まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「風の谷のナウシカ」全7巻、到着。

2022年04月30日 | Weblog

映画では、1巻と2巻までだ、ということを知り、早速、それ以後の漫画本、購入。

というわけで、昨日から、読み始めた。

2巻まで、読了、という状態なんだけどね。

なんか、考えさせられつつの体験、とでも言っておくか。

腐海ではマスクをしないと死んでしまう、なんてのは、今と同じような感じでもあるな。

この連休は、オームと共に、あるいは、ナウシカと共に、ってことになるのかどうなのか。

今晩は、久しぶりに同級生と飲むことになるけれど、僕らの世代のほとんどは。

新聞、テレビからの情報世代なので、どうなんだろうな、と思いつつ、だ。

もっとも、911の頃からもそんな感じで、MSM、つまり、メインのメディアが全て、という方々と。

いや、実際はあれこれ、違うことがあるもんだ、という方々が存在してもいたわけだけどね。

当方は、今現在では、メインのメディアをハリウッドの映画を見ているように眺めているのが楽しみの一つでもある。

おいおい、あんまり無理すると、メンタル、壊しちゃうよ、なんてチャチャ入れながら。

というわけで、走り終わった後のブログ書き、それも終わりです。

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今日は「昭和の日」です、とプリウスが言った。

2022年04月29日 | Weblog

そんな連休初日、ということになるな。

あの昭和の時代に、降る雪や明治は遠くなりにけり、だったかな。

中村草田男が昭和6年、30歳の時に詠んだとあった。

大正が15年、とすると、明治が終わって、ざっくり20年が過ぎた頃。

今が、令和だから、その前の平成を超えた向こう側に佇んでいるのが昭和だ。

あの頃の明治に対するのと同じような思いなのかもな、ことにある世代にとっては。

油がもったいないから寝らずよ、と言ったという曽祖母の言葉、が蘇ってくる。

彼女も明治を思っていたのかもしれないな。

その孫たる母親から聞いたんだった。

電気、電灯がそんなに普及してなかった時代か。

僕らは、「戦後民主主義」世代だ。

戦争に負けて焼け野原になったわが列島に灯されたアメリカンカルチャー、と教えられていたんだな、きっと。

たしかに、そう眺めると、昭和は遠くなりつつあるな。

ドルの崩壊か、西欧のある種のイデオロギーが溶解していくか、なんて令和の世だ。

そんな朝は、グアテマラのラスロマス。

その前には、巴川下流まで走ってきた。

さて、そんな昭和の追憶とともに、昭和の日を味わうとするか。

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穀雨・次候

2022年04月28日 | Weblog

梅雨のような雨が、なんて言葉を交わし合っていた4月の雨だったけど。

わが七十二候には、表題のようになっているんだよね。

恵の雨、というわけだ。

雨は雨で降らなければ困り、お日様はお日様で照ってくれなければ困り、って次第だ。

とはいえ、都会暮らしであれば、ちょっとそこのコンビニまで、スーパーまで、と食には困らない。

ことになっているんだな、現代人としては。

当たり前……。

戦後の復興に全身全霊をあげてくださったご先祖様方への報恩、なんてのを時には思い出すのも。

いや、時には、ではなく、そのことと共に生きていく、くらいの話だ。

今朝は殊勝な物言いになってるな。

言葉の言い換えも含め、あらゆるものの総点検、なんて気分でもあり。

いつものフレーズになっちゃうけど、パンデミック+ハートランドでの戦が何事かを告げているわけだ。

なので、小さなことから大きなことまで、そもそもなんだっけ?とね。

すると、思いもかけないもの・ことに、感動のタネが宿っているって算段だな。

となると、天下無双、の境地だ。

なんて思ったりもしている。

霜止みて苗出ずる、霜の季節がようやく終わりを告げ、苗代では稲の苗が生長する時節、とある。

いいねぇ。

庭の新緑もそうだし、萌え出る、なんてのだな。

