まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

小出ファンクラブ

2011年06月30日 | Weblog

中学生のときの、ガールフレンドが大出さん、と言ったんだけどね。

こちらは、小出さんです。

京都大学の原子炉研究所、だっけ、そこの助教です。

むかしの言い方だと、助手ですね。

もう60歳を間近にして、まだ助手、という肩書きです。

筋金入りの反原発の方だからね。

熊取6人衆、ということで、有名です。

そんな小出さんなんだけど、わが妻がね。

ファンクラブを立ち上げたい。

と娘と話たらしい。

3、4日前、八戸での講演会をustで見て。

彼女、泣いていたからね。

なぜ泣いたのか、は聞いてませんが。

彼のこの間の発言は、このサイトにあります。

フィンランドでは原子炉の核の燃えカスを地下600mに埋めて、10万年かけて安全な物質に変える、というようなことも、語られているんですけどね。

あの口の悪い佐高信が、小出さんの講演聴いて、涙出た。

なんて言ってたな。

原子力発電については、ずっと、反対してきたけど、同じ原子力を研究する者として、今回の事故をとめられなかったことに対して、あやまります。

というようなくだりだったそうだ。

仙台の帰り、三春の滝桜、葉桜だったけど、そこへ寄り。

ふたたび、東北道へ至る道が、いい道路で、しかも車がほとんど走ってなくてね。

その沿線に福島空港があり。

道路、空港、原発という三点セットを目の当たりにしたわけだ。

戦後の日本を牽引してきた公共事業。

地方には雇用を、そして豊かさを、というね。

アメリカでいえば、各国での、公共事業としての戦争だね。

最高の消費行動なわけだし、技術の革新は起きるし。

こうしてブログなんか書いていられるのも、ある意味、戦争のおかげでインターネットが開発されたからでもあるしね。

そんな世界から離れ、仙人のような小出さんでね。

家ではクーラーはありません、通勤は自転車です。

人は一日、2000キロカロリーのエネルギーがあれば、生きていけるんです。

とおっしゃる。

311大震災からの復興については、さまざまな議論もされ、政策も打ち出されるんだろうけど。

そんな小出さんの信条や心情、身上からの学びも参考にしてほしいな、とも思います。

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棺の蓋

2011年06月29日 | Weblog

よく言われるのが。

棺の蓋を覆われるとき、その人の評価が定まる。

とね。

つまり、死んだときに、評価が確定する、というようなことなんだろうけど。

ある意味、やさしい言葉ではあるね。

しかし、これまた、のろいの言葉かもしれなくて。

なかなか、やっかいです。

そもそも、自分の人生なのに、人様の評価で、一喜一憂するのかね。

というつっこみもいれたくなる。

そうはいっても、ひととのかかわりのなかで、さまざま、磨かれていくのも事実だしね。

人は人を浴びて人になる。

なんていう言い方もあるしね。

昨日、サッシ屋の大将と話していて。

お葬式のとき、大勢の人に見送られたらしあわせだよね。

みたいな雰囲気で。

いや、しかし、僕は、95歳に設定しているので(傲慢にも)。

ほとんどの方々は、僕を見送ることができないな。

と、半分、戯言を述べたのでした。

そんな会話を思い出していたら、棺の蓋、という言い方がうかんできた。

というしだいで。

95歳も棺の蓋もいいけど。

実際には、時間の流れ、というのか、人生そのものは。

いま、いま、いまのつながりでしかないわけで。

妙に、完成なんかめざさなくても……

と書いてきて、やばいやばい。

昨日、彼と話した結論は。

だから、これからは、若者と友達になろうね。

注意点としては、居酒屋での説教トークだけはやめましょう。

ということなんだった。

 

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職員住宅

2011年06月28日 | Weblog

小学校の行き帰りに職員住宅があって。

ちょっと、小高い、橋のたもとなんだけどね。

そこから、西の方を見ると。

都会のビル街が見えるような気がして。

というか、実際、一部の建物が見えもしたわけだ。

今では、家が立ち並んで、遠くの景色はまったく見えなくなっているのだけど。

あこがれ、というのか。

憧憬と書いたほうが、なんとなく、しっくりくるのかな。

父親が、静岡のビル街に仕事へ行っていたせいなのか。

初期のビートルズの音楽のような。

そこから眺める西の空の、胸かきむしられるような思いだけは、残っている。

ふと、そんなことを思い出し。

もう少しで、60という還暦でね。

なんやかや、わかったような気になってしまう年頃でもあるんだけど。

妙に落ち着いて、おれはこれでいいんだ。

なんてね。

でも、世の中には、胸かきむしられるような思いとともに、毎日くらしている方々も多いんじゃないのかな。

どっちがよくて、どっちがわるくて、というんでもなく。

その職員住宅には、学校の先生が住んでいて。

多分、独身の方々だったんじゃないかな。

ある方は、鬼籍に、ある方は孫の守りに。

と姿かたち変えてしまい。

どういうわけか、昨日、帰りの車の中で、そんなことが浮かんできたのでした。

 

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末廣

2011年06月27日 | Weblog

末廣といえば、地元では、お寿司屋さんで有名なんだけどね。

ビートたけしもやってくる、という。

その大将が、高所恐怖症で。

いつだったか、お伊勢まいりの途中、御在所岳の長いロープウェイに乗ったときは、おもしろかった。

って、笑っちゃいけないけど。

おいおい、立つなたつな、あぶないから、って、目が泳いでいたっけ。

表題の末廣は、日本酒です。

福島県のお酒、会津若松の産。

山廃純米酒。

澄んでいるけど、ちょっと辛口、と言う感じかな。

たまたま、図書館で手にした本に、「会津藩 斗南へ」というのがありまして。

会津のお酒を飲みながら、明治のころの会津に浸ろう。

というわけです。

斗南(となみ)というのは。

時は、明治維新の後。

維新といえば、古いものが打ち破られて、新しい日本の誕生、というウタイで。

いいね!のクリックボタン、押しまくり状態なんだけど。

江戸幕府と薩摩長州を中心の新興勢力との戦いだったわけで。

官軍と賊軍の戦いで、勝てば官軍というわけだ。

負けた会津藩は、明治の新政府に厳しく咎められ、解体される。

北の果て、下北半島へ藩をあげて、放逐されることになる。

北斗以南皆帝州(ほくといなんみなていしゅう)、たとえ日本最果ての地であってもここも帝の国。

ということで、斗南藩となづけられたらしい。

住み慣れた土地を強制的に移住させられるというのは、大変だったようだ。

女子ども、お年寄りなどなど。

しかも、もと賊軍、いま官軍の連中に追い立てられるのだから、その心中たるや。

ということで、今でも、会津と長州は仲がわるい、いや、最近ではそうでもなくなった、とか言われるけどね。

この話と現在の福島原発避難民がだぶってね。

また追い立てられるのか、と。

そんなことを思いながら、山廃純米の「末廣」を味わったのでした。

 

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梅酒ふたたび

2011年06月26日 | Weblog

去年の失敗を糧に。

今年も梅酒に挑む。

なんて、ちょっと、気張りすぎな書き方だけど。

この間、御前崎のナブラ市場で、梅を買ってきたので。

母親が、手回しよく、広口ビンを用意してくれて。

梅も洗って、干してくれてあって。

あとは、本みりんを買ってくるだけ、状態だったので。

いつもの、リバティーさんで三河のみりんを買い求め。

結局、ぼくは、みりんの一升瓶を広口ビンへあけるだけ。

ということだったんだけどね。

なんだか、小学生の夏休みの宿題、made by ははおや。

みたいなものなんですが。

年老いた母親については、なんでも自由にどうぞ、です。

昨日も、富士宮のタケウチさんで送っていただいた、富士宮やきそばインスタントを。

母親が、お昼に食べる。

ということで、目の前にいた僕に、これどうして食べるんだろう。

というような風情だったので、やきそばのおいしい食べ方、みたいな手順が書いてある部分を見せてあげて。

どうぞ、ご自由に、と。

よく見えない、とか、お湯を入れる順番とか、レトルトの具をどうする、とか。

いろいろと首をひねりながら、時間がかかっていたんだけどね。

やさしい息子である僕は、知らないふりして、一切、口出しせず。

どうぞご自由に、状態をキープ。

初めてのお使い、初めてのお湯だけやきそば作り。

どうやら出来上がり、味を見てみる?、というので、うん、こりゃうまい、とあいなったわけです。

人を愛するということは、その人が成長するだけのスペースをあげることだ。

というね、僕のお気に入りの言葉を実践したのでした。

 

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お年寄りの宝庫

2011年06月25日 | Weblog

そんなわけで、目医者さんへ行ってきたのだけど。

やっぱり、お年寄りの宝庫でした。

入れ食い状態、とでもいいましょうか。

ま、かく言う私めも、老年性の白内障、ということですから。

当り前だけどね。

待合室では、テレビで白内障の説明と手術の仕方が流れているし。

先生、そろそろ、手術でしょうか。

と伺ったんだけど。

もう少し、様子見ましょうか。

ということになった。

手術自体は簡単なようだから、してしまったほうがいいのかな。

とも思うんだけど。

よくテレビのドラマなんかで。

瞳孔が開いていると、あ、もう死んでますね。

みたいな使われ方をするんだけど。

昨日は、薬で瞳孔を開き。

目の内部を診察した。

ので、その後、太陽がまぶしくて。

イタリア映画みたいに、景色が白い、というのか。

風邪もひいていて、昨日のブログには、お見舞いコメントまでいただき。

さらには、熊谷では、39.8度とかという暑さなので。

風邪なのか、瞳孔の開きなのか、暑さなのか。

よくわからなかったけど、早めに帰って、早めに寝てしまったら。

夜中、目が覚め、久しぶりに「朝まで生テレビ」を見てしまった。

内容ですか?

書くのもめんどくさい、ということにしておきましょう。

 

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また飛蚊症

2011年06月24日 | Weblog

もう何ヶ月前か。

右目に、虫が飛んで。

そりゃ、飛蚊症というんだよ。

という初めての知識を身につけたんだけど。

今度は、左目にも飛ぶようになった。

ので、本日は、目医者さんへ行こう。

と思う。

夕べは、社内の食事会があり。

そこのお店の大将も、どうやら、飛蚊症のようで。

最初は、虫だと思って、手で何度も払った、なんていってた。

その彼、農家でもあり。

昨日は、消毒しているとき、熱中症になったそうだ。

なんども、こむらがかかり。

というので、水だけでなく、ミネラル入りの塩をとらなきゃだめだ。

などと話もし。

いつも、おたくの息子さんには、現場で熱中症、気をつけてね。

と言ってる立場なんだよ、おれ、と。

彼の息子さんは、鳶職で、高いところの仕事なわけです。

ちょっと前に、このブログにも書いたんだけどね。

そんなわけで、本日、go to ganka です。

 

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餅は餅屋

2011年06月23日 | Weblog

JNN三陸臨時支局

これ、facebookのサイトです。

糠漬け師匠から、ご教示いただいた。

この方が開設したそうです。

「ここで這いつくばって生きているんだ」
男性はそういって私の手を握り締めました。
「千年に一度の災害なら千年に一度の情熱を出そう」
若者はそう語ってなんども頷きました。

師匠が、最初から読んでみてよ。

とおっしゃるので、じっくりと読みました。

現役の記者が、どのような思いで、被災地を伝えるのか。

この時代、マスコミ、という言葉で一括りにされてしまうのですが。

こんな方々もいらっしゃる、ということが、よくわかりました。

涙、出てきました。

facebookではめずらしく、その表現はないでしょう。

というようなコメントも入りながら、リアルに会い、話し。

結果、諒解していく、というようなこともあり。

同じ港町、横浜の香りただよう、「茶色の小瓶」というジャズ喫茶もあり。

やっぱり、プロの記者さんは、うまい。

この間の、柳家花禄の落語がうまい、と同じように。

写真も、ストーリーがあって、印象深いのです。

 

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風邪

2011年06月22日 | Weblog

ひさしぶりに風邪をひいてしまい。

のどにきて。

声が出にくいかわりに、咳がたまに出る。

昨日は、もっちゃんのお父上の葬儀に参列したあと、寝てしまった。

と書いてくると。

このブログも日記みたいだね。

ところで、わが妻が。

きみくんのところへ行こうかな、と言っている。

どうやら、電話があり。

アメリカの原発が洪水でダメージをうけ、フランスの原発もなんらかの事故で冷却が停止しているとか。

僕自身は、未確認ですが。

世界的に、原発被害が拡大する予兆がある。

というようなことらしい。

放射能にかんしては、どうも、知見が確立していないようで。

なんミリシーベルトは、安全、危険とみんなで言い合っているような感じもする。

んだけど。

そうはいっても、安全です、なんていっている人たちも、ガイガーカウンターを頼りにするしかないわけで。

低濃度の放射線は、むしろ、健康にいいんです、というホルミシス効果を提唱する方々。

どんな低量でも、危険です、という方々もありで。

アメリカのネイティブ、ナバホの言っている、

黄色い石(ウランのことらしい)を地中から掘り出すな、そうすると蛇のような災禍が起こるだろう。

という言い伝えは。

今回の文明が第七回目で、その前の第六回目の文明は、ウランに手を出したことによって、滅んだ。

と言われていることに通じるし。

逆に、放射線の効果により、二本のDNAが、三本になり、霊的な部分が開発される。

みたいな話もあり。

これは、2012年の12月22日の冬至の日から、人類はアセンションをします。

に通じそうだしね。

どちらの意見に与するにしても、しないにしても。

いえることは、人間がコントロールできることって、わりと、限られているんで。

311の大震災しかり、その後の福島原発しかり、そもそも自分の寿命だって、そうなわけで。

謙虚になることは、必要かもしれないね。

 

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イ・イ戦争

2011年06月21日 | Weblog

夕べ、ある宴会があり。

目の前の御仁と。

ドイツのブドウ畑は、生垣くらいの高さで。

一面、ブドウ畑で。

と安いワインを飲みながらの話になり。

って、ことは、ドイツ、行ったことがあるの?

というわけで、ことの顛末をお聞きすることになった。

どうやら、娘さんが、国際ボランティアのような活動を、夏休みにしていたらしく。

そこへ、夫婦そろって、押しかけた、ということらしい。

戦争で傷ついた子どもたちへのリハビリ、というのか。

手首飛ばされた子には、義手だと壊れてしまったとき困るので、国へもどっても自立できるように、骨を改造したりする、という。

その彼も、前の会社では、イラクでゼネコンの仕事をしてい由。

あのサダム・フセイン健在なりしころのイラクですね。

イランとの戦争を、イ・イ戦争と呼んだよね。

湾岸戦争の前です。

その頃は、アメリカもイラクのサダム・フセインへ肩入れしていたわけだ。

なので、というわけでもないんだろうけど、イスラムの国なのに、イラクはタバコ、酒はOKだったそうで。

金持ちたちが、隣国クエートから、お酒を呑みにやってきたという。

建設現場には、フセインのスパイがいて。

サダム・フセインなどと言おうものなら、逮捕されちまう、とか。

大きな肖像写真を現場へ飾るのだけど。

落としたりしたら、大変なことになるので、インド人に頼んだ、とか。

現場には、10ケ国の人々が働いており。

ブロークンな英語プラスボディーランゲージだったとか。

ほんと、人って、わからないよね。

失礼ながら、目の前の御仁、ふだんは風采のあがらない、ただのおっさん。

みたいに、ながめられがちなんだけどね。

話してみなけりゃ、その人の人生はわかりません。

はなせばわかる、はなせばわかる、って、老眼ネタだけど。

あれって、物事、あるいは人事は、ある年齢がきたら、離して見なさい。

みたいな寓意なのかもしれず。

俯瞰、というか鳥瞰というのか。

そんなことかもしれません。

 

 

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