になるんだったかな。

男の子だから、ほんと、想定の範囲外のことをしてくれて、と。

僕も経験あるから、そうそう、と相槌をうつ。

そういうとき、わたし、どうしていいかわからなくなってしまうんですよ、だって。

わかる、わかる、ほんとだよね。

でも、それって、たぶん、若さのしるしだよ、いいことだよ。

精神的にふけちゃうと、だいたい、世間は、とか、昔は、とか、みんな、とかの言葉で済ませちゃうからね。

つまり、子育てって、チャレンジだよね。

だから、わからないことだらけで、その表現、まったく、素直でいいことだよ、と体験的に、実感として、そう思うよ、と。

子どもに向かって、両手を合わせて、ありがとうございます、わたしを成長させてくださって、というくらいのもんだよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I believe myself

2007年03月27日 | Weblog
I believe って、世界選手権で金メダルをとった安藤美姫が、使っている唄。

綾香という歌手が歌っている。

これ、平原綾香、とは違うみたいだね。

I believe myself 信じることで 何かが始まるような気がするって、歌うんだけど。

彼女が、バッシングを浴びた頃に、であった唄。

金メダルを取ったあと、エキシビジョンでは、綾香が、生で歌っていた。

それにあわせて滑るミキティー。

なんだか、涙が出てきちゃったよ。

メディアに担ぎ上げられたり、ハシゴをはずされたり、大人になれば、想定の範囲内の出来事なんだろうけど、10代ではね。

いろいろあったんだろうけど、I believe myself なんだよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェロモン

2007年03月26日 | Weblog
日曜日の朝の番組。

脳科学者という女性が言っていた。

夫婦になるとき、自分のDNAの型と、ちがう相手ほど、性フェロモンを出し合い、燃えるような感情をもつらしい。

自分とは、ちがう子どもをつくり、環境に適応しようとするための、行動なのだ、という。

つまり、自分のDNAとちがうDNAをもっている相手ほど、燃えるような、大恋愛をすることになるんだって。

居並ぶ、社会事象についての、鋭い論客たちは、ま、男たちなんだけど、一瞬、詰まったような表情を見せた。

なぜ、詰まったか、というと、その恋愛感情も、28年で終息して、女性は、そこから、自由になる、つまり、熟年離婚の話なんだけど。

たしかに、28年たてば、違うDNA同士の成果物は、一人前のおとなになっているわけだし。

東大出身やらの、知の楼閣の主達の、半分くらいの表情には、親子関係、夫婦関係で、ご苦労されているのが見て取れたのは、気のせいかもしれないが。

静岡新聞の日曜版では、「アウェア」という女性支援活動をしている団体の代表の、山口のり子さんという人の、「夫婦の会話してますか」というインタビュー記事に、目が行ってしまった。

相手の言うことを聞きましょう。聞くことは話すことより難しい。まず相手に共感を持って聞く。自分が問題解決をしてやろうとしないこと。妻が助言を求めてもいないのに、お前がこうすればいいんだと批判したり指図したりはやめましょう。

だって。

知の楼閣のあるじ達の表情とダブった。

しかし、件の脳科学者の話は、あくまでも、行動科学的に推論したにすぎないので、熟年離婚をパロディーっぽく、扱うには、面白いかもしれないけど、錦の御旗のように言わないでね、と付け加えておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディン

2007年03月25日 | Weblog
ネットで買った備長炭の決裁に、とコンビニにはいる。

カウンターの向こうにいる女の子の名札に、ディンと書いてある。

少し、日本語がたどたどしい。

でも、とても、上手だ。

しかも、決裁の手続きを、苦もなく、こなす。

思わず、聞いてしまったよ。

何年、日本にいるの?

2年半だ、というので、日本語上手だね、と。

いや、まだ、よくわからないんです、だって。

もし、わが息子・娘たちが、異国の地で、バイトをしたら、どうなんだろう、なんて、かんがえてしまった。

同時に、片言の日本語でも、充分に仕事ができるシステムをもっているコンビニって、おそるべし、とも思った。

もし、わが社で、たどたどしい日本語で、お互い、コミュニケーションをはかったとしたら、どうなんだろう。

さんまやタモリが、よく、テレビ番組で、英語使用禁止のゴルフをやって、笑わせてくれるけど、日本語使用禁止、で仕事をしてみたら、おもしろいかもしれないな。

コミュニケートの本質に、せまれるかもしれないし、だから、いろんな、智慧がでてくるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯あたり

2007年03月24日 | Weblog
湯治のサイクルは、だいたい、一週間らしい。

最初、一回くらいの湯浴みと飲泉で、徐々に回数を増やしていく。

3日か4日くらいすると、一時、体調が悪くなる、という。

以前病んだ部分が痛み出したり、発熱や倦怠感を感じるんだ、と。

それが、湯あたり。

昔は、湯あたりすると、赤飯を炊いた、なんていう話もある。

つまり、このお湯が、あんたのからだにあっていたよ、という喜びのしるしらしい。

湯あたりしたら、湯浴みを中断して、ゆっくりと、静養して、時間をすごす。

すると、そこを峠として、だんだん、体調は、もとにもどり、さらに、もっとよくなる、という手順を踏むんだって。

湯あたり、当りくじにあたった、っていう意味なんだね。

おもしろいね。

化粧品や健康食品なんかでも、好転反応、という言い方がある。

まず、自分の既往の痛みを感じ、確認し、それを乗り越え、解放してゆく、というイメージかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大根片手に

2007年03月23日 | Weblog
糠漬け師匠から、ほったらかしの湯って、ネットで調べてみて、と温泉オタク情報をいただいての帰りがけ。

わかいUくんが、大根片手に、かけよる。

これ、自分でつくった、無農薬、無肥料の大根ですって。

小ぶりで、虫も食った後があったりするんだけど。

今朝、それを、遠方よりの、古い友人とともに、いただく。

彼の駆け寄った姿が、うれしい印象としてのこる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒涛の一週間

2007年03月22日 | 家族
昨日、お彼岸のお中日までの一週間は、まさに、怒涛の一週間だった。

うけた恩は石に刻み かけた恩は水に流す の座右の銘をもっていた、66歳の方をお送りして、お世話になりました、ありがとうございました、と。

次の日は、おじおば会で、川根へ。

きやん坊という、きこり、という意味の名前をもつお店で、SLの音を聞きながら、お昼をいただき、娘さんの描いた細密画や山鳥の尾なども見せていただいた。

18日は、箱根の姥子温泉へ。

温泉巡礼とでもいえるように、敷地内には、お堂があり、江戸時代には、裏山の沢から、噴煙がのぼり、賽の河原のようだった、というお部屋で、くつろいだ。

くつろぐまもなく、東京、府中病院へ。

義弟を看取って、早朝帰宅。

次の日は、湯あたりなのか、気候の異変からなのか、体調ままならず、一日、寝る。

そして、昨日の、火葬へと続く。

お骨を、骨壷へ収めるまでの、一連の流れは、ほんとうに、感動した。

収骨をしてくださる方の説明といい、ひとつひとつのしぶり、てぶり、物言い、というものが、懇切丁寧、火葬されたばかりの義弟を、こころからいとおしむように、してくださった。

お坊さんもいなかったんだけど、今までに味わったことのない収骨だった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする