まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

プチ同窓会

2008年07月31日 | Weblog
この間、焼津で飲んだ方が、もと隣家の住人なんだけど、なんとかちゃんに会いたい、と。

もう50年近く、会ってないだろうからね。

いろいろ、あの人も話したいことあると思いますよ。

じゃ、ぼくがセッティングしますから。

ということで、8月になったら、一緒に、食事することに、相成った次第。

プチ同窓会のキューピッドだね。

その女性のご主人も存じ上げて、わりと、仲いいので、ご主人にごめんね、くらい言っといてね、と軽く、ご挨拶。

うちのは、そんなこと、ぜんぜん気にしないから大丈夫。

焼津と清水のお二人とも、妙に、声が華やいで聞こえたよ。

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良寛和尚

2008年07月30日 | Weblog
 災難に逢う時節には

 災難に逢うがよく候

 死ぬ時節には 死ぬがよく候

 これはこれ 災難をのがるる 妙法にて候


だそうです。

良寛さん。

なかなか、味わい深い言葉だね。

さかしら、とか、こざかしさ、とかの対極にあるな。

もっとも、こんな具合に、ブログ書いてる、なんて、さかしら、といえなくもないけど。
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道具と話す

2008年07月29日 | Weblog
この間、灯篭流しで、常世の国へおくった友人。

その事務所をかたづけている。

わが社の鹿児島県人に手伝ってもらう。

彼は、40年以上、建設業界にいるわけで、友人は30年以上。

残された道具をみながら、彼らは話している。

道具を見ると、その人の仕事振りがわかる、と。

こんな細かいことまでやっていたんだ、と関心しながら、汗だくになりながら。

いつしか、彼は、ゾーンにはいる。

友人はよろこんでいるだろう。

道具を通じて、ふたりは、会話をしているようだった。

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再会

2008年07月28日 | Weblog
松尾和子のうた、じゃないんだけど。

30年ぶり。

以前、となりに住んでいたやっちゃんと、焼津で呑む。

うちの父親と母親のことを、おにいちゃん、おねぇちゃんとよんでいるやっちゃんが、定年で退職。

同僚だった、中学の同級生を介して、30年ぶりのご対面とあいなったわけだ。

昔話に話がさいた、日曜日の夜だった。

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沢蟹

2008年07月27日 | Weblog
今月のおじおば会。

奥山半僧坊、方広寺。

五百羅漢さんをながめながら、哲学の道を歩いていく途中。

おばが、絵手紙に描きたい、というので、沢蟹を追いかけて、撮る。

沢蟹二題。

吐月峰(とげっぽう)の待月楼なのかな。

まだ、僕が小学校へ上がる前、父親の仕事の関係で、何かの宴会で、家族で食事したとき。

沢蟹のから揚げがでて、僕ら子供が、感嘆の声をあげたのかな。

母親は、沢蟹、といえば、吐月峰の、という。

僕も、さわがに、といえば、おなじような反応になっているんだよね。

もうひとつ。

職人の親方が、相良にいた。

わがこどもたちの夏休み、何回か、泊めていただいた。

遠州七不思議の、子生まれ石の前の川で、親方が、子供たちのために、沢蟹をとってくれた。

そのときに言った言葉、かにはいんかや、が、我が家のこどもたちの間では、さわがにの合言葉。

イントネーションがおもしろくて、こどもたちと、大笑いをしたものだ。

がんでなくなった、あの親方、今頃、なにしてるのかな。
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認知症

2008年07月26日 | Weblog
汗だくで帰ってきて、お風呂に入ろうとしていると、母が騒いでいる。

認知症になっちゃったかもしれない。

いつも使っているメガネがない、と。

湯船に浸かって、いい気分になっていると、外で声が聞こえる。

おとうさん、あったよ、メガネ。

このごろ、母は、僕のことを、おとうさん、と呼ぶんだよね。

って、前からそうだったのかな。

妙に、うれしそうな響きがあるんだよね、その呼び方に。

それはともかく、友人が、母親の認知症で苦労していることなど、夕餉の団欒で、よく話になったりするから、メガネ→どこ?→認知症→困らせる自分、みたいな連想になったんだろうか。

メガネがあって、めでたし、めでたし、です。

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熱帯夜

2008年07月25日 | Weblog
暑くて目がさめてしまい、夜中に書いてます。

なにせ、タオル片手の、ご就寝なんで。

エアコン嫌いだし、汗を拭き拭きです。

丑三つ時は、魂があの世へ休養に行くから、寝てたほうがいいですよ、って、テレビで、江原さんかだれかが、言ってたような気もするけど。

しょうがないですね。

妻は、隣で、アイスノンを枕に、寝ています。

ところで、落語では、お金がなくて、生活できないことを、なべのふたがあかない、なんていう言い方をする。

三木助の「芝浜」でも、あんたが、市場へいってくれなきゃ、なべのふたがあかないじゃないか、って、女房にいわれて、仕方なくでかけるんだよね。

熊さんは、なべのふたがあかなきゃ、やかんのふたでもあけろ、って言うんだっけかな。

お盆があける16日には、地獄の蓋があく、って言うらしい。

丁稚の子や、子守の女の子なんかは、その日には、どんなに遅くまで遊んできても、しかられなかった。

わが母親が、僕から見たら曾祖母、おみなさんから、聞いた話をしてくれる。

ボケ防止のトレーニングじゃないけど、昔話や昔から知っている身内の人の顛末なんぞを、それで、その方は、だれの子供で、何家にお嫁にいったの、なんて、夕食のあとにしたりする。