いやがおうにも、元気が出ようってもんだ。

さて、そんなわけで、本日を始めるか。

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ハトがヒヨドリになろうとしていた。

2022年04月27日 | Weblog

枝に刺した夏みかんを、ヒヨドリの真似をするかのように、啄んでいた。

のか、その仕草だけだったのか。

主人然としていたヒヨドリの止まり木とでも言おうか、そこにハトが止まり、大きな身体を不自由そうに。

だったな。

何年か続けていたら、ハトもヒヨドリになるのか、なんて具合だ。

もっとも、人間だって、そんな具合に、見よう見まねで、例えば、山の民は農耕民の食べるものを常食にし。

あるいは、その逆もありか。

なんて時間の流れを経ての、現代のわれわれの、食に対するさまざまな好き嫌いとかね。

目が食べたがっている、みたいなことの連続か。

このところ、食に関しては、なんだか、途轍もない勘違いをしているのかも、って感じだな。

いろんな食材が、いろんな調理の仕方で提供され、あれがうまい、あそこが美味しい、というのがデフォでもあり。

なんだけど、ね、ってわけだ。

わが列島には残されている、お召し上がりください、という言葉。

目の前の命、生命との応酬、やりとり、だな。

天に召し上がってください、というね。

咀嚼するということは、創造の行為とも言えて。

だな。

循環とも言えるか。

なんてことをつらつらと考えている朝は、雨の音と共に、だ。

風も強い。

そんな中、わがレストランには、スズメくんたちがやってきていて。

そう、我が家の庭の新緑がいかにも生命力の発露とでもいうような、そんな感じだったな。

あの様と同調するように生きていくだけで、エネルギーは勝手に増幅するような気になるな。

と言いつつ、毎朝、当方はエネルギーワークをしているんだよね。

体内を経巡るエネルギーってのは、面白いもので、その気になればやってくる。

それは目には見えないけれど、存在するんだな。

当たり前と言えば当たり前ではあるんだけど、日常の喧騒の中に浸かっていると、それも見逃しちゃう。

なんてことは、そこらじゅうに、いろんな形であるんだろうな、とも思えるな。

さて、雨音を聴きながら、本日に入っていくか。

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重大事件発生!だ。

2022年04月26日 | Weblog

今朝の表題は、どこぞのYouTuberのサムネイルみたいだけど。

たぶん、こんな具合に、各人各様の事件は生まれる、とも言えるな。

昨日、メールでやってきたrunnetとかいうメルマガだったか、86歳の長野県の方が。

フルマラソンを走った、というもので、それだけでも驚きなのに、4時間7分3秒なんだって。

このタイム、キロ換算すると、6分前後。

僕が今走ってるタイムが、6分30秒前後、だからね。

妻が何年まえか、駿府マラソンでのタイムが、5分40秒くらいか、ざっくり、そんなタイムを。

86歳の男性が、という記事は、僕にとっての重大事件でありました、まる、ってことだ。

俄然、楽しくなった次第で、そりゃ、まだまだ、行けるのかもな、というね。

なにせ、寿命というやつに異議を唱え、叛逆の心情満載状態の日々でもあるからな。

長生きしたい、というわけじゃなく、長生きとか短生きとかの概念そのものをうっちゃりたい、放擲したい。

くらいの話だな。

歴史とか学校とか常識とかに、さまざまなこと、習わされ、教えられ、ってのが、ひょっとしたら。

大きな誤解の賜物かもしれないな、という直感です。

なんて時に、夕べ、ちょっと、白川静さんの書き溜めた文章から抜粋した書籍、「死者の書」を読んだ。

死という文字はとても美しい、とか、生あるものはなくならないが、生命は消える、だったか。

そんなこと、あの白川静さんにして、書かれていて、おいおい、ってくらいの感想だったんだけどね。

もう少し、熟読吟味してからの話にしますか。

いずれにしても、そんな具合で、大事件発生。

とご報告して、次なるルーティンへ向かいます。

 

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ブログ、昨日は休んだ。

2022年04月25日 | Weblog

というのがいいのか、それとも、今日、ブログを書きます。

となるのがいいのか、だよね。

人間は習慣の産物、なんて言葉があることはあるし。

安岡正篤さんは、朝がすべて、とか書いてなかったかな。

人間は食べたものである、なんてのもあるよね。

今朝は、いい天気だ。

爽やかな、涼風とまでは行かない季節の動きがやってくる。

朝早くから社員さんは出かけて行った。

川向こうを180spmの女史が駆け抜けていった。

スズメたちと鳩が一羽、朝食だ。

当方は、夕べの7時から今日のお昼までの、ごく自然の18時間断食となるか。

だから、僕のブレイク・ファーストはお昼の時間になるな。

身の丈を知る、ってのは、何十年もかけて、って話かもな。

というのか、生きているということはそういうことなのかも。

背伸びしたり、縮こまったりしながら、程よい身の丈に落ち着く、とでも言えるか。

やることがありすぎても、なさすぎても、メンタルを含め、なんらかの齟齬をきたし。

ある友人の好きな話、歳をとったら「教養」が必要ですね、というの。

それをもと大学の教授、インテリの先生に話したら、身を乗り出して大きくうなづいたそうだ。

先生、そうなんです、今日行くところと今日用がある、というのが大事なんです、というオチ。

その時のくだんの教養先生の顔を見たかったものだ。

最近、突然やってくるお二人の「教養人」も、そんな感じでもあるな。

なんか、足りないんだよね、昔は山も登ったし、経営もしていたんだけど、今は、それが……、ってわけだ。

ま、いつだって、知足を体現しとけば、みたいな話にもなりそうか。

なにかが足りない足りない、という心の動き、それ、ごく普通かもしれないし、さまざまな教育のおかげかも、だな。

もっともっと、速く遠くへたくさん、という資本主義という名のイデオロギー、価値観、共同幻想に浸潤された心。

みたいな話でもあるか。

さて、とてもいい天の気とともに、今日という日に出会うとするか。

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自分以外の何者かになろうとするな!

2022年04月23日 | Weblog

という文章にどこかで巡り合って、iPhoneのメモへ。

それを今日の表題にした。

なかなか深遠な言葉だよね。

身の丈、背伸びせず、なんて話だな。

なんて書くのは簡単だけど、実際には、まだまだもっともっとの世界に染まりやすいし。

今の世界線、いわゆる資本主義というイデオロギーが、まだ見ぬ何者かを目指せ、なんて指令の塊でもあるからさ。

わが国の賃金、給料は諸外国に比べ上がってません、減ってます、なんて言種も、その類だと聞いてるんだけどね。

上がらなきゃいけないんですか、ってなもんだ。

上がった給料で何を買い、何をするんですか、だな。

なんてこという社長には付き合いきれません、とか言われちゃいそうだよな。

今の給料じゃ、ディズニーランドへもいけないし、海外旅行、例えば、クルーズ船での、も行けません。

ってか。

ま、そんな辛辣な環境はともかくとして、とにかく、今朝は走ってきた。

シューズを新調し、だ。

とここで社員さんも出社してきたので、今日はここまで、だな。

 