話が、入り乱れてくると、妻が白紙とボールペンを用意してくれて、簡単な家系図の作成と、あいなる。

テレビをつけずに、そんな話をきいているのは、なかなか、楽しい時間なのです。

いかに、テレビが、楽しい会話の時間を奪っているか、わかるね。

この言い方は、いかにも、被虐的だけどさ。

おこがましい言い方だけど、そんな昔話が、母親のトラウマを溶かすことにもなったりするのかもしれない、などと思いつつ、実は、そのトラウマは、自分のものだったりもするのかな。

どちらでも、いいか。
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くしゃみ

2008年07月24日 | Weblog
三遊亭金馬の落語に、くしゃみ指南、というのがある。

生意気な講釈師めがけて、話の最中に、最前部で、七輪で火をおこし、胡椒でくしゃみがとまらないようにしてやろう、というお話なんだけどね。

このくしゃみ。

はっくしょん、とした後、だれか、うわさしてるな、と言うよね。

これ、あったてる節もあるらしい。

うわさをしている場所に、生霊(いきりょう)がでかけていくんだってね。

出かける、というのか、呼び出されるというのか。

本人の霊体、とでもいおうか。

すると、当の本人、肉体と霊体が一瞬、分離して、冷気を感じるんだって。

で、くしゃみをすることになる、と。

なるほど。

この解釈も、ありかもしれないな。

もっとも、有名人なんかになると、始末がわるいよね。

キムタクがさぁ、なんて、若い女の子に、年がら年中、うわさされていたら、重篤な風邪になっちゃうかもしれないしね。

会社の社長が、居酒屋での、部下の愚痴につきあってたら、からだ、こわしちゃうだろうしね。

うわさをすればかげ、なんていうことわざもあるけど、けっこう、あたってる。

待ち合わせなんかしていて、あいつ、遅いな、なんていうと、すぐそこに来てたりね。

人間って、肉体だけじゃなくて、みえないかたちで、そこかしこに出現しているのかもしれない。

弔辞なんかで、君は僕らの心の中に、いつまでも生きてます、なんて、いうけど、実際、思い出すたびに、その方は、そこにいるんだからね。

だから、生死にかかわらず、陰口なんてのは、かなり、重大な傷を、人間関係へつけてしまってるのかもしれない、気づかないうちに。

陰口には、人へのやっかみ、さげすみ、社会への呪詛なんかもはいるんだろうね。

気づかないから、また、やっかいで。

なんで、おれは、運が悪いんだろう、なんてなげいたりしてさ。

実際は、自分で、傷口をひろげてる、なんていう構図だよね。

くしゃみ、ひとつとっても、なかなか、人生の重大事です。
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あどRUN太

2008年07月23日 | Weblog
還暦記念全国コンサートツアー、と銘打って、9月12日、清水区役所3階で、コンサートがある。

あどRUN太さん。

プロフィールはこんな感じ。

ご自分の悪性リンパ腫をギター一本の歌で、回復させてしまったり、広島では、暴走族の集会で、歌をうたって、暴走族が激減したり、というエピソードの持ち主らしい。

たけしの「アンビリーバボ」でも取り上げられた、というビデオを見せていただいた。

街の俳人、トンボのホバーリングを詠んだHGさん情報。

この句の方です。

ひさびさにお会いした。

実は、夕暮れどき、ベランダで煙草すいながら話したことが、抱腹絶倒なんだけど、オフレコにしとけよ、ということで、書けません。

狎れあい、慣れあい、馴れあい、熟れあい。

これ、みんななれあい、とよむんだけど、獣偏の狎れあいはいかん、という主張にたいして、話をふくらめたいな、という気にもなったんですが。

8月の2、3日のみなと祭りのとき、海上自衛艦が入港して、体験見学ができるらしいんだけど、そのチケットって、手にはいんないかな、というわが社員の遠慮がちの願いがあって。

その筋の情報通のHGさんに伺った次第。

結果、チケットはないけど、キャンセル待ちで、乗れるかもしれないよ、ということでした。
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城下町

2008年07月22日 | Weblog
お殿様が、幅を利かせていた時代。

お城を中心にして、いろんな人が集まって、いろんな商品を供給していたものなんだろうね。

妻の実家は、駿府城御用達の塗師屋だったのかもしれない。

お城の周辺だったからね。

そんな具合に、城下町はできたんだろうな。

買ってくれる人がいるので、それに見合う商品を提供する、という。

お侍の時代が終わっても、旧清水市にも、日立町なんて、地名までできたりして、日立を中心にして、町ができたのかな。

技術や品物を、日立が買ってくれる、という城下町があったわけだ。

その構図を世界にコピーすると、アメリカがお殿様。

お殿様が使う商品、サービスを、せっせと運んで、お金にかえる、という城下町があったわけだけど。

大雑把に言えば、中国が工場、その工場に機械をいれるのが日本。

アメリカは、使うだけのお殿様。

どんないい技術も、商品も、買ってくれる国がなければ、宝の持ち腐れ、というわけで、みんなで、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、とお殿様に買ってもらっていた。

じゃ、払うお金はどうするの?と。

江戸時代のお殿様は、お金がなくなってしまったから、商人に後押しされた人たちに、とってかわられてしまったんだけどね。

明治維新だよね。

アメリカの場合は、金融工学、というロケットも飛ばせるような、超高等なマジック、現代の錬金術とでもいおうか、ないものをあるようにみせていたんだよね。

ファニーメイやらフレディーマックなんていう、吉原のおいらんみたいな人々が登場人物でもあります。

すごく、乱暴な書き方なので、気が引けます。

こんなブログで、安心しといてください。

かえって、安心できなくなるか、むずかしいしね。

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