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わが御神木は新緑に包まれ、だな。

2022年04月22日 | Weblog

毎朝、車を停めて見上げる稲荷神社の御神木に。

おはよう、と言う。

その緑がことに印象的だったな。

そんな朝は、ケニアからのチョロンギと名付けられた珈琲。

久しぶりに、ちょっと甘く、ちょっと苦く、だ。

なんて味わっている時に、身も蓋もない話だけど、珈琲需要の高まりで熱帯林の伐採が、凄まじく。

とかのニュースがあったな。

なんにせよ、希少なものを希少な人士が楽しむうちはいいんだけど、それが、大衆化し、つまり、誰でもどうぞ。

の世界になってくると、紛い物であったり、混ぜ物であったり、そもそもの生産地が狭小化し、とかね。

消費の大衆化社会、とでもいうか、それはそれで、事業家、起業家、の目の付け所でもあり、だな。

男もすなる日記といふものをわれもしてみむとて、なんて文章、なかったっけ。

平安貴族の、どこぞの女子だよね。

文章も大衆化する、その瞬間、なんて解釈もできるな。

それが、今では、だ。

ブログやFacebookやTikTokやインスタやTwitterや、だよね。

そりゃ、文章というのか、思考というのか、感性というのか、そんな生産土壌が疲弊し、希薄化し、なんてこと。

ありそうだな。

使い慣れた表現、文体、文字、思考の流れ、なんてのが横溢し、と。

なんて書いている間に、巴川の向こう岸を180spmの女史が走り去った。

さて、われもしてみむ、と次なるルーティンへ向かうか。

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ヒヨドリが来なくなった。

2022年04月21日 | Weblog

僕の知らないところでの来訪、ってのは、あるのかも、だけど。

少し、夏みかんが減っている。

そう、昨日は、見かけたか。

減りが少ないので、食が細くなったと我が子なら心配のひとつもするのかも、だな。

今朝の珈琲は、グアテマラからのラス・ロマス。

ひと月ぶりの、くらいかな。

自分で淹れた珈琲は、柔らかいんだよね。

桜の沙汰が止み、世はそろそろゴールデンウィークのネタか。

夕べの会合での挨拶に、戦争のない日本は幸せです、というフレーズが出てきたな。

その前夜の会合でも、同じフレーズを聞いた。

それはそれでありがたいことでもあり、心してお聞きしておく、だけど。

しかし、これから起こること、あるいは、今起こっていることを見ること、をこのところずっとやっていると。

そのフレーズはそれはそれでアリでもいいけど、も、って感じだな。

いろんな解釈が成り立つのだろうけどな。

うかうかしてるとやばいよな、って感も拭えず。

それは恐れているというより、あんまり信じこむのはめんどくさいことになりそうだよ、程度かな。

なんて書くと、まさに、信から知の時代へ、ということになっちゃうけれども。

僕の中の、あるタイムラインでは、パンデミックもウクライナも終わっていて、次が始まっている。

ということかな。

新しい時代、と書くとかっこいいけどね。

いつだって、日に新たに、日々に新たに、ってことでもあり。

そうだ、最近、東京のエネルギーワークでお聞きした、植物の集合意識からの逆襲、というのか。

ガイアを守るためには、少し人間も含めた環境の整理整頓をした方がよさそうだ。

というような言説、解釈ね。

毎朝、ベランダを訪れる鳥たちの動きを見ていると、そんな言説も満更でもないかな、と思う次第で。

当方の知らない次元で、彼らが交わし合っている、なんだろう、信号というのかメッセージというのか、そんなものね。

それは間違いなくあるだろうと思われるわけで。

というわけで、三連ちゃん目の会合の日に出かけていくとするか。

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日本を今一度洗濯いたしたく候

2022年04月20日 | Weblog

と言ったのは、坂本龍馬だそうで。

司馬遼太郎が有名にしたのか、どうなのか。

今、検索したら、あんまりいい意味じゃない、みたいなコメントがあったけど、それはともかく。

江戸から明治にかけて、洗濯したくなっちゃった、なんて心の動きがあったわけだ。

今一度、ってのは、その前はいつだったのか、なんてツッコミも入れたくなるな。

いずれにしても、パンデミック→ウクライナと続いている今は、そんな気分でもある。

結果、自分の心を洗濯すれば、すべて解決する、なんてのが、あるすじの言い分でもあるけれど。

はともかく、洗濯が始まるのかどうなのか、でもあるな。

その中から、希望という文字を拾い出したいんだよね、当方としては。

戦後、焼け野原の中、多くの人々は、戦後民主主義とかアメリカナイズとかの言葉で、希望を当て込み。

どうです、この復興、高度成長を成し遂げた我が邦は、なんて言って、ジャパン・アズ・ナンバーワン。

という言葉も踊ったか。

そんな諸先輩方を、日本人を誇りに思います、ってなもんだけれど。

そもそも、誇り、なんてのが比較の、相対の話であることも間違いなく、でもあるな。

むしろ、淡々と、坦々と、等身大で、ってのでよかったんだろうな。

どこにいたって、生命としての人間は、善悪を超えているはずなんだ、というのが、希望の源でもあるんだけど。

そこはそれ、リアルなカラダをもつ身としては、善悪、損得のままに、でもありがちだけどね。

そこを、なんとか、踏み越えたいというのか、乗り越えたいんだよね。

この、〜たい、ってのも、厳密には、まだまだもっともっとの世界かもね。

ま、リクツはともかく、パンドラの箱を開けたら、奥の方にあったのが、希望という文字だったっけ。

そんなざっくりした話でいいのかな、程度だ。

さてさて、そろそろ、山笑う、という季語が書かれている第16候初日を始めるとするか。

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